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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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迷い路

現世では意識していなかったが、この世界に来てから強く実感するようになったことがいくつかある。


例えば、電気とガスがない生活の不便さ。

馬で移動するのには、意外と体力を使うということ。

金貨1枚のズッシリとした重み。

文字の読み書きができ、四則計算ができることで得られるアドバンテージ……。


「魔法」や「獣人ビースト」のような突拍子のないものとは異なり知識として明確な比較基準があった分、それらから感じるギャップは今の俺が「蒼馬そうま」でなく「ソーマ」であることを日常の中で強く意識させる。


都市、そして城を目にする機会もその1つだ。


イノシシやヒグマなどよりはるかに危険な魔物が闊歩しているこの世界では、例外なく町や村の周囲に頑丈な石や土、ないしは丸太の壁が築かれている。

最低でも5から6メートル、ラルクスのような大都市なら10メートルにも達し騎士が常駐しているそれは、常人には乗り越えることも破ることも不可能だ。

さらにこれが対人間、正確には対軍属の魔導士や傭兵となった冒険者を相手にしなければならない前線の都市になると、それはもはや要塞といってもいい光景を呈するようになる。


とはいえ、魔法の存在するこの世界における城塞は単なる防衛拠点というだけではない。

例えばアーネル王国の各都市で考えると、その周囲には例外なく大小の河川が走っている。

王都やリーカンなど意図的に都市の全周を囲ませたものこそ稀だとしても、その多くは建国以来の大規模な土木工事で人為的に調整されてきたものだ。

これらは陸上軍の侵攻を妨げる盾としての水堀みずぼりであり、大量の兵力や物資を運ぶ道としての水路であり。


そして、マモーを代表とする決戦級の水属性魔導士がその力を行使する際の武器となる水源でもある。


特に水属性魔導士が多く集まるアーネルでは、まさに攻防一体の計脈として都市の中から主城の中に至るまで無数の水源と水路が張り巡らされている。

アーネルにとって水は単なる障害物ではなく、防壁であり、兵站であり、それ自体が兵力なのだ。


一方でそのアーネルと200年に渡り相対してきたチョーカでは、事情がそのまま逆転する。

山岳や高地という地形を活かして構築されるチョーカの都市、特に北部のそれの周りには水堀など1メートルたりとも存在しない。

それは充分な水が用意できないという以前に、下手に水堀など作ればそれそのものがアーネルの尖兵になりかねないからだ。


よってチョーカの場合では、高位の水属性魔導でも打ち崩されない堅固で分厚い壁を作ることが都市や城造りのスタンダードだ。

国内で産出される鉱物、それこそ低純度のミスリルまでをも組み入れられた城壁は、おそらく現世の戦国時代の攻城兵器である大筒おおづつですら歯が立つまい。

ウォリア高地にそびえるクロタンテが『帝国の門』と称され実際に200年間不落でありつづけたのには、それなりの理由があったのである。


……まぁ、その記録を地形ごと叩き壊した俺が朗々とそれを語るのはおかしいような気もするが。


しかし、まぁいずれにせよ。

都市と城。

この世界において、それらは全て単純に人口密度の高い区域でも、歴史的かつ文化的なシンボルタワーでもない。

これらはあくまでも市民を守り敵軍を殺すための、戦争のための施設なのだ。





が、そんなこの世界の常識の中であってすら、サリガシアという場所は異彩を放っていた。

『創世』から10年前にフリーダが介入するまで、暦があるだけでも2千年以上。

大陸全土でそのほぼ全てを戦争に費やしてきたサリガシアの町並みは、他大陸のそれに比べ石に由来する黒一色であるという以外にも根本的な違いがある。


中央に近づくにつれ複雑化する迷路のような通りに、幾重にもそびえる日を遮るほどの高い壁とその上の見張り台。

脈絡なく配置される空壕からごう、すなわち特火点トーチカに、黒い壁にビッシリと並ぶ狭間さまの列。

東西南北が不覚になるどころか【水覚アイズ】がなければ元いた場所へ戻ることすら危うくなるような黒の迷宮は、その全てが戦うことを前提とした建築だ。


市民を守る。

敵軍を殺す。

戦争をする。


……テンジンのことも、チーチャのことも説明する。

船や事務所の様子を見に戻ったルルたちと別れ、そう言ったエレニアに案内されるがまま歩を進める王都ヴァルニラには、リーカンやクロタンテのそれが霞むほどの濃密な死と戦いの気配が満ちている。


まるで、無数の毒蛇が溢れる洞穴の中に放り込まれたような。

一瞬の油断が、自分すら気付けぬ一瞬の死につながるような。


そんな、呼吸すらも危うくなってくるような『黒の都』の中心部に、……それは堂々と現れた。


「……見事なものだな」


アーネルの水天宮すいてんきゅうと、チョーカの帝城ていじょう

カイラン大陸でも最高の建築物である2つを何度となく訪れている俺ですら、その威容と歴史の重みに視線を囚われる。


黒一色でそびえるのは、まさしくきゅうと称するのがふさわしい力強くも美しい城塞。

『創世』以来2千年以上の不落を誇った、大陸西部4国20家の頂点。

3王家が1つ、『毒』のネイ家が王都ヴァルニラに構えし本宮ほんきゅう「ティアネスト」。


「ただいま戻りましたニャ」


その正門の奥、巨大な扉の前。

10人の暗緑あんりょくの全身甲冑を着た集団とその中央に佇む1人に気が付いて、エレニアがシムカに劣らぬ完璧な跪礼をとる。


「かの『魔王』殿に褒めていただけて、光栄ですよ?」


このティアネストの主人、すなわち現『毒の王』。

ネハン=ネイ=ネステストの声には、穏やかな笑みが含まれていた。

















胎母たいぼ

ネハンとその近衛による直々の案内で通されたのは、そう名前のつけられた巨大な楕円卓の置かれた広間だった。

左右、上下、三叉路、五叉路。

ティアネストの内部構造は、ヴァルニラ中心部をさらに凌駕する立体迷宮だ。

延々と行き来と上り下りを繰り返した果てに通された胎母の間は半地下と呼ばれるべき場所に存在はしていたが、【水覚アイズ】をもってすら1人での再訪には自信が持てなかった。


「110年前、わたくしがネイ家に生まれ物心ついて最初に課されたのは、このティアネストの通路を全て覚えることでした。

父に認められるまでには、結局2年ほどかかりましたね」


それが置かれている居城の迷路と同じように、無数のヘビが絡み合う精緻な意匠が施された楕円卓。

その上座から柔和な笑みを向けてくるネハンの後ろには、まるで彫像のように2人の全身甲冑の近衛が直立する。


アーネルやチョーカのそれとは異なる、……どちらかと言えばフォーリアルの雰囲気にも近い、神格の域に達しつつある王としての佇まい。


『毒』のネイ家の最長老にして、エレニアの登場までは26万という獣人ビースト最高の魔力を誇った『猛毒の母』。

髪のない頭を純緑の長い頭巾で隠し、決して長身というわけでもない眼前の老女。

しかし、その双眸には1世紀を超えるその年齢を感じさせない、生命力にあふれた黄色い輝きが宿っていた。


「曾孫などは、まだたまに迷子になっておりますね……。

そう言えば、ネイリングは以前お世話になったのでしたか」


「いや、ネイリングには俺も妻も世話になった。

……あいつらもヴァルニラにいるのか?」


その色に確かな懐かしさも感じ、俺はまだ村だけだったウォルで寝食を共にしていた3人を思い出す。

アネモネ、ブランカ、そしてやはりネイ家の人間であったネイリング。


「いや、ウチは大精霊になった時点で『ホワイトクロー』から抜けてるニャ。

今はアネモネがリーダになって、……確かまたカイランに行ってるはずニャー」


「……そうか」


が、かつてそのリーダーを務めていたエレニアから帰ってきた言葉は、非常に淡々としたものだった。


……確かに、俺も自分が大精霊だとわかった後はアリスに別れを切り出したことがある。

あまりに強すぎる力は、本人が望まなくともときに周囲にとっての災厄となるからだ。

それに、エレニアたちと別れてからはかなりの時間が、それこそ俺が家庭を持ち親になるくらいの時間が経っている。

アネモネたちがカイラン大陸にいるらしいということは後でアリスに伝えておこうと思いつつ、俺はこの話題についてそれ以上踏み込むことをやめにした。


……何より、今この場で聞きだすべきことはもっと他にある。


「……しかし仮にも王家の本宮、その心臓部にあっさり部外者を通してよかったのか?

エレニアにしても、出身は『爪』の分家だったと記憶しているが?」


「大精霊を相手に不落を誇れる城など、この世界のどこにもありますまい。

それは、『黒衣の虐殺者』殿が一番よくご存じでは?」


茶番の終わりを、ネハンも理解したのだろう。


「エレニアにしても、それは同じことです。

……まぁ確かに、『毒』に属する者以外でこの席に座った獣人ビーストは彼女が初めてですが」


「光栄ですニャ」


柔和な表情を少し深くした『毒の王』はここに俺を招いたことの異常性を暗に認め、エレニアもそれに無表情で応じた。


「ちなみに、人間と獣人ビースト以外では?」


それ以上の無表情……というか、赤い表面。


「……」


俺のはす向かい、エレニアを挟んだ席に座っているチーチャは、赤い仮面に開いた穴からぼんやりと部屋の天井を眺めている。


修道服を思わせるボロボロのローブに、ボロボロの頭巾ウィンプルに、ボロボロのベール。

そして大小無数の切り傷と痣や、火傷に内出血で覆われた細い首元と手足。

その先端、赤い肉だけとなった小さな20の爪先もそれだけで見る者を心を冷たくするが、この少女が魔人ダークスだとわかっている俺は他の理由で頭が冷え切っていく。


魔人ダークスは、怪我などしない。

そして、服装などその外見をある程度は変えられる。


つまり、この異常すぎる外見はチーチャ自身が望んで作りだしているものなのだ。


自身をそこまで傷つけ、それを晒すことのできる心理が全く理解できず……。

テンジンを助けたその行動を抜きにしても、赤だけで塗り潰されたその姿に俺は根源的な嫌悪を覚える。

それは人が死体や毒虫に感じるような、生理的恐怖にも似ていた。


「彼女がここに来たのも、これが初めてですね」


一瞬だけ視線をその赤に向けたネハンは、しかし一切の感情を感じさせず柔和に応じたままだった。


「……で?

俺としては、そろそろ説明をしてほしいんだが?」


「もう少々、お待ちください。

この場所にはもう1人をんで……、……着いたようですね」


少し硬くした俺の視線にも、それは変わらない。


勢いよく、しかし一切の音はなく開けられた扉とそこから現れた人物にも、黄色い笑みは崩れぬままだ。


「遅れて申し訳ありませんな、陛下。

……『魔王』殿も。

オーランド=モン=ルキルザー。

一応、このみやこのギルドを預かっている者だ」


「……ああ」


冒険者ギルド、ヴァルニラ支部長。

金色こんじき』のオーランド。


チーチャのそれとは種類の違う赤ら顔が乱暴に、しかしやはり無音で椅子に腰かけて。

ようやくネハンの瞳には、炯々とした輝きが宿った。





「死者は市民が326名、冒険者が58名、王軍が63名……、……それからエルダロンの駐留隊が44名で、計491名ですな。

負傷者もその半分ほどおりますが、重傷の者から治療を始めていますんでこちらは大丈夫でしょう。

ただ、行方不明の者が50名ほどおりますので、こちらの捜索を開始しておるところです。

……建物の方の被害は、口でご報告できるレベルを軽く超えておりますな」


紙の束をめくったオーランドからまず告げられたのは、まるで災害か戦争の後のようなヴァルニラの被害報告だった。

俺の目の前で死んだのは100人ほどだったが、実際には魔導士や騎士を含めてその5倍近くが死んでいる。


決戦級は、一都市を落とす。


上位精霊とは契約していなかったもののそれ以上の実力を持っていたテンジンは、まさしくそれを体現していた。


「ご苦労様です、オーランド。

まずは、行方不明者と負傷者の対応に全力を挙げてください」


「は」


「建物の方は、図面を引いてくれればウチが何とでもしますニャー」


「すまんな、エレニアよ」


「助かります、エレニア。

……それから、『魔王』殿も。

賊の目を奪っていただいたことで、多くの民の命が助かりました。

それに比すれば、壊れたものなど直せば済む話です。

港や街のことであれば、どうぞ気にしないでください」


「……いや」


臣下への労いと土の大精霊への感謝に続き向けられたネハンの言葉に、俺は首を横に振る。


テンジン。


認めざるを得ないが、あれは俺にとって天敵のような相手だ。

基本スペックの違う魔人ダークスであるだけでも面倒なのに、契約属性の相性が悪すぎる。

陰陽五行の土剋水でもないだろうが、比重の違いから同規模の魔導ではどうしても水は土に圧し負けてしまうのだ。


……つくづく、あのときに仕留め切れなかったのは大きい。

今更言っても仕方のないことだが、そもそも海の上にいた段階で捕縛など考えずに殺しておくべきだった。


神為掌カンナリノテ】が有効だとしても、【吸魔血成ヴァンピング】で回復できるなら意味はない。

どころか切り札を見て逃げられてしまった状態なわけで、次からは有効でなくなる可能性すらある。

当てれば終わる一撃も、当てられなければ意味はないのだ。


「……何故、止めた?

確かにお前なら次もテンジンを完封できるだろうが、……あの場で見逃すことに何のメリットがある?」


だからこそ、エレニアが俺を止めた理由がわからない。


わかっているだけで600人近い死者を出しているはずの、神出鬼没の怪物。

大精霊2人が揃い踏み、それを完全に討滅し得た絶好の機会。


それを捨てて尚得られるものが何なのか、俺にはわからない。


「そして、その魔人ダークスはテンジンとどういう関係だ?

何故、お前たちと共にここにいる?」


それを捨てさせたチーチャという存在が、俺にはわからない。


……が。


「テンジンを召喚したのが、フリーダだからニャ」


「!!!?」


それらをあっさり押し潰す単語を、エレニアは口にした。





立体陣形晶キューブは知ってるよニャ、ソーマ?」


「……」


質問ではなく確認の言葉を投げかけてきたエレニアの表情は、内心では混乱している俺のそれと同じく静かなものだった。

すぐに否定しなかった時点で答えが肯定であることは見透かされてしまうものの、それはこの際どうでもいい問題でもある。


「あの小娘がどういうつもりかは知りませんが、テンジンを召喚したのは彼女で間違いありません。

今から半年ほど前、アイクロンであの凄まじい魔力が現れたのを兵が確認しています」


エルダロン皇国の中央都ウィンダムに位置する、皇塔アイクロン。

それをずっと監視していた、と言外に獣人ビーストの王が認めたことが。


「これはギルド全体には黙っていて欲しいんだがな……、……実は北部の失踪、もう500人近いんだわ。

町ごと消えたところもいくつかあったんだが、今日ようやくその方法がわかったぜ……」


ギルドの支部長が、他大陸からの干渉を避けるためギルドに上げる情報を意図的に握り潰していたことが問題なのだ。


「お前ら……」


「正面切っては戦うつもりはニャいし、確かに服従の調印もしたニャ」


サリガシアが。


「でも、サリガシアで自国兵まで見境なしに虐殺しているのがテンジンで、それを召喚したのがフリーダ。

この事実が露見して尚、『声姫』はエルダロンの長として認められると思うかニャ?」


ずっとフリーダを潰すつもりでいたことが、問題なのだ。


「……その証拠そのものであるテンジンを殺すわけにはいかない、ということか」


武力での抹殺が難しいならば、社会的に抹殺する。

その生きる証拠であるテンジンを死なせるわけにはいかないし、自身を召喚し何らかの指示を出した、あるいは野放しにしたのがフリーダであると証言させるため生け捕りにしなければならない。

そして、当然その考えをテンジンに、その後ろで糸を引いているかもしれないフリーダに悟らせるわけにはいかない。


そのためには3王の言葉すら騙り、世界の要たるギルドのルールすら偽る。


「そういうことニャ」


執念への戦慄。

大禍への懸念。

覚悟への恐怖。

破壊への渇望。


冷たい闇のような。

しかしそれ故に純粋な感情への懐古は、長い溜息となって俺の喉を通る。


「……想像の通り、チーチャはテンジンを補足するためにウチが召喚したニャ。

ただ、都合がいいのか悪いのかテンジンの知り合いだったらしくてニャ……。

一応、一定量の血を提供することと絶対にテンジンを殺さないことを条件にして、今は協力関係にあるニャー」


「……ゾウイウゴド。

納得ナッドグハジデイナイジデムジンニ同情モズルゲレド、同ジ魔人ダーグズドジデガレ行動ゴウドウ許容ギョヨウデギナイ。

ガレノヨウナ行動ゴウドウガ、ガヅデワダジダヂヲボロボジダ」


頭痛をこらえるような俺の視線を追ってエレニアがそれを説明し、チーチャがそれを肯定した。

ご丁寧に口の中や舌までズタズタにしているらしいチーチャの言葉は聞き取りづらいことこの上ないが、確かにその口調に負の感情は感じられない。

落ち着いた、むしろ意外にやわらかく暖かい魔力からはしっかりとした自我を感じることができる。

少なくともここにいるのはチーチャ自身の意思であり、できるかどうかは別として、強制されているわけでもないらしい。

行動の理由がいまいち不明確なのは気になったが……、……4年近く一緒にいた魔人ダークスのことも理解できていなかった身としては口を出せる立場でもない。


……ならば、尚更俺が言うべきことはなくなっていく。


「……」


手段を選ばぬ復讐と、周囲にとっては不可解でも互いにとって譲れない目的の交換。


俺がここでエレニアたちにもチーチャにも激怒できないのは、この感情と選択に嫌というほど覚えがあるからだ。

狂っていると嗤えないのは、その行動でしか救われないものもあると知っているからだ。


「……そうか」


かけるべき言葉がないし、……犠牲になったサリガシアの住民には悪いが、関わるべき義理もない。

これら全てが捏造という可能性もあるが、仮にフリーダとテンジンと語ったとしてその内容が真実だと判断できる材料もない。

またエレニアたちの言い分が真実だとするならばこれを全否定する理由も思いつかず、俺の心には暗い疲労感だけが湧き出してくる。


……なら、もう勝手にやってくれ。





「ちなみに、ミレイユ……殿を召喚したのもフリーダですね。

狙いについては、テンジンと同じでよくわかりませんが」


「!?」





吐き捨てようとした溜息は、しかし何でもないことのように付け足されたネハンの言葉で打ち消された。


「ずっと見てたからな。

アイクロンを監視してたんだから、お前のことだって監視してたさ」


「……何?」


一応は気を遣ったらしいネハンのそれとは違う、非常にフランクな声が混乱する俺の鼓膜を叩く。


「520万という、フリーダに対抗できるかもしれない魔力を持つ魔導士が突然現れた……。

それを知って何も思わねえほど、老いても枯れてもないんでな。

お前の自陣片カードが登録された時点で、ラルクスには選りすぐりの獣人ビースト数十人を派遣したさ。

チョーカも動いてたし、ついでに言っといてやると当時アーネルは軍まで動かしてたんだからな?」


『創世』以来2千年を戦い抜き、文字通りの命のやり取りを日常にしてきた戦争のプロ。


「あなたがエレニアと会ったのは偶然ではありませんし、ラルクスにいた頃から今に至るまでのほぼ全てを私たちは見ています。

同じように、ミレイユとあなたとの出会いも決して偶然ではありません。

あの日アーネルで【異時空間転移パールポート】を使ったのは、フリーダの命を受けた風の霊竜ハイアです」


「……」


そして、俺とアリスすら聞き出せなかったミレイユの出自を、「見る」という最も簡単な方法であっさりと把握していた獣人ビーストの能力。


「そのミレイユとやらだが、どうやらエルダロンに渡ったようだぞ?」


「っ……」


それらをあまりに過小評価していたことに、俺は絶句する。


「ちょうどここに来る直前に届いた……とは言っても今から3日前に送られた報告で、フランドリスでの目撃情報が上がっている。

もっとも、すぐに見失った、とあったがな」


エルダロンに伏せている者の報告がサリガシアに届くまで、海路で2日から3日。

電話やメールのないこの世界ではそれでも最速となるその情報は、まさしく俺が海を越えて捜しに来たものだった。


が、この状況において素直にそれを感謝するつもりになれないのもまた事実だ。


「……ずっと見ていたなら、そうなった理由も知っているよな?」


「……ルル=フォン=ティティのことですね」


ミレイユが失踪した直接の原因である、1ヶ月半前のウォルポートでのルルとの会見。

その真意を問う俺の視線を受けたのは、やや表情を硬くしたネハンだった。


「信じていただけるかどうかは別として、少なくともルルの行動は私たちが命じたものではありません。

商会を興しウォルポートへと渡ったのも彼女自身の意思による行動ですし、当然、その場での言動についても一切関知はしていません。

ただ、彼女の出身地であるナゴンはそのほとんどがテンジンの餌食になっており……、……南北戦争当時に、傭兵だった彼女の弟がクロタンテで戦死しています」


「……」


故郷の仇と同じ召喚元の、仇の知り合いかもしれない魔人ダークスが……。

……弟の仇である『魔王』の部下としてのほほんと暮らしていた。


ネハンの自己申告通り仮に信じたとしても、それでもお門違いもいいところで八つ当たりも甚だしい理由だ。

が、人が悪意に溺れるには……充分すぎる理由だろう。


「実際にテンジンとミレイユ殿がどういう関係にあるのかは私たちも把握していませんし、ルルがそれを知っているかもわかりません。

必要があればソリオン殿を通してこの場に出頭させますが、……ヴァルニラとしてそれ以上のことは難しいですね」


「いや、……必要ない。

言い出しておいて何だが、もうルル本人と話はついている」


一応は『爪』の陣営に所属しているルルを拘束するため、『爪の王』に話をしてもよい。

『毒の王』として最大限譲歩した上での申し出を、俺は断った。


が、それはネハンに申し訳なさを感じたからでも、ルルに同情したからでもない。





『次にお会いできるときは、どうぞかたきとして』





この言葉を俺に残したミレイユの真意が、俺にはまだ理解できていなかったからだ。


俺のポケットでクシャクシャになっている文面とテンジンの言動から考えても、2人には繋がりが、それも俺にとってかなり愉快ではない繋がりがあるのはおそらく間違いがない。

問題なのは、それがどのレベルまで危険なものであるかだ。

テンジンがあのような人物で、しかもそれがフリーダと繋がっているかもしれない。

そうなるともうこの際、ルルが何を知っているかはどうでもいいとすら言える。


俺が、アリスが、フォーリアルが。

ウォルとネクタが無関係を装うどころか、敵視しなければならなくなるような「何か」。

ミレイユ自身がその何かを実行しようとしていることが、最大の問題なのだ。


もはや、俺の最優先すべきは事実関係の確認ではない。

一刻も早く、ミレイユの身柄を確保して連れ帰ることだ。


……ならば、すぐにでもエルダロンに渡るべきか…………。


多分ダブン姉様ネエザマハデムジンヲ討ヅヅモリ」


そんな俺の逡巡を見透かしたかのように、チーチャの細切れの声が響く。

仮面の奥の、赤い瞳は。


「ゾジデ、『声姫ゴエビメ』モ」


ミレイユと同じ色で、姉と呼んだ人物の凶行を予言した。

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