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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐

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106/179

ショート・エール 地吹雪 前編

3部までとは異なり、4部からは本編途中にショートやアナザーを挿話する場合があります。

完結したわけではありませんので、ご安心ください。

『出張組』。

……つまりサリガシア各地に赴任する騎士隊には、その赴任地によって大きな格差がある。


言うまでもなく、一番楽なのはヴァルニラ、コモス、バルナバの港湾都市駐留組だ。

フランドリスはもちろん、カイラン大陸のアーネルとネクタ……。

それぞれからの船が直接往来する3国それぞれの港町はエルダロンと比べても少し気温が低い程度で、この嫌がらせみたいな雪は降らないし積もらない。

その中でもヴァルニラは『毒の王』のお膝元というだけあって特に整備が行き届いており、全赴任先の中でも人気ナンバーワンだ。


難点があるとすれば、そこの枠はウィンダムに居を構えるような貴族家のボンボンどもが独占していて……。

平民出身のオレらみたいには者には、最初から縁がないことくらいだろう。


その次に楽なのが、『毒』のチェイズとクキ、『爪』のコトロード、『牙』のベストラにレンゲ……。

要するに、各国の【時空間転移テレポート】で転移できる都市だ。

クキ以外は挨拶みたいに雪が降って当然のごとく膝下まで積もるようなクソ寒い町ばかりだが、それでも【時空間転移テレポート】が使えるだけ充分幸せだと思う。

……どっちにせよオレらみたいな下っ端が行けるような場所じゃないわけだし。


で、最悪なのが……、……ああ、本当に寒いな!


平民出身の下っ端こと、このティモン=ティリージーが飛ばされるような時計塔のない大陸北側の都市、ヨルトゴだったりするわけだ。

他にもチョウミンやらナゴンやらロメオやらが該当するわけだが、景色も寒さも雪深さもほとんど同じである以上、区別する意味はあまりない。

等しく真っ白で、死にそうなほど寒くて、狂ったように雪が降って……。

そして、その中でオレら木端こっぱ騎士はえっちらおっちら輸送物資を運ばなければならない、というだけの話だ。


エルダロン皇国騎士団、サリガシア駐留部隊。


確かにそこそこ響きはいいかもしれないが、その良さを享受できるのは全体の6割までで。

そして、オレは残念ながら4割の方だったという、フランドリスで船に乗る前からわかっていたことなのだ。


「うぅ、さみぃ!」


「ティモン、罰金な」


「……クソッ」


気温か雪に関する文句を1度言うごとに、大銅貨1枚の罰金。

多くの駐留部隊で採用されているであろうローカルルールに抵触したことを目ざとく指摘されて、オレは前を向き直ったワンカの後頭部に悪態をついた。


騎士団入隊時に支給されるミスリル軽合金の半甲冑に、ルルカスとかいう巨大雪ウサギの皮から作られた耐雪服。

その上からはコーソンの皮をなめした絨毯みたいに重たいマントを羽織り、足枷みたいなブーツ。

さらには火属性霊術の【暖気布モヒート】まで使ってまだ震えが止まらないのだから、仕方がないだろうが!


「……」


「……クソ」


冷たい同期以外の誰かの共感を得ようと左上に視線を送るが、返ってくるのは半分閉じられた眠そうな瞳。

ヴァルニラから送られてきた霊墨イリスや替えの装備、酒や砂糖を満載にした大橇おおぞりを引かされているコーソンとは、残念ながらわかり合えそうもない。

オレたちのマントやブーツに使われている灰色の皮で全身を覆われているまるで石壁みたいな牛は、モシャモシャと反芻している口元の涎を小さな氷柱つららにしながらもノシノシと足元の雪を踏み潰し続ける。


コーソン12頭と6台の大橇に、騎士が24名。

クキからヨルトゴへと越境中の駐ヨルトゴ第2小隊の周囲には、ただひたすら雪しかなかった。

















そもそもの話をすればやはり強すぎる魔導士、しかも成人したての少女に、「一般人」が戦争をするときの兵站を理解しろというのがまず無謀な話だったのだろう。


港湾及び各都市間の移動、都市内での活動に伴う人間種族以外への一律課税。

上記を監視し、また徴税を担当するエルダロン兵の常駐。


簡単に命令しているが、簡単に命令される方としてはたまったものじゃない。

ましてや、サリガシアは大半が雪に覆われた北の大陸なのだ。

生まれて初めて雪を見てやれ雪合戦だ、やれ雪だるまだとはしゃぐ新米の騎士でも、半日経つ前に任期の終わりまでの長さに絶望できるくらいの過酷さがこの土地にはあった。


それに、どれだけ服従させ条約で縛っていようとも、結局ここは獣人ビーストの大陸でオレらエルダロン人は完全な異邦人だ。

表向きはどれだけ従順に振る舞っていようと、何の前触れもなしに当時の王を殺された後にこんな内容の条件を飲まされて面白いわけがない。


そして、獣人ビーストは本来人間よりもはるかに強く。

ここに、『声姫』様はいない。


オレたちは、本当に支配者なのか。

オレたちは、本当に上位者なのか。

獣人ビーストは本当に、毒も爪も牙も抜かれたのか。


不気味なほど淡々と徴税に応じる獣人ビーストたちと同じ町で暮らすことは、支配する側にいるはずのオレたち騎士の神経を否応なく摩耗させた。

命を守るために必須の武器防具は当然として、陣形布シール霊墨イリス、特に火属性のそれ。

そういったものの調達も騎士団が自前でやることになったのは、10年前にフリーダ様がサリガシアを落とされてからわずか2ヶ月後のことだ。





「補給終了、出発するぞ!」


ダッツ小隊長の号令で、オレは不敬一歩手前の回想をクシャクシャに折り畳んだ。

紅肉フェゴンとアルコールの匂いの溜息を吐きながら、鼻面に雪が積もっているコーソンに疲れた視線を送る。

騎士が任務中に飲酒するなど通常あり得ないことだが、出発してもう6回目になる休憩の度にオレたち全員は酒を口に含んでいた。

同じく休憩の度にかけ直す【暖気布モヒート】同様、これを切らせば雪中行軍はそのまま死に直行してしまう……、……クソッ。


「ティモン?」


「……わりい、先に行っててくれ。

すぐに戻るから」


だが、それは同時に頻繁な尿意にも繋がる。

肩をすくめたワンカに背を向けて、オレはわだちの脇で塊になっている雪の前に立った。

マントの前を開け……寒っ!

ベルトを外し、耐雪服のズボンを少しだけ下ろし寒っ、……つーかいてえ!


……まぁそれでも、ヨルトゴまではあと4分の1ほど。

特にトラブルがなければ、日が落ちるまでには帰れるだろう。

こと、最近は妙な失踪事件が多発しているのだ。

流石に、この人数の騎士小隊が襲われるとは思わないが……。


そんな風に、鉛色の空と同じに鬱々とした気分で雪を汚そうとした瞬間……!!!?


「……はあ!?」


オレの目の前に吹っ飛んできてその雪に突き刺さったのは、口から涎ではなく血を垂らしたコーソンの首だった。


「へ、は、……は?」


足元の白がどんどんと赤くなる異常事態に、すぐそこまで来ていた尿意は完全に行方不明になる。

たとえどんなに男前の歌劇俳優がやろうとも間抜けに見えるだろう格好と表情のまま、オレはそのまま固まりそうな首を無理矢理左に回し、50メートルほど先に進んでいる小隊を視界に捉えようとした。


「がっ!!」


飛んできたのは、ワンカの背中だった。

コーソンのマントの灰色越しに半甲冑が無防備のオレに激突し、左腕と左肩に鈍痛が走る。


「……ク、ソ!」


そして、左脇腹に熱。

大きく歪んでいたワンカの甲冑の一部が、オレの腹をゴッソリとえぐっていた。

鉄の味と共に雪に倒れこむオレの顔の前には、丸く目を見開いたワンカの死に顔が落ちる。

首が千切れかけ、目、口、鼻、耳と顔中の穴から血を流している同僚の顔には、痛みではなく驚きの表情が貼りついていた。


「~~~~!!」


ワンカの顔越し50メートル先、横倒しになった景色の中で小隊長が何かを叫ぶ。

同じように隊員が雪に沈み同じように吹き飛ばされたコーソンの中心では、巨大な雪像が腕を振り上げていた。


白く、大きく、……大きい。

背丈は、ゆうに5メートルを超えているか。

フォルムとしては前傾姿勢の、上半身が異様に太い逆三角形の人型。

肩の筋肉に埋もれたような頭の中で輝く2つの黒い光点と、返り血で赤く染まった拳まで続く邸宅の柱みたいな腕。


Bクラス、エイドリアン。

『雪原の暴君』の異名の通り隊員の1人をまた叩き潰した、それが襲撃者の正体だ。


「~~を中心に陣形を~~直せ!

私の~~~待つな!!

詠唱でき~者~~とにかく撃って、~~を作れ!!!」


抜剣して必死に指示を飛ばす小隊長が、町の裏路地でチャンバラ遊びをしているガキにしか見えない。

半壊した仲間を抱えながら杖を突き出す同僚や道中では見上げていたコーソンたちの巨体が、道を走る子ネズミやただの小石にしか見えない。


コーソンやルルカスがそうであるように、確かに極寒のサリガシアに生きる動物はそうでない地域のものに比べて軒並み体が大きくなる。

しかしそのコーソンと比べても、エイドリアンの威容は際立っていた。

発動が早い、数発の低位魔導を食らいながらもそれを意に介さず、うるさそうに払った手で大橇と霊墨イリスが白と赤に爆散する。


「~~~~!!

~~、~~、~~~~!!!

~~、~~~~!!!!」


あの腕に殴られれば、たとえ鋼の重装甲冑と大盾で身を固めていようと即死する。

そして、それを成す筋肉と分厚い皮、鉄みたいな体毛にオレたちの剣など届かない。

中位以下の魔導も、おそらくそれはほとんど同じ。

そして小隊長を含め、第2小隊に上位精霊持ちはいない……。


遠くなっていく意識の中で小隊長の叫びと軽くなったワンカの体重、そして雪の冷たさだけを感じる。

オレたちが……。

そしてオレが助かるためには、……何がどうなればいいのかもわからない。


折れた腕が痛くない。

抉れた腹が痛くない。

体が寒さを感じない。

ただただ、まぶたが重い。


そうか……、オレは…………死ぬのか。

こんな、こんなところで死ぬのか。

白くてつめたい……、このばしょでしぬの……か。

し……ぬ、……の……。





……シャラン。


彼方から響いたのは、澄みきった金属音だった。

















シャラン、シャラン……。


「「「「……」」」」


ワンカの下で死にかけているオレも。

生き残ろうと必死に得物を握っていた小隊長と隊員たちも。

暴君の襲撃に硬直していたコーソンたちも。

そして、その元凶であるエイドリアンすらも。


シャラン、シャラン、シャラン……。


徐々に近づいてくるその美しい音色に、今は動きを停止していた。


シャラン、シャラン、シャラン、シャラン……。


それは、……人族だ。

オレたちが進んできた方角から、たった1人だけ。

こちらから見えているのだから、あちらからも……。

つまり、『雪原の暴君』とそれに蹂躙されている騎士小隊が見えているはずなのに、その影は歩みを止めることも遅くすることもない。


シャラン、シャラン、シャラン、シャラン。


自身の背丈と同じほどの金属の杖をつきながら、規則的に雪を踏み分け続けるその姿。

足元は雪に埋もれているが、膝の位置からすれば身長は180センチくらいか。

その白い肌や涼しげな口元はひどく艶めかしかったが、短く刈られた黒い髪と肩幅から判断するにどうやら男のようだ。

しかし、その服装は……、……一言で表すならば、「異様」だった。


強いて言うならば、それは黒一色で染められた魔導士用のローブ、それから袖をとったような形だった。

が、その下に着込んでいるのは特殊な襟の合わせからして、どうもネクタ大陸の森人エルフが着るという「コロモ」みたいだ。

ローブとは反対に白一色であるらしいそれには汚れも染みも1つもなく、雪色の肌と合わせてまるで周囲の景色に溶け込んでしまいそうだった。


まさかそれを防ごうとしてのことではないだろうが、コロモの襟元の首、袖や裾から覗く手足には黒い包帯みたいな細長い布が幾重にも巻かれている。

どうやら細い首から雪を蹴った足先までそれは全身を隙間なく覆っているようであり、しかも信じ難いことにこの雪の中、埋もれる足元はブーツではなくサンダルみたいなものを履いていた。

……いや、それどころかこの人影はマントなどの耐寒装備や、金属の防具も身に着けていない。

エルダロンですら北部では寒さを感じるだろう格好でこの雪原を歩いてきたことの異常性に、オレはそのときようやく思い至っていた。


「災難であるな」


だが、それも仕方のないことだ。

倒れ伏したオレとワンカを一瞥もせず、シャラン、シャランとエイドリアンへ向かうモノクロームの男。


その顔には、やはり黒い布が巻かれていたからだ。


「あるいは難ありか、日々のぎょうに?」


舞台俳優のように整った鼻筋と、若干掠れているがそれを加味しても艶のある声を響かせる白い唇。

その上に位置するはずの目とその横の耳をまるで封印でもするように、そこには体と同じ黒い布がグルグルと何重にも横断している。

横や後ろから数本、長く垂れた布の切れ端が、冷たい風になびいてまた下に落ちていった。


シャラン、シャラン、シャラン、シャラン。


見えているのか、いないのか。

コーソンの間を、死体の横を、隊員の間を、小隊長の隣を。

黒に隠された視線をそれらやエイドリアンに向けるでもなく歩み続ける男の、右手に携えた漆黒の金属杖から音が鳴る。

輪のように加工された杖の頭の部分には、同じ素材で造られた小さな輪が10ほど通されていた。

先程から響いていた涼しい音の源は、この輪がぶつかり合う音だ。


ぎゃく、致し方なし。

もまた、道であるならば」


美しい声と、美しい音。


まわり、さとりて、鬼命きみょうせよ」


それが、シャランと前に進む。


ゴギンッッ!!!!


雪原中に響いたのは、何の躊躇もなく己の間合いに踏み込んだ闖入者に放たれたエイドリアンの左拳が、あっさりと黒杖で受け止められた音だった。

コーソンを撲殺し、金属の甲冑をひしゃぎ、人間を消し飛ばすほどの暴君の一撃。

まるで石材に鉄斧を振り下ろしたようなその硬質の爆音を支えるのは、しかし男の右腕のみ。

いったい何でできているのか、シャン、と短い音と共に白い拳を払った杖にも、わずかの曲がりもない。


白く、爆発。

プライドを傷つけられたエイドリアンは甲高い怒声と共に右腕を薙ぎ、目の前の雪ごと男を消し飛ばした。

もうもうと舞う白の中、右腕を掲げたままの暴君の前に異装の姿はない。


「「……!」」


しかし、その視線はオレや小隊長、武器を下ろすことも忘れて息をのむ騎士たちと同じ、太い右腕の先で凍結していた。


何無なん


ジャ、ギョッ!!

短い単語と共に杖の先端は黒い軌跡を描き、半円の先でエイドリアンの頭が赤い飛沫に変わる。

その基点となった男は物言わぬ像となった『雪原の暴君』の、その右拳の上に杖を振り抜いた姿勢のまま胡坐あぐらをかいていた。


凄まじいまでの体捌きと、常軌を逸した体バランス。

そしてエイドリアンの攻撃を片手で受け止めて片手で粉砕する、桁外れの剛力。

……超戦士。

頭部を失って全身の力が抜け、ゆっくりと崩れていくエイドリアンから飛び降りるその姿に命属性決戦級魔導士の通称が思い浮かんだが、男の纏う「異様さ」はそれすらも超越している。


「……そら、あらためて」


誰も、何も喋らない。

コーソンでさえ一切の音を立てない白の中で、静かな男の声はここまで届いた。


「……、……は、感謝……する」


謎の言葉と共に杖をつき振り返った男に向かって、ようやく放心していた小隊長の口が動く。


「我々は……エルダロン皇国騎士団の、駐ヨルトゴ第2小隊、……小隊長のダッツ=ニギリだ」


声を出しながら感情の整理が追いついたらしく、その声と表情には徐々に力と落ち着きが戻っていった。


「貴殿は、冒けゃああ゛っ、あ゛?」


「「……!!!?」」


しかし、それはすぐに途切れた。

小隊長の背から突然現れる、鮮やかな赤。

それが甲冑やマントごと胸を貫いた男の左手と夥しいほどの血であることを、オレたちは視認できてもその意味が理解ができない。

黒い布の指でわし掴みにされたピンク色の心臓は、硬直したオレたちの前で冗談みたいに小さな拍動を続ける。


「廻り、悟りて、鬼命せよ」


再びの文句と共に、それはグチャリと握り潰され。


シャラン。


そして、杖で突かれた地面が爆発した。





厚く積もった雪が埃みたいに舞い上がる中、男を中心に半径30メートルほどの地面からはいくつもの黒い岩塊が浮き上がっていた。

サリガシア大陸特有の、炭色の、黒く光沢のある硬い大地。

胸から腕を引き抜かれて人形みたいに崩れ落ちた小隊長や怯えるコーソン、腰を抜かした同僚たちを見放すように、岩や石や土が鉛色の空へと昇っていく。

杖を片手に微動だにしない男の直上、おおよそ15メートル。

そこに形成されていくのは直径10メートルに達しようかという巨大な半球、すなわちボウル状の岩の塊だった。


続けて、もう1度地面が浮き上がり出す。


「え、あ、ああ!?」


「ちょ、おい、何だよこれは!!?」


「おい、アンタどういうつもりだ!?」


「やめろ、やめてくれ!!!!」


だが、先程とは違いそれには生き残っていた同僚たちにコーソン、小隊長や隊員の死体に、巨大なエイドリアンの死体も含まれている。

2度目の岩塊は上に無数の命と命だったものを乗せたまま10メートルほどの高さまで浮き上がり、やはり空で徐々にボウルの形を造っていた。

必然、騎士とコーソンと死体は2つめのボウルの中に閉じ込められることとなり、その悲鳴もほとんどこちらには聞こえなくなる。


「……嘘だろ」


口の中だけでそうつぶやいたオレの視線の先で、……その上には完成していた1つめのボウルが落下した。

ドーーーーン、という重たい音の間で、微かに水が破裂するような音がいくつかした気もする。


ブヂヂヂヂヂヂヂヂ……、ジャーリ、ジャーリ、ジャーリ、ジャーリ……。


しかし、それも続けて響き始めた重たい異音に全てが飲み込まれた。


土属性中位魔導【石臼鉢スリヴァヤー】。

それは直径数メートルの同形の石の円盤を作り出し、それぞれを逆回転させることで自動の石臼いしうすを作り出す魔導……。

本来は水車や風車などでの動力確保が難しい場所での粉挽きや、あるいは都市内の工房で香辛料を大量生産したり霊墨イリス用の硬い鉱物を一気に粉末にするときに使われる、工業魔導だ。


ガーーリ、ガーーリ、ガーーリ、ガーーリ……。


だが、今オレの目の前で挽き潰されているのは工業品や食品の粉ではなく、今日の朝まで同じ釜の飯を食っていた小隊長や同僚たちだった。


雪が吹き飛び、円形に黒い岩肌をむき出しにした地面の中心。

そこに立つ異装の男の真上の空では、いまだ2つ重なった巨大なボウルが上は右に、下は左にゆっくりと回転を続けている。


ゴーーーリ、ゴーーーリ、ゴーーーリ、ゴーーーリ……。


地響きみたいな音を発し続ける黒いはちが天に浮かんでいる光景は、もはやオレから寒さや死への恐怖すらも奪い去っていた。

同時に、まともな思考がはたらかない頭で理解する。


このサリガシアで起きている失踪事件の、犯人はこいつだ。

この男が、こうして……。


シャラン!


男が、黒杖を鳴らす。

次の瞬間、男は赤い柱に押し潰された。


……ゴグンッ!


……いや、違う。

それは赤い柱ではなく、天から落ちる血と肉の滝だった。

ボウルの間ですり潰された、オレの同僚たちとコーソンたち。

エイドリアンのそれも合わせて絞り、搾られた体液が、底を抜かれたボウルから一気に男へ降り注いだのだ。


ゴグンッ、ゴグンッ、!


それは、まるで地震か巨大な心臓が拍動しているような喉鳴りの音だった。

小隊員の分だけでも軽く1トン以上、コーソンとエイドリアンの分も含めればその数倍はあったはずの血と肉は、男の体に触れた瞬間それこそ水をかけられた火のように消えていってしまう。


ゴグンッ、ゴグンッ、ゴグンッ、ゴグンッ!


全身で、飲んでいる。

その証拠に、大量の赤い液体は黒い地面を一切濡らさない。

周囲の雪を染めることもなく、やがて赤い滝は雨となり、雫となり……。


何無なん


……まるで幻だったかのように、消えた。


男が小さくつぶやきシャラン、と足を進めた瞬間に2つのボウルは砕け、岩の雨と化す。

銀色の破片や、ボロクズになった赤い布切れ。

白い粒や、クシャクシャになったコーソンの灰色の皮の塊。

できるときとは逆に元あった地面にそうした残骸を埋めながら、男の背後はまた黒い大地へと還っていった。


シャラン、シャラン、シャラン、シャラン。


それを振り返ることもなく、……男はこちらに歩いてくる。


シャラン、シャラン、シャラン。


それを睨みつけるオレの、ワンカの下から突き出していた杖の先では既に【火炎球ファイアボール】の展開が完了していた。


シャラン、シャラン、シャラン。


わかっている。

これは、ただ仲間としての意地だ。


シャラン、シャラン。


オレがたいした魔導士でないことはわかっているし、こんな死に損ないの低位魔導程度でこの化け物が倒せないこともわかっている。


シャラン、シャラン。


これを撃とうが撃つまいが、あとわずかの時間でオレが死ぬということもわかっている。


シャラン。


でも。

そういう問題じゃ、……ねえ!


「……!!!!」


「……つまらぬ」


男の右目をオレの【火炎球ファイアボール】が吹き飛ばしたのと、男の黒杖がワンカごとオレの胸を貫いたのはほぼ同時だった。


「おっ、ごっ、あ゛……」


甲冑を着た大人2人を串刺しにし、それを右手1本で持ち上げる男には笑みも怒りもない。

メキメキと胸骨が砕け自分の体が壊れていく音を聞きながら、オレは最後の力を振り絞って男の顔を睨みつけた。

……だが、…………クソ。


この男は、自分が今殺している相手の顔を見ようとすら、しない。


「やはり見聞に値せぬ……、……このくだらぬ世界など」


少しだけ破れた、顔の黒い布の下。

オレではない、どこかを眺めるような。


……赤い。


血のようにあかい、ひとみ……。


「そうは思わぬか?」


それが、オレのみた……さい……、……の…………





「ライズよ」

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