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クール・エール  作者: 砂押 司
第5部 世界を変えるもの

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142/179

世界を変えるもの

「終わったわね」


ミゼットの、テムジンの、ルミーナの、チーチャの、ミレイユの、ライズの人生を追い。

そしてミカが、カインが、トーヤが、ファルリースが、ウィズランテたち『五大英雄』が、その『浄火じょうか』と相討つ瞬間を見終わって……。


「……ああ」


「あー……、……疲れた」


俺を迎えたのは、鉛のような体を支える硬い背もたれの感触と、頬杖を突いたマキナの感動のない溜息だった。


黒っぽい石のようなガラスのような、あるいは金属のような床。

白のような黒のような灰色のような、あるいは紫色のような空。

熱くも冷たくも、明るくも暗くも、広くも狭くも、近くも遠くもない、ただどこまでも無機質な風景。

凝視も理解もしてはいけない11次元の空間で、しかし俺は眩暈や吐き気すら感じることができない。


「……」


それを意識できる余裕も体力も、1ミリも残っていない。

何時間だったのか、何日だったのか、何ヶ月だったのか、あるいは何年だったのか。

魔人ダークスたちの、そして英雄たちの人生と運命をただひたすらに眺め、しかし何かを変えることも何かを救うこともできなかったという疲労感が、俺から全ての感情を奪う。

さすがのマキナといえどそれは俺と同じであるようで、視界の端に入る白のマントは、車道の端で雨に打たれる軍手のように黒い椅子にへばりついていた。


「……っ」


痛みというより重みというべきもので動かない全身を揺らし、喉の奥で生み出した冷水を全力で飲み込む。

頭蓋骨そのものが沸騰しているような頭痛に、視神経が蒸発しているような目の痛み。

窒息しそうな肩の凝りに、骨折したのかと思うほどの脊椎の痺れ。

全身の筋肉から発せられる絶望の悲鳴は、ストライキどころか集団自殺のそれに似ている。


辛い。

痛い。

何もしたくない。


が、今は現実の時間の中にいるのだという実感が、それらの絶叫を軽薄な幻聴だと斬り捨てる。


「……どうして、魔人ダークス自陣片カードは全部が赤字レッドなんだ?」


この世界ならば何かを変えられるし、何かをできる。

俺が体を起こしてマキナを睨み、声を吐くことができた理由があるとすれば、その多幸感と使命感があったからだった。


ミゼットの悲嘆の、テムジンの苦悩の、ルミーナの不幸の、チーチャの狂気の、ミレイユの絶望の、ライズの憤怒の、その根源。

『浄火』を生み出し、550年前と現在の二度に渡って世界が滅ぼうとしている直接の原因。

殺人、強姦、強盗、窃盗、傷害、誘拐、放火、詐欺、誹謗、損壊。

人間に適用される10の罪の他に、魔人ダークスにだけ課せられる11番目の項目。


魔人ダークスという「存在」であること。


その理不尽の、世界が滅ぼされて当然の根拠は何か?


「一言で答えるなら……システムエラーね」


「……は?」


が、マキナが返した一言は、それら全ての想いに対してあまりに機械的なものだった。


「ヤタ君は天才的な人間だったけど、あくまでも人間に過ぎなかった。

……だから、さすがに魔人ダークスなんていう規格外の存在までは想定してなかったのよ」


若干の人間味が残る声音は隣に俺がいる今ではなく、明らかにまた記憶の世界から語りかけられている。


「……そもそも、ヤタとは何者なんだ?」


「君の前に唯一この場所に……、……それも自力で辿りついた『英雄』よ」


ただ、それを思い出すマキナの瞳には、強い光と熱が宿り始めていた。





「そもそもね、この世界が、スリプタが誕生したのは今から20万年以上前よ。

私は、それと同時に『この世界を見守る者』として召喚されたの。

2561年の日本から……ね」


一瞬の間を置いて動き出した、マキナの唇。

忠告も経験も忘れてそれを凝視してしまった俺は、しかし苦痛や違和感を感じることもなくただ唖然としていた。


20万年。


そのあまりに長い、あまりに永すぎる時間をせいぜい2年前くらいの感覚で言葉にするマキナのごく自然な表情が、多次元情報を流し込まれる苦痛をあっさりと押し潰したからだ。


「それより前にスリプタがどういう状態だったのかは、私にもスリプタ自身にもわからないわ。

今まで見てきたような記録も、記憶もなかったから。

スリプタの始まりは魔人ダークスと同じで、スリプタが自身を認識した瞬間から始まってるの。

君たちが生きている、私がずっと見守ってきたあの世界こそが、命の大精霊そのものよ。

そして、私は正真正銘の召喚者第1号だったわけね」


それは宇宙の開闢かいびゃくであるビッグバンを、せいぜい昨日の日の出くらいにしか思っていない軽やかさ。


「もちろん、泣いたし怒ったしわめき散らしたし、死のうともしたわよ?

……でも、10年もしないうちに諦めきれたわね。

50年くらいで家族の声は忘れたし、100年くらいで顔も思い出せなくなったわ。

500年くらいで、完全に慣れたかしらね」


エルベーナで事実を知った直後の俺の憎悪すら可愛らしく思える激情を、完全に踏破し切ったがゆえの穏やかさだった。


「で、それからはずっとここでスリプタを続けてきたわ。

死ねるわけでもお腹が空くわけでも眠くなるわけでもないし、スリプタに下りられるわけでもなかったしね」


息ができない。

指先が震える。


想像しようとしただけで心が消し飛びそうになる孤独を、マキナは退屈すぎる駄作映画をレビューするように回顧していく。

そこにあるのは怒りでも悲しみでもなく、ただの自嘲。

人間どころか精霊でさえも耐えられないだろう、孤独と理不尽。

それを目の前の少女が完全に受容し終わり、その上で他者との会話を成り立たせるだけの精神を保てていることに、俺は純然たる恐怖を感じていた。


「誤解しているかもしれないけれど、召喚は立体陣形晶キューブがなくても起きる……というか、元々はスリプタの意志による自然現象……、……雷みたいなものよ。

生き物が繁栄のために自分以外の遺伝子を求めるのに、近いのかもね。

……ま、それに打たれる方としては不幸以外の何ものでもないと思うけど」


そんな、明らかに頬を引きつらせている俺を視界の端に入れても、マキナの表情は変わらない。


「実際、この世界の植物や動物はそうやって増えていったのよ。

今は自然な召喚なんてほとんど起きないけど、最初の数年はそれこそ1日に100や200のペースで召喚されてたの。

それが20万年かけて交配、進化していったのが今の世界の生態系よ。

昆虫がいないのは、召喚された絶対数が少なくて淘汰されたからね」


ただの、事実。

ただの、史実。

ただの、真実。

ただの、現実。


「もちろん、その間に地球人も含めた人間ヒューマンや、森人エルフ獣人ビーストの祖先となる人族なんかも召喚されてるわ。

最盛期には100近い種族がいたし、それぞれの文化が組み合わさってグラトゥヌスより進んだ都市だって幾つかあったのよ?

ま、『創世』のタイミングで人間ヒューマン森人エルフ獣人ビーストに統合されて、文明もほぼリセットされたわけだけど」


ミゼットの悲嘆も、テムジンの苦悩も、ルミーナの不幸も、チーチャの狂気も、ミレイユの絶望も、ライズの憤怒も、この世界の全ての理不尽を合わせたような残酷さえも、マキナにとってはただのそれであるからだ。


……やはり、これに手が届いてはいけない。

人間であれ大精霊であれ、この感覚を理解できてはいけない。

親であれ、将であれ、王であれ、それは変わらない。


マキナがその身に宿してしまったのは、人が知るべきではない強さなのだ。


「ちなみに、スリプタが秩序の核や楔となる役割として大精霊や精霊のシステムを完成させたのは、精霊歴マイナス150……つまりは紀元前150年くらいね。

増えすぎた生き物や文明と、魔法の黎明期に伴う大混乱。

ここから100年以上かけてこの混乱と戦乱が収束していく過程が、君たちの言う『創世』なの」


……が、その強さが、時の大精霊から霧散する。


「……で、その直中ただなかの紀元前101年、『創世』時代にこの世界に召喚されたのがヤタ君……谷田部やたべ明博あきひろよ」


ヤタ、谷田部明博。

その名前を口にしたマキナの黒い瞳は、根村ねむら真紀奈まきなのそれへと変わって……いや、戻っていた。


「彼は私以上の未来からきた人間で、私以上に11次元という概念を理解している技術者だったの。

18世紀に雷が電気だと証明したベンジャミン=フランクリンみたいに、ヤタ君は魔法や召喚を現象だと理解し、それを技術として再現できるだけの発想力があった。

陣形布シール立体陣形晶キューブという電池まで発明し、【異時空間転移パールポート】を編み出した彼は……」


退屈そのものだった瞳には光が、平坦だった声には徐々に熱が生まれる。


『創世の大賢者』ヤタ。

この世界で唯一、時属性の精霊と契約したとされる人物。

自陣片カードを創り、霊術を創り、【異時空間転移パールポート】を創った男。


「……それを応用して、ついにこの場所まで辿り着いたの」


が、マキナの瞳に映っているのは、決してそんな伝説的な魔導士の姿ではなかった。


「あのときは、本当にびっくりしたわ。

20万年ずっと1人の、出方も入り方もわからなかった世界にあっさり乗り込んできたんだもん。

完全な11次元に少し酔った後は私を質問攻めにするし、『とりあえず実験しないと』ってすぐ帰るし、その後ケロッとした顔でまたここに戻ってきてやっぱりあっさり帰るし……、……私をスリプタに召喚する法則を見つけて、本当に召喚しちゃうし」


おそらくは、好奇心旺盛。

おそらくは、自分勝手。

おそらくは、積極的。

おそらくは、熱血。


「ホント……メチャクチャな人だった」


おそらくは、1人の人間。


「でもね、優しい人だった。

皆の願いが叶うようにって立体陣形晶キューブをたくさん作って、皆の生活が便利になるならって苦労して発明した霊字ルーン霊墨イリスの組み合わせも全部公開しちゃって、私が見守り続けなきゃいけないこの世界が少しでも善いままであるようにって自陣片カードを創って……」


マキナにとって、ヤタは友人だったのだろうか。

あるいは、恋人や夫だったのだろうか。


「ヤタ君は自分の体や時間をいじって500年くらいまで生きてくれたけど、死んじゃったときは久しぶりに泣いたわね。

20万年生きても、人間やめても、こんな何もない場所の中でも泣けるんだって、わんわんわめきながら思ったわ」


俺がそれを確かめないのは、恐怖からでも疲労からでもない。


「だからね、私は守りたいの。

見守るようにスリプタから押しつけられたからじゃなくて、ヤタ君が遺してくれたから、この世界を守りたいのよ」


今の真紀奈の微笑みを邪魔したくないと、想ったからだった。





が、マキナに畏怖や同情ばかりもしていられない。


「……で、システムエラーとは?」


「……」


何せ、時の大精霊も守りたい世界が現在形で滅びかけているのだ。

時間の感覚がおかしくなってはいるが、今、スリプタの俺はライズに殺されようとしているところで、そうなればアリスも俺たちの子供もウォルもネクタも、世界の一切が灰と化すことになる。


俺はこの場所に圧倒されに来たわけでも、もらい泣きしに来たわけでもない。

召喚したマキナ本人の言葉をなぞるなら、知って考えて決断して覚悟して、そして世界を変えるために来たのだから。


「……君さ、その冷たすぎる性格って元からなの?」


そして、何より。


「7歳のときに妹がスリプタ(ここ)に召喚されて、家庭が崩壊してからだな。

何しろ母親が完全にぶっ壊れて、俺のことを認識しなくなったもんで。

廃人の面倒見ながら自分のことを全部自分だけでやろうとすると、どうしても機械的になるんだよ」


「……」


俺はマキナに同情はしたが、結局好きにはなれなかった。

ヤタについてもそれは同じで、むしろマキナよりも嫌いだ。


「どうして、ヤタが立体陣形晶キューブを創るのを止めなかった?

召喚されたお前なら、召喚された側も残された側もどれだけ苦しむことになるのか、想像できただろう?」


「……」


好きになれる、わけがない。


「自然現象としての召喚なら、まだ諦めもついた。

でもな、バランがやったのは明らかに人為的な召喚で、立体陣形晶キューブを使ったものだ。

あいつが何を願ったのかは知らんが、そのせいで朱美あけみと母さんは死んだんだぞ?」


理由はどうであれ、結果として俺の家族を殺したのはマキナとヤタだからだ。


「ここに俺を呼び出せるくらいなら……、……どうして、朱美を召喚する前にバランを止めてくれなかった」


そして、ヤタを止めなかった。


アリスと出会ってから和らぎ、結婚してから薄らいでいた冷たい感情が、自分の頬を支配していくのがわかる。

先程までの世界のようにそれを実体験する、同時に俯瞰する俺の表情は、客観的に見て『氷』そのものだった。

微かにつり上がる唇は、エルベーナで122人を殺したときと同じ角度。

瞳の色は、あまりに黒すぎる。


「この世界を、守るためよ」


が、その凍てついた視線を受けても、マキナの黒い瞳は揺るがなかった。


「……というか、そもそもバラン=モルシュ=エルベーナに立体陣形晶キューブを渡したのは私よ。

彼が14歳のとき……私がスリプタに下りられたタイミングで、2つ渡したの」


無言で睨み続ける俺の瞳を、むしろ真っ直ぐに受け止める。


「これも、ヤタ君が遺してくれた技術だけどね。

50から200年くらいの間隔……不規則だけどその間隔で、私は短い時間だけスリプタに下りられるようになったの。

……とはいえ、『見守る者』である私はスリプタで何の力も発揮できないし、必要な相手に立体陣形晶キューブを渡すのが精一杯だけどね」


そこにあるのは、必要なことを「必要である」という理由のみで行使しきれる、冷徹な強さ。

それにより大切な人を殺された怒りを、悲しみを、憎しみを、きちんと受け止め、背負う覚悟。


「時間っていうのはね、次元の1つなのよ。

それまでは演算で未来の災いを予期できても、ただここから見ていることしかできなかったけど……。

……ヤタ君のおかげで、それを回避して、よりよい未来へと現在を近づけられるようになったの」


強さと、覚悟。


「バランが、『よりよい未来』だったと?」


「より正確に言えば、バランが召喚する朱美さんとその兄である君が」


「……朱美は、殺されたんだぞ?」


俺は昇華しそうになる感情を押し固めようと、必死で努力する。


「それでも、この世界を守るためには彼女が必要だった。

……続いて召喚される君が、この世界を変える水の大精霊となるために」


「……」


マキナにありったけの悪意と暴力をぶつけたいが、必死で凝固させる。


「何かを守るということは、他の何かを守らないというのと同じことよ。

君だって、チョーカ兵を何万人も殺したじゃない」


なぜなら、その強さをもって俺は『魔王』となったからだ。

守りたいもののために他の全てを守らない、冷たい覚悟を終えているからだ。


「それにね、朱美さんも君も守られなかったから、アリスは守られたのよ?

君だってわかってるでしょ、アリスの前に君が現れなかったら彼女の夢が叶いっこなんてなかったこと。

君が召喚されなかった場合のアリスの人生、聞きたい?

一番マシなケースでも、君が想像できる100倍は鬱な結末よ」


「……」


零下の溜息をつく俺の脳裏に、エレニアと交わした静かな論理を思い出す。


俺が、エルベーナの人間の命よりも自分の復讐を優先したように。

チョーカの4万人よりも、その後に救われる命を優先したように。

世界の全てよりも、アリスの夢を優先したように。

アイザンの命よりも、自分の心を優先したように。


俺が、サリガシアの現在よりもウォルの未来を優先したように。

サリガシアが、俺の未来よりも獣人ビーストの現在を優先したように。


「私はね、この世界を守ると決めてるの。

そのために選択して決断する覚悟なんて、2千年前に終わってるの。

何があっても、何をやっても、私はヤタ君が遺してくれたこの世界を守りたいの」


マキナは、他の世界よりもこの世界を守ることを優先したのだ。


「君にも朱美さんにも、美佳みかにも……ううん、【異時空間転移パールポート】で召喚された全ての存在に申し訳なかったとは思うけれど……、……ゆるされようとは、思ってないわ」


俺から見れば悪なだけで、マキナから見れば善。

俺が家族を守りたかったように、マキナも世界を守りたかっただけ。


どちらも正しく、どちらも善。

だからこそ、絶対にわかり合えない。


ただ、それだけの話。


「……つくづく、残酷な世界だな」


背もたれに冷え切った身を預け、視線をマキナから何もない空へと移す。

過去よりも未来を優先した俺も、それ以上に残酷だ。


「どこの世界も、似たようなものよ」


頬杖を突き直したマキナも、穏やかに吐き捨てた。





「……で、システムエラーの話よね」


「?」


少しだけの間を置いて、マキナはまた姿勢を直した。

同時に、俺とマキナを取り囲むように白い光が溢れる。


「……!」


いや、それは白い文字と数字の羅列だった。


氏名 テレジア=ケィルビン

種族 人間

性別 女

年齢 22歳

魔力 10,950

契約 火

所属 冒険者ギルドCクラス ラルクス支部職員 

備考 - 


たまたま目に入ったそれを読んで、結婚して家名が変わったテレジアの自陣片カード情報だと気づく。

単純な眩しさから目を細める俺の前には、そんな文字列が数千万人分も乱舞していた。

感魔・・金属であるオリハルコンを媒介に全世界で共感・・される、人物情報の閲覧システム。

かつて、ラルクスにてエバから説明された超文明データベースの、まさにその中枢に俺はいるのだ。


「さっきも言ったけど、これもヤタ君が創ったものの1つよ」


こちらも若干眩しそうに目を細めたマキナが、指を小さく動かしながら説明を始める。

指に合わせて瞬時に文字列が整頓され整列させられていく光景は、まるで逆回しの巨大ドミノを見ているようだった。


自陣片カード

その目的は、『悪人』を発見しやすくすることよ」


その言葉に合わせて、全体の0.1パーセント以下……それでも万に届く数の赤い文字列が現れる。

白い壁が立ち並ぶ中、そこに点在する赤色は血が飛んだ跡のようにも見えた。


「スリプタには魔法があるけど、それが問題なのよ。

何しろ、個人が桁外れの強さ……つまりは殺傷や破壊の能力を持つ可能性があるわけだから。

子供がナイフや銃どころか、伝染病や核兵器を操れるようなものよ。

実際、20万年の内にも500回くらいは世界が滅びかけたしね」


語るマキナの表情は、完全に昔小さかった子供の怪我や悪戯を思い出す母親のそれだが、内容はあまりに深刻だ。

というか、俺自身も自分が兵器を操れる側の存在であるため、生身の人間から見たこの世界の危険性をそれほど真剣に考察したことはなかった。

確かに、通り魔や銃乱射事件どころではない。

俺やアリス、エレニアやフリーダがその気になれば国家など簡単に滅ぼせるし、実際にライズは世界を滅ぼそうとしているのだから。


「だからね、悪意を持った人間が、犯罪を平気で犯せる人間が高い魔力を得ちゃうと、それだけでこの世界は存続の危機に瀕するのよ。

この点に関しては、完全にスリプタの計算違いね。

人間のことを、買い被りすぎなのよ」


命の大精霊に性悪説を説くマキナは、それで、と続ける。


「で、私の相談に乗ってくれたヤタ君が、自陣片カードを創ってくれたわけ。

『悪人』を赤字レッドにすることで監視しやすくなるし、スリプタに住む側も『赤字レッド=害悪=討伐対象』っていう認識があれば自分たちで対処してくれるしね。

ま、定着するまでには300年くらいかかったけど……」


この世界が、少しでも善いままであるように。

なるほど、ヤタは確かに天才的な技術者だった。

自陣片カードは確かに、この世で起きる悲劇と理不尽の大半を未然に防ぎ、社会の自浄作用となり得る管理システムだと思う。


……ただ、1つの問題を除いては。


「『悪』の定義は?」


そう、問題はそこなのだ。

悪とは、何か。

何をもって、悪と断罪するのか。

地域や時代、宗教や立場が違えば曖昧になるようなものを、そもそも人間は裁けるのか。


「まず、大前提は他者に危害……意に沿わない苦痛を加える行動を起こすことね。

次に、それに対する本人の意識と自覚。

それから、その時点までの経緯に対しての行動の正当性。

最後に、その行動による未来への影響、これを全部合わせた総合判断ね。

……ま、私とヤタ君の価値観が反映されてることは否定しないけど」


が、機械仕掛けの神もどき(マキナ)はそれに対しても小さく肩をすくめただけだった。


「ただね、【異時空間転移パールポート】はこの判定の対象外なの。

『召喚』っていう行為自体が、スリプタにとっては存続に必要な外部要素の摂取……つまりは食事みたいなものだから。

食べることが犯罪なら、動物も植物も菌類も、この世界の全部が悪になっちゃうでしょ?

……バランがギリギリ白字ホワイトだったのは、それがあったからよ。

あれは事故だったし、思い込みとはいえエルベーナの村長としての責任があったし……、……君を召喚するためには必要なことだったしね」


公明にして。

正大にして。

平等にして。


恣意的。


「ちなみに、君が白字ホワイトなのは、君の行動には復讐という正当性があったからよ。

……とはいえ、これも結構ギリギリのラインだったけど。

私に言われたくはないだろうけど、あのときの君も相当人間やめてたからね?」


呆れを含んだマキナの表情が、結局のところ人は人にしか裁けないのだと諦めているようにも見える。

神は全知全能かもしれないが……、……おそらく、それは人間のためではない。


「……ただね、さすがにヤタ君も、死と分裂が同義の人間なんて想像してなかった。

捨てる部分も忘れる部分もなく全てを完全に引き継ぐ生物なんて、あるわけがないと思ってた。

自分でもあり他者でもある存在が常に併存する状態なんて、考えたこともなかった」


そして、人間たるマキナとヤタはそもそも全知全能ではなかったのだろう。


「ルミーナだった3人の魔人ダークスに、彼女の『悪』も分けられちゃったのよ」


蓋を開けてみれば、本当に単純な話だった。

ルミーナが赤字レッドなのは……、……まぁ仕方がないと思う。

無知ならば何をやってもいいというわけではないし、数が数だ。

現場を客観的に見ていた俺からしても、ルミーナは討たれて当然だったと思う。


が、だからといって「想定外」の一言でミゼットやライズを納得させるのも無理だろう。

少なくとも、俺なら世界を焼き尽くす。


「修正するなり、できなかったのか?

あるいは、自陣片カードそのものを廃止するなり」


「せめてヤタ君が生きてる間にルミーナが召喚されてたなら、どっちでもできたけどね。

君だってパソコンの使い方は知ってても、中身のプログラムを書き替えたりはできないでしょ?

私自身、自陣片カードの仕組みを全部把握できてるわけじゃないから、下手にいじれないのよ。

全部の自陣片カードを停止することも考えたけど、その場合は魔人ダークスが暴発するより早く、人間社会が大混乱に陥って世界が滅ぶだけだったしね」


「俺じゃなくライズを召喚して、それを説明しろよ」


「君、ライズの立場だとしてそれで納得する?

考えなかったわけじゃないけど、その場合はさらに怒り狂ったライズが世界を滅ぼすだけだから、確率が低くても何とかできそうなタイミングまで問題を先送りするしかなかったのよ。

この場所に召喚しておくのもそう長い時間は無理だし、私に直接の戦闘能力はないしね」


「……役立たずが」


「20万と2039年に、召喚前の16年を合わせても言われたことのない罵倒をありがとう。

……ま、否定はできないけど、でもそれはスリプタに言ってよ。

私は『見守るため』に召喚されたのであって、『変えるため』じゃなかったんだから。

私だって、立体陣形晶キューブを渡す以外のことができたなら……、……ヤタ君が遺してくれたこの世界を守るためなら、何だってやってたわ」


とりあえず、過去から現在に至るまでの経緯はわかった。

本当につくづく、つくづくこの世界は残酷だと思う。


「でもね、どうにもならなかったのよ」


確かに、誰にも悪意はなかった。

それでも、こんな最悪が生まれてしまうのだから。


……ならば、もう仕方がない。


「……さて、それじゃあ『見守る者』さんよ」


「何かしら? 『世界を変える者』」


何かを捨てるしかない。

何かを殺めるしかない。

何かを諦めるしかない。


何かを守る、とはそういうことだ。


「お前、俺にこの世界を守ってもらうためにどこまで譲歩する?

ただし、返答次第では世界が滅ぶが」


「……脅迫されたのも、初めてよ」


何かを変える、ということなのだ。


唇をつり上げた俺の隣で、頬杖を突いたマキナが苦笑いする。

神の導きだとすれば悪趣味すぎる、機械仕掛けだとすれば不完全すぎる話し合いは、俺の魔力が完全に回復するまで続けられた。

















結局、どれくらいの時間をこの場所で過ごしたのかは、よくわからない。


が、魔力を取り戻し装備を整え終わった俺が立ち上がっても、スリプタの全ては静止したままだった。

当然ながら、戻った瞬間から俺はまず、ライズの前で死にかけている自分を何とかしなければいけない。

切り抜けたとして、待っているのは絶対に納得し合えない論理の統合だ。


さらに、マキナは俺とライズが邂逅することを「確率が低くても何とかできそうなタイミング」と表現していた。

つまり、俺の勝利は絶対ではないということだ。

……まぁ、よくて死闘とか決死とかいうレベルの話になるだろう。


実際『浄火』のスペックを考えれば、俺が全身全霊を懸けてなお、世界が無事で済む確率は低い。


「マキナ」


「……まだ、何かあるの?」


一方的なネゴシエーションに若干げんなりした表情のマキナを俺がふり返ったのは、そんな覚悟ができていたからだった。


「お前、未来がわかるんだよな?」


「……ま、この世界に召喚された後のものについてならある程度は、ね」


「俺とお前が、また会うことはあるのか?」


椅子に座ったまま首を横に振るマキナに、ああやっぱりか、と不思議な納得をする。


「お互いが生きてる間に会うことは、もうないわね。

君をここに召喚するために、かなり無理をしたし。

……心配しなくても、私はもう何もしないし、できないわ。

もう本当に、ここで見守るだけよ」


マキナがその事実についてどう思っているのかは、その穏やかで静かな表情からはよくわからなかった。

一方で、俺も似たような表情を浮かべていたのだと思う。

2対の黒い瞳の間で流れる時間はこんこんと湧き出す泉のように無色で、透明だった。


「もう1つだけ、いいか?

……朱美は、何を願われたんだ?」


おそらく、この機会はもう二度とないのだろう。


「『この世界(エルベーナ)を守る者』、よ」


そして、俺は『変える者』……か。


「マキナ……、……いや、根村真紀奈」


再び真紀奈に背を向けた俺は、その願いに小さく笑う。





なら、朱美。

お前は、こんなお兄ちゃんをどう思う?


アイザン。

お前の願いに、俺は応えられているのだろうか?





「俺は、お前をゆるさない」


白いフードが少しだけうつむいたのが、衣擦れの音でわかった。


「……が、朱美と母さんと共に、謝罪の言葉は聞き届けよう」


続く、穏やかな俺の言葉。

え、と16歳相応の真紀奈の小さな声が漏れるが、俺はもうふり返らない。


「今の俺はな……、……この世界がそんなに嫌いじゃないんだ」


前へと、踏み出す。


「じゃあな、『世界を守る者』」


体を彩るのは、紫と白と黒の光。

置いた足の下には、エルダロンの黄色い大地。





時間が、ようやく動き出す。





ただいま(・・・・)


それは、中畑なかはた蒼馬そうまに決着をつけた俺が。

ソーマ=カンナルコが、世界を変えるために歩み始めた瞬間だった。

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