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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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アナザー・エール 風一陣 前編

かわいそう。

わす


ドロリとした闇の中で、わたしが初めて認識したのはその言葉だった。


「レイダ様もおかわいそうに……。

まさか、初めての御子おこがこのような忘れ子だなんてねぇ」


「しかも、このお姿と魔力……。

ちまたでは『こうとの御子ではないのではないか』なんて、変な噂まで……」


「……流石に、その辺でやめときなさい。

誰かに聞かれでもしたら、首が飛ぶわよ」


「ハッ、まだ言葉もわからない忌子いみごの前で、何を怖がってるのよ」


空気が悪い。


「……ああ、どうされましたか、フリーダ様?」


息がつまりそうだ。


「泣くわけでもないし、ぼんやりこっちを見てるだけ……。

体のことはかわいそうだとは思うけれど……、……本当に気持ち悪いわ」


だけど、とりあえず。

わたしは「かわいそうな忘れ子」であるらしい。





フリーダ=ウェイブ=トレイダ=シスワ=エルダロン。

その長ったらしい自分の名前を知るはるかその前に、ボクはそう呼ばれていた。

















今となればそもそもの話、まずもっての原因はエルダロン皇家こうけの極端に狭い血縁が問題だったのだと思う。

兄と妹、姉と弟、甥と叔母、あるいは伯父と姪……。

刻まれた線を風で読み取って出てくるのは、限られた血族同士の婚姻でいびつに繋げられた将来性のない家系図だ。

ボクの前にあるブライとレイダの名前にしたところで、関係は夫婦である前に兄妹でもある。


血を守り、強い皇を成すため。


言葉だけを見ればそれなりにスマートなその理念は、しかし結局のところエルダロン王家の血を泥のように澱ませただけにすぎなかったのだろう。

馬の交配の面倒をみる老いた牧場主に話を聞きに行くまでもなく、そもそも自然の摂理に反していたのだと思う。

あるいは、何かを守るとはきっと何かを守らないということなのかもしれない。

千年以上前から細々と続く皇家の歴史の中、おそらくは何人もの「忘れ子」が生まれて死んでいったはずのその果てに生まれたのが、つまるところボクこと「かわいそうな忘れ子」だった。


ただ……、……まぁボク自身としてもそれについては中々否定しづらいものがある。


目はほとんど見えない。

肌も髪も色をつけ忘れたかのように白い。

その肌は、日に当たれば火傷のように赤く腫れる。

トドメに、膝から下の足がない。


野生の動物なら、生まれたその日に死んでも仕方がないような「忘れ子」ぶりだ。

実際、動物まで行かずとも市民の間にボクが生まれていたならば、死産ということにされたか早々に捨てられていたと思う。

それでもボクがこうして自分語りをする余裕があるのは、澱んでたとはいえエルダロン皇家に生まれたからだろう。

そういう意味では、まぁボクは幸運だったのかもしれない。


……ただ、ボクを生んだレイダ、つまりは母にとっては、ボクを生んだことは不運中の不運としか言いようがなかった。

皇の正妃という誰よりも嫡子の産出を求められる立場にありながら、フタを開けてみれば「かわいそうな忘れ子」。

しかも、約10万と「皇としてそれなり」の魔力を持っていた現皇ブライとの間にできたとは思えない、当代桁外れの化け物じみた魔力を持つ赤ん坊……。


正妃としての器に問題があったのではないか?

母として努力が足りなかったのではないか?

そもそも、本当に由緒ある皇家の血を継ぐ現皇との子なのか?


憐憫の奥でぶつけられる声なき非難、音にならない疑念は、レイダに己の娘への忌避と憎悪を抱かせるに充分だった。

同じく、ブライもボクに戦略兵器としての価値は見いだせても、長女としての愛情は覚えられなかったらしい。


そんなわけでボクが、どうやらわたしは両親からも周囲からも愛されていないらしい、と巨大なベッドの上で理解したのはおおよそ生まれて3ヶ月くらいのことだ。

これが人間の子供としては異常に早い理解力だということを知るのはその少し後のことだけれど、幸か不幸か、当時のボクは薄暗い闇と乳母と世話係の愚痴の中でそれを悟れてしまっていた。


風属性中位魔導【音届リーヴァ】。


契約詠唱など知らずとも、ボクの圧倒的な魔力は生まれた時点からボクの耳に半径数キロに及ぶ聴力を与えていた。

日々交わされる無数の言葉の嵐は、部屋どころかベッドから一歩も出ないままにボクに容赦なく世界を叩きつけてきたのだ。


……そう言えば、この頃からボクは自分のことを「ボク」と称するようになったんだっけか。

とは言っても、「せめて皇子だったなら」という誰かの溜息を律義に参考にしたのが、未だに癖になってしまっているだけなんだけどね……。


……まぁ、それはさておき。

とにもかくにも、「かわいそうな忘れ子」、「忌子」、「足なし」……。

それが世界や一般的な家庭構成の中でどういった層にカテゴライズされるのかという現実を嫌そうに飲まされる母乳の味と飲み下しながら、ボクは他人から見れば静かな時間を過ごしていた。





ボクがそれを破ったのは、おおよそ生まれて半年くらいがたった頃だ。


「ねぇ、スートラ……、……フリーダ様はまだ半年くらいのはずよね?」


「じゃないの?」


きっかけはどうということもなく、当時の乳母のパピと部屋付へやつきのスートラがいつもの愚痴を交換し始めたことだった。


「そのくらいの子供が、私たちの話を理解してるなんてこと……、普通あり得ないわよねぇ?」


「いや、アタシに聞かれても知らないわよ。

子供だっていないのに、わかるわけないじゃない。

だいたい、そういうのは乳母のアナタの方が詳しいでしょうよ?」


「何だか、フリーダ様は周りの話がわかってるんじゃないか、って思うのよ……」


「……気持ち悪いこと言わないでよ」


ちなみに、ボクがこの日に限って言葉を発することにしたのは、単にようやく口や舌を上手く動かせるようになったからだ。

別に復讐心が芽生えたからとか、我慢に限界が来たからとかじゃない。

むしろ、ボクは「かわいそうな忘れ子」の世話を命じられている2人に心の底から同情していた。


「本当、やめてくださいよね。

ただでさえ、毎日この部屋にいるだけで気がめいるっていうのに。

せっかく皇家にお仕えすることになったのに、これじゃアタシの将来真っ暗ですよ」


「私だって、そうよ。

何が悲しくて、こんな『忘れ子』の面倒を見ないといけないんだか。

どうせ皇になれるわけでも、どこかに輿入れできるわけでもないんだから……」


「そんなに嫌なら、別に来なくてもいいんだよ?」


「「!?」」


だから、硬直したままこちらを見下ろすパピとスートラに発した声は、ボクの純粋な親切心からだ。


「ボクみたいな『かわいそうな忘れ子』は気持ちが悪いんだろう?

無理をする必要はないんだから、もう明日から来ないでもいいさ」


「……!!!?」


しつこいようだけれど、これは本当にボクとしては善意のつもりだった。

ボクに関わることがそんなに嫌なのなら、違う道を歩んだ方がパピとスートラにとっても善いことだろうと思ったからだ。


……ただ、ボクにとって誤算だったのは。


「何事ですか、これは!?」


そのボクの声が半径1キロの全ての人間に届いていて。


「君たち近衛もだよ。

ボクの担当に命じられたのは『最低の貧乏クジ』なんだろう?

別にボクのことなら守らなくてもいいから、他に行きたまえよ」


「「……!?!?」」


その次の声は、半径10キロまで響き渡っていたということだった。


風属性高位魔導【台天鐘ジョア】。


生まれて初めてボクが発した親切心は、残念なことにパピとスートラ、二人の近衛を合わせた計4人の人生を断絶させる一言だった。

アイクロンどころか、ウィンダム全域まで広がった声をなかったことになどいかに皇の力を持ってしてもできるわけがない。

その日の夕方になる前には、4つの首が中庭の地面に転がることになった。


当のボクはと言えば、空前絶後の不敬罪の告発からその後始末の瞬間まで、やっぱりずっとベッドの上で1人だった。

父が慰めに来ることもなく、母が抱き締めに来ることもなく、まるでこちらも斬首を宣告されたかのように顔面を蒼白にした新しい乳母と部屋付メイドが部屋の隅で震えているだけだった。


ただ、一方でボクもまた震えていた。

自分が持つ魔力の大きさと同時に、皇女という自分の権力の大きさをボクは自分の言葉に実感させられたからだ。

四人が泣き喚く怨嗟の言葉よりも、ウィンダムで囁かれるボクへの恐怖の言葉よりも、ボクは自分自身が発する言葉の力の方が怖かった。


声姫こえひめ』。

誰かがボクをそう称したのとは反対に、ボクはそれから一言の声も口から外に出さないようにした。





それから2年以上が経っても、ボクはベッドの上で闇に包まれていた。

必要なくなった乳母と部屋付はほとんど言葉も交わさないままボクの前から去り、代わりにあてがわれたのは2人のメイド見習いだった。

ディアとキティ。

10歳にもなっていないだろう2人をボクに当てたのは、子供ゆえにボクへの拒否感がないからということらしかったけれど、だからと言ってボクたちが打ち解けるようなこともなかった。

むしろ、一生懸命ボクの世話をしてくれる2人をどこかで間違って死なせないように、ボクはより一層固く口を閉じた。


ブライとレイダの仲も似たようなものだった。

側妃を増やし「まともな世継ぎ」を残そうと必死な現皇に、アイクロンを抜け出してはどこぞの伯爵と逢瀬を重ねる正妃。

文字通りの風の噂から聞き取る2人の目にボクのことなど映ってはいなかったし、たまにボクへの嫌悪を口にする以外はボクの話など耳に入れたくないようだった。


そして、それをベッドから動けないボクが知っているということは、歩きまわれる「まともな人間」ならもっと簡単にそれを知ることができるということだ。

「かわいそうな忘れ子」、「忌子」、「足なし」……。

憐憫に忌避に憎悪にと様々なものが混じり合った声を、ボクは両親に対する間接的な評価としても聞き続けた。


……ずっと、聞き続けていた。


喉が震え、空気を伝わり、鼓膜を叩き、それを頭で理解する。


一歩も歩けず。

外に出られず。

光もわからず。


窒息しそうな闇の中で、ボクはただ黙ってそれを続けていた。


全てが聞こえてはいたけれど、何も見てはいなかったし見たいとも思わなかった。

ボク以外の全員がいるはずなのに誰もいない闇の中で、それでもボクは耳を澄ませ続けることしかできなかった。





フリーダ、と。





憐憫の。

忌避の。

憎悪の。


その何もない。


「かわいそうな忘れ子」でも。

「忌子」でも。

「足なし」でも。


そのどれでもない。


フリーダ、と。

ただ、そうボクの名前を読んでくれる誰かの声を探して、ボクは耳を澄ませ続けた。


世界中の声を聞いて、世界中からその声を探した。

















【やぁ、……君は面白いね】


「……誰だい、君は?」


そんな日々の中で、その声はボクを包む闇に容易くヒビを入れた。


【私は『風』さ。

この世界で誰よりも透明で、誰よりも『自由』な存在だ】


「自由……?」


その声は確かに透明で、そして軽やかで楽しそうだった。


【そう、自由だ。

私はどこにでも行くことができるし、どこにでも在ることができる。

世界中の誰の声を聞くこともできるし、誰に声を届けることもできる】


「…………それは、素晴らしいね」


そして、何より。


【何を言っているんだい、フリーダ?】


「……!」


その自由な声には、ボクに対する憐憫も忌避も憎悪も込められていなかった。


【君は、私と同じくこの世界で……】


「!!!!」


その瞬間に、ボクの周りの闇は白い光に変わった。

部屋の中から外へと爆発したアイクロンの壁から飛び込んでくるのは、小さな小さな嵐。

胸の奥が痛くなるほどに新鮮で、清々しい空気。

轟々と渦巻くその中心では、光をそのまま鳥の形にしたような白い小鳥が翼を広げる。





【誰よりも、自由になれる者だ】





それが、ボクがレムを。


そして、光と風を。

自由を、知った瞬間だった。

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