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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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地を駆る者たち 前編

「……さて、説明してくれないかな?」


四の鐘の残響がまだ残る中の、美しい少女というよりは幼い子供の、しかしどこか達観しきった老婆にも似た無色の声。

淡々と、飄々とし、傲岸不遜であることが一言でわかる絶対強者としての自覚。

さらに王としての誇りと世界最強であることの自信がそこにミックスされながらも、隠し切れない激怒と懐疑の情。


未だ舞い上がったままの黄色い砂埃が鼻と口に入り、噛み締めた歯の間でジャリジャリとしたものが砕ける。

鉄にも似た、無味無臭の不快な味と匂い。

ザラつく舌の上で水を少しだけ生成し、そのまま消す。

両目にも同様の処置を施し、視線は左側、3メートルほど先へ。


「……、…………!」


全身を純白の軽甲冑、ただしどちらかと言えば儀礼用のそれに包んでいる白髪銀瞳はくはつぎんとうの長身の……、……男?

……そう、腰まで届く長い髪を風に波打たせていようが一瞬判断に迷うほどの中性的な顔立ちであろうが、喉仏がある以上は男だ。

身のこなしに関する部分や明らかに化粧をしている事実については、とりあえず置いておく。

娼人しょうにんたちを筆頭に、この世界にもそういうアイデンティティの人間たちは存在する。

ただし、200万ほどの魔力をふき散らし白い鱗に覆われた拳を振り抜いているコイツは厳密には人間ではなく、おそらく風の霊竜ハイアだが。


「……、……、……、…………!」


全身の筋肉をたわませミスリルで底が打たれたブーツで地面を踏み削りながら、それを受け止めたウルスラが何事か剛毅に嗤う。

それこそミスリルの硬度に匹敵する風竜の右拳を止めたのは、『紫電』と呼ばれる『毒』の陣営最強の女将軍によっていつの間にか抜刀されていた細身の剣の黒い刃面。

闇よりも暗く影よりも深い、絶対の黒。

オリハルコンの黒い刀身を全身の力と技術で支えるウルスラの魔力は、しかしせいぜいが5万程度といったところか。


「無言は、『肯定』ととってもいいのかな?」


少女の一言と共に、呼吸がしづらくなり体への圧力が強くなる。

巨大な空気の手に握りしめられているかのような、全方位からの強風。

あまりに濃密な風圧のせいで満足に息を吐けず、それ故次の息を吸えず肺に上手く空気が入っていかない。

風には、いや空気には嵐のような怒りと苛立ちが満ちていく。


冷静に考えれば、これだけの強風の中で声など聞こえるわけがない。

事実、重なる風鳴り以外の音が俺の耳には届いていない。

にも関わらず、その声はまるで1メートルほどの距離から投げかけられたかのようにクリアに聞こえる。


風属性中位魔導【音届リーヴァ】。

すなわち、フリーダを『声姫』たらしめる遠話の魔法。

地震であれ嵐であれ超越する、天よりくだる魔力の響き。


「……」


が、俺自身、意外なほどに。

今の俺が意識していたのは、『声姫』のその声に対してでも明らかな敵意を持って襲いかかってきた風竜に対してでもなかった。


少なくとも半径2千メートルの全域に渡って断続的に消失した地下の岩盤と。

それによって倒壊した建物、あるいは口を開けた亀裂から次々と飛び出してくる10から30万近い魔力を放つ無数の獣人ビーストの群れ。


水覚アイズ】に映りこむ、五感で感じられる現状よりもはるかに深刻で厄介なその事実だった。


「……」





目に映るもの。

耳に届くもの。

肌に触れるもの。

匂いと味。

そして、知り得る全てと感じられる魔力の全て。


かつての『服従の日』。

意図的だった『ホワイトクロー』との出会い。


ルルたちの来訪。

ミレイユの失踪。

テンジンの言葉。

チーチャの言葉。


崩壊したエルダロンと、フリーダ。


ルル。

ネハン。

オーランド。


エレニア。


記憶している過去と。

把握でき得る現在と。

導き出される未来。





「……馬鹿が」


それらが大雑把に繋がってしまった瞬間に、その時を告げる、まだ耳に残っているような鐘の残響と共に引き延ばされていた時間が急激に色と速さを取り戻す。


「「「……!」」」


鍔競り合うウルスラとハイアの間に水の壁が伸び上がり白く爆発した瞬間、2人ともう1人の声にならない声が俺には確かに聞こえていた。

獣人ビーストと霊竜。

それぞれこの程度は回避し、あるいはダメージは受けずともそこには一瞬の動揺と空白が生じる。


言葉ではなく、行動。

逃避ではなく、攻撃。


「……」


「……」


一切の予告も予備動作もなく参戦した俺の視線を、空中のウルスラだけがしっかりと受け止めていた。


「……!?」


それが慌てて前に向き直り、霞む。

水蒸気爆発からの回避を織り込んで千メートル前方から同時発射しておいた亜音速の【氷撃砲カノン】を、信じ難いことにウルスラは空中で体を捻り回避した。

肩を掠めるにとどまった【氷撃砲カノン】はそのまま地面に突き刺さり、粉々になって砕け散る。

そこで受け身を取り後転、すぐに立ち上がったウルスラに、俺は容赦なく【白響剣ソー】を振り抜いた。


刀身10メートル、刃の厚み0.1ミリ、時速4千キロで氷と水を循環させる白い切先。

それは俺の腕力ではなく水の移動能力のアシストを受け、【氷撃砲カノン】とさほど変わらない速度でスミレ色の中央に吸い込まれる。

響き渡るのは、もはや人間の可聴領域のギリギリの高さの切削音。

てこの原理と遠心力に従い振り下ろされた白刃を間一髪黒刀で受け止めた『紫電』の瞳には、しかし冷静な光だけが宿っていた。


その眼前で、4発の【氷霰弾ショットガン】が炸裂する。

回避も防御も不可能な範囲にバラまかれた計200発の氷の弾丸は……、……突如伸びあがった土属性低位【土盾壁ドロシー】をほぼ土に戻しただけで、その役割を終えた。


「……くそっ!」


氷鎧凍装コキュートス】!

対するように応射された【石結弓ストローン】の雨に、今度はこちらが動きを止められる。

中位魔導とはいえ、長さ30センチの石の槍を生身で受ければ人間は即死する。

それが数百本ともなれば、一時的とはいえ流石に俺も防御に徹さざるを得ない。

土盾壁ドロシー】の向こうでウルスラが【時空間転移テレポート】の陣形布シールに魔力を流したのを睨みながら、俺は2千メートル上空に14発の【氷弾バレット】を並べた。


すなわち、俺からウルスラを引き離すために廃墟となった建物から現れて防壁を作り、未だ弾幕を張り続ける7人の獣人ビーストを仕留めるためのものだ。


「!?」


が、それはすぐに不要になった。


「「…………!!!!」」


俺の視界の中と【水覚アイズ】に映る建物の影では、その7人が白目を剥いて喉や胸をかきむしっている。

苦しみに絶叫し痛みに咆哮しているようであるが、それはミュートにしたテレビの中の光景のようにただただ静かでむしろ滑稽に映るものだ。

が、まるで風船のように膨らむ胸と喉に浮かぶ静脈の青い群れと必死で拍動する動脈の動きが、それを現実だと周囲に教えている。

耳、鼻、目からは鮮血が飛び、白くなった皮膚がさらに引き延ばされた胸では血管の青と赤が映えていた。


そして、赤が爆発する。


肺が収まる位置を中心に内側から破裂した7人分の死体は、その勢いのままいずれも仰向けに倒れ恐ろしいほどの量の血を周囲の地面に広げていた。

首や顎、千切れた肺や血管の破片が地面にビチャビチャとぶつかる音と血生臭いが漂い始め、消えていた空気が元に戻っていることを俺に告げる。





水や金属がそうであるように空気もまた質量を持つ物質であり、地表には常にその空気の重量がかかっている。

これを大気圧といい、現世の場合おおよそで1平方センチメートルあたり1キログラムだ。

そして当然、これは地表を歩く人間にも等しく影響を及ぼしている。

言わば、人間の体は1平方センチメートルあたり1キログラムの圧がかかることを前提に、それにつり合うように設計されているのである。


一方で真空とは空気のない状態を指す言葉であり、必然そこに大気圧は発生しない。

よって、真空中に置かれた物体は1平方センチメートルあたり1キログラムの力で「内側から」押されることになる。

空気を入れた風船を真空中に置くと自動的に膨らむが、これはこの原理がはたらいているためだ。

そして、これは人体でも同じことが言える。

ただし、人間の皮膚とはそれほど脆弱な組織ではない。

「宇宙に生身で出ると、真空のため体が破裂する」などとまことしやかにささやかれているが、残念ながらこれは都市伝説である (窒息なり何なりで死ぬとは思うが)。


しかし、内側から押す力がさらに強くなればそれはまた別の話になってくる。

例えば、圧縮された空気が体の中で爆発した場合などだ。


スポンジを握りこめばその体積は小さくなるように、気体においても圧力と体積は反比例している。

高い圧力をかければその体積は小さくなり、さらに圧をかければさらに小さくなる。

ただし、それは裏を返せば圧力をかけるのをやめさえすれば、握るのをやめたスポンジのようにその体積は元に戻るということだ。

どころか、通常よりも低い圧力にすれば元の状態より大きい体積にすることも可能なのである。


風属性超高位魔導【鼓破宮オリカ】は、おそらくこの2つの原理を利用した攻撃魔導だ。

周囲の空気を消失させて大気圧を0にし、同時に大量の圧縮空気を肺に送り込んでそれを一気に減圧する。

普通ならば気管を介して口や鼻から外に空気が漏れるだけで済むだろうが、それがあまりに急激であれば当然余った力は圧力として周囲の全てを圧迫することになるだろう。

言わばこれは、俺が『海王』を葬った【発華ハツカ】を人間の肺の中で引き起こしているのだ。


そして、【鼓破宮オリカ】を使うことのできる魔導士は、この世界においてただ1人だけ。





【シムカ】


【は】


その姿を視界に捉えたまま、俺は【思念会話テレパシー】でシムカを呼び出す。


【おそらくだが、サリガシアとエルダロンが交戦状態に入る。

現刻以後、いかなる理由があろうとも村への獣人ビーストの立ち入りは禁止、今の段階で村の中に獣人ビーストがいるなら適当な理由をつけてウォルポートへ移動させろ。

アネモネたちも含めて、例外は認めん。

あわせて、ウォルポートに実体化した上位精霊を20ほど送りこめ。

監視と同時に、何か妙な動きをする獣人ビーストがいればただちに拘束しろ】


【御意に】


嵐の中にいるようなその魔力の中で、普段通り即応するシムカの静かな声が今のウォルの平穏を俺に伝えてくれる。


【こちらへの援軍は必要ない。

アリスには……心配するな、とだけ伝えておいてくれ】


【かしこまりました】


「さて、ボクはこれをどう解釈すればいいのかな?」


が、傲然とした声が、俺の脳裏からその消失の余韻も吹き飛ばす。

数十人の騎士を引き連れこちらに進んでくるのは、車イスに座った……、……巨大な純白の鳥だった。

















「テンジンという魔人ダークスを知っているか?」


「いいや、ミレイユなら知っているけどね」


7人の死体が転がる、廃墟と化したウィンダムの中心。

そこで正対した俺とフリーダは、この日初めて普通に面と向かって声を交わしていた。


限界まで薄く延ばした純ミスリルと風布を幾重にも重ね、防御力と軽さを追求したミスリルの軽層合衣けいそうごうい

尋常ならざる加工能力を要求されるその甲冑を着込んだフリーダは、まるで巨大な鳥のような姿をしている。

腰から下をたっぷりと覆うスカートのような長い腰板に、肩口や背中から翼のように伸びる幅広い帯。

一部の隙間もなく肌を覆い隠す銀と白の甲冑は顔の全てを包む兜まで続いており、その兜にも明らかに嘴を模したひさしと冠羽のような装飾が施されている。


鳥甲冑とりかっちゅう


巨大な白竜の姿となり鞍や手綱を着けられるハイアやそれを待つ本人がそう呼んでいたこの奇怪な鎧の兜には、視界を確保するための穴すら開いていない。

唯一、首の隙間から長い雪色の髪がたなびくだけだった。


アルビノ。

髪にや肌にメラニン色素がないため直射日光への抵抗力が全くなく、同様に血そのものの色の瞳にはほとんど視力がないことが多い。

野生動物であれば最弱といってもいいその身を白い鳥へと変貌させ、しかし人間最強の少女はクツクツと笑っている。


『本日四の鐘と同時に、サリガシアとウォルはエルダロン皇国への宣戦を布告する』


俺の知らされていない先触さきぶれの老婆によって、この布告がなされたこと。

対して、俺がそれについて全く関知しておらずその意思もないこと。


さらに、召喚したはずのテンジンのことをフリーダが知らないとしたことで、俺とフリーダは互いへの攻撃態勢をとりあえずは解いていた。


「サリガシアに嵌められた、ということか」


「仮にも『魔王』ともあろうものが、随分と簡単に足元をすくわれたものだね」


……残念ながら、そういうことになる。

すなわち、サリガシアの獣人ビーストがエルダロンに対してクーデターを起こした。

俺はそれに巻き込まれ、おそらくはフリーダにぶつけ合う駒としておびき出された。

現在のところ確定している事実を繋ぎ合わせ俺とフリーダが導き出した真実は、それぞれがこの認識だ。


また、フリーダはテンジンの存在すら知らなかったが、ミレイユを召喚したことはあっさりと認めた。

この点から、ティアネストで俺がネハンから説明された内容に少なくとも1つは虚偽が混じっていることが確定する。

宣戦布告に勝手に名前が使われていることから言っても、もはやサリガシアの言葉は全て疑ってかからなければならない状況だった。


無論、フリーダの言葉を全て真実だと判断できる証拠があるわけではない。

ただ、それはフリーダが聞く俺の言葉にも等しく言えることだ。

そして、それはお互いにとって今は無視できる可能性でもある。

ミレイユを召喚したことやそれをアーネルで実行したことも大問題になるだろうが、その報いを受けてもらうのも今である必要はない。


……いや。

より正確に言うのであれば、今はそれどころではない。


「足元をこれだけ派手にすくわれた『声姫』からだけは、言われたくはないがな」


「生憎と人よりも足元が高いんでね……。

でもまぁ、……正直、反省はしているよ」


白い嘴が、小さく右に傾く。

追いかけた視線の先では、瓦礫と化したギルド支部の中庭、すなわち【時空間転移テレポート】で獣人ビーストたちが攻め込んでくるかもしれない空間を完全包囲する6人の騎士たちの姿があった。


「……市民への被害は?」


「各騎士隊を再編成して救助に当たらせているけれど、今はそれより先にすることがあるからね」


世界1位の風の大精霊の契約者と、世界2位の水の大精霊が並んで同じ方向を向いている。

その事実を前にして、しかし俺とフリーダの心中に余裕のようなものは一切ない。


「全ての騎士隊拠点がきれいに落とされて、エルダロンに残っている戦力は宮廷魔導士たちや近衛も合わせて全体の6割がやっと……。

その上、侵入した獣人ビーストはほぼ全員が超決戦級だからね。

……全く、ナメすぎていたよ」


そう、この部分だ。

フリーダから告げられた現状において、獣人ビーストたちは先の地震で直径100キロを誇るエルダロン内の全ての防衛拠点や主要施設を根こそぎ落とし切っていた。

水覚アイズ】で見る限り地下の岩盤を直接切り取り人為的に地盤沈下を起こしたものと思われるが、俺としてもサリガシアにここまでのことが可能だとは思っていなかったのだ。

ましてや、雨の力を借りた【逆死波サカシナミ】とは違い、今回は明らかに岩盤自体を消失させてこれだけの惨状を引き起こしている。

半径100キロという範囲を考えれば、これはエレニア個人では不可能な所業だ。

すなわち個人ではなく巨大な集団、軍として獣人ビーストが動いている何よりの証明だった。


さらに、突入してきたその獣人ビーストたちもただの雑兵などでは決してない。

感知できた魔力はそれぞれが一都市を落とし得る戦力を持った決戦級と超決戦級ばかりであり、また元々が人間をはるかに凌駕する能力を持った獣人ビーストの戦士である。

俺とフリーダを除いてエルダロンでまともに戦える人間など、10人いればいい方だろう。

そんな相手が、俺が知覚できただけでも50人以上が守るべき都市中枢への侵入を果たしてしまっているのだ。


「……やれやれ、本当に面倒だね」


「どうした?」


「皇国の東側2キロの平原に、突然獣人ビーストの軍2千から3千が現れたそうだ」


そして問題なのは、サリガシアの戦力がその程度で全部であるわけがないという事実。

面積で言えば世界2位の俺の600倍という桁外れのフリーダの感知能力ですら、それを補足できていないという現実だった。

つまり、それほどの大軍勢が潜み、獣人ビーストたちが駆け回っているのは……。


「……地下か」


「だろうね」


騎士たちに手伝われてハイアに騎竜し、甲冑と鞍をベルトで固定されるフリーダの声が淡々と響く。


俺が領域内の水を支配しているように、フリーダも領域内の空気を支配している。

が、おそらくだがそれはフリーダが直接触れている空気のみであり、密閉された空間はその対象外なのだ。

あるいは、もっと単純に感知と攻撃の範囲自体が大きく異なるのかもしれない。


いずれにしても、それはすなわち先程のような【鼓破宮オリカ】による一方的な虐殺を封じられたこと。

姿なきままエルダロンを治めていた『声姫』と言えど、敵を直接補足できる戦場に立たねばならないことを表していた。





……だからこそ、空気はこのように変わらざるを得なくなる。





「……それで?

サリガシアの盟軍だとされているウォルの『魔王』殿は、この後どうするつもりなのかな?」


「別に、どうにも」


「……冷たいことを言うんだね」


凪いでいた空気が、一瞬で凍てついた。

白い声に返された、黒い返事。

互い、無数の思考と判断が折り重ねられたそれらの間で、【氷鎧凍装コキュートス】をまとった俺にはフリーダとハイア、周囲の騎士たちから殺気に満ちた視線が叩きつけられる。

その中で俺は、どこまでも冷静で冷徹な理論を涼しい顔で告げた。


「俺は……、というよりもウォルが盟を結んでいるのはネクタのフォーリアルとだけであって、今のサリガシアと歩みを共にしている事実も、その意思もない。

が、それはエルダロンに対しても同じことだ。

俺たちが、お前たちと歩みを共にしなければならない理由はない」


「つまり、君はボクたちの味方ではないと?」


ウォルが動かなければ、ネクタも動かない。

「今」のサリガシアと盟を結ぶ気はないが、「将来」のサリガシアとはわからない。

それはエルダロンに対しても同様。

よって、「今」の時点で俺はサリガシアにもエルダロンにも与するつもりはない……。


『魔王』の言外の意思を正確に読み取ったフリーダは、無表情な声で端的な確認を返す。


勝手に、潰し合え。


白い鳥にそう冷やかな視線を返しながら、しかし俺は唇の端をゆるく吊り上げた。


「取引相手には、なれるかもしれないがな?」


「……何が望みなんだい?」


「エルダロンにおいての今後一切の立体陣形晶キューブの使用の禁止と、そのウォルへの引き渡しだ。

これを飲むなら、可能な範囲で獣人ビーストの撃退を請け負おう」


「……」


この状況下で、この条件。

俺にとっては絶好のタイミングであったこの条件は、しかしこの状況におけるフリーダたちにとっては理解不能なものだったらしい。

白い面に隠された向こう側で、フリーダの眉間にしわが寄った光景が【水覚アイズ】に映りこむ。

目的、影響、メリット、デメリット……。

瞬時に様々なものを計算し、比較し、そして困惑しているらしく、その表情は不機嫌そうに歪んでいた。


「……随分と、足元を見てくるんだね」


「幸い、人よりも高いらしいからな」


だが、この状況で俺を敵に回す選択肢などあり得ない。

例えば、都市中枢での【死波シナミ】の発動。

ただそれだけで、エルダロンは陥落を待たず滅亡するからだ。


それ故の鎌かけに皮肉を返し、それには舌打ちが返される。

水と風との一時的な同盟の契約は、どこまでも無味無臭で無色透明だった。


「調印を交わしている時間はないだろう。

代わりに、お前の口から全土に契約内容と獣人ビーストへの応戦に俺が加わる旨を布告しろ。

死なない程度には、頑張ってやる」


「……フン。

やあ、ボクだよ……」


不機嫌そうに白い鳥は鼻を鳴らし、直後、天から尊大な大音声だいおんじょうが降り注ぐ。

風属性高位魔導【台天鐘ジョア】。

オリハルコンの鐘が時を告げるように響くその声は、やはり『声姫』としてこういった演説や命令には慣れているのだろう。

サリガシアから宣戦布告を受けたこと、自分を筆頭に騎士や魔導士がその対応に当たっていること、『魔王』がそれに協力することとその条件を明快にろうじていく。


「……と、いうわけで住民諸君、君たちは今いる建物から一切出ないようにしていてくれたまえ。

そして、エルダロンに居を構える獣人ビースト諸君、君たちもだ。

これ以降、建物外にいる獣人ビーストは全て殺していくからね?

……じゃあ君たち、ボクらの武運を祈っておいてくれたまえ」


全てを言い終わる頃には、フリーダの姿はアイクロンの頂上のはるか上にあった。

風竜の背に座るフリーダの甲冑からは、まるで本物の鳥になったかのように白い帯が風に流れる。


「東を片づけてから、すぐに戻ってくるよ。

……それから。

もしエルダロンが滅ぶなら、ボクはウォルを滅ぼすからね」


「『約束』は……」


耳元で最後に付け足された低い声に応じようとする俺の視界の端で、銀色のものが6つ転がった。

甲高い金属音と共に瓦礫にぶつかって止まった騎士の首からは、思い出したかのように赤い鮮血がこぼれる。


「……守ってやるさ」


サリガシア『毒』の陣営最強の女将軍、『紫電』のウルスラ。

転移してきたウルスラが一閃した黒刀を下ろすのと、ギルドの広場を包囲していた6人の首なし死体が崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

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