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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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モノクローム 中後編

【テンジン……、……いえ、心当たりはございません】


【そうか……】


全てを凍てつかせていた【氷霧宙ミスト】を解除し、吹き飛ばした船尾を大雑把に氷で塞いだ後。

船首の先の大陸の影をにらむ俺は、【思念会話テレパシー】でシムカにテンジンのことを伝えていた。


【『浄火じょうか』以外でわたくしが遭ったことのある魔人ダークスは3名だけ……、……それも、最も新しいものでも700年以上前の話になります。

男が1人、女が2人でしたが、いずれもそのような名前でも風体でもございませんでした】


【700年、か】


1600年を生き、『浄火』と直接対峙もしたという最古の水の上位精霊。

俺の問いに応じて忠実に、そして真摯に記憶を辿っているその生真面目な声に耳を傾けながら、俺は口の中のパンを飲み込む。

久しぶりとなる本気の魔導の連発に、ほぼ最終の防御手段でもある「全身精霊化」で失った魔力の補充。

間に合わないとはわかっているが、ヴァルニラでのテンジンとの再遭遇に備え。

あるいはあの台詞を残しておきながら再度奇襲をかけてくる可能性も考え、少しでも魔力の足しにするため俺は持ち込んでいた干し肉を齧る。


【元々が非常に数の少ない種族でしたし、私の知る限りでは契約したことのある兄弟姉妹もおらぬはずです】


【念のため、他の者たちにも再度聞いておいてくれ。

それからフォーリアルとムー、……ベテルにもだ。

……ああ、アリスのいないところでだぞ?】


【御意に】


シムカ以外の他の水の上位精霊たち。

『創世』より2千年以上を生きる最古の大精霊と、その従者。

そして、ラルクスのギルド支部長エバと契約している、唯一顔見知りの火の上位精霊。


思いつく限りの聞き込み先を指示しながら、俺は慌てて最後に付け足した。


【ない、とは思っているがテンジンや……他の魔人ダークス、あるいは獣人ビーストがウォルを攻撃する可能性もある。

フォーリアルにも協力を仰いで、それらを前提とした防衛網を敷き直せ。

それから、アリス本人に気取られないように守護を厚くしろ】


【お任せを】


ルルたちの行動の意味。

テンジンの襲撃の理由。

ミレイユの失踪の真実。


全てがわからないために、悪手だとわかっていつつも後手後手で全てに対応せざるを得ない。

加えて、……アリスにこれ以上精神的な負担をかけさせたくない。


多分に俺の私情も含んだ命令に、しかしシムカは力強い承諾を返してくれた。


【それから……、サリガシアに着いた、とだけ伝えておいてくれ】


【確かに承りました。

では、失礼いたします】


シムカの気配が消え、何かが途切れたような感覚と共に潮の匂いが戻ってくる。


「……」


同時に背後を巨大な尻尾が近づいてくることも知覚できていたが、俺は前を向いたまま干し肉を飲み込んだ。





「……あれが魔人ダークス……、……ですか」


隣に立ったのは、船員に指示を飛ばし終わったルルだ。


「初見だったのか?」


「ミレ……、……代行様以外ではそう、ですね」


その口調に、テンジンを仕留めきれなかった俺を嘲弄するような類のものはない。

凪のように静かな藍色の瞳に映るのは、仮にあの場で自分たちが参戦していても何もできなかっただろうという、純粋な感想だ。


常識外れの刺突と殴撃を成す膂力と身のこなし。

俺の魔導を食らって尚あっさりと再生する回復力と、海の上で奇襲をかける機動力。

そして、最後に放たれた不可視の魔導。


終わってみればわずか数分に過ぎなかった攻防の中で、戦者たる獣人ビーストであるルルの瞳にはテンジンという魔人ダークスの強さも、それを迎え撃った俺の強さも正確に焼き付いている。

あの場では俺の判断が正しく、自分たちにできることはなかった。

しかし、その俺ですらテンジンに敵わなかった。


それを冷静に理解できているからこそ、そこに宿るのは敗戦の盤面を苦々しくにらむ軍師としての光だ。


そして、それは俺にしても同じことではある。


あの場で、テンジンが去らなかったとして……。

たとえこの船を見捨てたところで、俺が勝利できる保証などなかった。


「……前代行だな。

それから、別に敬語でなくて構わんぞ」


負け犬同士が傷を舐め合う、親近感。

それをルルから持ちかけられているような錯覚が湧き上がり、俺は心中で舌打ちをする。


「敬意のない敬語に意味はないし、逆に不愉快だ」


「……ハッ」


距離を取ろうとする言葉を、ルルは鼻で笑った。


「……ああ。

それからハルキの件、上役としてお礼申し上げますわ」


「……残念だったな」


それでも直後に敬語を使ったのは、彼女なりの意趣返しなのだろう。

テンジンに海に捨てられ、【氷霧宙ミスト】により氷の一部と化していたハルキの遺体。

海水ごと持ち上げてそれを回収してやったことへの短い感謝に、俺は無表情で言葉を返す。


部下を失ったことか、あるいは殺したことか。

守れなかったことか、あるいは守る気がなかったことか。


魔人ダークスっていうのは、……あんなに強いんか」


「俺も、ミレイユ以外で見たのはテンジンだけだ。

ミレイユと本気で戦ったこともないわけじゃないが……、……まぁ、あんなものだろうな」


もはやお互いの心中を真っ直ぐに見通せぬことを理解している俺たちは、視線を合わせぬまま言葉だけを交わし続ける。


「あれ、アンタより強いやろ?」


「少なくとも、捕縛するのは無理だな」


が、奇妙なことに、だからこそ俺とルルは事実だけを口にしていた。


「殺すことなら、できると?」


「あれが、あいつの全力ならな」


同じ方向、鮮明に見えてきた巨大な大陸を見つめながら、俺たちは同じ盤上を見つめている。


「じゃあ、そうせなあかんな」


が、それは同じ駒を見ているわけではないし、互いを仲間だと思っているわけでもない。


「あんなんに好き放題、させれるか」


吐き捨てたルルは踵を返し船室へと歩いていくが、俺はそれに付き合わない。


同じ方向に進む船に乗っているだけの、他人同士。

俺とルルとの関係は、まさしくそれに過ぎなかった。

















ときに、ラルポートを出航する船の上の人々はヴァルニラを『黒のみやこ』と呼ぶことがある。

もちろんそれは別に俺と何か関係があったり、あるいはヴァルニラが犯罪都市だからというわけではない。

単純に、目に入る建物の全てが炭の断面のような艶のある黒色をしているからだ。

カイランが黄色く乾いた土、ネクタが赤茶色のよく肥えた土壌に覆われているように、サリガシア大陸の大半はまるで練墨のように黒く硬い大地に支えられている。

場所柄どうしても土属性魔導の使い手が多いサリガシアでは、必然それがそのまま建材の色となっていた。


尚、念のため言っておくと、サリガシアにおいて町の風景が黒に占められるのは決してヴァルニラだけではない。

『爪』の王都であるコトロードも同じく『牙』のベストラも、他東西南北大小を問わず基本的にサリガシアの町は全て黒い。

にも関わらず『毒』のネイ家が治めるヴァルニラだけがそう呼ばれるのは、『黒』よりも『都』の方に重点が置かれているからだ。


ヴァルニラはサリガシア大陸の最も南西に位置する港湾都市であるため、ラルポートとアーネルポート、チョーカのビスタとカカ、ネクタのカンテンノクチからの交易船が全て入ってくる。

さらにエルダロンのフランドリスからの交易船の大半も入港するため、ヴァルニラは世界で最も船の出入りが多い都市としても知られていた。

そして船とは、商品と人間、あるいは率直にお金の塊でもある。

世界で最も大陸間の出入りが多い都市でもあるヴァルニラは、全大陸の最先端が交通する世界最大の港湾都市でもあった。





「「……」」


命属性霊術【視力強化ホークアイ】に頼らずともその『黒の都』の景色がしっかりと視認できる距離まで近づいた『プーレイ』の上で、しかし俺やルルをはじめとする人間たちは歓声も懐郷の言葉も、どころか何の声を発することもできなかった。


「な、何があったんだ?」


耐えきれず誰かが呟いた声も、半狂乱で逃げ惑う市民や船員の叫びと悲鳴にかき消される。


黒一色でありながら最も美しい都市と称されたヴァルニラには、4つの巨大な穴が空いていた。


……いや、それは表現としては正しくない。

正確に言えば、都市が円形に削り取られていた。

小さいもので直径10メートル程度、巨大なもので100メートル近く。

完全な真円となっているその円周には、中の家具ごと弧の断面を晒した商店や丸く切り取られた石畳の途中、ナイフで削られたバターのように一部が薄くなった壁が並んでいる。


一方で、真円の中の部分には黒い瓦礫の山が低く積もっていた。

家を成していた、店を成していた、道を成していた、壁を成していた、あるいはそれらを支えていた黒い大地。

叩きつけられた皿のように粗く砕かれた、その中に。

……明らかに土ではないものが多数混じっていることが【水覚アイズ】で感じられて、俺の眉間には深いしわが寄る。


「「な!!!?」」


「……チッ」


700メートルほど先の住宅密集地、轟音と共に「それ」が持ち上がったのを見て上がった船上の悲鳴に遅れて、さらに俺は舌打ちをした。


それは言うなれば巨大な椀、ないしは鉢の形状をしていた。

直径は122メートル、全高81メートル、厚みがおよそで3メートル。

周囲の建造物を地面ごと分解する青い光の中で、それこそ超常現象のように鉢が20メートルほどまで浮き上がる。


「……土属性の……、……【石臼鉢スリヴァヤー】か」


もんが……」


続けてほぼ同じ大きさの鉢、ただし100人近い人間が入れられたそれが持ち上がっていくのを知覚して、俺の喉を掠れた声が通り抜けた。

本来は直径数メートルほどの容器を2つ造って重ね、それを逆回転させることで大量の材料を挽砕する土属性中位魔導……。

しかも攻撃ではなく工業魔導に分類される、その名前。

目の前というにはやや遠い空の上で91人の獣人ビーストと2人の人間を挽き潰そうとしているその正体を聞かされて、隣のルルからは感情のない罵声が漏れた。


「あれ、止めれんか?」


「すまんが、ここからでできることは……ない。

上の鉢を撃ち落とすくらいしかないが、結果としてはあの中にいる以上の人間が死ぬだろうな」


ルルの低い声に、俺は淡々と事実だけを答える。

手を抜いているわけではなく、実際問題この距離とタイミングであの93人を助ける手段を俺は思いつけない。

唯一間に合いそうなのは上の鉢を【氷艦砲シーカノン】で粉砕することだが、街中で艦砲射撃を放つこととその破片による被害を考えれば逆効果でしかなかった。

それにやったとして結局93人が死ぬ時間を少し稼げるだけに過ぎず、事態はほとんど好転しない。


「……そうか」


溜息のようなルルの返事と同時に、ドーーーーン、と上下の鉢がぶつかる遠雷のような音が響く。

そのまま地響きのような摩擦音は続き、ゆっくりと逆回転する鉢の中でどんどんと「水」が満ちていく光景が俺の【水覚アイズ】には映し出されていた。


「……だが、これ以上のことはさせん」


「せやな」


大規模すぎる、【吸魔血成ヴァンピング】。

術者の目的を悟って冷え切った俺の声に、ルルは【創構グラクト】の詠唱を始める。

青い光と共に『プーレイ』の装甲板から薙刀を掴みだす『描戦』の隣で、俺の目には【石臼鉢スリヴァヤー】の下。

すなわち、冒険者だろう軽く10人以上の獣人ビーストが倒れ伏す中心で600メートル先の俺の方へ顔を向けるテンジンの姿が、はっきりと知覚できていた。

それぞれの得物を構えたキャメロンとゴードンが船首に並ぶ中、テンジンの全身で灰が舞う。


テンジンを包囲するように、周囲200メートルほどの中空で構成した透明な砲弾。

遠隔発動させた【氷撃砲カノン】の集中砲火を浴びて全身を貫かれる中、しかしテンジンはそれら全てを無視して錫杖を打ち鳴らした。

その動作だけで、シャラン、とここまで聞こえるはずもないあの涼しい音色が脳裏に再現される。


頭上、呼応して底に1メートルほどの穴が開いた【石臼鉢スリヴァヤー】からはまるで赤い柱のように大量の血液が落下し、それは重力に従って下に……。




「……!」


……ではなく、真横に流れた。





「さて、テンジン」


皮肉なことに死んだことで一切の魔力抵抗がなくなり、簡単に俺の支配下となった93人分の体液。

その巨大な帯はまるで赤い鯉のぼりのように空を横切り、そのまま俺の意の通りに音もなく消失する。


「悟ったか?」


唇をつり上げる俺に怒りの表情を向けたテンジンが【散闇思遠バッティング】すると同時に、俺は全身に【氷鎧凍装コキュートス】を展開した。

隣では、3人が土属性中位魔導【軽装ライソー】を発動。


「キャメロン、ゴードン、行くで!」


「「応!」」


完全な着岸を待たず船首の柵を踏み割って船着場へと跳んだ3人を追って、俺は海水製のタラップを踏んだ。

















とするか、まわる命を!」


「命を語るな、このド外道が!」


船着場の黒い石畳の上、実体化と同時に俺の頭へと振り抜かれた錫杖を受け止めたのは、左からスマッシュ気味に振り抜かれたミスリルのトンファーだった。


「ハルキの仇、ここで討たせてもらう!!」


ゴードン=ゴー=ゴライアス。

ハルキと同じくクロワッサンのような角を持つその若い獣人ビーストは、テンジンの腹部に気合いと右腕を突き立てる。

同時に、土属性中位【重撃ヘイトー】を発動。

船の装甲板から作り変えられた直径5センチほどのトンファーの打撃は瞬時に数百トン超の砲撃へと変わり、宿った怒りと重力はテンジンを怒声ごと吹き飛ばした。


「邪魔をする、な!?」


その着地点。

衝撃で石畳を踏み割っているゴードンに跳びかかろうとしたテンジンは、しかしその場でガクリとつんのめる。


「……おのれ」


黒い布に包まれた視線は、異変が起きている自分の足元を見つめて憤怒のそれへと変わる。

左脛部内側、現世において「弁慶の泣きどころ」とも称される箇所。

目元と同じく黒で覆われているその部分には外側へ貫通する形で分厚い短剣が突き刺さり、ミスリルでできたその柄を握る右手は地面へと続いていた。


「……」


キャメロン=カン=ライアン。

デクルマ商会の副会長としてルルの隣にいた中年の獣人ビーストは、今は文字通りテンジンの真下、石畳で包まれた地面の中に潜り込んでいる。


土属性中位魔導【潜咬タイソーン】。

それは今俺が目にしているように土の中にその身を潜らせる隠伏魔導であり、奇襲魔導である。

原理としては、【創構グラクト】で生コンクリート上に変質させた地面に身を沈ませるだけ……。

なのであるが、しかしいくら変質させまた桁外れの筋力を持つとはいえ、土の中に生身を割り込ませれば獣人ビーストといえど動けなくなる。

そのため、これを実用できるのは78家ある獣人ビーストの中でも特に強靭で柔軟な体を持つ『毒』のネイ家とその近族のわずか3家のみ。


しかしながらこの悪名高い暗殺魔導は、そのわずかな使い手だけでこれまで『爪』や『牙』の陣営に戦死以上の将の死をもたらし続けてきたのだ。


「……」


叩きつけられる錫杖の石突を無言で嘲うように、その暗殺者の腕と短剣は黒い地面へと沈む。


「せえーのっっっっ!!!」


「お、……おぉっっ!!!?」


苛立ちの中で、嵐のような旋風と耳が痛くなるほどの金属音がテンジンに叩き付けられた。

かろうじて錫杖で止められながらもその首のすぐ右で光を放つのは、刀身2メートルを超えようかというミスリルの三日月。

剛力を誇る魔人ダークスに全力をもって防御させたその袈裟斬りを目で追うと、6メートルもの長大な柄と巨大な筆のような尻尾が目に入った。


土属性高位魔導【拡構エクスト】。

ルルが行使したそれは、魔力を注ぎ込むことで一時的に物体を相似拡大させるという物理学者が聞けば失神するような高位魔導である。

土属性の魔導であるため対象となる物質は鉱物だけで構成されたものに限られ、しかもその効果は数秒。

さらに魔力の相性によって干渉できる物質も数種に絞られるらしいが、その質量保存の法則を無視した威力は「反則」の一言だ。


「片足、かつこのタイミングで、これを止めるんか」


俺を囮として攻撃のラインを絞らせ。

それをゴードンが正面から迎え撃ち。

その隙にキャメロンが機動力を奪い。

それを陽動に、必殺の一撃を必中させる。


減重ディライ】と【軽装ライソー】によって超加速がなされ、【拡構エクスト】と【重撃ヘイトー】によって超加重がなされた斬撃。

全てを合わせても15分に満たない邂逅だけでテンジンの性格を読み切り、完璧な組み立てから完全な一撃を繰り出した『描戦』は、しかし苦々しく唇を結ぶ。


「貴様ら……」


その冷たい藍色の視線の先では、テンジンが衝撃で砕けた両腕と千切れて灰となった左足を修復していた。

怒気ではなく殺気で満たされた声から逃げ出すように、巨大な銀色の刃先は後退を始める。

地面にカラカラと傷を付けながら長さが縮み、それと同時に直径も小さくなった薙刀を自身の肩に立てかけながら……。


「まぁ、……それでええんやけどな」


その唇は、ニヤリと弧を描いた。


「!!!!」


瞬間、テンジンを中心に円形の水の壁が地面から天へと昇る。

半径2メートル、厚さ50センチ。

上空100メートルまで立ち上がり、既に展開されていた半径300メートルの水の天井を貫通した冷たい筒は、直径4メートルの円柱状に内と外とを隔離する。

空を睨む砲身にも見えるその足元からは、まるで花火の導火線のように水の帯が伸びていた。


……ただし、実際にこれから起こることはその真逆であるが。


「ふさげ!」


水の帯を握る俺が叫ぶと同時に、ルル、ゴードン、地面から脱出して俺の隣に並んだキャメロンが両手で耳を押さえて身をかがめる。

さらに、その前に立ち上がる分厚い氷の壁。


「……!!!!」


直径1メートル、長さ2メートル、重量約1.5トン。

上空2千メートルから直下に撃ち下ろされた【氷艦砲シーカノン】は、2枚の壁の向こうで怒号と地面ごとテンジンを粉砕した。


「「「……ぐ、ぁ!」」」


爆煙となる黒い地面と立っていられないほどの振動と共に、一拍遅れて豪雨のような轟音と衝撃波が周囲一帯に降り注ぐ!

カバーした余波ですらその暴威を奮うマッハ2の艦砲射撃は石の地面が噴火したかのようなクレーターを眼前に作り出し、無数に走る亀裂と飛び散る破片は船着場自体を破壊していた。


「うぉおおお、アホか、アホか、アホかお前!!!!」


海に面していた地面は一気に砕け、付近にあった倉庫が次々に倒壊。


「流石に船の上でこれはできないからな!!!」


船を守ろうと制御しているため不気味なほど静かな灰色の海の中へ、船着場全体が崩れ落ちていく。

石造りの倉庫や船奴の詰所が並ぶ倉庫街、すなわち無事な陸地へと走りながら、ルルと俺は声を張り上げた。


「ハァ、ハァ、当たり前でしょうが!!」


「地面の上でも敵いませんな!」


ゴードン、キャメロンがそれに続き、地面に亀裂のないところからさらに20メートルほど走ったところで俺たちは足を止める。

ルルの一撃までを含む3人の連携すらも陽動とした、おそらくは世界最強の物理攻撃である【氷艦砲シーカノン】の直撃。





「ええ加減死ねよ、このもんが!」


それを受けて尚爆心地から吹き上がり出した肌を削るような魔力の奔流に、それを段取った『描戦』ルルが咆哮する。


「ミレイユが消えてなきゃ、魔人ダークスの殺し方も聞けてたんだがな」


「「……」」


溜息混じりの俺の「独り言」は、ゴードンとキャメロンにも黙殺された。


……シャラン、と白と黒が積み上がる。


「王も愚かか、しもべが愚かならば?」


実体化したテンジンは、俺たちの視線の先で冷やかに吐き捨てた。


450……、……というところか。


「……やはりくだらぬ、この世界など」


俺が「万」を省略して測ったその魔力の中心では、傷どころか服装の乱れすらないテンジンが立ちふさがっていた。

左右を飾り気のない2階建ての建物の列に挟まれた、やはり黒い石畳が丁寧に敷かれた幅10メートルほどの通り。

その中央に立つ魔人ダークスの服装から、まるで自分が墓場にいるような錯覚に囚われそうになる。


「文句があるなら俺じゃなく、『時』か『命』の奴に言え。

その2人が創ったものなんだろうが?」


……さて、どうするか。


どうでもいい独白に対してどうでもいい茶々を入れながら、俺はあらためて状況を確認していた。


ルルたち3人が合わせて10万足らず、俺がせいぜい350万程度。

すなわち、1対4と仮定して尚魔力の差は100万近く。


魔人ダークスは負傷しない以上、致命傷を与えて動けなくすることは不可。

かと言って、現状の魔力差がある中での捕縛も難しい。

そして、周囲は無人とはいえここはもう都市の中、ルルたちを無視したとしても【死波シナミ】のような広範囲攻撃は使えない。

いや、それ以前に事がここまで至っているのならば、もうテンジンを見失うこと自体を避ける方がいい……。


……そうなると、やはり近距離戦を主体にして少しずつ削っていくしかない、か。


ただ、【石臼鉢スリヴァヤー】を使ったことからテンジンは土属性の魔導士。

使えないのか使わないのかはわからないが、【重撃ヘイトー】や【拡構エクスト】あたりの重力操作魔導を使われるとなるとさらに危険度は増し、肉弾戦において俺は足手まといでしかなくなる。

それよりもむしろ、【吸魔血成ヴァンピング】の妨害と【散闇思遠バッティング】への警戒、後方支援の砲台に徹した方がいいか。


「「……」」


同様の結論に至ったらしく俺の前に小さくうなずいたルルが、そのルルからの一瞬のアイコンタクトを受けてゴードンがさらに前に出る。

キャメロンはその位置のまま、再び【潜咬タイソーン】の詠唱を始めていた。


「むしろ、時の大精霊の方については抗議に終わらず、2、3発殴ってくれても構わんぞ?

……俺としても、色々と言いたいことがあるんでな」


「……ほう?」


ゴードンとルルが【軽装ライソー】、次いで【減重ディライ】を重ねる中で、テンジンは律義に俺の言葉に反応してくれる。

200から500メートルほどの周囲の空に無数の【氷撃砲カノン】を用意しながら、俺は時間稼ぎに過ぎない言葉の応酬を……。





「それを語るか、貴様ごときが?」





「……!!」


続けようとして、できなくなった。


「「「……!?」」」


肌、どころかその下の肉や骨に痛みを感じるほどの、まるで全身を挽き潰されそうな魔力。

静かな声とは裏腹に一般人ならこれだけで殺せるほど凶々しい魔力の圧が直撃し、獣人ビースト3人も苦痛に顔を歪める。

そこに込められ、封じられた赤い瞳が俺に叩きつけているのは、嘲弄や侮蔑といった生易しいものではない。


「大概にせよ、おごるのも」


憎悪。

仮にも『黒衣の虐殺者』と呼ばれる所業を成してきた俺が嘔吐感を覚えるほどに、密度の高い負の感情。


今回に関しては、挑発する意図はなかった……。


「この世をわらう『魔の王』は、この世に唯一ゆいいつ独人ひとりなり!」


……が、どうやら俺は地雷を踏んだらしい。


地面を叩き割るほど強く振り下ろされた錫杖に呼応して、倉庫街は墓場から地獄へと変わる。





土属性高位魔導【万珠車解マーダーラ】。


通常においてそれはバレーボールほどの4つの石球を作り出し、自分を中心にした半径2メートルほどを円周回させ続ける攻撃補助、および防御を目的とした魔導である。

込められた魔力にもよるが時速60から80キロほどで衛星のように周回し続ける100キログラムの石の塊は、わずか4つといえど当たり所によっては即死する殺傷能力を持つ。

また、発動させれば以後は細かな操作を必要とせず、術者の移動に合わせて自律的に円軌道もついてくる。

これらのことからサリガシアの戦場、特に将同士の一騎討ちの場でよく見られたという、ある意味ではオーソドックスな土属性魔導だ。


「「……な!?」」


しかし、声を揃えて硬直した俺たちの前では、オーソドックスからはかけ離れた非常識すぎる光景が広がっていた。


「この魔導はあまり好まぬ、鬼命きみょうさせられぬ故。

……ぎゃく、それもまた致し方なし」


倉庫の壁が砕け、通りの石畳が砕け、支えがなくなり倒壊する倉庫の屋根が砕け、石畳の下の大地が砕け。

その破片が集まり形作るのは、円周に大人2人の両手が回るか回らないかという巨大な石球だ。

仮に比重を3で計算するのであれば、およそ12トン。

ダンプカーとそれほど変わらない重量を備えた、その黒い石球は……。


「退がれ!」


周囲50メートルという狭い範囲の中に、【水覚アイズ】で知覚できる限りでは実に54個が浮上していた。


キャメロンが慌てて【潜咬タイソーン】で地中に逃げる横を、俺とルル、ゴードンは全速で背後に走る。

戦闘中の敵に背を向けるなど精神云々以前に危険極まりない行為だが、この場では全速で逃げないことの方がはるかに危険だと全員の視界が告げていた。

視界の左端で石球が1メートルほど、その奥では9メートルほど、駆け抜けた背後では5メートルほどと、54の衛星はそれぞれの位置でピタリと止まる。


9つの石球を持つ円周が、大きさや高さを変えて6本。

目に映らずとも【水覚アイズ】に映るが故にそれが知覚できてしまい、したがってその次に起こることもわかってしまう。


何無なん


通常の倍以上の数、千倍の質量を持つ極大の【万珠車解マーダーラ】を6重展開したテンジンは、それを端的に予言した。


瞬間。

上下左右の黒が、左右へ線を作る。


「「!!!!」」


残像が発生するほどの勢いで円周回を始めた石球は、風切りの甲高い音と雷鳴のような破砕音を供にその軌道上の全てを破壊した。

間一髪で最も外に位置する石球の横を走り抜けた俺の背後では、残っていた倉庫や建物が次々に打ち砕かれていく。

時速数百キロで回転し続ける岩石の嵐は、テンジンが歩みを進めると同時にその暴風圏を移動させた。


「何とかならんか!?」


「魔力も比重も向こうが上なのに、できるわけがないだろう!」


商店、倉庫、その中の棚や机、看板、壺に木箱、交易品であろう食料や武器、衣類に鉱石に霊墨イリス……。

全てを木端微塵に粉砕する台風からとにかく逃げながら、隣のルルに怒鳴り返す。


質量、速度、遠心力。

その上魔力もこもっているとなると、あれはもはや俺の氷や水では止められない!

仮にテンジンを直接攻撃しても、コントロールを失った石球があの遠心力のまま周囲に飛び散るのであればそれを回避しなければならない!

何より、至近距離にいたことが災いして全力疾走で逃げねばならず、考えをまとめる余裕も時間もない!!


クソ、もっと鍛えとくんだった!!!!


既に300メートル近くを走っているが、【万珠車解マーダーラ】による漆黒の嵐は変わらず俺たちの背後50メートルほどをピタリとついてきている。

テンジンも実体化して走っている以上どうやら【散闇思遠バッティング】とこの魔導の併用はできないらしいが、その情報を役立てれるためにはこの場を逃げ切らなければならない。


……が、そろそろ俺のスタミナも限界だ!


海水を使った【死波シナミ】で、周囲一帯ごと押し流す。

あるいは【氷艦砲シーカノン】をテンジンに撃ちこむ……。


せめて海に出られればもう少しマシな方法もあるのだが、生憎とその方向は俺の真後ろだ。

船着場から倉庫街、倉庫街から商店街へ。

内陸へとどんどん入っているわけだが、その軌跡には幅100メートルの瓦礫の山が延々と続いている。

先にテンジンが暴れていたため周囲の住人の大部分がこの一帯から避難できているらしいことが、せめてもの幸運だろうか。


「せめてっ、海のっ、方にっ、戻りっ、たいっ、ですっ、ねっ!」


「最初のっ、陣取りっ、間違えたっ!!」


「……っ、……っ、……っ、……っ、……っ!!!」


500メートル走ってまだ会話できているゴードンとルルに加わる余裕はなく、俺は走りながら【完全解癒リザレクション】の陣形布シールを発動。

頭や胸の痛みを引き起こしている酸欠、乳酸で足を止めようとしている疲労を無理矢理回復する。


……とりあえず、これであと400メートルほどは走れる。

が、陣形布シールで、そして【精霊化】による回復が追いつかなくなれば本当に打つ手がなくなる。

何より、魔力が切れればそのままテンジンの餌食になって終わりだ。


「……っ、……っ、……っ、……っ!!」


「アカンっ、……っ、げっ、かぃっ!!!」


「……クソっ!!!!」


ギャンブルになるが、【氷艦砲シーカノン】でテンジンを直接叩く。

石球がどういう動きをするかは読めないが、とりあえず【氷鎧凍装コキュートス】をまとって伏せておけば即死はしないだろう。


ルルたちとヴァルニラは、諦める。


このまま時間を稼いでも状況が悪化するだけだと見切り、俺は前方の上空1キロで【氷艦砲シーカノン】の作成を開始する。

同時に【氷鎧凍装コキュートス】のイメージを……。


「……は?」


集中しようとした俺の視界に入ってきたのは、俺たちの前方。

すなわち、必死で走る俺たち3人と、その後ろで都市を破壊し続ける【万珠車解マーダーラ】の通過する場所。


「「……!」」


無人の通りの中央をこちらへと歩み、あまつさえユラユラと右手を振って再会を喜んでいるらしいその姿を目にして、ルルとゴードンも息をのむ。


少し乱れてはいるものの、ショートにまとめたオレンジの髪。

少し痩せてはいるものの、笑みを浮かべる金色の目。

そして、茶色く三角形の、……大きなネコの耳。


唖然とする俺とすれ違い、そのままごく自然に【万珠車解マーダーラ】に向かって歩き始めたのは、かつて共に旅をしウォルを築いた獣人ビースト





「久しぶりニャ、……ソーマ」





エレニア、だった。

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