ショート・エール 地を駆る者たち 前編
「西1区、十一番の1が黒と接敵」
「複数区、白が国内の全冒険者を雇用した模様」
「冒険者については想定通りだな。
当初予定通り、北と南の外区へ誘導する」
エルダロンの東12区から3キロ、地下50メートル。
中堅都市のギルド並みの広さを確保したこの空間の中では、ひっきりなしに声が飛び交っていた。
「東1区、白の通過を確認」
「北2区、三番の3が火属性魔導士と接敵。
外見の特徴から皇付魔導士のテーオ=メリー=グスナスと思われる」
「『爆熱』か……、……もうちょい離れといてほしいな。
北5区の全隊は積極攻撃を開始、対象を誘導や。
一番の8に通達、絶対に見失うな!」
エルダロン全土に侵入を果たした戦支たちの内、100名余りは情報伝達だけをその任務とした十番の戦支たちだ。
中核をなすイゴン家を筆頭に特に視力に優れた者たちだけで構成された彼らからの報告は、全て手信号だけで行われている。
命属性霊術【視力強化】も併用しそれを10キロ以上離れた場所から受け取った戦支は、それを外の区へ、都市壁の外へ、さらに農地や平原にそれを伝達。
実に数百キロに渡って張り巡らせた複数の迂回路を手信号と視力のリレーで走ってきた全ての報告は、内容に齟齬がないことを確認された上でその全てが眼下の「戦場」に再現されていく。
半径50キロを誇る『世界最大の都市』をその建物や小道に至るまで正確に再現した、直径2メートルのエルダロンの模型盤。
5年前に造られたその都市の光景は、それをたった1人で作り上げた軍師の【創構】によってまた少し様相を変える。
かなりの建物がなくなった西1区、その中心寄りに置かれた黒の大駒と隣り合っていた青色の駒が西9区に移動。
「11」という数字と剣のマークが刻印されたそれは、十一番の戦支長であるウルスラの一時撤退を表わすものだ。
その反対側では、白の大駒が東2区に差し掛かろうとしている……。
「予定通り、白には十番の3、4による制圧射撃を加える。
……ただ、もう少し見せ駒が必要だと吾輩は思うのだが、お前はどうだ?」
「せやな、まだ白と黒が近すぎる。
きっちり分離しときたいし……、……仕方ないやろ」
九番の副戦支長、『画場』ポプラ=ポー=フィリップス。
かつて何度も煮え湯を飲まされた『牙』の軍師が【創構】で作り出した青色の駒を白の進路上、東4区の端に置くのを見ながら、ウチは眉間にしわを寄せた。
「四番の7から何人かと、それから八番の3の半分を使う」
「……よいのか、『描戦』?」
「この期に及んでしょうもないこと言うな、おっさん。
見せ駒やから、3を使うんや」
お前は八番の戦支長でその3とはゴードンの隊だが、それでよいのか。
見せ駒とは、捨て駒のことなのだぞ?
そう気遣う言外の確認に、疲労のようなムカつきを覚える。
ゴードン=ゴー=ゴライアス。
キャメロン、ハルキと共にウォルポートへ渡ったその横顔を少しだけ思い出してから、ウチは青い駒をその隣に並べた。
「ゴードンもそんなことはわかっとる。
ウチの部下を侮辱する気か?」
置いた駒から指を離した瞬間に、脇に控えていた数名の戦支が部屋を飛び出していく。
この場所に九番の戦支長たるオーランドがいない以上、ポプラとウチが下した決定はそのまま絶対の命令として『大獣』の全てに伝えられる。
2つの青い駒が最大で10名近い同胞の死を意味することをしっかりと理解しながら、ウチは視線だけを西1区へと移した。
それは西2区に置かれる青い駒から太い指を伝い、ちょび髭と丸パンのような頬から深いクマが刻まれた茶色の瞳に至る。
「……失言だった、許せ」
西1区にウルスラと共に配置されていた青い駒は、既に取り除かれていた。
その全てが九番の、すなわち『大獣』の中で最も戦闘に向いていないポプラの部下たちであったことも理解できているからこそ、心中の苛立ちはギリギリで炎とならない。
敵を屠る軍師の決断は、同時に味方を殺す決断でもある。
盤の上では駒を動かすだけでも、その駒には血が流れ命が宿り、その帰りを信じて待つ家族があるのだ。
「あんた……、意外と善人やったんやな」
「……あの『描戦』とは思えぬ言葉だな。
吾輩が善だと言うならば、吾輩がこれまで殺めてきた敵たちは神をも殺すだろう」
それを骨身に刻んでいるからこそのウチの皮肉に、ウチの倍はそれを思い知っているだろうポプラは苦い笑いを浮かべた。
「吾輩たちは、等しく外道よ」
会話をしながらも、ポプラとウチの指はそれぞれ青い駒を動かし続けている。
「じゃあ、やりますニャ」
今から3年前。
大精霊となったエレニアの声は、その闇の中で静かに響いた。
サリガシア大陸最北、霊山アトロス。
エレニアを筆頭に戦支長6人が緊張を走らせたのは、かつて『最大の大精霊』ガエンが君臨していたその聖域の、しかし山頂ではなく地下300メートルに広がる大空間だ。
工作と潜入を司る一番の戦支長にして当代の土の大精霊、エレニア=シィ=ケット。
守護と回復を司る二番の戦支長にしてギルドのコトロード支部長、ケイナス=シオ=ペイン。
暗殺と隠蔽を司る六番の戦支長にして現『毒の王』、ネハン=ネイ=ネステスト。
輸送と支援を司る七番の戦支長にして『牙』の撤退戦の名手として知られる『縮地』、シジマ=ホー=ブライアン。
思考と参謀を司る九番の戦支長にしてギルドのヴァルニラ支部長、オーランド=モン=ルキルザー。
そして。
諜報と懐柔を司る八番の戦支長ことウチ、ルル=フォン=ティティ。
実に『大獣』を束ねる12人の内半分。
かつて3国に分かれて殺し合っていた王や将、軍師のその視線は、今はエレニアの右手に乗るたった1つのものにだけ集中している。
立体陣形晶。
時属性超高位魔導【異時空間転移】を封じられたその魔具は、壁や天井すら見えないほど広大な地下空間の闇の中で小さく紫色の輝きを反射していた。
使用者の魔力量に応じて、使用者が強く願ったものを召喚する。
先週の、戦支長だけでの話し合いの場。
もともと立体陣形晶を蔵していたイー家に口伝されていたその使用方法をナガラ王から聞かされた後、それを使うのは満場一致でエレニアに決定した。
その後すぐに進められたのが、この巨大な空間の建設だ。
アトロスの地下に100メートル四方の密室を設けるという難行を、エレニアはアレキサンドラたち上位精霊に丸投げしてクリアしていた。
周り全てを土と岩石に囲まれ、壁に埋められた月光石のわずかな光以外は何の変化もない闇の深淵。
ウチらが入るために併設されたトンネルも既に埋められ、今この空間から出る方法は部屋の隅に設置された【時空間転移】の陣形布以外には存在しない。
獣人最高であったネハン王の10倍近く、おそらくは250万を窺うであろうエレニアの魔力。
それによって召喚されるものは、当然ながらそれに近い魔力を持つものだ。
当然、そんなものとの交渉をおいそれと都市の中心で始めることはできない。
いや、そもそもそれがウチら獣人の意思を理解せず敵対するような存在であれば。
それどころか、それが言語を理解する知能のないただの怪物であれば……。
この空間はそれを秘匿し、そして最悪の場合は1千万トン近い土砂と雪で封じてしまうための棺桶だ。
「アレキサンドラ」
「是、当代様」
エレニアの一言に応じ、黒い顔に7個7色の宝石の目を持つ土の上位精霊が現れる。
それを筆頭に、ウチら6人の周囲には59の上位精霊が並んだ。
交渉できるにしても、戦闘になるにしても、撤退するにしても。
戦力は多いほうがよく、そして『大獣』の頭脳たる戦支長を失うわけにはいかない。
が、もちろん……それでも絶対はない。
だからこそ、この場には6人の戦支長しかおらず、残りの6人をここからはるか遠い3王都に散らしているのだ。
「さぁ、どうなるかニャ?」
……圧力。
ウチらの先頭。
1人だけ少し離れた場所に立つエレニアが、大精霊としての莫大な魔力を注ぎ込んだ立体陣形晶を闇の中に放り投げる。
「「!!!!」」
白い閃光と、それに絡みつくような紫色の爆光。
瞬間、エレニアの莫大な魔力は光に変わり、そして影のようにどこかへ消えた。
眩い視界の中では光の強弱と床の凹凸からの錯覚か、白と紫の狭間で黒い影が踊り周囲の闇に溶け込んでいくのがわかる。
光と共にウチらの体にもかかるその影は、まるで鎖のように歪だった。
……シャラン。
2色の光が収まり、また視界に闇が戻る。
「「……」」
その中心に立っていたのは、白と黒だけに身を染め分けた……おそらく人間の男だった。
背丈は180センチほどあるが、体つきは細い。
短い髪がもう少し長く肩幅がもう少し狭ければ、長身の女と言っても差し支えのない体つきだ。
首から下を隙間なく覆う黒色の細い布の上から白いコロモ、さらにその上に黒い袖のないローブ……のような薄い布の服。
涼しい金属音は右手に持った自身の背丈と同じほどの、これも黒の金属の杖。
輪状になっているその冠に通された、12の小さな輪が触れ合う音か。
が、その中でも特に異様なのはその顔だった。
女と見紛うほど整ったその目鼻立ちを封印でもするかのように、その目と耳は黒い布が幾重にも横断している。
長く垂れた布の切れ端が横や後ろから数本、白い肌に黒い影を作っていた。
「……」
仮に人間だとしても、男は服装からしてサリガシアの住人ではない。
この時代の生物か、どころかこの世界の存在かすらも判断できない。
そして、それはそのままこの男側がおかれている状況でもある。
全く別の場所、別の時間、別の世界へといきなり召喚された。
だというのに、男はその奇怪な相貌を前に向けたまままだ一言も発していなかった。
実際に視力も聴力もないのか、周囲を見回すこともせず壁も天井もひたすらに遠いこの闇の中で慌てているそぶりもない。
人間離れ、というか超然としたその男の口元は、長いのか短いのかよくわからない時間をおいてからようやく……。
「……成程」
「「……!」」
シャラン、という音と共に緩く弧を描いた。
同時に、まるで鑢のようなひどく不快な魔力が肌に触れる。
「何処か、此処は?」
男の首が動き、布で覆われた視線が正確にエレニアを貫く。
土の大精霊、60の上位精霊、獣人の中でも最強に数えられる者の内の5人。
それを前にして、しかし男の声と魔力には一切の揺らぎがなかった。
「……否、何時か、今は?」
「今は、精霊歴の2037年です。
場所はサリガシア大陸ですが、……それ以上のことは今は答えられません」
肌どころか、その内の肉に骨、内臓の裏側から血の一滴に至るまで。
低くよく通る声とは裏腹に、発せられる魔力は体の全てを少しずつ削られるような不快なものだ。
反射的に体を折って嘔吐したくなるが、気力で我慢する。
そんな中、消耗しているエレニアに代わって静かに答えたのはネハン王。
この6人の中で、現時点で最大の魔力を持つ獣人だと言い換えてもいい。
ただ、それにももはや大した意味はない。
「……ほう」
男から感じられる魔力は、既に【異時空間転移】を発動する前のエレニアと大差ないところまで膨れ上がっていた。
すなわち、200万を軽く超える人外の圧力。
万人が美しいと認める人間の形をしながらも決して人間ではない……。
隔絶された、異質感。
「魔人……か?」
「……隔たるか、知り得ぬ程に」
ハイアが召喚し今は『魔王』の下にいる、ミレイユ。
対峙したその印象が目の前の男と被り口からこぼれてしまった呟きに、男は耳聡く反応した。
布の中で少しだけ目が動いたらしく、顔を横切る黒がほんのわずかだけ揺れる。
視力も聴力も、そして魔力もある。
暦や大陸の名からそれ以上の興味を示さないのは、それを知っているから。
つまり、この男は間違いなくこの世界の人間……、……いや、魔人。
当人以外の全員がそれを理解し、6人と60人は全身に緊張と魔力を走らせた。
交渉はできるかもしれない。
が、この男は知能のない怪物よりもはるかに危険な、知能のある怪物だ。
サリガシアの意思を理解せずに敵対するのではなく、意思を理解した上で敵対されればこちらも無傷では済まない。
さぁ、どうするか。
……が。
「ミレイユみたいに、血で雇用できないかニャー?」
「……何?」
全員が危機感を募らせる中、軽口のつもりだったのだろうエレニアの言葉に、しかし男は明らかな反応を見せた。
「……お前、あの『ですわー女』の知り合いかニャ?」
怪訝な顔でその部分を確認したエレニアの金色の瞳を、男は小さく口を開けた……。
ポカンと、といってもいいやや間抜けな表情で見つめている。
「……途切れはせぬか、隔たるとも」
そして。
「成程、成程、成程、成程……、……クク」
それは。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」
「「!!!?」」
闇の中で反響する、爆炎のような笑声に変わった。
「理は、どこまで我らを嘲うか!
世界は、どこまで我らを拒絶するのか!
逆、その果てを繋ぐ鎖の何と冷たきことか!!
それを成す徒の業の、何と深く冥きことか!!
ククク、フハハハハハハハハハハハハ!!!!」
哄笑。
嘲笑。
呵々大笑。
唖然とするウチらの前で、男は背を曲げ嘔吐するように笑っている。
歓喜。
狂喜。
そして、憎悪。
「フハハ、ハハハハハハ!!」
隠す気もないらしい剥き出しの激情が込められた爆笑は、熾火のようにジクジクと燃え続けていた。
「ククク、滑稽滑稽。
……空、あらためて。
何ぞ、貴様らは?」
それが消えた後に残ったのは、真っ黒な炭と白い灰のような男の微笑。
「何故に理を曲げ、道を外れたか。
その価は有りや、世に唾する程まで乞い願う貴様らの求に?」
シャランと杖を鳴らして交渉に応じる姿勢を見せた、人には理解できぬ怪物だった。




