地を駆る者たち 中後編
交換殺人。
獣人の標的が俺かもしれない、という仮定に辿り着いた俺の脳裏によぎったのは、そんな不実な四字熟語だった。
Aを殺したい殺人者Bと、Xを殺したい殺人者Y。
その2人がお互いの標的を殺すことで傍目には動機のない殺人事件が2件起きるという、人間不信になりそうな完全犯罪。
が、そのためにはBとYの間で「互いが必ず殺人を犯す」という強固な、ただし間違った信頼関係が求められるという皮肉。
しかし、それがどれだけ不実で皮肉な外道であろうとも。
「残念ですね、ソーマ=カンナルコ」
その信頼関係が成立したときにそれがどれほどの脅威となるのか、俺は最悪の形で思い知らされていた。
揺らめく【流宮廻牢】の向こうで収まっていく紫色の光と、そこからこちらを見据える『金色』と『黒』と『赤土』。
肌を刺すそれぞれ150万に届こうかという魔力と、鉄火場たる戦場に反比例するような静かな殺意。
サリガシアの冒険者ギルドを取り仕切る3人の決戦級の視線を受けて表情を失った俺をみとめて、地に屈したままのウルスラが獰猛に笑う。
「あなたは、遅すぎ……!」
その眉間を【氷弾】で貫きながら、俺は吐き捨てそうになった罵詈雑言を無理矢理小さい溜息へと変えた。
3人と俺の間には、未だ16人と無数の銀槍を封じ続ける【流宮廻牢】が揺らめいている。
いかに決戦級と言えど、この水流の城塞を簡単に破ることはできない。
……はずだが、それでもひどく喉が渇いていた。
ほとんどない唾液に水を混ぜて飲み込み、食道を通る冷たさと共にあらためて現状を整理しようとする。
フリーダを殺したい獣人と、俺を殺したい……誰か。
が、実際に俺を殺そうとしているのは獣人で、フリーダを殺そうとしているのは……、……おそらくテンジンとチーチャ。
つまり、俺を殺したいのはあの魔人2人。
よって、獣人と魔人は……仲間。
「……クソ」
それでも数秒持たずに漏れてしまった罵倒は、交換殺人という手法そのものに対する嫌悪感からではない。
内容はどうあれ、お互いの目的の交換ならば俺とアリスもやっていることだ。
動機や結果がどうであれ、4万人を虐殺した俺に人道など説けるわけもない。
今更、そんな場所に立とうなどとは思わない。
それは単純に、俺が現在置かれている状況のあまりの悪さに対するものだった。
すなわち、土の大精霊たるエレニアと土の上位精霊。
元から人間をはるかに上回る身体能力を誇り、さらにエレニアから魔力のドーピングを受けAクラスオーバーとなった獣人の軍勢。
【万珠車解】で俺を圧倒し、絶対防御たる【氷鎧凍装】すら粉砕した魔人のテンジン。
そして、操る属性も実力も不明の赤い魔人、チーチャ。
この全てに、俺は命を狙われているのだ。
もちろん、こいつらがこれまでも味方であったとは思っていない。
が、俺に明確な敵意を向けているのはテンジンだけだと考えていたのも事実だ。
味方ではない存在と、敵。
似ているようで、この2つは全くその危険性が異なる。
前者は放置しておいても無関係のまま終わらせられるのに対し、後者は排除しない限り積極的な害悪となるからだ。
むしろ、現段階で俺の味方に最も近いのはフリーダだった。
風の大精霊の契約者にしてこの地の王、『声姫』フリーダ。
最大の敵だと考えていた相手がいつの間にやら最も頼れる相手になってしまっている現状には、流石に皮肉と悪意しか感じない。
エレニア。
テンジン。
チーチャ。
今、俺の眼前に最も危険な3人が現れていないのは、おそらくはフリーダと相対しているからだろう。
逆に言えば、フリーダが死ねば目の前の敵に合わせこの全てが俺に向かってくることになる。
……いや、あるいは。
【シムカ!】
【は】
自分ならばとるであろう策に思い当った瞬間に、俺は再度シムカの名を呼んだ。
【思念会話】を通じての声に焦りがないことに安堵しつつ、考えられる最悪の事態をシムカに伝える。
【土の上位精霊と、魔人。
これらがウォルに攻め込む可能性を想定して、ただちに臨戦態勢に入れ。
精霊は最低限の人数を残してウォルへ帰還、暇そうな奴がいるなら一時的に契約を解除させろ】
【……】
【魔人については、俺と互角以上に渡り合う存在だと思え。
フォーリアルにも同じ内容を伝えて、協力を得るんだ】
【……獣人と魔人が組んでいた、ということですか?】
流石はシムカ、頭の回転が速い。
【ああ】
【すぐに、そちらにも何人か参らせます】
そして、シムカならそう続けてくるであろうことも俺はわかっていた。
【いらん】
【……ですが】
だからこそ、俺はそれを明確に拒絶する。
【今、俺がお前たちに守ってほしいものは他にある。
それは、俺にとって俺自身よりも大切なものなんだ】
だからこそ、俺はそれをシムカに任せる。
【アリスと子供を。
ウォルを、必ず守れ】
【御意、……この身に代えましても。
それではソーマ様、どうぞご武運を】
会話が終わり、再び1人に戻った俺の前で魔力が爆発的に膨れ上がる。
【流宮廻牢】を、金色の光の粒が包んでいた。
ダイヤモンドダストのように輝きながら無色の牢獄の周りを舞い散る、光の粒子。
まるで鳥か小魚の群れのように統率された動きで俺を包囲するその光は、山吹色のローブの人物が掲げる右手に従って渦を巻いていた。
オーランド=モン=ルキルザー。
老人と呼ばれてしかるべき、大小のしわが横切るその顔の皮膚は酩酊しているかのように赤い。
が、当然ながらオーランドはその動作に介助が必要な脆弱な老人でも、戦場ですら酒を切らせないアルコール中毒者でもない。
『金色』。
その二つ名で知られる眼前のサルらしき獣人は、冒険者に限ればおそらく世界で最も名の知られたサリガシアの重鎮だった。
2代に渡って『毒』の陣営を軍師として支え、また危険な魔物の多いサリガシアにおいて王都の支部長という要職を50年以上も務め上げる決戦級魔導士。
英知に優れるというモン家の出身であることも相まって、ときに賢者とも称される名将。
「……、…………!」
光が、渦を巻く。
水の壁越しであるため聞き取れない言葉と共にニマリと笑った、その魔導士の代名詞こそがこの光の群れだった。
しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、強く振られる右腕。
それに従い、全周囲から一斉に【流宮廻牢】へと突撃する金色たち。
目が慣れてくるに従い、それが光の塊なのではなく細かな銀色の金属の粒子が反射する光の集合体なのだとようやく理解する。
土属性中位魔導【粉陣】。
それは本来、砂のような微細な鉱物の集合を操作する戦闘補助魔導だ。
中位に位置するそれは当然ながら殺傷能力をほとんど持たず、魔物を惑わすために決して規模の大きくない砂煙を舞わせるだけのこの微妙な魔導に、しかしオーランドの魔力と軍才は絶大な意味と畏怖を与えた。
例えば、意図的な砂嵐による敵軍の目潰し。
例えば、味方の奇襲の気配の消去。
個では意味がない点に過ぎずとも、集となれば巨大な絵を作り上げる。
まるで点描のようなこの迷彩魔導1つだけで、オーランドはあらゆる戦場を支配し勝利してきた。
故に、軍師。
故に、賢者。
故に、天才。
故に、金色。
『金色』のオーランド。
その二つ名の本質こそ、俺の視界を覆う光の舞なのだ。
……ただ、話がそれだけで終わってしまうのもまた1つの事実ではある。
俺は軍隊並みの殲滅力を誇る存在ではあるが、あくまでも個人にすぎない。
家屋を軽く貫通するサマーの突進すら完封した【流宮廻牢】に対して、【粉陣】はあまりに無力すぎる。
ましてや、【水覚】という広大な知覚能力を持つ俺に視界封鎖など何の意味もない。
事実、水と光の流れの外でオーランドが笑みを深くすることも俺には知覚……!!!?
「!?」
瞬間、【流宮廻牢】の表面が黄色い炎となって爆発!
反射的に目を閉じるも、あまりに凄まじい閃光を受けて両目からは涙が溢れる。
激しく振動する水の循環には綻びが生まれ、血のように流れ落ちる水と触れたそこではさらに金色の光が破裂した。
その間も絶えない光による無音の爆撃の中、ついに無色の城塞には大きな裂け目ができる。
流れ込んでくる轟音の中には、オーランドの笑声が混じっていた。
「爆銀つってなぁ、たまに深い鉱山の奥の油の層で見つかる金属なんだ!
水と触れると爆発するんだが、知らなかったか!?」
「……!」
知ってるよ、つまりは金属ナトリウムか!
確かに、純粋ナトリウムは水と触れると荷電反応を起こし、水から分解された水素に引火、爆発させる。
常ではあり得ないレモンのような黄色い炎は、その炎色反応にナトリウムが含まれる証拠だ。
が、まさかこの局面で化学反応を応用した攻撃をされるとは……。
……いや、落ち着け。
顕微鏡すらないこの世界で、理論立った化学知識が確立されているわけがない。
水に顔を着ければ苦しい、だから水に沈めれば溺死する。
これはそれと同じレベルの、言わば経験則による化学魔導だ。
人間にとって呼吸がどういう意味を持つのか、なぜナトリウムが水に反応するのかを理解した上での攻撃ではない。
それに、どの道ダメージもない。
独立させていたために【流宮廻牢】は反応したが、【氷鎧凍装】のように俺が直接触れる水はあらゆる影響を受け付けない。
逆に、オーランドの近くに水を発生させれば粉塵ナトリウムと反応して勝手、に!!!!
白く、爆発!
破られた【流宮廻牢】の真下に、突如オレンジ色が噴き上がる!!
「ハゲめ、その程度で何を誇るか!」
『世界最大の都市』のメインストリートの半分を占拠し水牢の2割近くを消滅させたのは、まるで絵具のような溶岩流だ。
飛び散った指先ほどの飛沫が触れただけで、周囲に転がっていた家財道具が炎上する。
何のためらいもなくウルスラたちの死体を飲み込み拡大するそれは、灰すらも残さず空気を揺らめかせた。
その向こう、水蒸気爆発の白い湯気とマグマが凝固した黒い小山の先から聞こえてくるのは、爆発よりも巨大な別の老人の咆哮だ。
煉獄を辿っていくと、そこには地面に両手を着けたままオーランドを見上げて唾を飛ばす小柄な老人の姿がある。
キリ=サラン=マーカス。
赤い顔をさらに赤くしたオーランドに罵詈雑言を浴びせ続けるその姿はまさしく酔客だが、この男もまた30年以上『牙』の王都たるベストラの冒険者ギルドを預かる決戦級魔導士だ。
ダークレッドの瞳に、その周りを眉から頬の半分まで覆う真紅の鱗。
『赤土』と称されるその掌の先では地面に小さな亀裂が入り、広がるそれと共に炎の色の液体が陽炎を作っている。
土属性高位魔導【熾基紅溶】。
局地的な破壊力ならば全属性でも5本の指に入るというその攻撃は、見ての通り溶岩流を作り出すというあまりに凄まじいものだ。
1200度にも達するその液体は当然のごとく生物を焼き払い、また巨大な質量を持つ液体であるがゆえに防御がほぼ不可能となる。
軍も、都市も、大地も、溶岩流の前では等しく蹂躙されるだけ。
その膨大な熱と質量のエネルギーによって、キリは文字通り戦場の全てを焦土に変えてきたのだ。
ナトリウムによる反応に、マグマによる蒸発。
2種類の爆発によって半壊した【流宮廻牢】の制御を、俺はこの段階で放棄した。
水の壁が崩れたことで通りには大量の水と死体、ミスリルの槍が降り、それは水蒸気爆発すら飲み込みながらオレンジ色を黒い岩塊へと変えていく。
舌打ちをしたキリと誘爆を避けるため【粉陣】を解除したオーランドは、俺の尖兵たる水に足を取られまいと既に半壊している民家の屋根へと飛び乗った。
が、その場所を囲うように氷の壁が立ち上がっていくことに気がついて、両者の表情が一気に凍てつく。
上空2千メートルより、直下に撃ち下ろされる戦艦の一撃!
音と衝撃波を引き千切りピンポイントでその建物の屋根に着弾した【氷艦砲】は2人を粉砕……。
「……嘘だろ」
できず、轟音と共に逆に「それ」に粉砕された。
遅れて降ってきた風切り音と衝撃波が氷の破片と共に周囲に爆風を振りまく中、その「3人」以外は無人だった民家が衝撃に耐えきれず圧壊する。
その中に埋もれていくそれは、直径5メートルほどの黒い半球だ。
耳を押さえて顔をしかめるオーランドとキリ、そして壮年の巨漢の姿がそれぞれ別の建物に飛び乗る中、重たい音を立てて転がる半球は魔導で作り出されたものであることの証拠に、こめられた魔力を失い端から塵へと変わっていった。
おそらくは世界最強の物理攻撃である、【氷艦砲】。
その直撃を受けた表面には、しかし凹みどころか傷すらもついていない。
世界最硬にして合金後は破壊不可能とされている超金属、オリハルコン。
世界中の勇者や権力者が求めるその絶対を一瞬とはいえ創り出したのは、土属性超高位魔導【創黒】。
そして、その金属の色を二つ名に与えられた3人目の支部長だ。
ケイナス=シオ=ペイン。
オーランドやキリの息子ほどの年齢でありながら対等にコトロードを取り仕切るその男は、世界で唯一魔法によるオリハルコンの顕現を可能にする獣人だった。
今はエレニアがいるため2人にはなっておりまた魔法で産生されたものである以上短時間で消えてしまうものではあるものの、この世界においてオリハルコンを操ることができるということはまさしく絶対の存在を意味する。
ミスリルであろうが竜であろうが高位魔導であろうが、オリハルコンの盾を貫くことはできない。
そして、ミスリルであろうが竜であろうが高位魔導であろうが、オリハルコンの刃を受け止めることはできない。
『黒』のケイナス。
その二つ名を冠する男は自分の身一つで、城塞すら消し飛ばす【氷艦砲】相手にそれを証明して見せたのだ。
「さて、……不味いな」
『金色』。
『赤土』。
『黒』。
並ぶ3人の背後に5人の上位精霊、さらに100を超える獣人の影が現れたことで俺の顔には苦いものが浮く。
『紫電』。
『大槍』。
『断空』。
そうそうたるサリガシアの英雄たちが、俺の体力と魔力を削るために消耗戦を挑んできているという事実。
ネハン、ソリオン、ナガラ。
テンジン、チーチャ。
そして、エレニア。
そういった俺を殺すための最強の存在が、まだ目の前に現れていない現実。
終わりの見えない敵の数と戦力、そして外道をいとわない執念に俺は確かに削られつつあった。
残りの魔力をざっくりと計算し、それぞれをどう倒していくかの最適解を必死に考える。
もはや、この地は一手でも狂えば詰んでしまうような最悪の盤面だ。
「まさか死んでないだろうな、フリーダ?」
不安を打ち消そうとした軽口に真剣なものが混ざってしまい、無意識に小さな舌打ちをする。
前方の軍勢から合わせて一千万近い魔力が叩きつけられると同時に、俺は【氷鎧凍装】を発動しなおした。




