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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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ショート・エール 迷い路

「これを……、ソーマは1人で造ったのか…………」


「いや、壁を固めるためにこき使われたのはキスカちゃんたちなんだからね!?」


ヴァルニラを出発して18日、ラルポートから1日。

『青の疾風号』に続いて舵を切る交易船『デルコイ』の甲板上では、多くの船客がその威容を目にして溜息をついている。

その中に混じり、数年ぶりにこの地を訪れた私を迎えたのは、強引に地面を引き裂いたような巨大な運河だった。


『魔王』。

そう呼ばれる男の強大な力を改めて思い出してしまい、畏怖の言葉が無意識に口から漏れてしまう。


「でも、私たち以外にも大陸中の土属性魔導士が集まりましたし、そもそもそれ以外の工程は確かに全部あの人が1人でやりましたし……」


「……」


「あいかわらずですぅ」


隣で抗議するキスカを宥めるイングラムと、例によって船酔いで真っ青な顔のネイリングに膝を貸すブランカ。

私、アネモネを含む『オレンジシャドー』の5人の声と去来する想いを乗せたまま、『青の疾風号』は正面から向かってきたチョーカの大型船とすれ違う。

双方の甲板上で手を振り合う船員や商人、冒険者や船奴の表情には和やかなものしかない。

もはや日常となった、カイランの南北においてそれぞれ最大級の大型船舶2隻が何の緊張もなく交差する光景の先には、ウォルポート。


「……そうだな」


かつて『ホワイトクロー』として居た頃には存在していなかった港……。

いや、大陸で最も賑わう巨大な港湾都市の姿が見え始めていた。





「……あれ、キスカちゃんじゃん?」


甲板から投げられた4本の太いロープがそれぞれ岸壁のビットに結ばれ、頑丈な渡板わたしいたが船首と中腹に2枚かけられ。

その作業を手早く成し船の上に駆け上がってきた少年は、しかし甲板上で偉そうに腕を組むキスカを見て首を傾げた。


「キスカちゃんのことはキスカ先生って呼んで、って言ったよね!」


「お久しぶりです、…………ガラさん」


目の覚めるような青で染められた、右腕の腕章。

すなわちウォル本体の住民であり、このウォルポートの運営に携わる『兄弟姉妹』であることを示すそれを見て、イングラムは懐かしさと共に優しい微笑みを向ける。


「惜しいね、イングラム先生。

ガーラン、ガーラン=ウォル。

ガラの兄貴だと『十姉弟じゅっきょうだい』だよ」


「へ!?

す、すみません、すみません!」


が、やはり名前をきちんと覚えていなかった。

上役であるウルスラからも何度も叱られているはずなのに、イングラムはどうしても人の名前を正確に覚えられない。

私やブランカにしても、妙な名前で呼ばれて自分のことだと気付かなかったのは1度や2度ではなかった。


「いや、別にいいんだけどさ」


「なんでインねえは先生で、キスカちゃんは先生じゃないのかな!?」


「いいじゃん、別に」


「よくないよ、全然よくないからね!!!?」


おそらくこの14、5歳ほどのウォルの少年、ガーランもそうなのだろう。

腰を直角にして平謝りするイングラムに苦い笑みを浮かべながら、傍らのキスカには素っ気ない返事をしている。

再会、というには色々と台無しの風景を眺めながら、私の口角は自然と持ち上がっていた。


「……えっと、そっちの人たちは?」


「「「……」」」


さらにイングラムとキスカと数度のやり取りをした後、ガーランの茶色い瞳がこちらへと向く。

私、ブランカ、ネイリング。

ガーランがそうであるように、私たちがガーランに会うのも初めてだ。

私たちが去った後に、この少年はウォルに救われたのだろう。


「ガーラン、今は手を動かすのが先だと……、……アネモネ?」


「……ヨーキか、でかくなったな」


『ホワイトクロー』がウォルを去ってからの、4年近い時間の流れ。

それを埋めてくれたのは、ガーランの背後から渡板を昇ってきた背の高い青年。

今は『十姉弟』と呼ばれている、ウォル最古参の子供たちの1人だった。


「というか、完全に別人ですぅ」


「お陰様で……、ネイリングはやっぱり船酔いか。

ガーラン、ここはもういいから領主館に行ってアンゼリカに連絡を。

イングラム先生とキスカ先生、それに『ホワイトクロー』……が来た、と」


いや、もはや子供という表現は適当ではないのだろう。

確か、もう18か19か。

サーヴェラに劣らぬほどやせ細りアンゼリカに劣らぬほど膿んだ瞳をしていた元採掘集落民は、今や騎士隊の小隊長だと言われても違和感のない逞しい丈夫となっている。

獣人ビーストである私とでもそれなりに闘えるだろう分厚い筋肉に包まれた体躯に、物静かでありながら堅固な意思を感じさせる灰色の瞳。

このウォルポートの交易実務の一切を取り仕切る兄貴分の一言に、ガーランは弾かれたように港へと駆け降りていく。


「……エレニアは?」


それを横目で追いながら、囁くように灰色の瞳は瞬いた。


エレニア=シィ=ケット。

すなわち、当代の土の大精霊。


が、ソーマはまだサリガシアに辿り着いていないし、エレニアからの連絡もない。

ならば、私がここでそれを説明する必要はない。


「今回は、私たち5人だけなんだ」


「……そう、残念だな」


本当に残念そうに、ヨーキは青い空を見上げた。

















ナイフを刺した瞬間に、そこからは透明な肉汁が溢れだした。

まるで宝石屑のような小さな脂の玉が散っているそれは、しかし白い皿に広がるようなことはなく、黄色い衣に吸い込まれその上の赤いソースにわずかな揺らぎを付け足すだけにとどまる。

ザクリ、サクリ。

右手の動きに合わせて返ってくる手応えは軽やかであり、そしてしっかりとしている。


フツリ、フツリと繊維が切れていく感覚。

銀の刃先が皿の底に当たったのを感じてフォークを持ち上げると、一瞬肉だとは思えないほどに白く艶やかなその断面が目に入る。

野菜だけなく穀物や塩も充分に与えられ、そして充分に野を走り回っていたことがわかる、キメ細かく密に中身の詰まったフラクの腿肉。

ただ餌を与え肥え太らせたのとはまた違う、生命力に満ちた筋肉の表面からは甘い匂いの肉汁が滝のように流れ始めていた。


サ、グッッ。


「!」


それがもったいなく感じて、反射的に口に運ぶ。

前歯から鼓膜に響いたのは、新鮮な花油はなあぶらで揚がった小麦粉の衣が割れるクリスピーな断裂音。

どこまでも軽く、しかし脆弱なわけではなく、邪魔をするわけではなく、しかし明確な意図をもって。

油臭さなど微塵もない黄色い衣は、それに塩を振るだけで充分な御馳走になり得ると否応なく認めさせられる。


「!!」


それに封じられたフラクの白い肉は、最低限の抵抗感を残しつつもどこまでもやわらかい。

勝手にほつれるのではなく、しっかりと噛んだときにだけ正確にほぐれてくれる。

歯があり、顎があり、舌があり、自分が肉を食べる動物である。

そんな歓喜と官能が、尽きることのない肉汁と一緒に口の中を満たしていく。


「!!!」


そんなフラクと衣を彩るこのソースも、只者ではない。

何かの果物と酢をベースにしているらしい甘酸っぱい赤色は、ただフラクの脂を引き立てるというその点にだけ特化して調合されている。

獣人ビーストの鼻をもってすら、何が入っているのかがわからない。

ただ、甘さ、酸っぱさ、塩っぽさ、辛さ、苦さ、濃さ、熱さ、トロみ……。

それら全てがこのバランス以上では失敗で、このバランス以下でも失敗なのだということだけがわかる。


「……!!!!」


衣と、肉と、ソースと。

それらが混然一体となり、そして自身とお互いの良さを限界まで引き出し喉を通過した段階で、それは最後にやってくる。

舌を熱くし、喉をチリチリと炙る微かな炎。

それはソースにほんの少しだけ隠された、「紅魔フェンリル」だ。


あの紅肉フェゴンを漬け込む原料でもある、サリガシア原産の香辛料。

獣人ビーストなら、サリガシアに住む者なら誰もが知っているその香りと味に、しかし獣人ビーストである私は唸らされる。

油と甘酸っぱさ、肉汁と脂による充分すぎる旨味を、その辛さは一段だけ引き上げ……そしてフッと消し去ってくれる。

飲み込んだ、いや飲み込んでしまった後に残る焦慮にも似た微かな辛さは、口から胃までを快楽の余韻に浸らせながら、次の一切れを渇望させた。


「「……」」


5人全員が無言のまま、ただフライを切るサクサクという音と勢い余ってナイフと皿がぶつかるカチャリという音、そして肉を飲み込む重たい音だけを立てる。

生、塩漬け、酢漬け、柑橘漬けの4手法で調理した24種の野菜を1つにまとめたサラダに、甘芋アデルをミルクで伸ばした冷たいスープ。

そして、焼き立ての香りを立ち昇らせるパンと白い雪のような作りたてのバター。

普段はそれほど食べたいとも思わない野菜にもどんどんと手を出しながら、無言で目の前の料理に手を伸ばし続ける。





氷火酒インドラでよかったっけー?」


全員が皿に残るソースをパンで拭い取り名残惜しげにそれを口に入れたところで、その料理を作った少女は食堂へと戻ってきた。

昼だから水割りでいい、という私の言葉に苦笑しつつ、少女は危な気ない手付きで自分の分を含む6つのタンブラーに氷を入れていく。

カラカラと木製のタンブラーの氷が回された後に差し出された水割りは、これも文句のつけようのない完璧な温度と配分だった。


「……お腹空いてたの?

簡単なものでいーなら、もー少し用意するけど?」


「いや、大丈夫だ。

……しかし、本当に凄い腕前になったな、ロザリア」


「えっへん」


領主館2階、食堂。

アンゼリカと再会の挨拶を終えた後、そのまま町長代行の言葉に甘えて昼食を御馳走になることにした私たちを迎えてくれたのは、ロザリア=ウォル。

『長姉』を目前に緊張するガーランが呼びに行かされた、これも美しく成長した『十姉弟』の1人だった。


ちなみにガーランも「ウォル」という家名であるが、2人は別に姉弟というわけではない。

自身の家名を把握していないか最初からない場合も多い元奴隷や元孤児に対して、ソーマが「ウォル」を名乗ることを許しているだけだ。

むしろウォルではアンゼリカのように自身の家名を持っている者の方が少数派で、『十姉弟』の内5人を筆頭に住民の6割以上が同じ家名を使っている。

これが、ウォルの住民たちが『兄弟姉妹』と呼ばれる由縁でもあった。


その中でもこのロザリアは、料理の腕前という魔法以外の部分で特に有名な存在だ。


「本当に、おいしかったですぅ。

殻の方が多い卵焼きを持ってきた娘と同一人物とは、思えませんねぇ」


「ほとんどほねだけになった、やきざかなもひどかった。

……きらわれていると、おもった」


「甘いぞ、ブランカ、ネイリング。

生グリッドジュースの恐ろしさを、お前たちは知らない」


「あ、あの頃はまだ子供だったんだから、仕方ないじゃん!」


が、その始まりからを知っている私たちが感じるのは、単純な感心などとはまた違う深すぎる感慨だ。

今では美食を尽くした商会長の舌さえ虜にし調理技術の教本を出版しているロザリアも、……最初の頃は酷かった。

料理どころか満足に食べるものさえ与えられなかった性奴だったのだから仕方はないのだが、ミレイユについて料理の勉強を始めた頃の作品の数々を食べさせられたのは、他ならぬ私たち4人だ。

あれ以来食べられなくなったグリッドの味を思い出しつつ、赤面するロザリアの姿を記憶と重ねる。


「皆には感謝してるって……」


腰まで伸びた黒くまっすぐな髪に、赤い瞳。

肌の色が人間のそれであることを異にすれば、17歳となったロザリアは師であるミレイユに……。

今はウォルからその姿を消したミレイユに、ひどくよく似ていた。


そして、それはロザリア本人にとっての誇りでもある。

同じ色の髪を持ち、同じ属性の精霊と契約することができ、同じ色の瞳を持ち……。

チョーカ兵からは未だに『鬼火』と恐れられる魔人ダークスと近しいものを持つ自分の姿を、ロザリアは好いていた。


「今回のはちゃんと美味しかったでしょー?

『フラクフライの悪鬼風』っていって、先生から教わったんだけどね……」


「……ああ」


そして、それ以上にミレイユのことが大好きだった。


「……先生ねー、いなくなっちゃったんだ」


「らしいな」


独り言のような小さな声に、私は努めて平坦な声を返した。

アンゼリカから既に状況の、ミレイユが失踪した、との説明は受けている。


同時に、できればロザリアに弱音を吐かせてやってほしい、とも頭を下げられていた。


「ソーマ様はサリガシアに向かわれたみたいだけど……、……アーネルやチョーカで何か話を聞くようなことがあれば、教えてね?

どんな小さなことでもいいから」


私たち『オレンジシャドー』の任務は、サリガシアのとある商会がカイランに進出するに際しての各地域の政情調査。

そういうことに、なっている。


「もちろんだ」


かつて共に暮らした子供たちに吐いた嘘に、私は喉の奥で罪悪感と自己嫌悪を感じる。

他の4人も同様だろうが、全員が表には出さずにそれらを飲み込んだ。


もはや、私たちには謝罪する資格さえもない。


「本当はアンも私も一緒に探しに行きたいけど、アリス様を困らせることもできないし……」


ウォルの要たる『十姉弟』の『長姉』を愛称で呼んだ赤い瞳は、葛藤と自嘲を込めて細くなった。

そこには今の自分の立場を理解しているが故の、諦めにも似た苛立ちが宿る。


ソーマはウォルを、そしてアリスを彼女らに託したのだ。

かつて守られるだけだった子供たちにも、今は守るべきものがある。


「先生、……帰ってきてくれるよね?」


氷火酒インドラを舐め、小さくこぼれた声に私は無言で頷く。


ああ、という言葉は。

喉を通過せず、声にできなかった。

































550年を経たバンの景色は、しかし記憶の中のそれとあまり変わっていないような気がする。


世界を憎み。

世界に祈り。

世界に背を向け。


そして、世界に問いかけた。


そんな私たちの感情の1つ1つを繰り返し思い出しながら、私の足は砂の大地を進んでいく。

もう、両腕はない。

服を構成する余裕もない。

どころか、顔や体の一部は骨で支えるのが精一杯の状態になりつつある。


歩く、むくろ


いつも私に飛びついてくる子供たちも、それこそ愛弟子のロザリアでさえも、親友のアリスでさえも。

今の私の姿を見れば、悲鳴を上げるか顔を引きつらせるだろう。


……唯一そうしそうにはない人間に心当たりはあるものの、今の私に彼のことを考える資格はない。

私の体を構成する魔力がどんどん流れ出していくことに焦りを感じつつ、当然だ、ともう笑みさえ浮かべられない口で私は自嘲する。


彼は、冷やかに私を見つめるだろう。

少しくらい驚いてくれれば嬉しいが、今更嬉しく思ったところで何の意味があるのだろうかとまた唇が歪みそうになる。


泣いては……、……くれないだろう。

彼が泣くのは私の前ではないし、私のためではない。


私の前であってはならないし、私のためであってはならない。


「……ふふふ」


歪む視線の先に、赤い炎が生まれた。

陽炎ではなく炎によって空まで揺らがせるのは、一都市すら飲み込めそうな巨大な溶岩の円。

『死大陸』を『死大陸』たらしめる、一切の生物を排除する灼熱の地獄。


ならばやはり、その上を歩むことができる私たちは人間であってはならない。


人間と共に、在ってはならない。





散闇思遠バッティング】で力の限りに飛び続けようやく辿り着いた『死大陸』バンの中心、「浄山じょうざんライゼル」。

その巨大な火口の中心に立った私の前に、さらに巨大な炎が生まれる。


いや、それは翼だ。

火よりも熱く、血よりも赤い巨大な翼だ。


「……久しい、と言うべきなのか?」


チーチャだけならば、まだ何とかなった。

だが、テンジンを止めることはできない。


チーチャが、私とテンジンのことを。

テンジンが、私とチーチャのことを理解しているように、私もチーチャとテンジンのことを理解している。





そして、ライズも。





「ええ、お久しぶりですわー」


だから、私は行かねばならない。


「エンキドゥ」


火の大精霊と共に、エルダロンへ。

北海ひぐま様より、2件目となるレビューをいただきました!

愛の溢れるレビューに感謝です!

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