わんちゃんと一緒 春の陽気
とても冷たい水に打たれながら、僕は世界の厳しさを知った。
寒さに震え、一緒に生まれた兄弟に擦り寄る。同じく温もりを求めた兄弟達でひとかたまりになるけれど、皆同じ状態だから端からどんどん冷えていく。どんどん、どんどん冷えていく。
一つ、また一つ、兄弟達から温もりが消えていく。
もしかしたら次は、僕の番。
そんな時、温かな手が、僕を拾い上げた。
それは寒い季節の終わりを告げる、温かな春の訪れだった。
「ただいまわんちゃん!」
「わん!」
赤いランドセルに黒い毛並みの小さい雌が、お留守番していた僕の傍に駆け寄ってくる。細くて小さな人間の子供は、ショーガッコウから帰ってきてすぐ僕に抱きついた。
この子はこむぎちゃん。あの日、僕を拾ってくれた小さい雌。
「いい子にしてた~?」
「わん!」
勿論! ってお返事よりもこむぎちゃんが帰ってきたことが嬉しくて、たくさん舐めちゃう。こむぎちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。
「よーし、夕ご飯の買い物もあるし……早速お散歩行っちゃおう!」
「わふ!」
お散歩の言葉に飛び上がって喜びを表現し、勢いよくリードを咥えて玄関に走る。僕のくるんとした尻尾も元気よく左右に揺れちゃう。嬉しいから!
こむぎちゃんはランドセルを置いて、大きな鞄を肩に掛ける。じゃらじゃらとした物を数えて、折り畳まれた紙を数枚ポケットにつっこんだ。一つ頷いて、脱いだばかりの靴を履く。
締めたばかりの鍵を開けて、小さな身体でよいしょとドアを開けると、すぐ横に人影があった。
びっくりしたこむぎちゃんが小さく跳ねる。だけど僕は、全力で尻尾を振った。
立っていたのは、ひょろっと長い体格の雄。
ふわふわした黒い毛並みに、いつも眠たげな目をしているけれど、その手がとっても温かいのを僕は知っていた。
こむぎちゃんのお隣に住んでいる雄は、丁度帰ってきた所らしい。鍵穴に鍵を差し込んだ所で、僕たちと遭遇したみたいだ。
きょとん、と眠そうな目が僕らを見た。
「あれ。こむぎちゃん、今からお散歩?」
「う、うん」
そんなこいつは、お隣のダイガクセイ。
こむぎちゃんが僕を拾ったとき、泣いているこむぎちゃんを助けてくれた、ダイガクセイ。
だから僕は、こいつのことも好きだ! 尻尾が止まらなくなるくらい!
「今からか……一人は危ないよ。今日もいないの?」
「……」
「わん!」
好きだけど、こいつがいるとこむぎちゃんがシュンッてしちゃうのは好きじゃない!
やいやい! こむぎちゃんになにをした!
僕はダイガクセイに向かって頭突きを繰り出した。
「ああ、はいはい。お前はいつも元気だな」
「わんわん!」
違う違う遊んで欲しいわけじゃないぞ! 撫でて欲しいわけでもない! 撫でて欲しいわけじゃ……もっと撫でて撫でて撫でて! ここ! こっち! ここを撫でて! ほら撫でて!
「いないのは仕方がないよな。うん、ちょっと待って。俺も一緒に行くよ」
「えっ」
「このご時世、小さい子一人で出掛けるの本当に無理。隣の部屋ってだけの男が付いてくるのも怖いと思うけど、誓って変なことしないから。俺が不審者として通報されるのも怖いけど、お隣さんが事件に巻き込まれるのも怖いわけ。ごめんだけど、一緒に行かせて」
「でも迷惑じゃ……」
「待っててね」
「あ」
あーなんで撫でるのやめたの? もっと撫でていいんだよ?
ダイガクセイは自分の家のドアを開けて、大きな荷物を置いた。画材っていう、ダイガクセイの勉強道具らしい。独特な匂いが癖になるので、僕は嫌いじゃない。
画材だけおいて、すぐにドアを閉める。鍵も締めて、ダイガクセイは僕とこむぎちゃんを振り返った。
「待っててくれてありがと。行こか」
オロオロしていたこむぎちゃんの手が、ぎゅっとリードを握る。
「あり、がと」
「うん」
とっても小さなお礼に、ダイガクセイも小さく笑う。
ダイガクセイの大きな手が、こむぎちゃんの頭をポンッて撫でた。
「どういたしまして」
春風が、二人の間を優しく吹き抜けた。
こむぎちゃんが嬉しそうに笑う。
「あっ今のもダメか? 小学生女児への接触厳しいから難しいな……嫌だったら言ってな」
「……」
だけどすぐ、お口がとんがった。
ところでダイガクセイ、僕のことはもう撫でないの?
ふんふん鼻息荒くお尻を振って歩く僕の後ろを、こむぎちゃんとダイガクセイが並んで歩く。
小さいと大きいが並んで歩く。並んでいるけど、会話らしい会話は全然ない。
この二人は、家族じゃない。お隣さんで、他人同士。
ご近所付き合いって奴も、今までなかったらしい。それなのにこうして一緒にお散歩をするようになったのは、僕がこむぎちゃんに拾われてから。
冷たくなった兄弟と僕を見付けて泣いていたこむぎちゃん。
そんなこむぎちゃんを見付けたダイガクセイ。
それから僕を通して、こむぎちゃんとダイガクセイはとっても仲良くなった。
はず、なんだけど……。
お尻を振って歩いていた僕は、ちょろっと二人を振り返る。
眠そうなダイガクセイと、なんだかソワソワしているこむぎちゃん。
ダイガクセイが眠そうなのはいつものことなのに、こむぎちゃんは最近、こんなふうにソワソワおかしい。そういえば、さっきも。いつもはもっとハキハキ喋っていた気がする。どうしたのかな?
心配になってこむぎちゃんの周りをくるくる回ると、リードがこむぎちゃんに絡まった。
「あれ!? わんちゃん? なになにどうしたの?」
絡まるリードに慌てて、こむぎちゃんも一緒にくるくる回る。だけど僕のスピードに追いつけなくて、あっという間にリードが絡まってしまった。絡まったリードと僕の勢いで、こむぎちゃんがバランスを崩す。あ、あれ!? わざとじゃないんだよ!
「あわあわ」
「何してんの。こむぎちゃん大丈夫?」
「あわ!」
リードが絡まって転びそうになったこむぎちゃんの背中に手を添えて、リードを回収するダイガクセイ。
ひょろっと長い身体を折り曲げて、ちょこまかする僕を捕まえた。な、なにをするー! 僕はただ、こむぎちゃんの様子がおかしいなーって心配しただけで……!
テキパキとこむぎちゃんを解放した大学生は、抱っこした僕の身体をわしわし撫でた。
「お前がこむぎちゃん大好きなのはわかってるけど、こむぎちゃんを困らせるようなことはするなよ」
「大好き……っ」
「あ、こいつもう泥だらけだな……桜の花びらまで巻き込んで……」
あーあーっダイガクセイ! そこそこ! もっと撫でてもっともっと! いい感じいい感じ!
こむぎちゃんがぽぽっと頬を染めるのにも気付かずに、ダイガクセイは僕の小さな身体をわしわし撫でる。声音はお叱りモードなのに、撫でる手は褒め褒めモード。可愛がっている。なので多分、僕は何も悪くない。よしっ。
僕を撫でて満足したダイガクセイは、ちょっと目元から眠気が飛んだ。といってもいつも眠そうなので、本当にちょっとだけ。
ここでようやく、ダイガクセイはこむぎちゃんの染まった頬に気付いた。
「あ、こむぎちゃん」
「え?」
「桜が付いてる」
違った。気付いたのは頬じゃなくて頭のピンク色だった。
ダイガクセイの大きな手が、こむぎちゃんの丸い頭に触れる。ピンク色の花弁が、こむぎちゃんの黒い毛並みに引っかかっていたみたい。
「ハイとれた」
「……っあ、ありがと」
ぽいっと花弁を捨てたダイガクセイは、こむぎちゃんの乱れた毛並みをちょいちょい撫でて整えた。ぽぽっと頬を染めたこむぎちゃんが嬉しそうにお礼を言う。うん、やっぱり頬もピンク色。今度こそ、ダイガクセイは気付いて目を丸くした。
「……ハッこの接触も事案……!?」
違った。
僕の知らない何かに気付いて、さっと手を引っ込めようとして。
「……っおにーさん!」
こむぎちゃんに捕獲された。
がしっと離れていこうとした手を掴んで、不満そうな顔でダイガクセイを見上げる。
「わんちゃんだけじゃなくて、私もちゃんと撫でて!」
まろい頬を真っ赤に染めて、ぷんっと唇を尖らせて、こむぎちゃんはダイガクセイに訴えた。
――――そっか! こむぎちゃんも、ダイガクセイにたくさん撫でて欲しかったんだ!
なのにダイガクセイが全然撫でてくれないから、不満だったんだ! それをなかなか言い出せなくてソワソワしちゃってたんだ! そっかそっか! 僕、納得!!
そうとわかれば後押しだ!
こむぎちゃんの訴えに呆然としているダイガクセイの膝裏へ突撃して、立ち上がろうとしていたダイガクセイの姿勢を崩す。ダイガクセイが膝を地面に強打したけど、僕は全然気にしない。勢いで大学生の手がこむぎちゃんの頭に戻って来たから大成功。
「こら! 危ないだろ!」
「わん!」
知らない!
それよりもこむぎちゃんだ。ちゃんと撫でろ!
自分の頭に乗ったダイガクセイの手をぎゅっと握って離さないこむぎちゃん。そんな彼女の訴えるような目を見て、怯んだダイガクセイは何秒か葛藤して……。
「…………俺が通報されたら庇ってくれ……」
とてもか細い声で何か言いながら、こむぎちゃんの毛並みを撫でた。
大きな手で、わしわしと、結構力強く。
「……えへへ」
こむぎちゃんは、とっても嬉しそうに笑った。ひらひら舞い散る桜の似合う、可愛らしい笑顔。
こむぎちゃんが笑ってくれたから、僕も嬉しくて笑う。
「それはそうと。わんちゃんは、しちゃいけない危険行為を覚えような」
「わふっ」
何か叱られた。なんで?
ところで、僕の名前はわんちゃん。
雌です。
Xで参加した企画作品です。
わんちゃんとこむぎちゃん、お隣の大学生との春。
から、夏へ続きます。
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