第3話 桂、行進に加わる
僕は男の両足を開放し、少し離れて、桂にここまでの経緯を話す。男の両足を離す前に、「逃げたら二人がかりで引きずり回す」と物騒な宣告をしておいたので、男は観念したように僕が戻ってくるのを待っている。
「――ということなんだ」
「へえ、そいつは面白そうだな。わざわざ深夜に出てきた甲斐があったぜ」
僕が事情を説明し終えると、桂は嬉しそうに言った。
「でしょ? それより桂、頼んできたもの、持って来てくれた?」
「ああ、ひと通り揃えてきたぜ」
僕は先程電話した時に、桂にいくつかのものを調達して持ってくるように頼んでおいた。何を隠そう、背中のリュックサックに詰まっているのはそれである。桂が来るまで少し時間がかかったのも僕が買い出しを頼んだからだ。
「しかし、何に使うんだ、こんなもの」
桂が首を後ろに回し、リュックサックを見ながらそう尋ねた。
「これを使って、あの人が匍匐前進をしている理由を検証しようと思ってね」
「なるほど……」
僕は桂と今後の打ち合わせをした後、男のもとへ戻った。
「すみません、お待たせてしました。こちらは僕の友人の桜井桂です」
「どうも、よろしくお願いします。趣味はナンパ、特技はナンパ、好物はチキン南蛮、高校にファンクラブを持つ、超絶イケメンにして、学年成績トップの桜井桂です」
桂は男にいつものように軽いノリで自己紹介をする。
「その自己紹介、面白くないどころか、イラッと来るね……」
「ほっとけ! そういえば、歩。俺のファンクラブの会合でお前の会員費の未納が問題になってたぜ」
「えっ、僕も入っていたの!?」
「お前は名誉会員で会員ナンバーは0だ。残念だが、名誉会員であるがゆえに脱退方法はない。ファンクラブはお前の処分でいま紛糾しているぜ」
「頼むから辞めさせて……」
「君たち、私のことを忘れていないか……」
しまった、うっかり桂といつものノリで話してしまった。
「すみません。あっ、そう言えば僕の名前をまだ名乗っていませんでしたね。僕の名前は瀬川歩、あなたのお名前を訊いてもよろしいですか?」
桂の自己紹介に便乗して、僕は自分の名前を名乗り、自然な流れで男の名前を尋ねた。名前を尋ねられた男は黙りこむ。
「名前は……田中祐介だ」
絞り出したような声で、男は自らの名前をそう名乗った。名前を訊かれて即答できないのは不自然だ。偽名の可能性が高い。
「田中さんですか、不躾なお願いで恐縮なのですが、免許証を拝見させてもらってもよろしいですか?」
僕は図々しくも、職務質問をする警察官のように身分証明書の提示を男に求めた。当然僕のそんな要求に男は反発した。
「なぜ私が君に免許証を見せなければならないのだ。それに今は、免許証を持っていない」
「それでは、なにか身分を証明できるものはありませんか? どこかのレンタルビデオ店の会員カードでも、家電量販店のポイントカードでも構いません。財布を覗けば何か入っているでしょう」
とにかく、名前の書かれたものを提示しろと、僕が暗に言っていることを悟った男は苦い顔をしながら、
「私は財布を持っていない。ポケットに数百円の小銭があるだけだ」
財布を所持していないという言い分は、男が道を進む度に小銭が鳴る音が聞こえたので、本当だろう。そんなことはわかっていたが、男に身分証明書を提示した時の反応を確かめたくて、わざと財布を出せと言ったのだった。
「すみません、変なことを訊いてしまって。それでは田中さん、そろそろ行きましょうか」
僕は男の反応に満足し、深夜の行進は再開した。身分証明書を見ることは出来なかったが、財布がないことを確認できただけでもよしとしよう。偽名の可能性が高いとはいえ、今後は男のことを田中さんと呼ぶことにしよう。
少しの間は僕ら三人は無言で道を進んだ。
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