表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クール・エール  作者: 砂押 司
第5部 世界を変えるもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

135/179

アナザー・エール 英雄

水鏡みかがみ』ミカ=アゼノ。

精霊歴1483年に世界に宣戦布告した魔人ダークス、『浄火』を討った連合軍のリーダー。

すなわち今から556年前に世界を救った、真の意味での英雄。

そして、水の上位精霊筆頭であるシムカが最後に契約した少女。


が、その功績に対して、様々な理由からミカ=アゼノとその仲間たち、『五大英雄』のことが残された記録は極めて少ない。

1つは、当時のバン大陸とエルダロン大陸が文字通り灰と化したため。

1つは、当時のサリガシア大陸もカイラン大陸も小国が入り乱れた戦国時代だったため。

1つは、当時においても世界で唯一の紙の生産地、つまり本の主要な生産地であったネクタにおいて、アリスと同様に故郷ネクタを捨てた森人エルフであるカイン=カンノハを好意的に扱わなかったため……。

いずれにせよ理由は複合的ではあるが、もう1つとしては単にミカ=アゼノが控えめな性格で、あまり目立つことを好まなかったということもあるだろう。


ミカ=アゼノ……、いや、畦野あぜの美佳みか


彼女は平成に生まれた10代の日本人として一般的な感覚を持った女子高生だったし、どこぞの『氷』ほど特殊な家庭環境に育ったわけでもなく、事前に家族を生贄に捧げられていたわけでもなかった。

美佳には、この世界で英雄にも、ましてや『魔王』にもなるべき必然性がなかった。


ただ、美佳は一般的な日本人として善い意味で……若干悪い意味に片足を触れる程度でのお人好しでもあった。

かつてカイラン大陸北部に存在した小国、疫病の発生で滅亡寸前に陥っていたその王国の宮廷魔導士に召喚された美佳は、中世以前とほぼ同レベルだったその国に現代日本の公衆衛生の概念、例えば上下水分離や水洗トイレ、あるいは感染や消毒など基礎的な医療知識、さらには栄養の概念を持ち込み、これを鎮圧する。

……どうせ日本に帰るのだから、この世界での功名なんてどうでもいい。

俺からすれば個人的にも感謝したいイノベーションを、そんな勘違いから無名のまま成し遂げた美佳を待っていたのは、しかし現実には帰還手段がないという恐る恐るの謝罪と、「大精霊様なら何かを知っているかもしれない」という極めて無責任な提案だった。


不幸だったのは……あるいは幸いだったのは、美佳に魔力も武力もなく、逆に現代日本人として平均以上の倫理観があったことだろう。

手打ちを拷問と人体実験ではなく支度金と道中の護衛で納得しエルベ湖へと向かった美佳は、そこで当時の水の大精霊マゼルと邂逅する。

ここで間違いなく僥倖だったのは、マゼルがアイザンや俺とは異なり人間に好意的な大精霊であり、美佳の嘆きに真摯に耳を傾けてくれたことだ。

……自分はその方法を知らないが、配下の上位精霊には遙かに永くを生き、『創世の大賢者』や『最古の大精霊』と面識がある者もいる。

かくして、美佳は特例的にシムカとの契約を許され、冒険者ミカ=アゼノとなった。


水の上位精霊筆頭シムカの契約者にして、常識に囚われない魔導を操る『水鏡』ミカ=アゼノ。

望まずとも英雄の領域を歩み始めた彼女が他の英雄たちと出会っていくのは、さすがに必然と言うべきだろうか。


試練を突破してフォーリアルと問答し、その森人エルフの青年としては革新的な思考からムーとの契約を許され。

そして、ネクタを出奔した『死森ししん』、カイン=カンノハ。


この時代においても極めて希少な高位の命属性魔導士であり、あらゆる死を遠ざけるという意味で。

しかし、結局その代価として要求される大金を用意するためには破産に追い込まれるため、関わればいずれにせよ死ぬことになるという意味で『冥王めいおう』と称された間森人ハーフエルフの少女、トーヤ。


未だアーネルによる統一がなっておらず戦乱吹き荒れるカイラン大陸で出会った3人は、無数の騒動といくつかの伝説、ややいびつな三角関係を作り上げながら、まずは土の大精霊ガエンとの面会を求めてサリガシアへと渡る。


今は滅んだ『翼』の王家、エフ家の嫡子にして土の上位精霊筆頭アレキサンドラの契約者。

そして当時は44国450家が競い合っていた獣人ビーストに平穏をもたらすことを望んでいた『十翼とよく』、ファルリース=エフ=フォイエ。


この若き獣人ビーストの王子との出会い……というかトラブルが解決したタイミングで、ミカたちは1483年という時代と、1人の少女を迎える。

エルダロン大陸に存在する4つの国の1つ、トレイダ王国の王女。

風の大精霊クラシナに気に入られ、上位精霊筆頭コチとの契約を許された『白雲しらくも』、ウィズランテ=ラー=トレイダ=エルダロン。


当時において世界最強の風の魔導士であったウィズランテからもたらされたのは、たった1人の魔人ダークスが隣国サルダートの半分近くを滅ぼし、さらには全世界へ宣戦布告したという常軌を逸したものだった。

が、それから数日もしない内に、それが冗談でも妄想でもないことが冒険者ギルドから、サルダート全焼と全世界の火の上位精霊が契約を破棄し消失したとの報と共に各大陸へ通知される。


世界が、滅ぼされようとしている。


幸か不幸か、そのときミカはウィズランテと出会い、そしてエルダロン大陸からは目と鼻の先のバルナバ、サリガシア大陸最南東の都市にいた。





「……ねぇ、シムカ?」


「何です、ミカ?」


エルダロン大陸北部、エルダロン王国。

昇りつつある日の光に照らされ徐々に白くなっていく地面から視線を上げながら、ミカは傍らに佇むシムカに声をかけた。

サリガシアに比べればはるかにマシとはいえ、エルダロンのほぼ最北端ともなればさすがにまだまだ寒い。

分厚いコーソンの毛皮の上に座っているものの、ミカの体には地面からの冷気が伝わりつつある。


既にエルダロンの地図から、サルダート、トレイダ、フランドリスの3国は焼失していた。

サリガシアから渡った時点で唯一無事だったエルダロン王国と、ギリギリで2つの都市だけ残していたトレイダ王国。

そこからこの場所、エルダロン最北の城塞都市ウィンダムに追いやられるまで数ヶ月を要したのは、ミカたち『五大英雄』と冒険者、各国の生き残りたちの決死の時間稼ぎが実ったから……ではない。

単に、『浄火』の侵攻速度が……。

単に都市の中枢を押さえて陥落させるのではなく、人1人どころか鼠1匹に至るまで焼き尽くす徹底的なその行動に、時間がかかっていたからだ。


巨大な城塞都市とはいえ、全ての避難民を、大陸全土からのはずのそれを収容できてしまっている。

南の城壁の上から見下ろすその事実にあらためて戦慄しながら、ミカは白い溜息をついた。

……もう1度テントに戻って、カインの腕の中であたためてもらうべきだろうか。

一瞬浮かんだそんな迷いを、しかし先程お互いに終わらせたはずの覚悟で透明に上書きする。


「……『浄火』の目的は、何だったんだろう?」


少女から英雄の瞳へと戻された黒色は、明けの光に輪郭を白くする相棒の顔に向けられた。


「……」


ただ、この時代のシムカにその答えを返すことはできない。

純粋にシムカには、というかミカを含むこの世界の全ての住人たちに対して、ライズがそれを説明することがなかったからだ。


「勝てるかな……私たち」


「……」


同様に、その問いに答えることもできない。

エンキドゥを筆頭に火の全てを麾下に置いたあの魔人ダークスは、目にした範囲だけでも軽く数百万人を殺し、さらにそれ以上の人数を殺せるだけの魔力を維持している。

千年以上を生きてきたシムカにとっても、そんな存在の記憶は『創世の大賢者』くらいしか、世界を創った者くらいしか比肩するものがなかった。


「……こういうときは、嘘でもいいから『できますよ』って言うべきじゃない?」


「嘘はよくない、とわたくしに言ったのは貴女あなただったと思いますが?」


「言ったよ? 言ったけどね?

でもさ、わかるでしょ? 空気読もうよ」


「それは、『嘘』の範疇なのでは?」


「人間的には、そういうのも必要なんだよ」


「非効率な生き物ですね、相変わらず」


「……まぁね」


が、そんなシムカの実直な答えに、ミカは不服そうでありながらも笑顔を浮かべていた。

エルベ湖で出会って以来、3年に満たないとはいえ繰り返されてきたやりとり。

この上位精霊は多少不器用ではあっても、それが真面目さゆえのものであることをミカは知っている。


「ねぇ、シムカ。……お願いがあるんだ」


そして、ひどく優しいことも。


「もし、私が死んだら……、……もう、誰とも契約しないでほしい」


「……なぜですか?」


「私がいたことを、ずっと覚えていてほしいから」


笑顔のまま。

見かけはその表情のままに視線を前に戻したミカを、シムカは不変の表情のまま追いかける。


「もうね、それでもいいかなって……今は思えるんだ」


苦笑いのようなミカの瞳には、テントから出てくるカインが映る。


「……うん、それでいい」


「ミ……」


シムカの返事を待たずミカが立ち上がると同時に、世界は金色に染まった。

地平まで広がっていく夜明けの下、城壁の外には100万に届こうかという軍勢の姿が照らしだされる。

エルダロン全土の戦える男女に、一時的にガエンと契約したファルリースとウィズランテがサリガシア全土を説得して回ることで集めた400家以上の獣人ビーストの戦士たち。

カイラン大陸から派遣された各国の騎士団に、数が少ないものの決戦級ばかりの森人エルフの魔導士たち。

そして、世界全体からこの地に渡ってきた冒険者たち。

エルダロン大陸が犠牲になる時間を使って終結した連合軍の上を、4つの巨大な影が舞う。


『水竜』シーロン。

『木竜』ヒガン。

『風竜』ハーシュ。

『土竜』ヤルググ。


「あ、もちろん勝ったら今の全部なしだからね」


「……わかりました。では……勝ちましょう」


「うん……、そうだね!」


実直に空気を読んだシムカに笑いかけるミカの隣にカインが並び、その後ろでムーが小枝から実体化を始める。

アレキサンドラを伴ったファルリースが走ってくる後ろからは、赤い顔で服を整えながらのウィズランテが続いた。

その反対側からは、肩にクラシナを留まらせたトーヤがマイペースに梯子を登ってくる。


『水鏡』。

『死森』。

『十翼』。

『白雲』。

『冥王』。


『五大英雄』たちと100万人の連合軍の視界に入るのは、地平の上の赤い光。

視力云々ではなくその莫大な魔力が、否応なくその正体を英雄たちに宣言する。


巨大な赤竜にして火の大精霊、エンキドゥ。

それに影のように付き添う、『火竜』ディスロフォ。

その下の大地を滑るように移動してくる、筆頭のデュミノ率いる火の上位精霊たち。


そして、エンキドゥの頭の上。

トーヤよりも幼く見える赤毛の少年、『浄火』。


「「……進め!!!!」」


地割れのようなときの声と共に、100万人が一気に動き出す。

城壁の前に降下してきたそれぞれの霊竜たちの背を目がけ、ミカたちが飛び降りる。

『浄火』の攻撃力の前に、籠城など無意味。

ただ、大軍をもって削り続け、そして削り切るのみ。

連合軍の全員が最後の誰か1人のために走って行く先で……白い点が、輝き出す。


火属性超高位魔導【闢火コル】。

凝集に凝集を重ね100万度まで達した炎を炸裂させ、周囲一帯を塵へと変える超大規模魔導。

大半が光や音に変換されることを差し引いても残る熱と衝撃で都市1つを滅ぼし得る、全属性全魔法において最大の破壊力を持つ炎熱の極み。


天に向けられた『浄火』の腕の先の光、それこそ『創世』の神話の中でしか登場しないような死の予感を視認しながらも、しかし勇者たちは動きを止めない。

高位魔導士や上位精霊たちは水属性や土属性による防壁を展開しながら、魔導士でない者は手持ちの盾を掲げて吶喊とっかんし、『浄火』たちを矢弾の範囲に捉えようとする。


防御に徹したところで、絶対に勝てない。

この一撃で連合軍の大半が死ぬことを理解した上で、ならば後続の人間たちのためにできることを少しだけでもやっておく……。


闢火コル】に巻き込まれないようディスロフォと火の上位精霊たちが退避したこともあり、ようやく連合軍先頭の攻撃がエンキドゥに届き出す……が、その全ては深紅の鱗に触れる前に蒸発する。

それでも、攻撃の嵐は止まない。

数千以上の高位魔導、数万以上の投槍、数十万以上の矢はついにエンキドゥを押し止め、その背で炎を集め続ける『浄火』にも一部が届き始める。


4つの巨大な影。

霊竜に分乗した『五大英雄』がそれぞれ必殺の高位魔導と共に突っ込む後ろから、命属性の強化を何重にも受けた歴戦の獣人ビーストたちが空へと駆け上がる。


……届く!

闢火コル】が発動する前に、人間たちの刃が先に届く!!


「……」


そんな連合軍の興奮を……しかしこの場で唯一史実を知る俺だけが、静かに受け流していた。

……背後からプレッシャー、迫るのは青。

が、中空で腕組みをしたままの俺の体は、ミカが振りかざす氷の刃、どころかその腕、傍らのシムカやシーロンの巨体すらも何事もなく通過させていく。

まるで、そこには何もないかのように……実際にミカたちからもライズからも一切知覚……というか干渉されることのない体のまま。

俺はこの場で唯一の傍観者として、ただずっとライズの微笑だけを凝視する。


「……!」


そして、紫。


生身で直視すれば視力を失いかねないほどの、烈光の中心。

ミカの刃が届く寸前で、その幼い微笑は確かに硬直していた。

全身を何重にも覆う紫と白の光に、おびただしいまでの数の黒い鎖のような影。

俺が知るそれよりも、はるかに濃密な【異時空間転移パールポート】のそれ。


「!!!!」


が、ライズは即座に決断する。

ようやく制御しきった【闢火コル】に、あろうことか自身の魔力をさらに注入。


「……え?」


結果、ミカの刃が届く前にライズは光に飲み込まれ、エンキドゥの頭上には数百万度の熱とデタラメな魔力に破裂寸前の太陽だけが残る。





……そして、爆発。





ウィンダムの半分だけを残して、純白の世界に色が戻る頃。


そこには、もう誰も存在しなかった。

















「終わったわね」


「……ああ」


硬い背もたれの感触に、無機質な風景。

意識をエルダロン北部から「この場所」へと戻した俺の隣では、茶髪の少女が同じ形の椅子の上で頬杖を突いている。





時の大精霊、マキナ。





その横顔には、この語られることのない物語を観終わって……。


「あー……、……疲れた」


……特に、何の感動も浮かんではいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ