第二話:読者
穏やかな昼下がり。
商業都市ボルシチの一角にあるヴェルダートの自宅は、今やエリサの説教部屋と化していた。
「ひーん! ひどいわ! あんな言い草ないじゃない!」
散々ヴェルダートに絞られたエリサは、いつになく大声で泣きわめきながら抗議する。
説教の際に発覚したことであるが、エリサはそれはもう様々な所で持論や自分が望む展開を"チート主"さんに押し付けてはトラブルを起こしていたのだ。
ヴェルダートは心の中で被害を被った"チート主"さん達に土下座しながらエリサを矯正する事に全力をつくす。
「いいか! 必ず"チート主"さん達に謝ってくるんだぞ!」
「ふぁい……。もう自分の世界観押し付けませんー」
あふれだす涙を手に持つ布でグシグシと拭き取りながらエリサが答える。
これで一つ争いの目がつまれたのだ、それは多くの"チート主"さんにとって喜ぶべき事であった。
「よし、次やったら説教だけじゃすまないからな? 展開予想とかもなるべく控えろよ」
「うえーん! ジト目ちゃーん! 怒られたー!」
解放されたエリサは泣きながらネコニャーゼへと抱きつく。
ネコニャーゼは驚きながらもエリサを抱きとめると、優しくあやし始める。
「はい……いい子いい子、エリサさんは次からちゃんと出来る良い子ですよー」
「毒者卒業おめでとうございます、お姉さん!」
抱きつかれたネコニャーゼは、この人最近子供っぽいなぁ、と思いつつも満更ではないといった様子でエリサを慰める。
すぐ側でその様子を見ていたマオは少々呆れながらもエリサが一つ常識人になった事を祝福した。
「はぁ。なんだか疲れたな、少し……休憩するか?」
「紅茶を淹れてきますわ、私勉強しましたのよ? 腕前を披露いたしますわ」
ヴェルダートの提案を受けて、ミラルダがいそいそ炊事場へと向かう。魔法技術の発達によって様々な魔道具があるこの世界では、賃貸住宅の二階とは言え簡単な調理が可能なのだ。
そうして、しばらくすると彼女は紅茶の香りが漂わせながら、ティーセットと茶菓子を持って戻ってくる。
説教も終わり、紅茶を飲みながらの一時の休憩、室内は先程の喧騒をどこかに置いてきてしまったかのように途端に静かになった。
エリサも泣きつかれたのかネコニャーゼの膝を枕にしてスースーと寝てしまっている。
そうして、どこか疲労感漂うお茶会の時は過ぎていく。
◇ ◇ ◇
「お掃除も……なんだか中途半端になってしまいましたね」
「まぁ、絶対やらなきゃならないって訳でもないし別にいいだろ」
空になった紅茶のカップを受け皿に戻しながら、マオがボンヤリと呟く。
しかしながら、ヴェルダートより返された言葉、その内容にマオはふと疑問に思った。
何故なら今回の掃除はヴェルダートがこの日でないといけないと強く念を押していた為だ。
この日に必ず終わらせる――。
そう告げられた言葉に、てっきり掃除の事であると思っていたマオだが、他に用事でもあるのだろうか? と不思議な感覚に囚われる。
話題も無くなった頃だ、早速その点について問おうとしたマオであったが、先に声をあげたのはミラルダだ、どうやらマオより一瞬早く話題を見つけたらしい。
「それで、蒸し返して悪いのですが永久した方はどうなるのでしょうか? 勇者様や王女はどこに行ってしまうのですか?」
「そう言えばそうね! 今まで聞いた事なかった。ねぇヴェル。いい加減教えてくれてもいいんじゃない!?」
いつの間にか起きていたエリサが元気よく手を挙げながらミラルダの質問に重ねてくる。
ヴェルダートが少し驚いた表情を見せる、起きていると思わなかったからだ。
実の所、エリサはお茶会の途中よりその香りに誘われて起きていたのだ。
ちなみに、彼が今まで気づかなかったのは彼女がネコニャーゼの膝枕を楽しみながらゴロゴロとしていた為だ、しかもお菓子をネコニャーゼにとってもらう贅沢ぶりだ。
エリサはあまりクヨクヨとしないタイプの女性であった。
「切り替え早いんだな……」
「エリサちゃんは前に進める女なので! さぁ、永久について吐くのだ!」
元気よくエリサが答える。
しかしながら、永久についての質問がここで出る事は別段不思議な事ではない。
彼女達は永久そのものついてはヴェルダートより散々説明を受けて知っていたのだが、肝心の永久した"チート主"さんがどうなるかは聞いていなかったのだ。
故にミラルダとエリサは質問した、永久の話題がでたこの時しか聞けない様な気がした為だ。
「まぁいいか。永久した"チート主"さんがどうなるか? さぁな? それは俺にもわからん、案外どこか誰も知らない世界でヒッソリと物語を続けているのかもな。でも一つだけ言える事がある。窓の外を見てみろ」
ヴェルダートは座っていたベッドから立ち上がると、窓の外まで歩み寄った。
それにつられて女性達もパタパタと窓の前に集まる。
さほど大きくない窓からやや窮屈ながらも全員が外を覗きみる。そしてヴェルダートが顎で指す方向に視線を向けると、誰かを待つかの様に道の端で佇むごく普通の少女が見えた。
「女の子がいるわね! 誰かしら? もしかして狙っているの? 私達じゃ不満なのー?」
エリサが尋ねる、エリサはその少女に見覚えがなかった。彼女の知る限りヴェルダートの好みのタイプでも無い。ただ、本当に分からなかったので少しだけ冗談を混ぜただけだ。
「違う、あの子は読者さんだ……」
「読者さん? うーん……? 誰の?」
エリサは、佇む少女がヴェルダートの読者さんなのかとも思ったが、ヴェルダートの口振りや雰囲気からそうでも無いと感じ取る。
エリサはしばし考えたが答えが出てくるはずもなく、結局ヴェルダートに語ってもらうしか無いと続きを問う。
「もういない"チート主"さんだ……」
エリサは言葉に詰まり何も言えない、そしてヴェルダートは未だ佇む読者の少女を見ながら語りだす。
「あの子はな、ある"チート主"さんのファンだったんだ、その物語が大好きだった。欠かすこと無く"チート主"さんの活躍を見届け、そして応援していた……」
エリサが読者の少女をよく見ると、彼女はキョロキョロと道行く人々を観察している。
どうやら、人を探しているようであった。
「けどな、その"チート主"さんはある日突然消息不明になったんだ……」
「それって……」
「ああ、永久ったんだ」
彼女達が読者の少女をさらによく見ると、とても悲しそうな表情をしている事が分かった。
それは、時間になっても現れない恋人を心配し、待ち続けている様にも感じられた。
「"チート主"さんが永久って以来、あの子はああしてあの場所で"チート主"さんが帰ってくるのを待ち続けている。雨の日も、風の日も、毎日欠かさずな。あそこは"チート主"さんが相棒と一緒によく通る道だった……」
ヴェルダートの表情は酷く悲しげであった。
それは、読者の少女に対する同情ではなく、別の感情によるものだとも感じられた。
「い、いつからなのでしょうか?」
「半年前だ……」
堪らずミラルダが質問する、間髪入れずに答えられた言葉に全員が絶句した。
つまり、読者さんはその"チート主"さんが永久った日から半年間も毎日あの様に"チート主"さんを待ち続けている事になるのだ。
なんとも言えない気持ちで彼女達が読者の少女を見ていると、読者の少女に変化があらわれた。
彼女は懐から何かの紙を取り出したのだ、そうして何かが書かれていると思われるそれを目の前に広げニコニコと笑いながら嬉しそうに読み出す。
その様子は先程まで悲哀に満ちたものとは正反対だ、希望と未来に満ちあふれている様に彼女達には見えた。
「あの方何やら手紙を読み始めましたね、とても嬉しそうです! あれは何でしょうか?」
読者の少女が何を読んでいるのか気になったのだろう、窓の外から見える女性を覗きこむように見ていたマオが一番に声を上げる。
ヴェルダートは窓から身を乗り出して読者さんを眺めるマオの両肩を持ち、落ちないようにそっと引っ張ると静かにその内容を告げる。
「俺も気になって直接聞いたことがある、感想返しだってさ」
感想返し。それは"チート主"さんと読者さんのやり取りの記録だ。
読者さんの声が直接聞こえるそれは"チート主"さん、読者さん、両方にとってとても重要な物となる。
誰しもが一喜一憂して止まない、それが感想と呼ばれるものであった。
「在りし日の"チート主"さんとのやり取り。それを纏めたのがあの手紙らしい。ああやって時々読み返しては"チート主"さんの物語に泣き、笑い、興奮したあの楽しかった日々を懐かしんでいるんだ……」
読者さんが持っているのは、自らが書き記した感想と、"チート主"さんに返してもらった感想返しの全てであった。
彼女は自らの心によくない未来図が芽生えた時に、必ずこの感想返しを読み返している。そうして、いつか"チート主"さんの冒険が再開し、感想欄に「おかえりなさい」と書く日のことを夢見ているのだ。
「ね、ねぇ! その"チート主"さんは戻ってくるの? そんなに待っている人がいるんだもの、戻ってくるのよね!?」
「それほど魅力的な方ですもの、待っていればきっと戻って来て下さりますわ」
「あう……お手紙を書くのはどうでしょうか? 戻ってきてくださいって」
「良い案ですねジト目さん! ファンのお願いだから戻ってきてくれますよ!」
読者さんの境遇に、皆も黙ってはいられなかったのだろう。
彼女達はめいめいにどうすれば"チート主"さんが戻ってきてくれるのか、その案を出しあう。
その様子を、どこか困った顔で見ながらヴェルダートは話を続ける。
「ああ、戻ってきて欲しいよな。事実、半年とか数年とかしてひょっこり戻ってくる"チート主"さんもいるんだぜ? 何くわぬ顔で『冒険再開しますー!』なんて言ったりしてさ!」
ちゃっかりしてるだろ?
ヴェルダートはそう、どこか大げさに言うと、お調子者の知り合いをとがめるような、呆れるような、そんな不思議な表情を見せた。
だが、それも一瞬だ、彼はまた先ほどと同じように酷く悲しそうな表情をするとポツリポツリと呟く。
「だから、だからみんな諦めきれないんだよ。もしかしたら戻ってきてくれるかも? そんな思いが頭から離れないんだ。どれだけ絶望的な確率であってもな。だからあの読者さんも待ち続けているんだろうさ……、だから俺も……」
そこから先の言葉は、語られなかった。
ヴェルダートはしばらく俯き、そして唐突に何かを振り払うように首を振ると、皆を窓から無理やり離すように、取り付けられたカーテンを閉めだした。
「自分から言い出してなんだがあの人の話はもう止めるぞ、少し辛い。大好きだったんだ……」
女性達は、何が? とは聞かなかった、聞かずとも分かった。
ヴェルダートが見せる悲しげな表情の理由、そして何よりも、過去に、不便な立地条件であるはずのこの場所へ引っ越すと頑なに言い張っていた理由に気付いてしまったからだ。
それは、丁度今から半年程前の事であった。
「戻って、来てくれるかなぁ……」
ヴェルダートは再び自らのベッドの縁に座りながら、そう誰に言うでもなく呟く。
女性達は誰も口を開かない。
――きっと戻ってきてくれる。
そんな陳腐で無責任な励ましが出来るはずもなかった。
そのまま、少しばかり時間が過ぎただろうか、誰も何も言えない重い空気の中突然ヴェルダートが口を開いた。
「永久はさ、ああいう読者さんを沢山生むんだ。ファンってのはそういうもんだ、ずっと待ち続ける。だから"チート主"さんは必死で物語を紡ぐんだよ」
語られる話題は先程の続きだ。
女性達は真剣にその言葉に耳を傾ける。ヴェルダートの口調より彼がなにか重大な決心をしている事に気がついた為だ。
「ありがたい事にな、こんな俺にも読者さんが居てくれて、ファンも居てくれる。俺は俺の読者さんをあの子の様にする気は無い」
強い想いが込められた言葉だ。
先程までの悲壮感も、先程までの絶望も、何もかも一切ない。ただ強い意思と決意を感じさせる物があった。
そして、ヴェルダートは少しだけ背筋を伸ばすと、女性達の瞳をそれぞれしっかりと見つめ、自らの決意を伝えんと口を開く。
「だからさ、俺はこの物語を完結させようと思うんだ」
しっかりと、瞳に意思の光を宿しながら。
ヴェルダートはハッキリとそう告げた。




