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クール・エール  作者: 砂押 司
第5部 世界を変えるもの

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141/179

アナザー・エール 王者

『死大陸』。


ネクタから見てほぼ南東、エルダロンから見て南南西に位置する、この世界で最小の大陸。

最果てにして、そして最も過酷な環境とされる大陸。

全てが砂と岩に覆われた、人を寄せつけぬ大陸。

少数の赤竜せきりゅうが暮らすばかりの、炎と煙に包まれた死の大陸。


精霊歴2039年において、俺が知るバン大陸の情報はほぼこれだけだった。

ギルドや水天宮すいてんきゅうの書庫に並ぶ文献によっては「多くの魔人ダークスたちが暮らしていた」とされる記述があったりするものも少数あったが、いずれにせよその全てが情報源ソース不詳の不確かな伝聞調だ。

固有名詞としての地名や都市名、建物の名前も一切の記録がない。

先に挙げた内容にしても、ネクタとエルダロンの沖合から見た大陸の位置関係以外は実測されたものではないらしかった。


おそらくではあるが、当時実際にバンから渡ってきたとする人間は本当にいなかったのだろう。

同時に、バンへと上陸し帰還できた人間も存在しなかったに違いない。


……まぁ、この伝承を信じるならば、そもそも命を懸けてまでバンへと行くメリットも皆無ではあるが。


人工衛星など当然ないためにGPSも衛星電話もなく、どころか電気の概念そのものが理解されていないため無線もない代わりに、『竜魚りゅうぎょ』や『船喰ふねくらい』、挙句は『海王かいおう』といった超幻想級の海棲生物は跋扈している。

対して、バン大陸には人間が住んでいない、どころかまともな動植物が棲めない場所である可能性が大であり、石油由来燃料による燃焼機関どころか蒸気機関すら発明されていないこの世界で期待できる資源は、石材か貴金属の原石がせいぜい……。


ハイリスクハイリターンならば博打、ハイリスクローリターンならば蛮勇とまだ言えるだろうが、これがハイリスクノーリターンとなるとただの自傷行為でしかない。

もしくは、素直に自殺だ。


……ただ、これはあくまでも『死大陸』に関する前提条件が全て正しい……つまりは事実である場合にしか成り立たない考察でしかない。


「……説明しろ」


結局のところ「歴史」とは、事実の内で後世に残り得たわずかな、そして当時にとって好都合なものの断片でしかない。

マキナに連れられて3つの時代、3人の人生のほんの一部を観ただけでもそれを実感する俺ではあったが……、……それを差し引いても、精霊歴1482年におけるバン大陸の姿は予想だにしないものだった。


「この後、『浄火じょうか』になったライズが全部消し飛ばしたからよ」


「……」


珍しく俺の問いを無視しなかったマキナに反応を返せないまま、俺は眼前に広がる光景に立ち尽くす。

端的に言えば、そこにはこの当時のどの大陸のものよりも……いや、550年後までを含めたこの世界全体の中でも、最も整備された大都市が存在していた。


カイランやエルダロンのそれよりも白く、確かにサラサラとした砂地で構成されている地面。

しかし、それはすぐに同色の石畳の道路へと変化しており、しかもどこまでも真っ直ぐに続いている。

思わず高度を上げて確認すれば、それは遙か先に存在する巨大な……石造りの神殿としか表現しようのない建築物を中心に、まるでピザを切り分けるように等間隔、等角度で敷設されていた。

無機質なまでに水平が保たれた道路には同じく几帳面なまでに正確な側溝が備えられており、恐るべきことにそれは排水口を通して下水道へと繋げられている。


下水道がある以上必然であるが、上水道も完備されていた。

2階ほどの高さで道路を見下ろすように並走し、さらには無数に分岐する肩幅程度の石の橋。

水自体は流れていないものの、コンマ数度での傾斜を続け並ぶ柱の幾つかに取水口が開けられたそれは重力を利用した、完全な水道網だ。

取水口に施された精緻な彫刻、そのまま水の出口となっていたのであろう様々な動物たちの口が、今は無人のこの都市全体の文化レベルの高さを物語っていた。


もちろん、建物自体も非常に高度な建築技術をもって造られている。

そもそもが、建材の大半がコンクリートだ。

石と変わらないその重さを分散させ、かつそれ自体を固定の力に利用するアーチを多用した建築物は、極めて厳密な規格を基に量産されたものであることがわかる。

が、一方でその全ての壁や柱は思い思い……としか言い様がないほど雑多な図柄やモチーフの彫刻で飾られており、おそらくはそれぞれの家主の趣味を反映したものだったのであろうそれらが、画一的な町並みに面白さを与えていた。


一方で、その彫刻の規模が30から40メートル四方、巨大なドームや神殿の壁面全てに施されたものともなると、またその印象も変わってくる。

技術という名の威圧、文明という形の脅迫。

水天宮すいてんきゅうやティアネストにすら匹敵する巨大で複雑な構造物が無数に点在するこの大都市の文明基準は、アーネルやヴァルニラはもちろん、ウォルよりもさらに高い。


全体として、古代ローマを彷彿とさせる巨大都市。

グラトゥヌスの威容が、そこにはあった。


「あなたたちが『創世』と呼ぶ時代に滅んだ都市の1つね。

……あれのせいで」


圧倒される俺の隣、マキナの視線の遙か先では、一筋の煙が空を細く分断する。

浄山じょうざん』ライゼル。

1500年前の噴火で一夜にしてこの都市を葬った大火山は、今も静かにその炎を燃やし続けていた。


「ここを造ったのは、まだ精霊歴が始まっていない頃……それこそ、まだ苗木だったフォーリアルがスリプタに召喚されるのと同じくらいに召喚された、古代ローマ人よ。

……ちなみに、各大陸にも似たような都市は幾つかあったのよ?

その全部が、跡形もなくなっているだけで」


見たことがあるのか……、……あるいは来たことがあるのか。

少しだけ饒舌のようにも思える時の大精霊は、壁の彫刻が持つ天秤の皿を指でなぞり、そのまま歩き出す。

道路の端の方、歩道にあたるのかもしれない部分を進んでいく白いマントは角を折れて別の大通りに入り、さらにそれを何度か繰り返して1つの建物を目指していた。


「彼らは製紙技術こそ持たなかったけれど、代わりにこの世界には高度な土木建築も複雑な金属加工も実現できる魔法があった。

それは、厚紙くらいの薄さまでなら金属を伸ばせるくらいに」


グラトゥヌス国立書宮(しょぐう)

そこに収められているのは、全てが金属でできた本だった。

かつては扉があったのであろう巨大な入り口をくぐり、足を止めた俺を見下ろすのは壁一面を埋める背表紙の羅列と、硬貨入れの中の匂い。

2階と3階の回廊を挟んで天井までの15メートルをほぼ埋めるそれらには、今となってはギルドのクラスくらいでしか見ることのないアルファベットが刻まれている。


「古代ラテン語ね。

……バンは高温で乾いた気候だったから、1500年経った今でも加工された金属が、本が残ってたのよ」


ところどころ崩壊し山になっているものも含め懐かしい文字列たちを見渡したマキナは、そのままさらに奥の石扉へと足を進めた。

開けるのではなくすり抜けたその先には、……光。


「……!」


そこには1頭の赤竜と、1人の少年がいた。


「……ねぇ?」


「……何だ?」


先程の部屋よりも広い空間を確保されていたはずのその場所は、しかし天井と壁の4分の1近くを失い、完全に外の景色と交通していた。

その大半に鎮座していた多くの本と共に積み上がった、白い瓦礫の山。

その頂点で仰向けに寝転がる赤髪の少年は支えていたページから赤い瞳を上へとずらし、上下逆さになった竜の眠そうな顔へと笑いかけた。


「君、壁を通り抜けられる?」


「……」


血の色そのものの、赤い瞳。

雪のように美しい白い肌。

やわらかく巻かれた赤い髪。

闇を煮詰めたような黒のローブ。


もう1度ライズの無邪気な表情と、最後にその白い両手が中空に支えたままの暗緑色の本にルビーの瞳を向けた後、エンキドゥは小さく鼻を鳴らす。


「今の我は、現在進行形でそうであるとも言える」


多分にユーモアを含んだその視線は、20メートル先にある自分の尻尾の先、頭を突っ込んでいる書宮から完全に外にはみ出し、さらには隣の建物の瓦礫の上にうずくまっている自分の体を捉えていた。

「壁を通り抜ける」。

確かにそれを体現している赤い鱗の列の先では、しかしライズが呆れた表情を浮かべる。


「いや、それは『突き抜けてる』だけじゃない?

僕が言ってるのは通り抜ける、壁も君の体も壊さずに……、……そう、『透過』できるかってこと」


「無理だな」


「……だよねぇ、やっぱり」


爬虫類の骨格ながらも肩をすくめるような動作をしたエンキドゥに正対するかたちで、ライズは起き上がった。


「この本はさ、確率について書かれた本なんだ。

それによると、この世の物質っていうのは『常に動き回る小さな粒』で構成されているらしいんだけど、それは君でも壁でも同じなんだよ。

……と、なると、君を構成する粒と壁を構成する粒がたまたまお互いの邪魔をしない場所に動けば、理論上では君は壁を通り抜けられることになるよね?」


量子論におけるトンネル効果を利用した、思考問題。

古代ローマ人が作った書庫になぜそんなオーパーツがあるのか一瞬混乱するが、グラトゥヌスの規模と俺自身のプロフィールを思い出し、すぐにあり得ないことではないと結論づける。

この都市の中心にあったのは古代ローマ時代でも、その市民の全てがこの時代の、もっと言えばこの世界の人間であったという確証など何もないからだ。

物理や数学に興味を持つ中高生が1人混じっていれば、このコラムは書ける。


「……ならば、なぜそうならない?」


「その粒が膨大な数すぎて、全部がお互いに邪魔をしない確率が低すぎるから……らしいよ」


「それでも、いつかは起こるのだろう?」


「じゃあ、試してみる気になる?」


「……」


過去と現在、あるいは未来。

かつて地球で、あるいはそれとも別の世界で探求された学問は、300年を生きた竜の精神すら動揺させる無慈悲さを持っていた。


「もっと簡単な話もあるよ。

……銀貨を投げて、裏が出る確率はわかる?」


それを柔軟に受け止め消化しきったライズの白い指が、青銅のページをカシャンカシャンとめくる。


「半分だから、2分の1だろう」


「じゃあ、2枚投げて2枚とも裏になる確率は?」


表表、表裏、裏表、裏裏……。

10秒程度をかけて全ての可能性を見渡したエンキドゥが「4分の1」と答える間も、その唇はやわらかい笑みの形を造っていた。


「そう、銀貨1枚ごとに裏がでる確率は2分の1なわけだから、全てが裏になる確率を求めるには1枚増えるごとに2分の1を掛けていけばいい。

1枚増えるごとに、確率は半分になると言ってもいいわけだね」


が、「なるほど……」と数学的概念が理解できた爽快感に瞳を細める赤竜の前で、しかし赤い瞳は笑っていない。


「計算していくと10枚で1024分の1、20枚で約100万分の1、30枚で10億分の1、40枚で1兆分の1、50枚で千兆分の1だよ」


それは、理解しきっているが故の冷たい感情。


「ねぇ、エンキドゥ。

……本当に、銀貨を50枚投げて全部が裏になることなんてあると思う?

60なら、100なら、1000ならどうかな?」


起こり得るはずのない希望を数理的に証明されたことに対する、ほのかな苛立ちだった。


「ちなみに、1日は86400秒、1年で約3千万秒、千年で300億秒だよ。

100年生きられない人間が1秒に1回試行するとして、生涯を費やしたとしても確率的にあり得るのは31か32枚。

火の大精霊でもある君なら35枚まで、『最古の大精霊』たるフォーリアルでも37枚以上はあり得ない計算になるね」


竜の寿命は、一般的に700~800年。

大精霊となった生物は子供ができにくくなるが、その寿命は元の1.2から1.5倍程度に延びるため、赤竜の身で火の大精霊となったエンキドゥの寿命はおおよそで千年……。


「……」


その悠久を全て捧げたとしても届かない事象が、しかも銀貨を投げるなどという子供でもできる些事の中に存在することに、エンキドゥは感動のような……あるいは畏怖のような感覚を覚える。


「だけどね……、……それならもう『壁は通り抜けられない』、『40枚以上の銀貨を投げても全てが裏になることはない』と、言い切ってしまってもいいと思わない?

それが、この世界の現実なんだから」


一方で、ライズの言葉の中には静かな怒りがあった。


「僕はもう150年ほど生きているけどね、これまで64人の魔人ダークスを引き継いだんだ」


「「……」」


手に持つ『確率論』の表紙を閉じた少年の、決して大きいわけでも叫んでいるわけでもない遠い声。

魔力がこもっているわけでもないただのその声が、エンキドゥと俺から呼吸を奪う。


「その64人が直接引き継いでいた数だけでも76人、その76人が引き継いでいた数は101人になる。

たった3世代、さかのぼっただけでね。

……ちなみに、僕の中にある一番古い記憶の持ち主は59世代前の女の子のものだよ」


赤く痺れる視界と心臓の上で何かが破裂しそうな苦痛が、それを「恐怖」だとどこかで絶叫していた。


「全部合わせて32万と204人。

その内、自分の自陣片カードを見たことのある魔人ダークスがおおよそで25万人……」


その赤い瞳が見つめているのは、全てが裏に並べられた……。


「その全てがたまたま赤字レッドになるなんて、確率的にあり得ると思うかい?」


明らかに人為的に揃えられた、32万と204枚の銀貨の葬列。





「多分ね、魔人ダークスは絶対に赤字レッドになるんだよ」





再び仰向けになったライズが吐き捨てた結論は、俺がたどり着いていた仮説と同じものだった。


「原因はわからないけどね。

僕らの始祖が何かをやらかしたのかもしれないし、僕らの『【吸魔血成ヴァンピング】』が犯罪行為だと見做されているのかもしれない。

もしくは、記憶や経験を完全に継承できる僕らが気づいてないだけで、魔人ダークスには十禁じゅっきんを平気で繰り返す屑しかいなかったのかもしれない」


殺人、強姦、強盗、窃盗、傷害、誘拐、放火、詐欺、誹謗、損壊。

赤字レッドになり得る10の罪、もって『十禁』。


恐怖され、嫌悪され、軽蔑され、排除されるべき、人の道を外れた悪。

人が、人であるために憎むべき罪。


人間にんげんさまや世界が魔人(僕ら)を害悪だと決めつける程度には、ね」


自分たちの全てが無意識に、無条件にそれに匹敵する「何か」を犯しているのだと自嘲するライズの笑顔には、なぜか一切の邪悪さがなかった。


あどけなく。

可愛らしく。

清々しく。


そして、優しかった。


「……ライズ、お前は何を考えている?」


世界の覇者であり世界で最強である火の大精霊、エンキドゥが完全に気圧される。


「確かめたいんだよ」


その前で微笑む赤色には、決意と覚悟と。


そして、強さが満ちていた。

















ライズが生まれた精霊歴1327年において、世界ではある共通認識が生まれていた。


魔人ダークスは、危険である』。


オルカンを起源とする「人間を敵視する魔人ダークス」のみならず、ミゼットのように善良に暮らそうとする魔人ダークスですら獣人ビーストを凌駕する戦闘能力を持つという事実。

決戦級が敗れ、英雄が殺され、軍が破られ、都市が滅ぼされたという戦慄。

百年単位という長すぎるモラトリアムを経てようやく各地域がまとまり始め、同時に共有され始めた史実は、都市や国家どころか、種族のレベルとして人間に危機感を抱かせるに充分な内容だった。


が、人間とは個としては脆弱でも、集となれば残酷なまでの強さを発揮する動物でもある。


どれほど不死身ではあっても、不死ではない。

どれほど神出鬼没ではあっても、完全な密室から逃げられるわけではない。

どれほど外見を変えられようとも、肌が白以外に、瞳が赤以外になるわけではない。

どれほど人間より強く賢くあっても、自陣片カードを欺けるわけではない。


これまで1300年間発揮されなかった学習能力が開花した結果、ついに人間は魔人ダークスを狩る力を得ることに成功した。

結果、各地の魔人ダークスはこれまで以上に追い詰められることになり、当然の帰結として、より多くの残酷な悲劇と最期を繰り返していくことになる。


ライズが生まれたバン大陸は、そんな世界で生きることすら難しくなり始めた魔人ダークスたちを追う者がいない、唯一の場所だった。

が、人間がいないということはそこに魔人ダークスの糧となる血もないということであり、いずれは餓死するということでもある。


……それでも、絶望するよりはまだいい。


そんな同族たちを、滅びきった都市で看取り続けたライズは、やがてテムジンのように彼ら彼女らを受け止め、引き継ぐようになる。

同時に過去の世界の人間たちが残した知識や概念も引き継ぎ続けたライズは、いつしか千や万を超え始めた記憶の中で、1つの確信にたどり着いた。





魔人ダークスは、この世界に必要とされていない。

どれだけ望んでも、人間にはなれない。





常人ならば受け止められないその運命を、幸か不幸か、万を遙かに超える地獄を見つめてきた魔人ダークスの心は簡単に受け止めることができた。


わずかな瞑目の後、そしてライズはあっさりとそれを決意した。

グラトゥヌスの一画を寝床としていた火の大精霊の前に立ったライズは、「この世界の全ての魔人ダークスをバンに集めてほしい」とその竜に頼み込む。

微睡まどろみの合間にバンへと流れてきた魔人ダークスたちを、そして彼ら彼女らを受け止めるライズを眺めていた赤竜エンキドゥは、わずかな逡巡の後にその願いを聞き届けた。

こうして、各地の火の上位精霊たちを通じて全世界の魔人ダークスたちはバンを目指すことになる。


魔人ダークスの王が、『死大陸』で待っている」。


世界に見放され始めていることを、絶望の予感を感じつつある魔人ダークスたちにとって、それは確かな希望の兆しだった。


テンジンにとっても。

ミレイユにとっても。


それは失いつつあった明るい光と、あたたかい熱を感じさせる言葉だった。





「……というわけで、こんな世界は焼き尽くしてしまおうと思うんだけど、どう思う?」


「「……」」


バンに渡り一堂に会した最後の魔人ダークスたちに「赤字レッドのこと」を説明し無邪気にそう微笑んだライズに、さしものテンジンとミレイユも沈黙していた。


「……」


同様に、エンキドゥも絶句する。

一切の邪気がない故に、ライズの言葉が本物だとこの場の全員が理解させられていた。


「僕らがどれだけ望んでも、僕らは人にはなれないよ」


そのあどけない瞳は、まずテンジンを見つめる。


「もうとっくに覚悟できていたんだろう、『寂しき者』?

君が独り無音の闇で藻掻もがいても、誰も救いの手を届かせようとはしないよ」


「……で、あるか…………」


これまで引き継いだ魔人ダークスたちの記憶からテンジンのことを理解しているライズは、しかし理解できているが故にその望みが永劫に叶わないと諭す。

テンジンにできたのは露わになっている唇を噛むことと……、……どこか、安堵したように息を吐くことだけだった。


「君もだよ、『賢くも愚かな者』。

君がどれだけ人間にけんじようとも、君が求めるものは永遠に手に入らない」


続けて、その真っ直ぐな視線は笑顔をなくしたミレイユを貫通する。


「僕らはそういう存在だと、人間たちに、この世界に定義されているのさ」


「……」


一切の優しさを排した、ただ冷徹な事実だけを紡ぐ少年の言葉は、しかし、だからこそその身と心を削り続けてきたミレイユを救った。

打ちひしがれながらも晴れやかな、疲れ切った表情で微笑むミレイユの横顔に……、……俺の方が泣きそうになる。


「……『狂いし者』、君はそれにすら背を向けられる強さを、とっくに身につけてしまっているようだけどね」


そのミレイユにしがみついたままのチーチャに関しては、唯一ライズのことを一顧だにしていなかった。

海を渡るまでの間に都市を移動するため、その特異な容姿を少しでも中和しようとミレイユが丈の長いマントと共に提案した赤い仮面の穴からは、ただミレイユの隣にいられる歓喜だけが漏れ出ている。

この場では、いやこの世界の中では例外的に、チーチャの幸福だけは既に完成されていた。


「……『』という言葉の意味を、皆は知っているかな?」


その強固な魔人ダークスからテンジンとミレイユへ視線を戻したライズは、横目でエンキドゥにも微笑みかける。


「『世界を変えるもの』、なんだってさ」


全てを捨てる決意が終わったが故の。


「この世界で、僕らは永遠に幸せにはなれないよ。

世界が、僕らにそう望んでいるんだから」


全てを殺す覚悟ができたが故の。


「なら、僕は『魔の王』としてこの世界を変えてやろう。

君らの愛情も絶望も狂気も背負って、人間たちに問いかけてやろう。

僕らは罰されないといけないのか、幸せになっちゃいけないのか、正しくないのか、生きてちゃいけないのか……」


全てを諦める強さが固まったが故の。





「僕らは『悪』なのか? ……ってね」





赤い瞳が、笑っていた。


「……エンキドゥ、君はどうする?

僕たちを、悪だと滅ぼすかい?」


「……見届けよう、この世界の一端として。

弱くも強く、賢くも愚かな人間たちとこの世界をかった、竜の一体として」


燃え盛るその中に何を見たのか、エンキドゥも寂しげに笑う。


「変えてみるがいい、お前たちの運命を」


テンジンが消え、ミレイユが消え、同時にチーチャも消えた。

炎と化したエンキドゥの傍らでそれらは渦巻き、やがてその場にはライズ1人だけとなる。


「さぁ世界よ、灰と化す前に証明して見せろ」


その掌に浮かぶのは、火属性超高位魔導【闢火コル】の純白の輝き。


「この『浄火じょうか』が、悪の炎にすぎないと、ね」


1秒後、その熱はグラトゥヌスの全てを蒸発させた。





「……じゃあ、行きましょうか。

魔人ダークスの最後の時代に」


それに背を向けたマキナの声と共に、世界はまた加速する。

かつての英雄たちの時代へと向かう俺は、光の中で苦い溜息をつかざるを得なかった。


魔人ダークスに。

人間たちに。

エンキドゥに。

世界そのものに。


誤算があったとするならば、『魔の王』にして『浄火』たるライズの心があまりに強くなりすぎていたことだろう。


魔人ダークスの誰よりも。

人間という種族よりも。

世界最強の竜にして大精霊のエンキドゥよりも。

世界そのものよりも。


それは遙かにまばゆく、遙かに熱かった。


……そして、何より。





ライズは、魔人ダークスたちを愛していたのだ。

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