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クール・エール  作者: 砂押 司
第5部 世界を変えるもの

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144/179

木に契で、くさびです。


それから、誤字報告助かっています。

ありがとうございます。

久しぶりにウォルに帰ってきて思うべきことでもないのだろうが、やはり教育というのは洗脳を言い換えた単語に過ぎないのだと思う。


教える。

育てる。


やけに高邁こうまいで神聖な理念のように聞こえるこの行いも、本質的にはどちらも無垢な存在を自分の好みに変形させていくための行為でしかない。


「ソーマさまー、今アリスさまといっしょにお芋ほってたのー!」


「今日ほったのはまだ食べれないけどね、この前ほったのは干してあるからこの後焼き芋するの!」


「いっしょに食べるー? 大きいのいっぱいとれたんだよ!」


「ソーマ様は……お芋好き?」


いきなり瞬間移動してきた俺に対して何の疑問も抱かず、それぞれが掘った芋を手に集まり、撫でろと言わんばかりに頭を差し出してくる子供たちの姿は、その証明だ。


魔法がある。

その中には、瞬時に転移できるものもある。

ソーマという人物は……というか、ウォルの住民で成人している人物は基本的にそれが使える。

だから、そういった大人たちが突然現れるのは普通のことである……。


それが常識である子供たちにとって、俺がいきなり光と共に出現することは別に不思議なことではない。

ここにはオリハルコン製の時の鐘はないため実際にはウォルへの転移は不可能なのだが、その違和感に彼らが染められるのは学校で魔法の授業を始める11歳以降だ。

世界と俺たちが刷り込んだ「普通」に対して子供たちの危機感はあまりに無防備で、好奇心はあまりに無邪気すぎる。


「……おにーちゃん、だれ?」


「赤い目だー、『せんせえ』と同じだー!」


「じゃあダークス、ダークス?」


「お芋の甘いやつ、作れる?」


「サラスナよりおっきいー!!」


「火ぃ、はけるー?」


「ねぇ、とべる? とんで!」


「ヒエンより強そー!」


そして、その無防備と無邪気はもちろん『浄火じょうか』と『最強の大精霊』を相手にしても発揮される。

魔法と同じく、ミレイユという先生から魔人ダークスが、シズイとサラスナという友達から竜が日常の中にある子供たちにとって、ライズとエンキドゥは驚くべき存在ではあっても警戒すべき敵ではない。

未知の他人だという最後のハードルさえ、共に俺が現れたという安心感が蹴り倒してしまっている。

この状況においては子供の無防備は無敵の盾に、無邪気は無比のほこと何も変わらない。


「お前たちがここで誰かを傷つけたら、俺は『答え』を用意しない。

世界は滅ぶだろうが、好きにすればいいさ。

……それを踏まえて、どうする?

さっきの続き、ここで始めるか?」


「……っ」


「む……」


その矛の群れに、2人にだけ届く声を小さく混ぜる。

姑息な詭弁に爆発消火、突然の時の大精霊の名前に自分たちしか知り得ないはずの過去、角陣形晶テトラミドに【時空間大転移グランポート】……。

俺が連打した異常事態で出鼻をくじかれた魔人ダークスの王と火の大精霊は、その芋とスコップしか持っていない、あまりに弱くあまりに小さな軍勢の包囲に完全に萎縮していた。


「というか、始められるか?」


世界を、焼き尽くす。


自分たちが持つその力が、この場ではあまりに強く大きすぎると悟ってしまったからだ。


「まぁ、どうせ4日後には全部・・が決着するんだ。

それまでは全部を忘れて、ただのライズとただのエンキドゥとしてウォルを楽しむというのも一興じゃないか?」


「「……」」


社会を営むだけの知性がある動物の本能として、初対面の無垢な子供に唐突な害意を持つことは難しい。

ましてや、ライズの中には彼らを愛したミレイユの記憶と経験が完全に受け継がれ、そのミレイユ以外の存在理由を持たないチーチャと、人間としての暮らしを渇望し続けていたテンジンまで存在しているのだ。

さらに、ライズが引き継いだ32万と204人。

その大半が絶たれたのも同じような望みなのだろうと、俺は見当をつけている。

果たしてライズは、その数十万本の鎖を引き千切ってまで顔見知りの子供たちを殺せるだろうか?


竜たるエンキドゥにしても、同様だ。

そもそもが人間のそれを遙かに凌駕した知性を持つ古竜である上に、『見届け人』を自称している以上はエンキドゥ単体にウォルを攻撃する理由がない……、……走ってくる、赤と水色。


「エ、エンキドゥ様!?!?」


「は、はじめまして!! サラスナのつ、妻の、『水竜』シズイですっ!!!!」


さらに、ここには『火竜』のサラスナ……と『水竜』シズイもいる。

同種の子孫たちが幸せに暮らしているこの場所を、果たしてエンキドゥは灰にできるだろうか。


「……な? ウォルは面白そうな場所だろ?」


「「……」」


できるわけがない。

彼らは理由もなく放火できる罪人でも、子供を殺せる鬼畜でも、欲望だけで信念がない悪人でも、愛を理解できない存在でもない。

むしろ、その対極にいたが故に狂気を宿した人間だ。

何も知らない小さな存在たちを不用意に傷つけまいと、動けなくなって当たり前だろう。


「お前が引き継いだ者たちにとっても、そう悪くない記憶と経験になると思うが」


だからこそ、恥も外聞もなく。

そして容赦なく、俺はそこにつけ込む。


「シムカ」


「御前に」


今度こそ完全に硬直したライズとエンキドゥを尻目に、俺は遠慮なく盤面の手を進めていく。

呼び出したシムカはアリスの傍らに現れたが、守護を命じていたため俺が帰還する前からそこいたのだろう。

今更、シムカの忠誠心を疑うつもりもその暇もない。

仇敵であるはずの『浄火』から数メートルの位置にいながら、その表情と跪礼きれいの姿はいつも通りの明鏡止水だった。


「状況は、理解できているな?」


「……は」


もちろん、シムカの本心がどうなのかは聞いてみないとわからない。

が、獣人ビーストたちやエルダロン兵を恫喝した通り、今はその遺恨を忘れろとまでは言わないが棚上げはしてもらわないと困る。

そして、俺はそれができないと思うほど、シムカのことを見くびってはいない。


「この魔人ダークスは……ミレイユのふるい知り合いでライズという。

隣にいるのは、その契約者で火の大精霊のエンキドゥだ。

これから4日間、この2人にはウォルでのんびりしてもらうことになった」


「……」


「アンゼリカたち『十姉弟じゅっきょうだい』を召集しろ。

それが終わったら、ウォルの維持に最低限必要な数を残して全員ウィンダムへ行け。

現地での行動については、ムーから説明を受ければいい。

俺も、明日の朝にはエルダロンへ戻る。

……何か、聞きたいことはあるか?」


「……いえ、承知いたしました。

我ら兄弟姉妹、ソーマ様の御意ぎょいもとに」


虚空に消えるシムカの無表情を見送りながら、俺はアリスが持つ杖へも視線を送る。


「ムーから話は聞いておる。

……お前さんが直接説明すると思ったから、わしからアリスへは何も言っておらん」


「え?」


木の大精霊、フォーリアル。

その分身体を片手に持った契約者を、そしてその中に宿る新しい生命を気遣った上での発言に、俺は心の底から感謝した。


「やっぱり、そうか」


「ああ、そうじゃな」


同時に、『最古の大精霊』の見立ても理解する。

ある程度は予想できていたため、特に動揺はない。


「2人とも、何の話?」


「ミレイユの話だ」


蚊帳の外に置いていたアリスの前まで歩きながら、俺は唇の前で右手人差し指を立てた。

視線だけで背後の集団を示すと納得してくれたらしく、アリスも声を小さくする。


「……まだ、見つかりそうもないってこと?」


「エルダロンにいるかも、ってところでサリガシアが攻めてきたからな。

まだ向こうはグチャグチャだし、正直、まだまだ時間はかかると思う。

ライズたちを引っ張ってきたのも、エルダロンの混乱をこれ以上ややこしくしないためだ。

……ああ、あの霊術は向こうで見つけた」


「そう……」


必要最低限の疑問には答えながらも、実は何も説明していない。

アリスにそれを悟らせないよう、俺はさっさと話題を転換していく。


「それから、援軍も助かった。

ムーとヒエンがいなかったら……、……かなり危なかったと思う。

……フォーリアル、あんたにも感謝する。

ただ、この後もしばらくムーたちやヒエンを借り受けることになるが、構わないか?」


「……任せよう、水殿みずどの


その意図に、フォーリアルも気がついている。

だからこそ、俺に協力してくれている。


「……また、戻るんでしょ?

本当に大丈夫なの?」


「グチャグチャとはいえ、停戦できるくらいには落ち着いたからな。

とりあえずは交渉をまとめてくるだけだし、戦闘にはならないさ。

明後日には、また帰って来られると思う」


あらためて、俺はアリスの瞳に視線を合わせた。

深い森の奥の、優しい大樹の葉のような色。

怜悧に澄んだ、エメラルドの色。

それが俺だけを見つめ心から俺のことを案じてくれていることに……、……ただ申し訳なさを感じる。


「ライズとエンキドゥについては……、……あの様子だし、まぁ、そんなに警戒しなくていい。

アンゼリカやサーヴェラにも説明するけど、基本的には自由にさせておけばいいから」


同時に全身を包むのは、安心感と多幸感。

肩に手を置き、また少し長くなった髪を優しくく。

瑠璃色がかった、美しい銀の髪。

闇夜をあたため湖の底さえも照らす、月の色の髪。


「それより、体調は?

顔色は良さそうだけど、ちゃんと食べれてるのか?」


「……うん、もう大丈夫。

安定期に入って、体はすごく楽になったから」


そのまま抱きしめようとして、慌てて力を抜いた。

以前見たときよりも明らかに直径を増しているお腹をまじまじと見つめたまま急停止する俺に、アリスは小さく笑って身を寄せる。

このくらいなら大丈夫、と自分から腕を回すアリスに、それに応えてアリスを包む俺に背後から子供たちのキャーキャー騒ぐ声が聞こえるが、今の俺たちにはどうでもいい。


深い森の中にいるような、清々しく仄かに甘い、心を落ち着かせる香り。

マキナのことも、ライズのことも、サリガシアとエルダロンのことも、何もかもを忘れさせてくれる、アリスの体温。


「男の子と女の子、どっちがいい?」


「どっちでもいいよ。

俺とお前の子供なんだから」


できれば、永遠にこうしていたい。

この幸せを、永遠に続けたい。

ずっと、アリスの隣にいたい。

生まれてくる子供を、共に抱きしめたい。


……そして。





「どっちだって……、……絶対に守るさ」


それが叶わないなら、せめて守りたい。





「……あー……、……おかえり、にーちゃん」


「おう」


「……!」


実は少し前から到着していたがそれを知らせるタイミングを失っていたサーヴェラの声に、【水覚アイズ】でそれを把握していた俺は短く、アリスは赤面で応じる。


「ちょ、ちょっと、ソーマ!」


「何?」


「み、皆見てるから!」


「今更すぎるけどな」


「いいから、離して!」


「領主夫妻の仲がいいのは、別に悪いことじゃないだろ」


「時と場合による!」


「えぇー」


「『えぇー』じゃない!」


ウォル内でもかなり珍しいカンナルコ夫妻の姿にサーヴェラは苦笑いし、子供たちはキャラキャラと笑っている。

困惑を隠しきれない表情のライズと静かに目を閉じて時間が過ぎ去るのを待つエンキドゥを放置して、俺とアリスのじゃれ合いは俺の腕の中でアリスが諦めるまで、ウォルポート組のアンゼリカたちが若干呆れた目をしながら到着するまで続いた。


心の底から、そのあたたかさを楽しみながらも……。

……俺は、その片隅が冷たくきしむ痛みも自覚する。





俺は初めて、バランが立体陣形晶キューブにすがった感情を理解できた気がした。

















「……待たせたな」


「いや、よい」


それから、数時間後。

2つめの角陣形晶テトラミドを砕いて再び【時空間大転移グランポート】を発動させた俺は、エルダロン……ではなく。

ネクタのカミノザ、その深奥で待つフォーリアル本体の前へと転移していた。


相変わらず、呼吸が躊躇われるほどに濃密な緑の匂い。

亜熱帯で多雨であることとは別に、質量を感じさせる空気。

無限の時間と無数の生命が堆積した赤茶色の土に、太く張り巡らされた根。

直径8メートル、樹高40メートルを超える巨大な樹は、闇夜の中でも明確にその存在を示す。


2千年以上の悠久を重ね、それでも力強い幹。

星も月も遮り、完全な闇を作り出す枝。

深く濃い、アリスの瞳と同じ、美しく優しい緑色の葉。

大きく、優しく、あたたかいその魔力。


「あれが……『浄火』か」


木の大精霊、フォーリアル。


「……あぁ」


しかし……、……残念なことに、俺はその『最古の大精霊』に対して、以前ほどのような「大きさ」は感じられなくなってしまっていた。

もちろん、それは『創世』の100倍も昔から生きるマキナという存在を、原初そのものであるスリプタという存在を知ってしまったからでもある。


「率直に聞くが、ここにライズを転移させたとして……何とかできるか?」


「……無理じゃな」


が、それよりも。

やはり、『最強の大精霊』エンキドゥと、それを従える『浄火』ライズを前にしてきたから、というのが大きかった。


「仮に儂とお前さんと、そして土と風の大精霊がここに揃ったとして……、……それでも、あの2人には勝てまい。

特に、儂はほとんど役に立たんじゃろうな。

火は、木の天敵と相場が決まっておるしのう」


規格の内に収まっている分、実感しやすいその強さ。

魔人ダークスであり竜であり大精霊であるという、明らかに生物として格上のその大きさ。

可能性は小さかったとはいえ、ウォルが壊滅する危険を冒してまで測りたかった現実を、フォーリアルは残酷になぞっていく。


「何より、魔人ダークスを直接的に殺す手段は、お前さんくらいしか持っておらん。

……それも難しいと感じたからこそ、儂の見立ても求めているんじゃろう?」


俺は答えず、無言で近くの別の大木にもたれかかる。


万物を溶解する超臨界水である【解無カイム】に、万物をイオン化させる水プラズマである【神為掌カンナリノテ】。

フォーリアルの言う通り、全属性の魔法の大半と現世の知識がある俺が思いつく限りでも、魔人ダークスであるライズに勝つ手段はこの2つしかない。


が、この2つはいずれも相手より俺の魔力が高いことが前提の攻撃方法だ。

しかも、超臨界水は高熱で水の構造が保てなくなればその物性を失い、火はそもそもプラズマだ。

火を操るどころか支配し、水の大精霊である俺に一切の水のダメージが通らないのと同様に火の大精霊であるエンキドゥには、どちらも効かない可能性が高い。

それと大差ないレベルの火属性魔導を使いこなす上に俺の3倍近い魔力を持ち、さらには32万人以上の戦闘経験と魔人ダークスの特性を持つライズにも、この2つが通用するビジョンは思い浮かばなかった。


この戦いで問題なのは、テストができないことだ。

魔力を無駄に使い切って失敗すれば、その時点で世界は滅亡してしまう。

すなわち、大精霊と人間の完全な上位互換コンビを相手に、俺は確実に勝利する手段を用意しなければならない。

しかも、最初で最後のぶっつけ本番で。


「仮に、550年前のように軍や精霊を集めても同じじゃろうな。

中途半端な戦力は炎の余波だけで蒸発するじゃろうし、それどころか吸収されて魔力を回復されることにも繋がるじゃろう。

……何より、仮に討てるとしてもあまりに失うものが大きくなりすぎる。

実質的に、その後の世界は滅ぶじゃろうな」


総力戦案については、それ以前の問題だ。

というか、こちらについては失敗するのをリアルタイムで見てきている。

『浄火』を相手に、数で当たる戦法はほぼ無意味だ。

むしろ、逆効果と言える。


だからこそ、俺は『浄火』と戦火を交えないで済む解決方法に望みを託したのだ。

魔人ダークスたちの絶望を、それを一身に背負うライズの憎悪を解消はできないまでも、抑えられるだけの条件を提示する。

たとえどれだけ姑息で、人間性の対極にあるような冷酷な手段を使ったとしても、ウォルを、アリスを、子供を危険に晒すことになるとしても……。


世界を滅ぼそうという、ライズの心を折る。


結果として、それ以外に世界を、ウォルを、アリスを、子供を守る手段がなかったからだ。


「……が、あれの心も折れまい」


「……あんたもそう思うか」


しかし、フォーリアルはそんな甘さをも否定する。

そして、それは俺も同意見だった。





だからこそ、俺はアリスに何も告げなかったのだ。





「なら……、……仕方ないな」


「……とりあえず、4日は大人しくしておるつもりのようじゃの。

今は、人化したエンキドゥと共にミレイユの部屋にいるようじゃ」


分身であるアリスの杖から得た情報を教えてくれるフォーリアルに感謝しつつ、俺はその場に腰を下ろす。

隣にアリスがいないだけで、カミノザの地面はひどく冷たい。


「今から、俺が見てきた過去の話をする」


マキナの話、ヤタの話、自陣片カードの話、魔人ダークスの話……。

フォーリアルと語り合える時間はもうこの夜しか、太陽が昇るまでの短い猶予の中にしかない。


「そして、俺たちが、世界が用意できる『答え』についてもだ」


最善の場合と、最悪の場合。

4日後以降にも世界を存続させるため、俺はフォーリアルとあらゆる可能性を相談しておく必要があった。

それはもちろん、身重のアリスやウォルの子供たちを守るためでもある。


「それから、未来の話もしておきたい」


そのために考えつく限りの方法を検討し、フォーリアルに託しておく。

後からアリスたちには怒られ、泣かれるだろうが……それでも、伝えるわけにはいかない。


なぜなら、4日後。

ライズが『答え』に納得せず、戦うことになった場合……。





「……俺は、生きていないだろうからな」

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