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クール・エール  作者: 砂押 司
後日談 循環せり想い

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153/179

アフター・エール カンナルコ・デイズ 前編

活動報告にてオススメ完結作品の紹介をしています。

すばらしい完成度を誇る作品ですので、こちらも是非ご覧ください。

アイリを産んでから変わったことは色々あるけれど、一番は「朝」という時間に対する価値観の変化かもしれない。


「……ん…………」


白と、赤。

まぶた越しでもわかる光の気配で覚醒しながら、私はゆっくりと目を開く。


「…………」


目の前には、そのアイリによく似たあどけなさで眠るソーマの横顔。

確かにアイリの顔は私の子供のときのそれとそっくりだけど、こうして見るとやっぱり彼の面影も色濃く受け継いでいると思う。

ソーマ自身はあまり自分に似てほしくないらしいけれど、その彼の妻であり、彼の娘の母親である私としてはやっぱり嬉しい事実だ。


何より、彼はよく笑うようになった。

穏やかに、楽しそうに、あたたかく微笑むことが多くなった。


「……」


そんな幸せと共に見つめていた、彼の頬は……。


カローーーン!


「「!!」」


ビスタからの遠響で……ではなく、ウォルポートから聞こえる壱の鐘の音に硬直する。


4年前、ある日唐突にウォルポートの外れに「転移してきた」オリハルコンの時の鐘。

表面に刻まれている魔方陣と共にウォルポートへの【時空間転移テレポート】を可能にしたそれに、ソーマとミレイユ以外の全員は「時の大精霊からの恵みだ」と感謝し、ミレイユは「罪滅ぼしのつもりでしょうか」と鼻で笑い、ソーマは「嫌がらせか」と悪態をついた。

その後、あろうことか鐘を破壊しにかかった彼を思い留まらせたのは、ウォルポートまでの移動の面倒さに無言の不満を蓄えていたギルド関係者たち数千人からの請願と、鐘を何キロ移動させても転移できる地点は動かなかったという実験の結果が出たからだ。

結局はソーマも鐘楼の建設を許可したものの、彼の【解無カイム】で一部に穴を開けられたままの鐘の音は随分と安っぽいものになってしまった。


カローーーン、カローーーン、カローーーン……。


もっとも、この軽い音色は絶対のオリハルコンすら破壊できるという『霊央れいおう』の強さの象徴として、時間を告げること以外にも役立っているけれど。


「……」


ただ、自分の「世界」にまた横槍を入れられた当の本人は、やっぱり不服そうだ。


「……朝か、おはよう」


「うん……おはよう」


ボーっとしていた黒い瞳とかすれた声は明るくなった部屋から私、再び明るくなった部屋の中へと戻って、また私に戻る。

伸ばされる腕の中に体を傾け、ギュっとハグ。

その瞬間から彼の眉間のしわが浅くなることが、いつも誇らしい。


「……さきあと?」


「今日は、ウォルポートなんでしょ?」


2人だけのときならそのまま少しダラダラしていることもあったベッドの上で、だけど私たちはすぐに体を離す。

お互いに飽きたから、じゃない。


「ああ、そうか……。

じゃあ、そっちが先の方がいいな」


「うん」


単純に、そうしている余裕がないからだ。


「火は?」


「お願い。

……あと、今日は私、時間ギリギリだと思うから」


「オーケー、行ける」


まるで暗号のような会話を交わしながら、ベッドを出た彼はトイレへ、私は洗面所へと一直線に歩いて行く。


新しい日を始める準備の時間。

清らかで静かな、光の時間。


私たちがそんな風に朝を楽しめるのは、準校じゅんこうがお休みのときかアイリがお泊まりのときだけだ。


顔を洗い、戻ってきたソーマと並んで歯磨き。

あらためて「おはよう」のキスをした後、私はトイレの後にお風呂へ、ソーマは台所で炭に点火してからアイリの部屋へ向かう。

窓際の日時計、実に2年の月日をかけてウォル領内の全戸に普及したそれを見ると、既に6時15分。


忙しく、慌ただしい。

親となったソーマと私にとって、「朝」はもはや毎日やってくる宿敵と化している。


早食い、早風呂、早着替え……。

何でも素早くこなさないと場合によっては命に関わる冒険者、その時代に取った杵柄を無駄に役立たせながらお風呂場を出た私が、部屋着のコロモの帯を結びながら再度目を向けた日時計の示す時間は……6時30分。


「……アイリ、おはよう」


「…………んー……」


ここでようやく、ソーマに手を引かれたアイリが自分の部屋から出てくる。

いやいや期となぜなぜ期のピークを乗り越えおねしょも落ち着いてきた最近はかなりマシになってきたけれど、それでも私たちがスムーズに弐の鐘を迎えられるかはアイリの機嫌次第だ。

叱ったり大きな声を出したところで反発されて余計に時間がかかるだけだから、こっちで上手くコントロールするしかない。


「トイレは?」


「……」


「じゃあ、歯磨きするぞー」


「…………ぅー」


その点、ソーマがいるときは本当に楽だ。

アイリの面倒を見てくれている間に自分の準備ができるし、公衆浴場に行ったりお湯を沸かしたりといった大きく時間を取られる部分にかなりの余裕ができる。


「ほら、仕上げするから、あーー」


「あーーーー」


口に冷たい水と塩を含んで、ようやくアイリも完全に起きたらしい。

膝をついたソーマに磨き残しをチェックされた後、寝間着のコロモを籠に脱ぎ捨てて2人仲良くお風呂場の中へと消えていった。


一方で、台所でそれを横目にしながら私が洗っているのはアイリではなく野菜だ。

裏庭の菜園から取ってきた野菜やハーブを軽く洗って切り分け、大きなボウルに入れてそのままサラダにする。

その間、かまどの中では私が足した炭にも徐々に火が回り始めていた。

本来なら最初の炭に種火を移すまでが時間のかかるところだけど、【発火ファイン】すら使わず「プラズマ」というものでなぜか火も操れる水の大精霊がいるからこその早業だ。


それに感謝しながら冷蔵庫を開けた私が続けて取り出すのは、前日の夜に作っておいたサンドイッチ……ではなく隣のボウル、そのときについでに刻んでおいた野菜とソーセージ。

ついでに受け皿の水、冷却源の氷から落ちる水が溜まったそれを捨てながら、竈の上の鍋に新しい水を注ぐ。

野菜とソーセージを流し込んだら、蓋をして……。


「「いーち、にーい、さーーん、しー……」」


続けて卵とバター、ミルクを準備したところで、ソーマとアイリが元気よく20数える声が聞こえてきた。


「じゅーなな、じゅーはち、じゅーきゅ、にーじゅ」


それに重なるように数を口ずさみながらお風呂場の前に移動した私がバスタオルを広げたのと、大きい水音がしたのは、ほぼ同時。


「あがったーーー!」


「はい、捕まえた。

体を拭くまで、出ちゃダメでしょ?」


「みゅー」


そのまま脱衣所から出ようとするアイリをバスタオルで包み込み、ついでに頬を挟み込む。

大人しく体を拭かれながら奇声を発するアイリの後ろでは、基本的にタオルを必要としないソーマが小さく笑いながら服に袖を通していた。

当然のように、お風呂には1滴の水分どころか湿気さえもない。


「あと、何やればいい?」


「オムレツと、パンだけ」


「はいよ」


ここで、またソーマとバトンタッチだ。

着替えと髪の手入れのために下着姿のアイリの手を引く背後では、卵を割る乾いた音が連続する。

時間は……7時15分を過ぎたところ。

まぁ、順調な方だ。


「今日のお送りはママで、お迎えはパパが行くから」


「わかったー」


準校じゅんこうがある日に着せるものは4歳生さいせいの制服である薄緑のローブ1択なので、アイリとの攻防は発生しない。

黒い髪を櫛でかす間も、今日のアイリは大人しく座っていてくれた。


そうこうしている間に、バターとパンの匂いがドアの向こうから漂ってくる。


「はい、できた。

パパのオムレツ、食べよっか」


「うん!」


廊下から見えるテーブルの上には、既にサラダのボウルやオムレツの皿が並び始めていた。

鉄串に刺した丸パンを竈の上で炙っていたソーマが、走ってきたアイリを視線で止める。


「こら、竈の近くは?」


「走らない!」


「よろしい。

……お皿とかフォークとか、並べといて」


「うん!」


「……あ、ママ、これって味ついてるか?」


「ううん、まだ」


「了解」


ソーマが塩を振ったスープを器に入れていく後ろで、私は冷蔵庫から作り置きのドレッシングとヨーグルト、ミルクを出していく。

取り皿とフォーク、タンブラーを並べ終わったアイリの頭を撫でて、私もソーマも席について……時間は、7時30分。


「よし……、……じゃ、いただきます」


「いただきます」


「いただきます!」


元気よくパンにかぶりつくアイリを眺めながら、それぞれ日時計から視線を戻した私とソーマは目を合わせる。

頻繁に時計を気にして、そして安堵してしまう事実に、私たちは苦笑した。





15分後、先に食べ終わった私は洗面所でミント水のうがいをして、寝室で手早く着替えを始める。

基本的に私の仕事着はバトルドレス……ではなく、ロングのワンピースだ。

今日は茶色のそれに、革のブーツに青いマント。

今日の仕事である畑の拡張作業に使う地図や筆記具、各種の種を詰めたリュックには水筒と……後で、お弁当のサンドイッチも入れておかないといけない。


「ごちそうさまでした」


「ごちそーさまでした!」


ソーマとアイリが食べ終わって食器を片づける声を聞きながら、ドレッサーで軽くお化粧をする。

これは、流石に20を越えて何もしないのはどうなのかと、お母さんやお姉ちゃんやミレイユや行きつけの……お店の店主にやんわり言われたからだ。

確かに、領主夫人として会食に出席することも増えてきたし、いずれはアイリに教えることもあるかもしれない。

そして何より、ソーマのためにできるだけ長く綺麗でいたい。

最初は慣れなかったお化粧も、悪戦苦闘していた料理と同じで毎日やっていればすぐにある程度の手際にはなった。


……ただ、その肝心のソーマとしては化粧品、特に香水の匂いが好きではないらしく、少し強めにつけるといつも不満気な顔をされる。

「俺はアリス本来の匂いと味が好きなんだけど」とか言われても……私にどうしろと言うのだろうか。

そもそも、「匂い」はわかる……わかってあげられてしまうとして、「味」はもう完全に理解不能だ。


……それで言えば、このワンピースもだ。

防刃のため織り込まれた金属による重さを少しでも軽減するため、どうしても手足の露出が大きくなるバトルドレス。

彼としては私にそっちを着てほしいらしいけれど、あれはカイランの一般常識、ネクタの公序良俗に照らし合わせても断じて1児の母が着るようなものじゃない。

そもそも、アイリを産んだ時点で私は冒険者を完全に引退したのだ。

戦闘装備を、着る理由がない。

…………それに、何だかんだで月に1回くらいは寝室で着てあげてるんだし。


「……」


こうしてみると、何だかソーマの中身もアイリとあまり変わらない気がしてきて、自分でも種類のわからない笑みが口元に浮かぶ。

時間は……、……えっ、8時過ぎてる!?


「俺、もう出るぞ」


「ごめん、遅くなっちゃった」


リュックとマントを両手に寝室を出ようとすると、マントを取りに来たソーマとすれ違う。

能力をフル活用して洗い物どころか収納まで終わらせてくれている台所の椅子には、自分の髪の毛をペタペタ触っているアイリの姿。


「ごめんね、アイリ。

今日は髪の毛、どうする?」


「2つがいい!」


「リボンは?」


「みどり!」


テーブルに荷物を置いて、もう1度アイリの部屋に戻る。

ついてきたアイリを座らせて、リクエスト通りに髪を結わえて……。


「おー、今日も美人さんだな」


もう片方も結わえようとしたところに、マントを羽織ったソーマが入ってくる。


「『よーえん』?」


「妖艶というよりは……可憐、かな」


「『かれーん』!」


「それは、腕白わんぱく


「んーー、『かれん』がいーの!」


「可憐な人は、あんまり大声出さないかな」


「(か、かれーん)」


「……っ、そうそう」


小さな声で「かれーん」と繰り返すアイリが、ツボに入ったらしい。

笑いを噛み殺しながら、ソーマが2つ結びを終えた私の肩に触れる。


「じゃ、ママ……いってきます」


「うん、いってらっしゃい……ん」


振り返りながら、唇が触れるだけのキス。


「アイリも、いってきます」


「うん、いってらっしゃい!」


続けてソーマは、椅子から降りたアイリの前に屈んで、ひたいにキスをする。


「どーして、ママとはお口なのにアイリはおでこなの!」。

かつて、物心ついた頃にアイリにそう聞かれたソーマは、「お口は、アイリが大人になったとき、結婚したい人のためにとっとかないと」と微笑み……。

「うん、わかった! パパはママと結婚してるもんね!」と即答され、死ぬほど落ち込んでいた。

何でも、本当は「アイリもパパと結婚する!」と言ってほしかったらしい。

アイリが寝た後、「……失恋って……こういう気持ち、なんだな……」と崩れ落ちたソーマに、私は数年ぶりに「あなたは馬鹿なの?」と本気で聞いた。


「じゃあ、お迎えよろしくね」


「ああ……じゃ」


どことなく、そのときの憂いをまだ引きずっている気がしないでもないソーマが出て行って……時間は8時15分。

アイリの通学鞄の中身を確認して、準校まで送って、連絡水路まで戻って、サラスナの方の竜車りゅうしゃに乗る。

広大なウォルの領内を移動するための竜車が出るのは9時だから、まぁ、今日は余裕……。


「ママ、おトイレ行きたい!」


「……どっち?」


「うんち!」


「……そう」


……まぁ、余裕ではなくなりそうだけど竜車に遅れもしないはずだ。

そして、可憐な女の子はその単語を元気に叫ばないとは思う。


「ちなみに、わりともれそーです!」


「じゃあ、どうしてもっと早く言わないの!?」


それから、どんな美人であろうと大きい方を漏らすのはアウトだから!

持っていた通学鞄を放り出して、急いでアイリをトイレに連れて行く。


結局、私たちが家を出られたのは8時45分になろうとする頃だった。

















準長じゅんちょうせんせー、おはよーございます!」


「はい、アイリちゃん、おはようございます。

……結構、ギリギリの時間だけどね」


ウォルにおいて、6歳以上の子供はその全員に「学校」で教育を受ける義務が課せられている。

ソーマがいた世界の「ニホン」のように親に「子供に教育を受けさせる義務」を課す形にしていないのは、ウォルでは2千を超えるその子供たちの半数以上が孤児だからだ。

学校は15歳までの10年制で、領主代行のミレイユが校長を兼務。

16歳となり成人した時点から社会人として独立できるように一般教養から社会常識、護身術から冒険者用のサバイバルまで教えるこの学校は、規模にしてもその教育の質にしても間違いなく世界最高だと言い切れる。


一方で、「準校」は5歳までの子供が通う別の施設だ。

正式名称は「準備学校」で、校長は『十姉弟じゅっきょうだい』のタニヤ。

その名前の通り「『学校』に行くための準備をする学校」と銘打った、ソーマいわく「ニュウジイン」や「ホイクショ」、「ヨウチエン」の役割をする施設らしい。

学校と同じように彼の世界のものとの違いを挙げるなら、こちらも子供たち全員に通学の義務を課しているところ、給食やおやつ、制服など備品が全て支給されるところだろうか。


もちろん、そういう年齢の子供たちが対象なのでカリキュラムも学校みたいに堅苦しいものはなく、レクリエーションが中心になる。

村の中を散歩したり、お絵かきをしたり、芋掘りをしたり、粘土で遊んだり、紙芝居をしたり、ボールで遊んだり、歌を歌ったり、水遊びをしたり……。

送り迎えこそ親だったり近所の年長者だったりが行うわけだけれど、預けさえすれば保護者たちが働いている間の子供の面倒を一括で見ながら、家庭内ではできない集団内での基本的なしつけを施してくれる……。

ウォル準備学校は、そんなウォルの母親たちの強すぎる味方だ。


その便利さたるや、「今までの子育てのやり方が『無謀な自殺行為だった』としか思えない」くらいらしい。

実際、その話をしたラルクスのテレジアにエバ、メリンダ。

ネクタのお姉ちゃんとお母さん、お父さんもいつになく感心して羨ましがっていた。

……というか、特に現在進行形で子育て中のテレジアとお姉ちゃんには割と本気で奴隷以外の人間がウォルに住む方法を詰問され、あのいつも飄々としているお母さんからは真剣な表情でソーマに感謝するよう諭された。


確かに、私も「母親」というものがこんなに大変だとは思っていなかった。


不安と疲労、苛立ちと睡眠不足。

こちらの理屈など、意志など全く通じない。

予測不能どころか、予測する余力すらなくなってくる。

泣いたり怒ったりする子供以上に、泣きそうに怒りそうになる自分……。


今までの子育てがこれより大変だったなら、それは確かに無謀でしかなかっただろう。

うちの場合はソーマという有能すぎるパパがいても毎日がこうなのだから、これが準校も父親もいない家庭だったらどうなっていたのか、本当に想像もしたくない。


……本当に。


「……アリス様、大丈夫ですか?」


「……、……、……、……ぅ、ん」


時間はもうほとんど9時、準校の正門前。


元気に挨拶するアイリの隣、その場で体を折ってゼェゼェと肩を上下させている私の耳には、気遣ってくれるタニヤの声すら遠かった。

結局ギリギリになってしまったからアイリと走ってきたんだけど、ここまで体力が落ちてるなんて……。

少しは、鍛え直した方がいいんだろうか。

同じように何組かの親子が駆け込んでくる中で、そんな反省が肺と心臓を圧迫する。


「……あ、チーちゃんたちだ!

じゃーね、ママ、アイリもう行くから!」


「……うん、……、いって、らっしゃい」


「いってきまーす!」


一方で、アイリはそんな私をおもんばかることなくおでこを差し出し、息を整えながらのキスを受け取った後はさっさと自分のクラスに向かって走って行く。

我が娘ながら、あそこまで「可憐」が似合わない腕白さはどう評価したらいいんだろうか……。


「……あの、アリス様。

竜車、もう出ちゃうんじゃ……」


カローーーン!


「「……」」


そんな私の感想を、そんなタニヤの忠告を遮るように、9時を知らせる弐の鐘が鳴った。


カローーーン、カローーーン、カローーーン……。


「「……」」


軽やかな時の鐘の音が残響に変わり出すのと同時に、私とタニヤ、他数人の親たちの視線の先ではシズイとサラスナが数十人を乗せた竜車を吊るして、それぞれ北と西へ向かって上昇していく。

私が乗らないといけなかった竜車、それを抱えた西行きのサラスナの赤い雄姿はどんどん小さくなって、点になって、そして見えなくなって……。


「……えっと、……では、私もこれから朝礼がありますので……」


「……うん」


タニヤも、門の中に消えていって……。


「……」


数十分後に帰ってくるサラスナを待つため、私はとりあえず連絡水路へと足を向ける。

どうやら、他に2人ほど目的地が同じ親たちもいるようだ。

それ以外の親たちも、自分たちの職場へと慌てて走って行く。


日時計ができて、これまで3時間ごとの大雑把な基準でしかなかった時間が15分単位で分割されるようになって生まれたのは、共通認識のもとで時間が無駄にならなくなった効率化とそれに伴う生産性の上昇。


……そして、「遅刻」という概念だ。


「ダメでしたね……」


「……仕方がない」


「遅刻かー……」


遅刻した分だけ時間あたりの給金が差し引かれるから、これだけは回避したかったんだけど……、……うぅ。





……朝。

忙しく慌ただしい、毎日の宿敵。





私の中でそれが「怨敵」へと変わったのは、リュックにお弁当を入れ忘れたことに気づいた12時頃だった。

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