天に降る光
「ニャハハ」
後方10メートルから、際限なく生成され続ける水。
俺の背後から後光のように噴出する秒間4千トン、ダムの放流並みの波濤は一直線にエレニアに向かうが、それはそこで何かにぶつかる。
地面を押し流さず二手に分けられた濁流は上方、すなわち「空」へと跳ね上げられ、そのまま放物線を描いて数十メートル先の溶岩地帯に激突した。
シクネクロに寄生されゾンビとなった獣人と炎上するパリオン、それに応戦する獣人たちは水蒸気爆発に巻き込まれ、飛び散る熱湯と凝固した溶岩の白黒の雨に吹き飛ばされる。
「それで、ウチの接近を防ぐつもりかニャ」
土の遮壁を作り出す【土盾壁】ですらなく、部分的な重力操作による波濤の「後方への落下」と「空への落下」による防御。
にも関わらず弱まる気配のない大水流の中で、エレニアはニヤリと口元を歪める。
「流石だな」
「……ハッ、そうやってくだらないことをやりながら……」
それに対する意趣返しを鼻で笑い、眼前の大精霊は左手で茶色の耳をかく。
が、金色の瞳がにらむのは、周囲をどんどん水浸しにし続ける瀑布の中の『魔王』。
「別の方向から一撃必殺の手を躊躇いなく打つのがお前のやり口……、……ニャッッッッ!!」
白く、爆発!!!!
遅れて襲いかかる衝撃波と爆音を【氷鎧凍装】で遮りながらも、俺は視線を爆心地から離さない。
……いや、それは爆心「点」と表現すべきか。
「ほら、やっぱりそうニャ?」
上空2キロから直下に放った、【氷艦砲】。
クロタンテやヴァルニラの港を破壊した戦艦主砲の一撃を拳一つで粉砕したのは、全身をオリハルコン化させたエレニアだ。
クレーターと化すはずの地面に干渉し震動すらさせない余裕を見せながら、その全身が大きくたわむ。
地面を蹴り、一気に加速……。
「ニャぶッ!?」
したところで、ベジャッ、と盛大に転倒。
「……ニャ?」
泥まみれになった金色の瞳は、自分の右足が腿まで地面に埋まっているのを見て丸く開かれた。
底なし沼。
水ならば浮き、土ならば上に立てるはずの人間が際限なく沈んでいってしまう、冒険ファンタジーで定番の恐怖の泥沼。
流砂とも呼ばれるその正体は、水分を含んだことで流動性が高くなった土が液状と化す自然現象だ。
土は水よりも比重が大きく、すなわち重い。
これに嵌った人間が脱出できなくなるのは、水とは比較にならないその重量を持ち上げられないからである。
ただし、本来液体でもない土や泥において流動性というのはそう簡単に高くなるようなものではなく、必然、底なし沼など通常は発生しない。
雨の公園の砂場で溺れたことがあると言う人間がいるなら少し考えなければならないだろうが、その証言こそファンタジーだろう。
あるいは、常時大量の水にさらされているはずの海底であっても発生しないような現象であると言えば、感覚的に納得してもらいやすいと思う。
が、実はこのファンタジーは現世の、それも都市部でこそ起こることがある。
すなわち、地震による地盤の液状化現象だ。
バケツに土と水を入れると泥水ができ上がるが、やがて土は沈殿し水が上に分離する。
雨の日の砂場や海底に人が立てるのは、この沈殿した土が地盤として成立しているからだ。
そして、地下水がある地盤とはこれを上下逆さにしたようなものだと思ってくれればいい。
水は確かに存在するがそれと接してはいても完全に分離し流動しない層があるため、人間どころかビルやマンションを建っていられるのである。
しかし、バケツをかき混ぜれば土と水はまた泥水に戻ってしまう。
言わば、固体から液体への変化。
これこそが、底なし沼であり液状化現象の正体だ。
地震の振動によりかきまぜられた地盤と地下水は流動性の高い泥水となり、その上にある全てを沈めてしまう。
すなわち、地盤に流動性を与えるのは水分と震動なのだ。
今、エレニアの足元で起きているのはこれを部分的に再現したものだ。
オリハルコン化し人間ではあり得ない体重となったエレニアの右足の下の地面、そこに波濤の水の一部を浸透させ、振動。
局地的に地面を液状化させ底なし沼とすることで、俺はその足を捕らえたのである。
水分を操ることで引き起こすのは、掟破りの大地への干渉。
水と土だからこそ起こり得る、悪趣味な災い。
【流土】。
それは、見下ろすものからの裏切りだ。
「くだらんニャ!」
とはいえ、仮にも土の大精霊、当代の大地の支配者たるエレニアにこんな小手先でダメージを与えられるわけがない。
事実、エレニアを拘束できたのはわずか2秒。
虚をつかれ、状況を把握し、地面に干渉し、足を引き抜く。
そのアクションをとらせるだけの、たった2秒だけだ。
「ソー……ニャア!?」
が、俺が欲しかったのはその2秒だ。
「流石、いいリアクションだ」
オリハルコンのまま、体を起こしたエレニアが見たのは周囲全周から襲う大量の水!
ひたすら放出し続けていた波濤の分に加え、周囲の地面を浸した分、地面に染み込んだ分、さらには【氷艦砲】の後上空で生成しておいた水と、とにかく半径2キロに存在する全ての水を俺は一気に集結させる。
【氷鎧凍装】をまとう俺と、唖然とするエレニア。
そこから半径百メートルは半球状の水のドームに覆われ、まるで海底にいるかのような光景となる。
「……!」
エレニアが慌てて重力を操作するが、周囲全てが水のため水流が発生するだけで意味がない。
さらに水が流れることによって発生する流れの力と浮力は重力とは異なる発生源の力であるため、エレニアの支配を受け付けない。
地面を蹴り俺への距離を詰めようとするが、その間に存在するのは空気ではなく水。
抵抗と超重量によりエレニアの動きがスローモーションになる一方で、俺は水中移動能力を使ってさっさと距離をとる。
【重王創爪】対策は、以上で終了だ。
「……」
「……」
都市部中心での、まさかの水中戦。
派手な【氷艦砲】も【流土】という奇手も、全てが布石。
ただし、俺が狙ったのは一撃必殺の手ではない。
盤面変更による、ゲームのルール変更だ。
「……!!」
さらに、地面と接する水が全て氷結。
眷族たる地面からエレニアを切り離し、続けてドームの表面も全て氷結させる。
中にいる俺を倒さない限りは、脱出も侵入も不可能となった氷中の水牢。
周囲で戦うヒエンやムーたち、エルダロンのことも考慮してかなり小規模なものにはなってしまったが、いずれにせよこれでエレニアは行動不能だ。
後は、このま……ま?
「……!?」
「……」
俺の全身に悪寒が走ったのは、オリハルコン化したエレニアが俺と同じ表情でニヤリと笑い、口を動かしたから。
すなわち、「流石ニャ」と。
「!!!!」
次の瞬間、エレニアを中心に黒が爆発する!!!!
水を押し退け、氷の壁に激突し、氷の床に突き立つのは……全てがオリハルコン!!
常識ではありえない巨大体積の出現によって爆発的に水圧が増し、それでも収まらない質量の増大が絶対の氷を軋ませる。
慌てて水を消失させ減圧するが、間に合わない!
「ク、ソ!」
半径百メートル内の全てがオリハルコンに制圧され、さらに物量を増す絶対金属がついにドームの体積をオーバー!
物理的に限界が訪れ、氷の殻を粉砕し周囲一帯に氷雨を降らせながら巨大オリハルコンが孵化する。
伸び上がるのは12本の首と、その先に連なる……12の獣の顔。
「大獣……?」
ウルスラの言葉から連想したそれは、さらに巨大化を続けて翼や尾、足を広げていく。
7本という中途半端な数の足は、その1本ずつがアイクロンよりも大きい。
それが支える胴体は100メートルにも及び、廃墟となったエルダロンに巨大な影を落としている。
さらに、胴体からは50メートルに達する翼が10枚も伸び、150メートルの尾が11本。
やはり100メートル近い12本の首の先には2本の角と4枚の耳を持つ獣の顔が並び、金属の瞳が周囲全てを睥睨する。
全長350メートルに達したところで成長を止めた漆黒の巨獣は、確かに神話のごとき威容を誇っていた。
それが……。
「!」
霞む!
12本の首は矢が射出されるように地表に激突し、そのまま俺めがけて12の口で襲いかかる!
途中、高速で動く巨大オリハルコンという超質量に触れた家屋は、その材質を問わず一瞬で爆散。
12の大通りを作りながら向かってくる12の獣面に対し、俺は正面からの防御を即座に断念し自分を中心とした5メートルほどの氷山を作り出す。
「う、お、お、おおおおおおおおお!」
受け流すための斜面を削りながら、次々に首が通過!
地盤を砕き余波で周囲の家屋を粉末に変えながら、黒い奔流が次々に通り過ぎる。
あの『海王』の足のひと振りにそれぞれ匹敵する連撃に全身を震動させられながら、しかし俺はそこで硬直。
「……!」
【水覚】に映る獣人たちが一気に散開し、ヒエンに追われたままヤルググも急速離脱。
当然のごとく、アレキサンドラたちも姿を消す。
状況を悟ったムーたちも実体化を解き獣人たちを追うと同時に、前方で黒い嵐が発生!
首と尾を伸ばしたまま全身を旋回した大獣によって、直径350メートルに存在する全てが薙ぎ払われる!!
建物、瓦礫、死森兵、パリオン、獣人の死体。
その全てを触れるだけで塵に変え、『世界最大の都市』の中には砂漠一歩手前の荒れ地ができあがっていた。
「ニャハハ」
こちらを覗き込むように降りてきた1つの頭の口が開き、舌の上ではエレニアが腕組みをして笑っている。
「さっきのは驚いたけどニャ、この【創大獣】も中々ニャ?」
「……まぁな」
得意げな金色の瞳に、それを見上げる俺の声は苦々しい。
「さて、ソーマ。
……この5億トンを超えるオリハルコンの塊、たかが水でどうやって討ち滅ぼすニャ?」
「……」
そう、そこなのだ。
確かに12の首と11の尾がある七足獣というのは動物としてあまりに特殊な形状ではあるが、問題なのはそこではない。
これが、【白響剣】や【氷艦砲】といった俺の攻撃で傷つけることのできない、オリハルコンの塊であることが問題なのだ。
巨大でも生物ではあった『海王』は【発華】で押し潰すことができたが、中身までオリハルコンのこれにはおそらく無意味。
同量の水をぶつけても、転倒させるのが関の山だろう。
……いや、そもそも【発華】にせよ5億トンの水にせよ、使った段階で先にエルダロンが滅亡してしまう。
また、金属の塊である以上は毒を主体とする木属性の攻撃も無意味だ。
巨大な植物で縛り上げるという手もありそうだが、俺が知る最大の植物であるフォーリアルが40メートルほどでしかないことを考えれば、これをどうにかできるとは思えない。
となると、唯一可能性があるのは【神為掌】だが……やはり、この質量全てのイオン化は不可能だ。
……しかし。
「……それでも、お前は……その表情を、できるのニャ?」
「……」
俺は、唇をつり上げた。
危機感を覚えたエレニアが獣に飲み込まれおそらくは胴体に移動するが、それを追うことはしない。
周囲には【白嵐】の前段階と同様に水気が満ちあふれ、再び生成された莫大な量の水が【創大獣】を包みこむ。
荒野と化した直径360メートル、高さ360メートルの円柱形の空間を満たすのは、3600万トンのただの水。
何かが起きる前に俺を撃破しようとオリハルコンの塊が動き出すが、もう遅い。
教えてやろう、エレニア。
俺が水の大精霊でお前が土の大精霊だからこそ、お前は負けるのだということを。
限界を超えた、水という物質の恐ろしさを。
液体である水は100度で沸騰し、気体になる……。
俺たちはまるで数学の公式のごとく不変の事実としてこの現象を受け止めているが、実際はそうではないということを知っているだろうか。
例えば、富士山の上での水の沸点は90度の手前だと言われている。
同様に、深海100メートルでの水の沸点は約180度だ。
気圧や水圧、すなわち圧力。
水に限らず物質の三態、すなわち分子の状態を決める条件には、それが大きく影響している。
これは、固体が分子のほとんど動かない状態であり、逆に気体は分子が自由に飛び回ることのできる状態であることを考えれば想像しやすいかもしれない。
人間は、上から他人に押さえつけられた状態で普段より高くジャンプすることができるだろうか?
水の状態は温度だけではなく、温度と圧力によって定められているのだ。
また、この温度と圧力には相関関係があり、水が液体であるか気体であるかはそれぞれの数値の関係で縛られている。
これは基本的には、水が高温になるほど液体に保つためには高圧力が必要、という図式であり、圧力が足りなければその水は気体へと変化する。
しかし、その右肩上がりのグラフは無限に続くわけではない。
摂氏374度かつ、圧力218気圧。
水が液体として保たれるのは、この条件が限界だ。
が、だからと言ってこの限界を超えたとき、その水は気体となるわけでもない。
世界のルールとしてあり得ない、液体とも気体ともならない物質に変化する限界。
この限界を臨界点と呼び……。
そして、これを超えることを超臨界と呼ぶ。
374度以上でも、218気圧未満なら水は気体になる。
218気圧以上でも、374度未満なら水は液体になる。
この限界で区別されていたこの世界のルールは、しかし温度と圧力が同時にそれを超えることでいとも簡単に破られてしまう。
超臨界水。
その正体は液体であり気体でもある、そして水であって水の限界を超えた超物質だ。
まずその物性であるが、これは液体と気体の2つの性質を合わせ持つものとなる。
一言で言えば「液体並みの濃さを持つ蒸気」であり、その分子は液体の高密度を保ったまま気体並みの運動を行っているのだ。
このため、超臨界水は液体並みに溶質を溶かすことができる上、気体並みに激しい化学反応を引き起こすことが可能となる。
さらに、臨界点を超えた後は温度と圧力をどれだけ上昇させても、超臨界水は気体や液体に変化しなくなる。
このため、超臨界水は理論上その物性を保ったまま、水分子が崩壊するまで温度を際限なく上昇させることが可能となる。
また、本来水は食塩など無機物を溶かすことができ油などの有機物を溶かすことができない物質であるが、超臨界水ではこの性質が逆転する。
これにより超臨界水に無機物を溶かすことができなくなるが、かわりにそれはあらゆる有機物を数秒で溶かしてしまう、生物にとっては最恐の液体へと変化する。
……が、ここで俺が超臨界水などという聞きなれない物質を持ち出したのは、オリハルコンを水に溶かすためでもその熱でオリハルコンを融かすためでもない。
超臨界水が、強力な酸化作用を持ちあらゆる金属を腐食させる物質だからだ。
大別すると、金属でできた物体を破壊する方法には3つがある。
1つは外的圧力による形状の変化、すなわち圧潰や切断といった、言わば分解による破壊だ。
俺の攻撃手段で行けば【氷撃砲】や【白響剣】がこれにあたり、最もシンプルな方法だと言える。
2つめは、温度による融解である。
氷が水となり水が水蒸気となるように、金属にも必ず液化する融点と気化する沸点が存在する。
融点で言えば鉄で約1500度、タングステンで3400度、全物質中最高の1つとされる炭化タンタルハフニウムで4200度……。
【神為掌】のようにその温度を作り出す手段さえあれば、いかに金属と言えど三態変化やイオン化からは逃れられない。
そして、3つめが酸化による腐食など、すなわち溶解だ。
おそらく真っ先にイメージするのが塩酸に金属板を付ける理科の実験だと思うが、鉄が錆びることや人間が硫酸で火傷をするのも溶解の一種だ。
また、理科に詳しい人間ならば王水という物質を知っているかもしれないが、これは塩酸と硝酸の混合物で通常の酸には溶けない金やプラチナすらも溶解することができる非常に強力な酸だ。
この王水に反応しない金属は、地球上にはイリジウム合金とタンタルというレアメタルくらいしか存在しない。
そして、超臨界水はそのイリジウム合金やタンタルすらも溶解させられる物質なのである。
「!!!?」
俺が【創大獣】を包みこんだ水は、250気圧相当の圧力をかけた上で摂氏3千度まで加熱した超臨界水である。
分解は不可能、融解も困難であろうオリハルコンの溶解を狙ったそれは、想像通りその漆黒の表面で激しく反応。
予想外の事態に【創大獣】が暴れる光景は、まるで動物が溺死する瞬間のようにも見える。
それは、水という物質の理の果て。
世界のルールさえ変えてしまう、水ならぬ水。
【解無】
それは、絶対すらも破壊する。
「……!!!!」
【創大獣】を包みこんだ霧のような【解無】は、その分子の運動性をいかんなく発揮し通常では考えられない速度で反応。
オリハルコンには無効なものの鉄であれば瞬時に融解どころか蒸発させられるほどの温度を持つそれは、瓦礫や死体を一瞬で無に還しながら漆黒の獣の表面を削り取っていく。
さらに、流れを与えられた【解無】は首や尾、足の付け根を集中的に攻撃し、その傷口からさらに周囲を溶解。
【神為掌】のプラズマとは異なりあくまでも水である【解無】は俺が支配可能なため、その包囲を乱さないまま内部で嵐を巻き起こす。
ここで、首が2本と尾が1本、2本の足が胴体から切断され落下。
エレニアも体内からオリハルコンを生成し修復を行っているが、どうやら【創大獣】の生成で魔力をほとんど使い切ったらしく絶対金属は徐々にその体積を減らし始めている。
もちろん、エレニアもこのままでは時間の問題であることはわかっているが、【創大獣】を解除したところで【解無】を防ぐ手段がないため現状以上の手が打てない。
アレキサンドラたち上位精霊を呼び出したとしても、超臨界水はそれを即座に溶解ないしは融解。
有機物であるヤルググや獣人に至っては数秒で塩のように溶かされ存在することすらできないため、外部からの救援も不可能だ。
俺が水を司り、エレニアが土を司るからこそ。
だからこそ、この水を破る手段がエレニアにはないのだ。
「……!!」
さらに4本の首が落ち、5本の尾が落ちる。
逆側の足が2本落されたことで【創大獣】は3本足となり、バランスが崩れたことで歩くことさえできなくなる。
続けて、3本の首と2本の尾が落下。
胴体を含めても最初の半分以下まで体積が減った漆黒の獣の姿は、もはや哀れですらある。
「……馬鹿が」
正しさと正しさ。
善と善。
あるいは、悪と悪。
俺とエレニアはどちらも正しくどちらも善であり、そして悪だった。
だからこそ戦い、強い方が勝つことになった。
「……」
だが、勝った俺はいったいこの戦いで何を得たというのだろうか。
エレニアを含めサリガシアの獣人を千人以上殺し……それが俺の。
あるいはアリスの、ウォルのためになるのだろうか。
エレニアは、何を失うのだろうか。
フリーダは、何を失ったのだろうか。
そして、魔人は……!?
「「!!!!!!」」
ただ、白!
突如発生した凄まじい光は【解無】の中の全てを純白に照らし、そして蒸発させた。
【氷鎧凍装】の表面、そして信じ難いことに溶け残っていたオリハルコンの表面すら融解させる炎は周囲一帯を吹き飛ばし……、……消える。
「ク、ソ……」
「ニャ……あ……」
たまたま同じ方向に飛ばされた俺とエレニアは、それぞれ仰向けとうつ伏せのまま立ち上がれない。
氷とオリハルコンをまとっていてさえ透過した熱は全身に火傷を作り、首を起こすのがやっとだ。
……とにかく、巨大な熱と魔力が込められた炎。
何の魔導なのかすらわからないそれを、外から叩きつけられたことだけはわかったが……。
それが、誰の……。
「ふふふ」
それは、笑っていた。
「ミレイユ……」
「お久しぶりですわー、旦那様」
黒というよりは闇色の長い髪に、いつもの扇情的なドレスとグローブ。
スリットから覗く足や露出した肩、美しい顔は血の気のない白い肌。
唇は、やはり笑顔。
そして血の色の、赤い瞳。
ミレイユ。
ウォルから失踪し、俺がエルダロンまで探しに来た魔人。
子供たちの先生で、ロザリアの師匠で、安定の領主代行で、アリスの親友で。
俺にとっても……信頼できる存在。
「大概にせよ、『愚者』」
「黙レ、『弱者』」
が、何もかもなくなった地面の上、その背後に並ぶのは俺が全く信頼できない存在。
テンジンと、チーチャ。
「ゴノ程度ノ縫包ニ手モ出ゼナイ癖ニ、姉様ヲ愚弄ズルナ」
赤い仮面に全身傷だらけの魔人は、そのまま首を起こしたエレニアに手を伸ばし……。
「チーチャか、ニャ……、……フリーダわ゛っ!?」
「……は?」
胸を、貫いた。
……いや、待て。
何が起こっている?
獣人と魔人はグル、だったはず。
エレニアがテンジンとチーチャを召喚し、フリーダを討たせたはず。
その代価に2人は俺の命を求め、エレニアは俺と戦っていたはず。
それが、何故エレニアを攻撃する?
「ふふふ」
ミレイユ、どうして俺の前にしゃがむ?
「旦那様、だから申し上げたのです……」
どうして、俺の胸に爪を立てる?
「次にお会いできるときは、どうぞ敵として……と」
どうして、お前は笑って……!
「ガ、ァッ……!!!!」
激痛と!
呼吸、困、難!!
服と皮膚を突き破ったミレイユの指は肋骨の隙間から心臓に触れ、それに爪を立てる。
痛みというより熱さのような体の痺れと、……寒気。
【吸魔血成】で大量の血液が奪われているのが、感覚で、わかる。
「チーチャ、死なせてはいけませんからね?」
「勿論ワガッデオリマズ、姉様!」
この光は【治癒】か?
エレニアを助けるための?
どうして死なせてはいけない?
チーチャがミレイユに従っている?
ミレイユ。
どうして子供たちを裏切って。
アリスを泣かせて。
俺を貫いて。
どうして。
どうして。
どうして……。
「……お前は、笑っている!?」
「!」
ミレイユの指が体内にあるまま【精霊化】し、強制的に増血!
驚いた表情のミレイユが身を引くが、起き上がり赤く汚れた指を掴む方が早い!
「ミレイユ、説明しろ!! これは何の真似だ!?」
「……」
その笑顔は何だ?
その、泣きそうな笑顔は何だ!?
「答えろ、お前は何をしていた!? これから何をするつもりだ!?」
「……旦那様」
赤い瞳を閉じた後、ミレイユはまた、ふふふ、と笑う。
「ミレイユ……!?」
それが近付き、やわらかい抱擁。
右手が俺の背に回り、冷たい左頬が俺の頬とすれ違う。
「あなたは、やっぱり優しい方ですね?」
「……な゛っ!!!!」
左拳で、心臓に、一、撃……!
「終わりや、茶番は?」
「……ええ、お待たせしましたわー」
傷の上から心臓を直接殴られ再びの激痛と呼吸困難で倒れ込む中、視界の端では死体のように動かないエレニアの姿が映る。
それを一切気にすることなくチーチャが歩いていく先には、シャラン、と錫杖を鳴らすテンジン。
さらに、俺に背を向けたミレイユの後ろ姿が映る。
「……ぐ」
再び【精霊化】をしようとして……、……できない。
連戦に次ぐ連戦と度重なる【精霊化】、……そしてミレイユの【吸魔血成】。
「クソ……」
魔力を……使い切ったか……。
「……」
【水覚】が消えたことで、狭くなったように感じる世界。
数年ぶりに視覚だけで見る世界には、見渡す限り本当に何もない。
黄色い地面に、灰色の空。
「長くくだらぬ道であった、声のこれと魔と炎を集むるまでは」
「『弱者』、私ヲ呼ンダゴドダゲハ褒メデアゲル」
「何年ぶり、と言うべきなのでしょうね……」
その中で、紫色の光が揺れる。
立体陣形晶。
「……」
どうやらエルダロンで手に入れたらしいそれを持つテンジンと、その前に立つチーチャとミレイユ。
白と黒と赤。
その中で輝く紫色に、『氷』と呼ばれる俺の背筋が寒くなる。
魔人たちの目的は、獣人を勝たせることでも俺を殺害することでもなく、……まさか、単にエルダロンを戦場にすることだったのか?
エルダロンの中、おそらくはフリーダが持っているかアイクロンに保管されている立体陣形晶を探すために?
何故?
【異時空間転移】を使うために。
今、俺とエレニア、そしておそらくはフリーダや獣人たちから魔力を奪ったのは?
3人のそれぞれに尋常ではない魔力が必要な理由は?
【異時空間転移】を使うために。
……そして、【解無】を一瞬で破ったあの巨大な炎は?
「……ミレイユ」
獣人を裏切り、俺を裏切り、アリスを裏切り、子供たちを裏切り。
そうまでして、それを魔人が集める理由など。
「やめ……!!!!」
俺の絶叫をかき消すように、テンジンの掌で白と紫の光が爆発した。
そこから生まれる黒い影は鎖のように揺らめき、すぐに1ヶ所に集まる。
異常なほどの魔力に、異様なまでの寒気。
黒い影が何かを引きずるように蠢き……。
紫色の光が……爆発する!
「……みんな、久しぶり」
それは小柄な、少女のように美しい魔人の少年だった。
やわらかく巻かれた赤い髪。
雪のように美しい白い肌。
闇を煮詰めたような黒のローブ。
そして血の色の、赤い瞳。
「……」
魔力は150万程度だろう。
が、それとは関係なく……俺は思った。
アリスに、会いたい。
抱き締めて。
キスをして。
最後に、……ありがとうと言いたい。
「……御方!」
「元気ゾウデ何ヨリ」
ああ、これは自分が死ぬという確信だ。
「ふふふ、……お久しぶりですわー、ライズ」
避けようのない、死だ。
「……ふーん、……なるほどね。
………じゃあ、また始めようか?」
「応!」
周囲を見回し、テンジン、チーチャ、ミレイユを順に見つめた少年のボーイソプラノに頷き、テンジンが膝をつく。
そのままテンジンの体は白い灰に分解され、全てが少年の体へと吸い込まれる。
「ウン、遊ボウ」
応じたチーチャの全身が砕け、白い灰はやはり少年の体に吸収される。
その度に、ライズと呼ばれた少年の魔力は膨れ上がっていった。
合体による、魔力の合算……?
単純に想像したそれが、俺の中でぼんやりと絶望に変わる。
……550年前、バン大陸の魔人は滅び、後には1人の強力な魔人が残った。
「ライズ、エンキドゥとの契約はわたくしが。
……ふふふ。では旦那様、ご機嫌よう」
だが、それは全ての魔人が1人に集まり、誕生した存在なのではないか……。
「……」
最後に一礼したミレイユも白い灰となり、後には少年だけが残される。
ライズ、すなわち。
「『浄火』……」
「へぇ、550年経っても有名なんだね」
その魔力は、おそらく2千万以上。
楽しそうな声で笑った『浄火』はトコトコとこちらまで歩き、笑顔で俺の顔を覗き込む。
「旦那様……? ……ああ、ソーマさんって言うんだね。
水の大精霊……、…………へぇ?」
「……」
3人の自我があるのか、それとも記憶も合算できるのか。
ライズは俺の名前を言い当てた後、無邪気に微笑む。
それが、ただひたすらに怖い。
「あっちが……土の大精霊?
何、今は人間が大精霊やるのが流行ってるの?」
「……」
「……ま、別に何でもいいんだけどね」
逃げるか、命乞いをしようという気さえも起きなかった。
目の前にいるライズから放たれる魔力は、『魔王』と称される俺の心を灰にしていた。
仮に、エレニアとフリーダと俺が並んだとしても勝てない存在。
かつて、本当に世界の半分を滅ぼした存在。
ミレイユが、ウォルを捨てて選んだ存在。
『浄火』。
「じゃあ、とりあえず……死んでみてよ?」
「……」
その掌に白い光が生まれるのを、無言で眺める。
月の光の包み込むようなそれとは違う、周囲の全てを焼き尽くす光。
そう、これは太陽だ。
闇も氷も全てを蒸発させる、光と熱だ。
……死だ。
「……ごめん、アリス」
それは、俺とエレニアを……。
……、…………?
「……?」
全てが、静止していた。
笑顔のライズも。
その手で膨らむ太陽も。
ピクリとも動かないエレニアも。
この、世界も。
「……え?」
その中で、俺の体には光が巻きついていた。
円形を基本とする光の模様は指先に至るまで絡みつき、やがて頭から足までの全身を包み込む。
その色は、白と紫。
「……!」
そして鎖のような、黒い影。
【異時空間転移】。
かつて、俺をこの世界に召喚した、ひ……か…………り、……が…………。
「……」
目を開けたそこは、何もない場所だった。
熱くも、冷たくもなく。
明るくも、暗くもなく。
広くも、狭くもなく。
近くも、遠くもない……場所。
「初めまして、ソーマ=カンナルコ君」
「……」
だが、そこにいたのは俺だけではなかった。
人間の女で、魔導士……だと思う。
白いマントには、模様なのか刺繍なのか無数の黒い線。
目深にかぶったフードも同じ色。
髪は、茶髪。
「それとも、中畑蒼馬君って呼ぶべきかな?」
「!?」
しかし、女が発した言葉はそこで俺の思考を凍結させた。
中畑蒼馬。
アリスすら知らない元の世界での俺の名前を、何故こいつは知っている?
「あらためて、初めまして」
「……!」
……いや、そうか。
つまり。
こいつは。
「私は、時の大精霊」
これにて4部本編は終了です。
次話よりアナザーを挟み、最終章となる5部に入って行きます。
どうぞ、最後までおつきあいください。




