清水なちる(7)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。編集長から、小説のイメージガールにならないかと提案される。
・那智しずる:二年生、文芸部所属。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出している新進気鋭の小説家でもある。
・里見大作:大ちゃん。文芸部員、一年生。千夏の彼氏。二メートルを越す巨漢だが根は優しい。普段はのんびり屋さんだが、怒ると熊をも素手で殴り殺すほどの怪力を振るう。
・千葉さん:清水なちる担当の編集員。まだ高校生のしずるを、作家として対等に扱っている。編集部の中での地位は、上の方であるらしい。
・浜崎編集長:出版社のノベル部門のリーダ。千夏を小説宣伝のイメージガールとして抜擢した。
・鍋丘:青年誌部門の編集員。何とかして、しずるをグラビアモデルに担ぎ出そうと、策略を練っていた。
・鶴見編集長:青年誌部門の編集長。
「それが君達の代案、っていうわけですね」
正面に座っている鍋丘さんがそう言った。
鍋丘さんは『週刊ヤングフラッシュ』の編集員だ。雑誌の名前から分かるように、青年男性を対象とした漫画雑誌である。口絵や表紙には、セクシーな水着の女の子がいつも掲載されている。
彼は、そこにしずるちゃん原作の小説を漫画にして掲載しようと企画していたのだ。所謂、コミカライズというやつである。
元々は、グラマラスな美少女のしずるちゃんを、グラビアモデルにして販促をしようとしていたのだ。しかし、しずるちゃんが頑強に拒否し続けたため、実現しないまま今に至る。漫画化はその代案であった。鍋丘さんとしては、これを足がかりにして、誌面にしずるちゃんを引っ張りだすつもりだったのだろう。
その意味では、今回の代案は、彼にとっては思う壺だったともいえる。残念ながら、水着のおねぇちゃんじゃぁないけどね。
とにかく、わたし達の代案は、ヤングフラッシュの誌面に小説の宣伝コーナーを作ってもらうことだった。そのイメージガールがわたし、岡本千夏だ。で、第一回目のゲストが、今回漫画化する『萌える惑星』の原作者である清水なちる先生である。
「小説の宣伝なんですから、清楚な感じでお願いしますね」
と、清水なちる先生、こと那智しずるちゃんが釘を挿した。
「いやぁ、その辺はスタイリストさんと打ち合わせしないとねぇ」
と、鍋丘編集員は斜め上を向いて返事をした。
「まま、いいじゃないか鍋丘くん。週刊ヤングフラッシュとしても、新連載をプッシュしていける企画なんだから。私は、なかなかいい企画だと思いますけどね。浜崎編集長」
この言葉は、週刊ヤングフラッシュの鶴見編集長さんからのものだった。浜崎編集長とは、フラッシュ文庫の編集長さんのことである。
「しず、………清水先生ほど美人じゃなくて申し訳ないですけど、よろしくお願いしまぁす」
わたしは、照れ隠しに頭を掻きながらそう言った。
「ははは。もっとも、正式決定は、学校とご両親に許可をとってからだがね」
フラッシュ文庫の浜崎編集長が付け加えた。
「漫画化そのものの企画は、もうスタートで構いませんよね。作画の方も絞ってあるんですよ。今、試みに冒頭の部分を描かせてます。それを、清水先生や絵師の『ななかまど』先生に見てもらって、最終的に決定しようと思ってるんですよ」
鍋丘さんは、そう息巻いていた。そこへ、しずるちゃんが、
「手回しがいいこと」
と、ちょっと嫌味を挟む。
「清水先生、黙って企画を進めてたのは謝りますから、もう許して下さいよ」
鍋丘さんが両手を合わせて、ごめんなさいのポーズをとっていた。
しずるちゃんは、それを目を細めて、いつものキッとしたきつい眼差しで見返していた。
「まま、清水先生も、それくらいにして。『萌える惑星』、私も読ませてもらったが、なかなかに面白い。将来的にはテレビアニメも視野に入れていいじゃないかと思いますよ」
「鶴見編集長、その辺はまだ様子見ということで。それよりも、学校と親御さんにヤングフラッシュに出てもらうための許可を取るのを最優先にしましょう。お忙しいところを申し訳ありませんが、来週あたりに、鶴見編集長と鍋丘くんには、僕達に付き合ってもらうことになりますが、ご予定はどうでしょう?」
ヤングフラッシュ側は、少し、ひそひそ話をすると、
「いいでしょう。来週の金曜日でどうでしょうか?」
それを聞いた浜崎編集長は、
「千葉くん、予定は大丈夫かね」
と、傍らの千葉編集員に尋ねると、
「はい、大丈夫です。学校にも相談できますし」
「では、金曜日の夕方ということで。よろしいですね」
「分かりました」
と、一同の了解が得られた。
ふう、これで一段落だ。後は成り行きでどうにでもなるだろう。などと、わたしは未だ他人事のように考えていた。
「さて、だいぶ遅くなりましたね。思ったより時間がかかったなぁ。清水先生、終電は大丈夫ですか?」
と、鍋丘さんがしずるちゃんに尋ねた。
「ああ、今日は宿を予約してありますから。大丈夫ですよ」
予め予測していたかの如く、しずるちゃんは即答した。
「そうだったんですか。では、後ほど、夕食などご一緒にどうですか?」
ヤングフラッシュの鶴見編集長が、そう提案した。
「そうですね。岡本さんという逸材も見つかったし、今夜は『萌える惑星』漫画化の前祝いということでどうでしょう」
「そうですね、千葉くん。じゃぁ、六時半に例のとこでどうかな?」
鍋丘さんがそう言った。どこのことかな? 美味しいお店だといいな。
「では、あたしと千夏は、ホテルにチェックインしてから向かいますね」
「それでは、これを渡しておきましょう」
と、差し出されたのは、タクシーのチケットだった。
「駅角の『淀屋』と言えば分かりますから」
「分かりました。では後程。それでは、あたし達は、ここで一旦失礼します」
「失礼します」
わたしも、しずるちゃんに続いて挨拶をした。
「清水先生も岡本さんも、今日はご苦労様でした。じゃぁ、また後で」
編集長さんに言われて、わたしは、軽く会釈をすると、しずるちゃんに着いて会議室を後にした。
しばらくして、わたし達は近くのホテルにチェックインすると、大きな荷物を置きに、客室に向かった。
エレベータで階上に昇ると、十三階で降りる。しずるちゃんは、フロントでもらった鍵でドアを開けると、室内の灯りを点けた。
「うわぁ、凄く広いや。ベッドもおっきい。あれ、でも何で一つなの?」
「ふふ、今晩は千夏と一種に寝ようと思って。これだけ大きければ、どんなに寝相が悪くても、落っこちないでしょう」
「むぅ、しずるちゃん。わたし、そんなに寝相悪くないもん」
「ごめん、ごめん。でも、一度やってみたかったんだ。広いベッドで二人で眠るの」
「うん、わたしも。それにしても、しずるちゃんは、荷物少ないんだね。お泊りなのにトートバッグ一つで足りるの?」
「え? ええ、たった一晩だけだしね。下着の替えと、薬と生理用品。原稿は電子手帳とクラウドストレージに置いてあるから、重いパソコンはいらないし。大概のホテルには、浴衣もタオルも石鹸もあるし。あとは簡単なお化粧品だけよ。それに、いざとなったらコンビニもあるしね」
(そ、そなんだ……)
頑張って支度して、大きな荷物を持ってきたわたしは、少し恥ずかしかった。よく考えたら、着替えの服なんて、何着も持ってくる必要なんてなかったんだ。ううぅぅう。
しずるちゃんは、そんなわたしの心情を察してくれたのか、
「さて、今夜は夕食を奢ってくれるそうだから、もし軽装とかに着替えたいんなら、そうしてもよくてよ。あたしはこのままでいいけれど、千夏は着替えた方がいいんじゃないかしら」
と、言ってくれた。
「うん、そうするね」
「じゃぁ、あたしは、ちょっと顔を洗って来るわね。千夏は楽にしてていいわよ」
そう言って、しずるちゃんは洗面所に消えた。
(うう、何事も経験なのかなぁ。こんなんじゃ、東京の大学に入っても、一人暮らしなんか出来ないよぅ)
わたしは、たった一泊の荷物さえ、ちゃんと作れなかった自分が情けなくなっていた。でも、いくら自分を哀れんでも、どうしようもない。結局は、しずるちゃんの言う通りに着替えることにした。
さて、何食べさせてくれるんだろな。お酒を飲まされることはないだろうけど、はしたない事にならないように、少し違った服にしよう。
わたしは、ボストンバッグを開くと、お気に入りのオレンジのキュロットと、クリーム色のセーターを取り出した。インナーは……まぁいいか、このままで。
わたしは、ブレザーとスカートを脱ぐと、キュロットとセーターに着替えた。身体が少し楽になる。
そこへ、丁度しずるちゃんが返って来た。
「あら、着替えたのね。それも可愛いわよ、千夏」
「そかな。似合ってる?」
「うんうん、千夏。とても似合っててよ」
「そか。えへへへ、嬉しいな」
わたしは、しずるちゃんに褒めてもらって、ほんとに嬉しかった。
「ねぇ、しずるちゃん。今日は何ご馳走になるのかなぁ」
そう訊くわたしに、しずるちゃんはこう応えてくれた。
「『淀屋』なら、しゃぶしゃぶよ。時間制限があるけど、食べ放題のコースがあるの。あたしも何回かご馳走になったけど、美味しいわよ。いくらでも食べられちゃうんだから」
「うわぁ、しゃぶしゃぶなんだ。凄いなぁ。お金とかダイジョブなの?」
「いいのよ、経費で落ちるから。好きなだけ食べていいのよ」
「そか、経費なんだ。でも、いっぱい食べたら太らないかなぁ」
「何それ、嫌味なの。千夏はスマートじゃない。あたしは……、ちょっとお肉が付いちゃってるけど」
「そんな事ないよ。しずるちゃんはスタイル良いし、グラマーだし……。横に立ってるわたしの方が、恥ずかしいよ。どしても比べられちゃうもの」
わたしは、少し自分が恥ずかしくなって、そう言ってしまった。
「誰よ、そんな風に言うのは。そんなヤツ、あたしがぶん殴ってやるわよ!」
わたしの言葉に、しずるちゃんはちょっと険しい表情になった。
「あ、いや。誰とか言うんじゃないから。でも、しずるちゃん、過激。ぶん殴るなんて」
「何言ってんのよ。千夏をそんな風に言うヤツは、半殺しよ。それとも、大作くんに密告しようかしら」
「へ? あー、えーと……、しずるちゃん。大ちゃんに密告するのは止めて。冗談抜きで、本当に死人が出るから」
「千夏をバカにする人なんて、死んでしまえばいいのよ。あたしも大作くんも、絶対許さないわよ」
うお、冗談かと思ったら、しずるちゃんは本気みたいだ。わたしにとっては嬉しいことなんだろうな。でも過激。
「分かった、分かったから。しずるちゃん、ありがとね」
「何言ってるの、千夏。千夏は、あたしの大事な親友なんだから」
しずるちゃんにそう言ってもらえて、わたしは本当に嬉しかった。
「さて、そろそろ時間かな。千夏、準備はできてて? 今日は美味しいものいっぱい食べて、明日は東京をエンジョイするのよ」
「うん、分かったよ、しずるちゃん」
そうして、わたしとしずるちゃんは、『淀屋』でしゃぶしゃぶをたらふくご馳走になったあと、その夜はホテルのベッドで仲良く眠ったのだった。




