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クール・エール  作者: 砂押 司
第5部 世界を変えるもの

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光に還る日

これが、『クール・エール』という物語です。



……いよいよ、次回が最終話です。

最後まで、よろしくお願いします。

白み始めた空を、俺とアリスは並んで眺めていた。


「……じゃあ、いってきます」


「…………うん」


結局この夜、俺とアリスは一睡もしなかった。

ベッドの中で向かい合い、抱きしめ合いながら明日という日の、そして明日以降の未来という日々について、ひたすら話し合った。

率直に言えば、アリスの愛を俺はまだ甘く見ていたのだと思う。

俺の覚悟など、アリスはかなり早い段階で看破していた。


泣かれたし、怒られた。

怒られて、また泣かれた。


当然だと思う。

俺が選んだ道に、俺自身はいないのだから。

が、これはどうしようもないことだとも思う。

俺とアリスは同じ方向を向いて歩いていくと同時に、その視線は常にお互いを見つめていたのだ。


……この全力と全存在を懸けて、守り続けると誓う。

守られるだけじゃなく、隣で一緒に闘えるように強くなる……。


想い合っているからこそ、愛し合っているからこそ。

俺とアリスが守りたいものは、永遠に一致しない。

俺がアリスを守りたかったように、アリスが守りたかったのは俺なのだから。


謝って、説得した。

説得して、託した。


おそらく、子供ができていなかったなら俺は「やっぱり一緒に行く」と泣くアリスを説得し切れなかったと思う。

最終的にアリスが首を縦に振ってくれたのは、俺とアリスが一致してどうしても守りたいものがそこに生まれていたからだ。

それに、俺たちにはこのウォルを創った責任もある。

あの闇に包まれた森の中で出合であったときのように、自分たちしかいなかった冷たい夜はとっくに明けている。


「ソーマ」


そして、それは決して哀しむべきことではない。


俺たちが変えてきた、守ってきたものの。

その果てに、創り出せたものなのだから。


「いって、らっしゃい」


目を真っ赤にしたアリスが、愛する家族としての言葉を捧げてくれる。


深い、深い森の奥の、優しい大樹の葉のような色。

怜悧に澄んだ、エメラルドの色。


俺が愛する、アリスの瞳。


「ありがとう……、……いってくる」


最後に心にそれを焼きつけ、俺はアリスに背を向けた。


「「……」」


振り返れば覚悟が、呼び止めれば決意が揺らぐとわかっているから、俺たちは離れていくお互いをただ想い続ける。

それが、きっとお互いの為になると理解しているからこそ。





「……待たせたな」


意識的に【水覚アイズ】も閉じた俺は、アリスの視線を振り切るようにミレイユの家へと歩いた。


「……そうかもしれないね」


「……」


ライズと、傍らに立つ赤い法衣の老人……人化したエンキドゥ。

2人の視線はあまり気にせず、赤紫色の結晶を右手に乗せる。


「じゃあ、行くか」


「「……」」


エルダロンからウォルへ。

ウォルからカミノザへ。

カミノザからエルダロンへ。

エルダロンからウォルへ……。


マキナに拠出させた角陣形晶テトラミドも、ついにこれが最後の1つだ。

どうにか計算通りに使い切れた【時空間大転移グランポート】で向かったのは……。


「……ここは」


「バン大陸……かつてグラトゥヌスがあった場所の、南の浜だ」


純白に近い砂と、澄んだ青を照らす太陽の光。

大陸たいりく』。

かつて『浄火じょうか』が生まれたその場所を、俺は『浄火じょうか』の。


「さて、それじゃあ……人間の、世界の『答え』を示そうか、魔人ダークス?」


そして、自分の最期の場所に選んでいた。

















ただ水平線の先まで続く、広大な青。

ゆっくりとした鼓動のように規則的に、そして静かに響く波の音。

どこか懐かしい、潮の香り。


この世界に来てからも海は何度も目にしているが、それでもこれほど果てしない光景を見たのは初めてだった。

重力が存在する以上は、この世界スリプタも天体の1つである。

魔法やら精霊やらに触れている内に忘れそうになるそんな科学的な事実を、バンの南に広がる海は「弧を描く水平線」という形で教えてくれる。

白と青、それと接する空の蒼を遮るものは、本当に何一つとしてない。


「この海をずっと進んでいった先に何があるか、知ってるか?」


「……」


ライズは答えなかったが、赤い瞳を俺と同じ水平線の方へは向けていた。


「サリガシアの北の端から、バンの南の端まで。

つまりは俺たちが世界と認識しているその約4倍の距離を進めば、サリガシアの北に着くんだが……知ってたか?」


実を言うと、この世界の構造について俺は疑問を持っていた。

重力が同じくらいである以上は大きさも地球とほぼ同じであるはずのスリプタにおいて、5大陸があり「世界」とされている範囲があまりに狭いからだ。

まさか、航海技術が未熟なだけでこの世界には他の大陸や国家が、俺たちの知らない大精霊や技術が存在するのではないか……。

そんな茫漠ぼうばくとした不安は、しかしマキナがあっさりと解決してくれた。


何のことはない、スリプタはほぼ全てが海のままの星だったのだ。

地球儀で言えば、ロシアがある範囲にしか陸地が存在していない状態。

スリプタは、そのわずかな範囲に5大陸が集中しているという極めて偏った世界だった。

……まぁ、現世の技術でも航海できない距離である以上、この世界の住人たちに証明する術はないわけだが。


「……」


が、俺はその事実をあえてライズに問いかける。


この世界のどれほどを、お前は知っているのかと。

それを知らないことを、お前はかいしているのかと。


お前の見てきた世界が、本当にその全てなのかと。


「俺は見てきたぞ、この世界を。

この世界を見守り続けてきた……時の大精霊と」


波は一定のペースを保ったまま砂へ打ち寄せ、海へと還っていく。

ライズが続ける無言の時間も、エンキドゥが作る眉間のしわも、俺が語る世界の記憶も、それを止めることなどできない。

ゆっくりと、ゆっくりと、水が流れ砕ける音が響く。


俺が語るのは、この世界の全ての話。


20万年前に誕生したこの世界、スリプタ。

それを『見守る者』として召喚された……ある意味ではこの世界の生贄となった、マキナ。

召喚と進化が収束していく『創世』の中でマキナと世界に大きな意味を創った、ヤタ。

狂気に囚われたインデバルドと、それに歪められたルミーナ。

その限られた世界から分岐した魔人ダークスたち、オルカン、デューク、チーチャ。

そこから、さらに千年に渡って続いていく赤色の系譜……。


ただの、事実。

ただの、史実。

ただの、真実。

ただの、現実。


そこに、一切の悪意はない。


どちらも正しく、どちらも善。

だからこそ、絶対にわかり合えない。

ただ、残酷な世界の話。


そこに生きる、俺たちの話……。


「……以上を踏まえて、お前たちの問いかけに人間を。

世界を代表して、答えよう」


いつしか太陽は高く昇り、それでも波は静かに鼓動し続けている。


「お前たちは、『悪』じゃない」


「……」


自陣片カード赤字レッド、そして魔人ダークス

長かった、永かった俺の話が終わり、世界を焼き尽くしてまで確かめようとしていた理不尽の真相を、問いへの答えを告げられても、ライズはただ無言で水平線を見つめていた。

変わらず目を閉じたままのエンキドゥも、何も言わない。


それは、そうだろう。


僕らは『悪』なのか?

今更その答えを得たところで、今までの何かを変えられるわけではないのだから。


「そして、ここからは人間が、世界ができるあがないについてだ」


だから、俺はライズの返事を待たずに言葉を進める。

人間が、世界が変えられるものは、この次にしかないからだ。


「まず、今日より5年後をもって自陣片カードは廃止する。

解消できない欠陥がある以上、これを信じ続けるわけにはいかない。

……が、それでも人が人を裁けるようになるまでには時間がかかる。

5年間は、その愚かさを大目に見てほしい」


自陣片カードの廃止。

各大陸の最高戦力であると同時に最高位の為政者の会合ともなった大精霊会談サミットでの決定を、すなわち世界の覚悟をライズに示す。


「また、ミレイユ、テンジン、チーチャ、ライズの4人において、召喚後から現時点までの全ての行動についてその罪の有無を不問とする。

4人が赤字レッドでないことに関しては、4属性の大精霊から宣言を出そう。

……ただし、同時に今以降は居住する場所の法に従う義務も負ってもらうが」


併せて、現時点で確認できる魔人ダークスの権利保障についても、俺はエルダロンで提案していた。

特にテンジンとチーチャの処遇についてはエレニアとフリーダが難しい顔をしたものの、最終的には戦時中の行為ということで何とか合意している。


「これからは人間として生きて、幸せになってほしい。

……それが、世界にできる魔人おまえたちへの償いだ」


理不尽の破壊を。

歩む道の再生を。


幸せな、未来を。


それが、魔人ダークスたちにゆるされるために俺たちが用意できた全てだった。


「……幸せに、か…………」


「ミレイユの記憶の通り完成した経緯は偶然だが、結果として今のウォルの姿は1つの目安になったとは思う。

あんな世界ならそれほど悪くはないと、思えないか?」


それが、限界だった。


「……今更、かい?」


「……」


ライズの静かな問いかけに、今度は俺が無言になる。


「僕ら魔人ダークス赤字レッドが受け継がれるのは自陣片カードがそんな存在を想定していなかった不具合だから、僕らの始祖が赤字レッドになったのは何も知らないまま狂気に染められたから……、……だから仕方なかった、って?」


張り詰めていく大気を無視して途切れないリズムを刻む波の音を、ライズの怒りが沸々と上書きしていく。


「僕らの悲嘆も、苦悩も、不幸も、狂気も、絶望も……だから全部我慢しろ、って?」


隣に立つ俺の、左半身が熱い。

まるで炎をゆっくりと近づけられているかのように、ヒリヒリとした痛みが広がっていく。

ライズが、その背後のエンキドゥが何かをしているわけではない。


「それで前に進め、って?」


ただ、ライズは微笑んでいるだけだ。


「……そうだ」


しかし、その微笑みは、怒りは俺だけに向けられているわけではない。


「人間として生きろ、って?

幸せになれ、って?

…………今更、君たちがそれを言うのかい!?」


それは、ルミーナへの、ヤタへの、マキナへの、スリプタへの叫びだ。

2千年前から続く人間たちへの、20万年前から続く世界への怒りだ。


「ふざけるなっ!!

それなら、この悲嘆は、苦悩は、不幸は、狂気は、絶望は何だったんだ!?

僕らが、魔人ダークスが今まで歩んできた道に、何の意味があったんだ!?」


そして、だからこそ、今を生きる俺はそれに対する答えを持たない。

ライズが、魔人ダークスたちが望む道を、共に歩むことはできない。


「……お前の怒りを、俺は理解できる。

その悲嘆を、苦悩を、不幸を、狂気を、絶望を、魔人ダークスが歩んできた道を、俺はこの目で見てきたからな」


「知ったような、口を利くなっ!!!!」


「本心だよ」


本当だった。

俺は、人間を殺し、世界を滅ぼしたいというライズの怒りを心の底から肯定できていた。


「俺も……結局は赦せなかったからな」


なぜなら、俺はかつて実際にアイザンを殺し、エルベーナを滅ぼしたからだ。

マキナに、バランに、朱美あけみに、母に。

そこには誰の悪意もなかったのかもしれないが、結果として俺は全てを奪われ、代わりに全てを奪い尽くした。

規模が違いすぎるといえど、俺が『浄火』が望んだのと同じ道をったのは紛れもない事実だ。


「今も、後悔はしていない」


そして、何より。

端から見れば理不尽だったのかもしれないその復讐を成したからこそ、俺が前へと進めたのもまた事実なのだ。


復讐する。

赦す。

忘れる……。


これらは相反するものではなく、いずれも「前に進む」という結果に向かうための並列する道でしかない。

復讐を、全員が絶対やらなきゃいけないわけでもない。

俺がアンゼリカにそう説いたのは、アンゼリカは「忘れる」ことで前に進むことができたからだ。


が、それと同じように復讐することでしか癒やされないものがあることを、俺は誰よりも知っている。

知って、しまっている。


何が正しいのか、善なのか悪なのか。

決められるのは、当事者だけだ。


「お前の、魔人ダークスたちの歩んだ道を、歩もうとする道を俺は否定しない。

どうやって前に進むかを決めるのは人間でも世界でもなく、お前たちであるべきだからだ」


が、今の俺はその復讐をされる側だ。

ライズが当事者であるように、俺も人間も世界もが同時に当事者となっている。


何を変えるのか、守るのか。

何が正しいのか、善なのか悪なのか。


魔人ダークスたちが、前へ進もうとしているように。

俺たちもそれぞれ未来へと、幸せになろうと道を歩んでいる者なのだ。


「……が、その上で人間の、世界の代表として言う。

退け、ライズ。

お前たちが歩む道の上にこの世界が存在し得ないなら、俺たち人間はそれを認めることはできない」


どちらも正しく、どちらも善。


「俺たちにも……いや、俺には守るべきものがある。

退かないならば、……ここでお前を討つ」


「……あぁ、そう」


だからこそ、絶対にわかり合えない。


「じゃあ、やっぱりまた始めようか。

……証明してごらん、この『浄火』が悪の炎にすぎないと。

この世界が、灰になる前にね」


「……致し方あるまいな」


ライズが笑い、エンキドゥが竜へと戻る。

おおよそで、魔力2千万。

千年に渡り30万人以上の怨念を燃やす復讐者、『浄火』。


「……残念だよ、ライズ」


「さよなら、ソーマさん」


その手がゆらりと向けられるのを眺めながら、俺は視線を空へと移す。





その唇は……横、一直線。





「聞いての通り、交渉は決裂だ。

各位、『やれ』」


次の、瞬間。


「!?!?」


ライズの体表は紫と白、黒の光に覆い尽くされた。

















「……


光が、消える。

薄闇を照らす光が白と紫から【灯火ライト】のオレンジ色に戻ったとき、わたしの眼前で立ち尽くしていたのは1人の魔人ダークスだった。


目と耳を封印でもするかのように、黒い布が幾重にも横断している顔。

長く垂れた布の切れ端が横や後ろから垂れる下には首から下を隙間なく覆う黒色の細い布、その上から羽織られた白いコロモと黒い袖のない服。

かつてここで召喚したときと違うのは、黒い錫杖を左手に持ち、右腕が失われていること。


「久しぶりだニャ、テンジン」


錫杖と同じく酷く真っ直ぐであったはずの立ち居振る舞いに、骨肉どころか魂まで削るやすりのような魔力。

大獣キマイラ』を手玉に取り、獣人ビースト生餌いきえにして『浄火』を復活させた張本人……。


「…………馬鹿な」


……だったはずが、今の私の目の前にいるのは本当に光を失いただ途方に暮れているように見える、ただの優男やさおとこだ。

魔力は……、……それでも400万くらいはあるらしいが。


「一応言っといてやると、今は精霊歴2039年で『浄火』と『魔王』の交渉が決裂した直後。

……そして、ここはサリガシアだニャー」


「エレニア……=シィ=ケット……」


かつて、私が土の大精霊としてテンジンを召喚した、霊山アトロスの地下に築いた大空間。

再びその場所に召喚されたテンジンは、私とその背後に跪くアレキサンドラを直視して、ようやく状況を理解し始めたようだった。


「備えがあったということか、立体陣形晶キューブに……?

……いや、それでもわれび出す魔力など、貴様には…………」


その通り、私の魔力は最大でも250万と少し。

こちらの「弱さ」については冷静に覚えているテンジンに肩をすくめながら、私の視線は空間の片隅へと移る。


「……そういう、ことか」


【そういうことだよ、魔人ダークス


100メートル四方の地下空間、その中程に浮かんでいるのは小さな白い点。

全体のバランスを考えればやや長めの純白の翼と尾羽を持つそれは、1羽の千年鳥せんねんちょう

静かで透き通った少年と青年の間のような声に合わせて、空色の瞳が星のように輝く。


すなわち、当代の風の大精霊にして『声姫こえひめ』の契約者、レム。


【ようやくあのが自由の本質を知ったというのに、羽ばたく世界が灰になっては困るのでね】


異時空間転移パールポート】と引き換えにほとんどの魔力を失っていながらも、その声の軽やかさは変わらない。


【君たちには申し訳ないけれど、私たちの自由を優先させてもらうことにしたんだ】


「……貴様らぁあっ!!!!」


ここで、ついにテンジンが現状の全てを把握する。

すなわち【異時空間転移パールポート】によって、その保有する魔力と共にバン大陸のライズから分断されたことを。


「赦さぬ、赦さぬぞ!!!!」


もっと言えば、550年前と同じく『浄火』の勝利に横槍を入れられたことを。


「赦されようとは、思ってないニャ」


反響する、重たい金属音。

錫杖の横薙ぎを【創構グラクト】で構成した大盾、【重撃ヘイトー】と【拡構エクスト】を重ねがけした鉄壁で受け、即座に【軽装ライソー】で前進。

重王創爪グランダル】による重力の爪を叩き込むも、間一髪でかわされる。

力を失ったレムの前には、風の上位精霊筆頭コチと土の上位精霊筆頭アレキサンドラ。


「ウチらは、確かに、『弱者』で、『道化士』、だった、ニャっ!」


なれ、伏せておれ、人よっ!」


刹那に幾度も交差する、私とテンジンの肢体。

無視できない魔力差は同属性の大精霊であるというアドバンテージで相殺し、ともかくテンジンを消耗させていく。

向けるのは、本心からの苦笑。


「ニャハハ、お前が言ってくれたのニャ。

……『人よ、あきらむるな』って」


「……笑止!」


当然、テンジンも諦めない。

私さえ倒せば、この空間を突破できるとわかっているから。


獣人エレニアと、魔人テンジン

人と人との戦いは、互いに守りたいもののため、その力が果てるまで続く。

















「……おかえり、ミレイユ」


「……アリスさん」


紫と白と黒……、……つまり、【異時空間転移パールポート】の光。

そう認識した直後に、わたしはアリスの目の前にいた。


「!」


同時に、左頬を叩かれる。


どうして、勝手に出て行ったの。

どうして、相談してくれなかったの。

どうして、ライズと死ぬつもりだったの。

どうして、…………。


無数の想いが込められた張り手に移動させられた視線の先には、他ならない自分の笑顔が並んでいる。

……そうか、ここはウォルか。


私の、家か。


グラリと揺れる視界の端で、再び紫と白と黒の光が灯る。

立体陣形晶キューブに直接触れているのは、アリスが握った杖の先。

なるほど、『最古の大精霊』フォーリアルの莫大な魔力であれば……。


「…………姉様ネエザマッ!!!!」


私とチーチャを連続で召喚することも、可能というわけか。

あぁ、本当に……。


「……さすがですわー」


突進してきたチーチャに抱きつかれながら、私はソーマの策の全てを悟る。

異時空間転移パールポート】を使った上での、ライズの魔力の分断。

550年前に起きた悪夢を、自身が忌み嫌う魔法に頼って再現するという異質。

私ごとあのライズの心を折りにかかりながら、本気でライズを殺す策を並行させられる冷徹……。


……世界に、囚われるな。

この言葉を、これほどまでに体現できる人間が他にいるだろうか?


「……ソーマからは、あなたのことを恨むな、って言われてる。

多分、ウォルを守るために最善を尽くした結果がこれだから……って」


半ば呆然としている私に、アリスは分厚い紙の束を差し出した。

封を切った1枚目を広げると、目に入るのは紙一面を覆うほど巨大なソーマの文字。


『この馬鹿が』


短かすぎる罵倒の次の紙は、私のウォル領主代行の任命書だった。

そこから先の紙には、私がいなくなった後のウォルの概況と……、……ウォル領主が不在であることを前提にしたカイランや世界全体の今後の見通し、考え得る対策が列記されている。

『ソーマ=カンナルコ』のサインだけがある白紙委任状インペリウムも、3枚同封されていた。


そして、震える手でめくった最後の紙には、黒い文字で短い1文。


『ウォルを、頼んだ』


止まらない涙の向こうでは、机に伏せたアリスが肩を震わせている。


「……姉様ネエザマ?」


不思議そうにこちらを見上げてくるチーチャを、私はただ抱きしめた。

チーチャの召喚場所を、ここにしてくれた意味。

それをただの戦略だけだと思うほど、私と彼は遠くない。

互いの本心を想像できるくらいには、私たちはよく似ている。


……だから、決して慈悲だけでもないとわかっている。


全ては、私に絶望を許さないため。

私に、ウォルを守らせるため。


ウォルに生きる子供たちを。

そして、アリスとその子供を守らせるため。


「……じゃから、『世界に囚われるな』と言われておらなんだか?」


涙を流すことをやめようとした私に、しかし、アリスの傍らから声がかけられる。

木の大精霊、フォーリアル。

その言葉には、いたわりと……静かな祈り。


「あれは、『世界を変える者』ぞ」


そして、深い慈しみ。


『魔』のは、『世界を変えるもの』。


私にその言葉をくれた、ライズと。

その言葉の通り私を変えてくれた、『王』のさいを。


それを、私はただ願った。

















何を、驚いた顔をしているのか?

無音の中で硬直するライズを見て思ったのは、そんな疑問だった。

その放たれる魔力は……、……今はせいぜいが500万といったところか。


相手の方の魔力が圧倒的に上であり、生物としてのスペックがよくわからない魔人ダークス

プラズマによる超高熱攻撃も、それ以上の高熱を支配する火のつかに有効なのかは微妙。

しかも、倒しきれなかった時点で確定する世界の滅亡……。


……こんな無理難題に、精神論だけで挑むはずがない。

さすがに、人間を馬鹿にしすぎだ。


俺がこの世界に願われたのは、「世界を変えること」。

同じくマキナから託されたのは、「世界を守ること」。


それを明かされた時点で、俺はマキナと交渉……マキナいわく「脅迫」にとりかかった。

ライズによる世界滅亡を阻止するためには、どんな手段があるか。

それぞれの手段において、必要となるものは何か。

その必要なものの内、スリプタで手に入らないものは何か……。


その答えが、角陣形晶テトラミド立体陣形晶キューブだ。


まず、角陣形晶テトラミドについては瞬時に大陸間を移動するためどうしても必要だった。

俺がエルダロンに復帰した直後、万が一にもライズがどこかへ移動してしまうとその時点で詰みになってしまうからだ。

また、ウォルやカミノザ、ウィンダムで準備を終わらせるにしても、間の移動時間があまりに長すぎるため結局何もできないまま世界が滅んでしまう可能性もある。

後の時代に余計な災いをのこさず、かつ最低限必要な数を考えれば……5つ。

時空間大転移グランポート】が1発に50万近い魔力を使うことを考慮しても、これが限界の数だった。


一方で、立体陣形晶キューブについては大揉めに揉めた。

俺は最初「全部」を要求したものの、マキナが頑として首を縦に振らなかったためだ。

召喚によって失われるものと、召喚によって守られるもの。

それぞれの面を痛いほど理解しているがゆえに俺とマキナの見解は一致せず、あの空間での交渉の大部分はここに費やされた。


とはいえ、【異時空間転移パールポート】はライズから物理的に魔力を引き剥がすためにも、……おそらくは1人で全て抱え込もうとしたミレイユに一言ひとこと二言ふたこと三言みことほど言うためにも、絶対に必要なピースではある。

結果としては、ミレイユ、チーチャ、テンジンの分で3個。

ただでさえ自陣片カードが廃止に追い込まれるのにそれ以上ヤタの遺志を失いたくないマキナからしても、この数が妥協できる限界点だった。


ちなみに、ライズが直接引き継いでいる数である「67」も諦めたのはマキナが半泣きになったからではなく、分断したとしてそれだけの数の魔人ダークスを完封できる戦力がスリプタに存在しなかったからだ。

仮にライズを討てたとしても、他の『浄火』候補が数十人単位で生まれるのでは意味がない。

また、『浄火』の魔力の大部分はテンジンとチーチャによるものであったことも理由の1つだ。


テンジンはレムが召喚し、エレニアが押さえる。

ミレイユはフォーリアルが召喚し、アリスが押さえる。

チーチャは……ミレイユとセットにしておけば、おそらく無害。


分断……すなわち【異時空間転移パールポート】発動のタイミングは、俺の合図を周囲の大気に同化していたコチがサリガシアのレムへ、俺のポーチの中にあるフォーリアルの小枝がウォルのアリスの杖へ伝達することで同期。

この場に残るのは魔力の大部分を失ったライズと、火の大精霊エンキドゥのみとなる。


……もちろん、550年前を再現することや魔人ダークスにとっての死である『分裂』を逆手に取ること、4日間の約束を守ったライズを騙し討ちする形になることや全否定していた【異時空間転移パールポート】を恥も外聞もなく使うことに、何も感じないわけではない。


が、それはこの世界を守れないことと、アリスや子供を失うかもしれないことと比べれば、どうでもいいレベルの痛痒だ。

外道で結構、残虐で結構。

守りたいものを守れるならば、俺は冷たい悪でいい。


人間の愛を。

愛ゆえの狂気を。


あまり、なめるな。


「「……!?」」


が、そんな開き直りも、ライズとエンキドゥには……比喩ではなく、物理的な意味で届かない。


「……!!!?」


慌てたようなエンキドゥは、それどころではないようだ。


「……、……!?」


ライズが俺に何かを問いかけようとするが、その言葉も届かない。

何かの魔法を発動させようとするが、……それも発動しない。


当然だ。





今、この周囲一帯には空気が存在しないのだから。





ただ、この現象を引き起こしているのは俺ではない。

ハイアに乗ってこの場所から上空3キロの空のどこかに潜んでいる、フリーダだ。

発動しているのは、俺が空気について説明することで【鼓破宮オリカ】の応用としてフリーダが完成させた風属性超高位魔導、【空式虚候サフォージェ】。

最大で半径5キロ内の空間内を真空状態にする、超広範囲の虐殺魔導だ。


そもそも、火とは燃焼という現象内で発生する1つの結果にすぎない。

そして、その燃焼とは発光や発熱を伴う酸化現象のことであり、必然的に酸素がなければ発生しない。

その酸素があるのは、もちろん空気の中だ。

その空気が存在しない以上、ましてやその無理をねじ曲げる魔力でも劣っている以上、発火などするわけがない。


そして、当然ながら呼吸も。


「……」


ついに、ライズの背後でエンキドゥが崩れ落ちるが、その音も響かない。

振動することで音を発生させる空気がない以上、俺やライズはもちろん『声姫』の声に至るまで【空式虚候サフォージェ】の領域内は無音のままだ。

また、空気がない以上は羽ばたいて空に逃げることも不可能となる。

かつてヒエンと戦ったときに触れたように竜は体重減少と羽ばたきで飛行しているため、羽をぶつける空気そのものがなくなれば飛べなくなるのだ。


「……、……」


最後の手段としてエンキドゥは【精霊化】し、巨大な炎の竜と化す。

……が、炎になったそばから消えていくため、やっていることは単なる魔力の垂れ流しだ。

失われる体を再構成するため【精霊化】を連発することで、フォーリアルに匹敵していた魔力が一気に小さくなっていく。

かといって【精霊化】を解いたところで爬虫類として窒息するだけのため、今更やめるにやめられない。

実は走ってこの場から離れるのが唯一の解決方法なのだが、万全の状態で空に居座っているフリーダから逃げ切るのも実際には不可能だろう。


フリーダ、ハイア、エレニア、俺。

ウォルでライズの心を折り「答え」を用意するための4日間は、実は俺たちが回復するための4日間でもあったのだ。


「……!」


「……」


ちなみに、ライズが死なないのは魔人ダークスが生命維持に酸素を必要としていないからで、俺は単純に【精霊化】しているからだ。

人の体のままならともかく、水の塊を維持するだけならやはり酸素は必要ない。


おそらくは、「何をした!?」

唇を追う限り俺にそう叫んだらしいライズの前で、俺は透明な唇をつり上げる。

周囲に生まれるのは、【解無カイム】の波濤。


これで終わるなら、可能性が低かった万々歳(ばんばんざい)大団円だいだんえんを迎えられるのだが……、……ほぼ万物を溶解する超臨界水の包囲網が、炎を出せないライズを押し、潰……す?


「っ!」


爆発する白、吹き散る赤。

薙ぎ払った尻尾の半ばを失いながらも、【解無カイム】を蒸発させたエンキドゥが最後の力を振り絞って立ち上がる。

……瞬時に消えるとはいえ、大精霊として生み出すことはできる炎の高熱で超臨界水をイオン化させたのか。

炎そのものとなったその瞳は、無色となった俺の瞳を見つめる。


……「見事」。


無音の中で、伝わったのはそんな視線。


「……」


そして、それはライズへと移り。

……燃え尽きるように、消える。


…………爆発する、魔力!!!!


余波で全ての【解無カイム】が吹き飛ばされる中、俺の視界には赤い光が走る。


「!!!!」


全力で体をねじるが、相手の動きの方が遙かに速い。

突き出される小さなこぶしが水の右肩をかすめ……そのまま、右上半身が消失!?

沸騰や蒸発を超えて一気にイオン化した衝撃に半ば気絶しそうになりながら、自分と相手との間に強引に【解無カイム】の壁を作り出す。

立ち上がりつつ、右上半身を再生……。


薄く揺らめく向こう側では、無表情のライズが立ち尽くしている。


魔力は……軽く800万以上……、……大精霊になったのか。

先代エンキドゥの死に、分断により減らしたはずの魔力の急上昇。

同じ大精霊だから辿りつくその答えに、透明な唇を噛みしめる。


あと1手、届かなかったか……。


火の大精霊となったライズは、ただの裏拳で超臨界水の壁を原子の塵へと還す。

最期にエンキドゥが見せた強引な相殺方法まで、この魔人ダークスは引き継いでいるらしい。

さらに、その手には炎が生まれ……まずい!!


反射的に作り出したのは、ただの氷壁。

竜でも軍隊でも阻んできたはずの絶対防御の向こうで、白が炸裂……!


「……!!!!」


振りかぶった白い右腕は厚さ数メートルの氷を破砕し、飛び退いた俺の足先で炎を解放。

極小規模とはいえ【闢火コル】が撒き散らす数十万度の熱は、氷の破片も俺の左足も一瞬で消滅させる。

灼熱の爆風は、地獄に吹き荒れる嵐のよう。

転がり続けて止まった先、目に入るのは青い空。


……燃焼に必要な酸素を、俺の水をイオン化することで手に入れやがったのか。

水を分解することで得られる、水素スイソ酸素サンソ

グラトゥヌスの書宮しょぐうで暮らし数十万人の魔人ダークスの記憶を受け継いでいるライズは、その程度のことなら知っている。

そこを魔人ダークスの強さと火の大精霊の魔力で突かれれば……、……まぁ、こうなるか。


相手に届かないばかりか利することにしかならない以上、もう【解無カイム】は通用しない。

残る攻撃手段は【神為掌カンナリノテ】だが、……相対して確信できた。

不完全な状態でも数十万度の熱を操るライズに、たかだか数万度の水プラズマで挑むのは自殺行為だ。

時間や範囲を狭めれば温度は上げられるだろうが、逆に狭めた時間と範囲が俺の首を絞めることになるだろう。

……いや、そもそも体の一部だけを消し去ったところで、残る本体に【散闇思遠バッティング】を許せばその瞬間に世界は灰になるのだ。


…………つまり、ここで詰みか。


「「……!」」


ライズに……ではなく、上空へ向かって放ったのは1発の【氷撃砲カノン】。

事前に決めておいた「合図」を確認したフリーダが【空式虚候サフォージェ】の維持を放棄したことで、暴風となった空気が帰ってくる。

風圧で必然的に体を動かせなくなるが、幸いにそれはライズも同じ。


「……本当に、いいんだね?」


「あぁ、すぐに逃げろ。

……俺が死んだ後も、約束は守れよ?」


その中で復活する、【音届リーヴァ】と【声吸ライム】。


「全大陸への不可侵と、サリガシア安定への協力だろう?

わかっているさ。

……ソーマ=カンナルコ、迷惑をかけて本当にすまなかった。

君の覚悟に、感謝する。

この『声姫』の名にかけて、約束は必ず守ると誓うよ」


もはや、ライズに勝つことは。

ライズを殺し、俺だけが生き残ることは……もうできない。


弱まる嵐と急速に遠ざかっていくフリーダの声を聞きながら、俺は冷え切った頭でその事実を再認識した。


【シムカ】


【は】


動揺は、ない。


選択も決断も、そして覚悟も。

俺は、もうとっくに終わらせている。


【俺の死をもって、サーヴェラ=ウォルを次の水の大精霊とする。

よく、支えてやってくれ】


【御意に】


【……それから、可能な範囲でアリスと子供の守護を頼む。

お前になら、安心して任せられるからな】


【……かしこまりました。

このシムカの、命に代えても】


シムカへの【思念会話テレパシー】で、最後に残ったくさびほどいた。

出会ったときから変わらない生真面目な返事に、わずかに残った未練も消える。


……アイザンも、かつてこんな想いで俺に全てを託したのだろうか。


【当代としてお前に命じることは、これで全てだ。

……これまで世話になったな、シムカ。

セリアースたちにも、礼を伝えておいてくれ】


【……】


寂しくない、といえば嘘になる。

が、迷いがないのは本当だ。


アリスを、子供を、そしてウォルを。

愛するものを守るためなら、俺は1人で死んでいける。


【……我らが父であり母であり主君、我ら水を司どりし偉大なる、そして冷たくもあたたかき当代の大精霊、ソーマ様。

我ら兄弟姉妹一同、これまでお仕えできましたことを、心より御礼おんれい申し上げます。

……アイザン様も、きっと笑っておられるかと。

後のことは、我らにお任せください。

どうぞ、永遠とわの流れの中に……】


「……終わりにしようか、ライズ」


「……そうだね、終わりにしてあげるよ」


風が止まり、声も消える。

あらためて、俺たちは向かい合った。


かつて世界を滅ぼそうとした者と、今世界を滅ぼそうとしている者。

かつて復讐した者と、今復讐しようとしている者。


どちらも正しく、どちらも善。

それぞれ未来へと、幸せになろうと道を歩んだ者。


だからこそ、共には生きられない者。


「「……」」


火の大精霊となったライズの体は炎へと変わり、徐々にその色は白くまばゆく、輝いていく。

まるでその場に太陽が顕現したかのような、圧倒的な光と熱。

闢火コル】の数倍の魔力が集中し、世界が純白に染まり出す。





……が、その世界を覆い尽くしたのは、圧倒的な黒。





「……!!!!」


上を向き、ライズが目を見開いた先にあるのは、水、水、水、水。

先程の空気の反動よろしく一気に世界を制圧したのは、浜の前に広がっていた海の水、実に150億トン。

かつてカイラン南北戦争でチョーカ兵3万8千を飲み込んだ【死波シナミ】の100倍以上という大質量は、一瞬で俺とライズを海の底へと引きずり込んでしまう。

無論、ライズに触れた海水は即座にイオン化しているが、それすら逃がさないままに海水は後から後から押し寄せる。

さらにその後も続く、水、水、水、水……。


やがて、海の中で完成したのは半径2400メートル、総水量570億トンという超巨大水球。

一切の闇に包まれたその中心を光が照らしているのは、そこで俺と相対するライズ自身が燃え続けているからに他ならない。


「……」


その表情は、怪訝そうではあるものの余裕。

酸素がいらない魔人ダークスは溺死しないため水の中で死ぬことはないし、仮にこの水が超臨界水であったとしてもこうしてイオン化させ続ければ魔力残量の差で自分が勝つ。

水中で俺が作り出せる温度や圧力も、魔人ダークスの体を破壊するには至らない……。


……それを、理解している顔。


「……!」


が、その赤い瞳が、闇の中の俺を見つけて硬直する。


「人間を、なめるな」


その唇が大きく、大きくつり上がっていたから。





エネルギー保存の法則。

これは物理学の大原則の1つであり、「エネルギーはある形態から変化しても、その前後での総量は変化しない」ことを示している。

例えば、紙を燃やせばそれは灰となって軽くなるが、その軽くなった分は炎、すなわち光や熱として形を変えて失われた「ように見える」だけにすぎない。

言い換えれば、燃焼という現象において紙は、その質量の一部をエネルギーとして光や熱に変換させるだけなのだ。

……ただ、俺は別に熱力学の話をしたいわけではない。


「質量はエネルギーである」ということ。

そして、これが「核融合反応を理解するための大前提である」と言いたかっただけだ。


バン大陸に転移してすぐ、ライズと会話しながら、あるいは戦いながら俺が並行して行っていたのは、支配領域内の海水から重水じゅうすい、すなわち重水素を含む水分子を抽出することだ。

通常、水素原子の原子核は陽子1つで構成されているが、重水素はそこに中性子1つ、三重水素は中性子2つが加わるため、それらは通常の水素よりもわずかに質量が重くなる。

重水自体は元から海水に微量に存在するため、水の重量を分子レベルで区別し普通の海水だけを消していけば、通常ではあり得ない量の重水を集めること自体は可能だった。


先程俺とライズを飲み込み今も水球の中心部分を構成する150億トンの海水は、そのほとんどがこの重水だ。

残り420億トンの海水はあくまでもそれを密閉し、そして圧迫するための外殻にすぎない。

現に、今も俺の全魔力を費やして水球は中心へ中心へと縮小を続けている。

さらに、ライズが放つ高熱によって重水の体積は増大し、中心部分の圧力は爆発的に高まり始めていた。

また、密閉空間内の圧力が高まったために逃げ場をなくしたエネルギーが熱へと変換され、併せて中心部の温度は一気に上がり始める。


周囲の異常に焦り始めたライズは事態を打開しようとさらなる炎を生み出すが、やはり全てが圧力と熱に変換されてしまう。

俺もさらに水球を縮め、加圧を加速。

同時に、ライズの近くの1点に存在する重水……それこそ水分子数個分という塵にも満たない範囲の重水を、残り魔力の大半を費やして一気に加熱する。


超々高温。

超々高圧。


それこそ原子で数個分、ごく限られた範囲だけとはいえ条件を満たしたことで、ライズの周囲でプラズマ化していた重水素同士が激突、融合してヘリウム原子へと変換。

前者の総質量と後者の総質量ではヘリウムの方がわずかに軽くなるため、失われた質量分がそのまま莫大なエネルギーとして放出される核融合反応が起きる。


すなわち、それは太陽がその中心で創り出しているのと同じ、絶対の光と熱。


「!!!!」


核融合反応を起こすことで得られるエネルギーは、重水素1グラムにつき実に石油8千リットル分。

未だ密閉された重水の中で放たれた熱と圧力は連鎖的に核融合反応を引き起こし、比喩ではなくその場に太陽を生み出した。

光と呼ぶには強すぎる純白は、4億度という熱で周囲の全てを無へと還していく。

人間ヒューマン魔人ダークスも、そこには一切の区別がない。





すなわち、これは人と魔の時間が合わさりし浄化の炎。

人間を照らし、人間が目指し、人間を滅ぼす、光と熱。


マシロ】。


それは、この残酷な世界すら変える、狂える力だ。

















「……」


白が生まれた瞬間を、水の中で俺は静かに眺めていた。


ライズの瞳はそれでも赤いが、魔人ダークスであろうが大精霊であろうが、コンマ数秒後には完全に消滅するだけだ。

不完全とはいえ太陽を現界させる核融合反応、兵器としては水爆以外の何物でもない現象の中心地点にいて、形を保てる物質などありはしない。

当然ながら、俺もこの光と熱から逃れる術はない。


勝つことはできなくても、殺すことはできる……。

残念ながら俺の命と引き換えにはなってしまったが……、……まぁ、守りたいものを守れたのだからしとしようか。


俺が死ねば、【マシロ】を支える高圧環境も保てなくなる。

生まれたエネルギーは消せないが、さすがに星の4分の3を満たす海が全てを吸収してくれるだろう。


内戦になりそうなサリガシアに、政情不安になりそうなエルダロン。

未だ変化に懐疑的なネクタに、弱体化するウォルを抱えるカイラン。

人間ヒューマンに、森人エルフに、獣人ビーストに、魔人ダークスに。

王に、奴隷に、竜に、精霊……。


この世界がどうなっていくのか、気にならないわけでもないが……。


……まぁ、『変えた』後については、もう俺の役目ではないか…………。





水……。


水……。


あたたかい……。


光……。


ひか、り……。


……………………。

















…………アリス……。


どうか、幸せに…………。





……………………。

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