第6話 鳥籠病(前編)
依頼人及びその関係者とは
深い付き合いにならないように、
あまり個人の事情は訊かないのが
翔子の探偵としての鉄則であった。
しかし、先程の権蔵とのやり取りや、
二週間も春香と語り合ううちに、
自然と薄幸の彼女に情がわき、
その病気について知りたくなった。
「おやおや、翔子さん。どうしましたか?」
「春香の病気について、
少し聞きたいのですが、
お時間はよろしいですか?」
「ええ、後で診療所に顔を出さなくてはいけませんが、
少しなら大丈夫ですよ」
山本は人当たりの良い笑顔を浮かべながら答える。
彼は十五年程前から御堂家と関わり、
権蔵と春香の主治医として屋敷に住み込んでいる。
日中は屋敷の近くにある、
小さな診療所で開業医として働いていた。
二人は話をするために、応接室に向かった。
普段は御堂家の屋敷を訪れる客を迎える時や
権蔵が会社の部下と会議するために使用する部屋だが、
今日は来客がいないため誰もいなかった。
翔子と山本は高級感溢れる黒い革張りのソファーに腰を下ろし、
漆塗りが施された、
光沢感ある茶色い木の机を挟んで向かい合う。
「端的に聞きますが、
春香を苦しめている病気は、
いったいどういう病気なのですか?」
率直に、翔子は山本に春香の病名を訊く。
「――春香様はケージ・シンドロームという奇病を
生まれつき患っております」
山本は沈痛な面持ちで翔子の問いに答える。
ある程度は質問の内容を予想していたのだろう。
表情は陰ったが言葉を詰まらせることはなかった。
「ケージ・シンドローム、
海外ではそう呼ばれていますが、
私達は日本語で鳥籠病と呼んでいます。
――世界で百人程度しか発症例がない、
まさに奇病中の奇病ですよ……。
症状は筋肉の萎縮、筋力及び免疫力の低下等が
報告されています。
治療法は未だに確立されておりません。
この病気を患った人の末路はどれも悲惨なものです。
呼吸筋麻痺による死亡や
免疫力の低下による合併症の発症など、
今までこの病気に掛かり、
命を助かった者はおりません。
多くの人は発症から
五年以内に亡くなってしまう。
――生まれながらに鳥籠病を患っておられた
春香様がこれまで生きてこられたことは……
まさに奇跡です」
山本は決して他人事ではなく、
自分に起きた物事のように真摯に、
そして悲痛な面持ちで話す。
春香やその父の権蔵だけでなく、
関わりの深い山本も同じように苦しんでいたのだろう。
二週間前に屋敷に来たばかりの翔子でさえ、
春香の苦悩に満ちた孤独な人生に直面し、
胸が締めつけられた。
それを十年以上間近で見続けてきた山本の心情は、
翔子の想像できないほど悲哀に満ちているに違いない。
「山本さんは、春香の病気、
鳥籠病の研究の主任も務めていると聞きました。
研究はどの段階まで進んでいるのですか?」
権蔵は鳥籠病の研究のために、
山本の診療所の隣に、
規模は小さいが鳥籠病の研究所を設立し、
日々治療法の研究を行わせていた。
「非常に恥ずかしい話ですが、
十年以上取り組んでいながら、
治療法の発見には未だ至らず、
旦那様や春香様のご期待に添えず、
申し訳なく思っています」
「ワクチンの開発には成功したと聞きましたが――」
翔子は屋敷の者からある程度の研究成果について聞いていた。
直近の話では、
山本を筆頭とする研究チームは
鳥籠病のワクチンの開発に成功したと。
「ええ、我々研究チームは、
鳥籠病の病原体を発見し、
ワクチンの開発まで辿り着きました。
そして、それを学会で発表した。
もっとも、あまり高い評価は受けませんでしたがね」
「どうしてですか?
これまで世界で百人程度しか発症していない謎の奇病、
それも不治の病に対するワクチンだ。
普通なら高い評価を受けると思うですが……」
「一つ目の理由は、
鳥籠病の感染力が非常に弱いことです。
私達が春香様のお側で仕えているにも関わらず、
何ら病魔に侵されていないことからも察せると思いますが、
鳥籠病は人に感染するような病気ではないのです。
結核のように空気感染することもありません。
感染の可能性があるとすれば、
輸血など、血液による感染ぐらいでしょう。
通常生活で感染することはまずあり得ません」
そもそも感染力が非常に低い病気に対するワクチンなんて、
ビジネス的な価値は低く、開発しても誰も見向きはしない。
山本は自嘲気味にそう言い放つ。
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