清水なちる(1)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:二年生、文芸部所属。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。舞衣の策略で、写真集のメインモデルをやらされた。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出している新進気鋭の小説家でもある。
・里見大作:大ちゃん。文芸部の一年生。千夏の彼氏。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。一年生。一人称は「あっし」。ショートボブで身長138cm、幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。しずるの隠し撮りなどを売って荒稼ぎをしている。
あーあー。はぁ、やっと戻ってこれた。
わたし、岡本千夏です。
文化祭を終え、一時の熱狂を後にして、ようやく日常を取り戻したわたし達です。季節は秋から冬に差しかかり、わたし達の日常も、『黒』を基調とするものになってきました。
そんなある日の朝、わたしは教室でしずるちゃんを見つけました。
「お早う、しずるちゃん」
「お早よぉ〜、千夏ぅ」
彼女はいつに無く、くたびれているように見えた。あの、いつもピシッとしたしずるちゃんは、一体何処に行ってしまったんだ?
「どしたの、しずるちゃん。眠れなかった?」
わたしは、彼女が重度の不眠症であることを知らされていた。そんな持病を持つしずるちゃんは、眠そうに伸びをすると、わたしの方に向いて、こう応えた。
「それがさぁ、昨日、一昨日と編集会議でさぁ。もう疲れちゃって疲れちゃって、疲れ切っちゃいましたよー。もう、あたし、ダメ。眠いー」
確かに、如何にも眠そうである。
「しずるちゃん、おばあちゃんみたいだよ。花の女子高生なんだから、ピシッと行こうよ。ピシッと」
「そうは言うけどねぇ。もうダメ。早く帰りたい」
と言って、彼女は机に突っ伏したのだった。長い黒髪を編み込んだ三つ編みが、フワッと宙空に舞う。先端の房が、月曜日の朝日に透けて、キラキラと輝いている。
そんな外見とは裏腹に、本人はかなりダメージを負っているようだった。そんな彼女に、わたしはふと思いついて、次のように話しかけた。
「そういやしずるちゃん、進路希望の用紙、もう書いた?」
すると、彼女はちょっと顔を上げてわたしの方を見ると、こう応えた。
「進路ぉ。そういや、そんなものがあったわよね。もう、面倒くさい。適当に『大学進学』とでも書いとこうかな」
「小説家じゃなくて?」
「それは現職だし。一応、大学は出ときたいしね。あたし、高校卒業したら、東京に出ようかと思ってるの」
「編集さんの都合?」
「それもあるけど……。まあ、日本って、何から何まで東京中心で出来ているから。全国で売るような雑誌に、東京のドコドコの店が美味しいって宣伝してもねぇ。あたし等じゃ、ホイホイ行けるもんじゃなし。地方にいてもどうにもならないしね。それに、アイツも東京の大学に行こうとしてるし」
「アイツって……、彼氏さんの事? ふぅん、そなんだ」
すると、しずるちゃんは、ちょっと慌てて頬を染めると、
「ご、誤解しないでね。アイツを追いかけて東京に行きたい訳じゃないから。本当よ。変なふうに思わないでね、千夏」
と、早口で訂正を求めた。
「そうかぁ、東京かぁ。良いなぁ。わたしも『進学』にしとこかなぁ」
「遠距離恋愛になるわよ」
そう言われたわたしは、ちょっとビックリして、
「へ? 遠距離恋愛って。……だ、大ちゃんの事? だ、ダイジョブだよ。ダイジョブ……と、思う」
最後の方は、ちょっと自信なさげだったけど、そうわたしは応えた。
(そうかぁ、東京に進学するとしたら、大ちゃんと離れちゃうのかぁ。そこまでは考えてなかったなぁ)
「それはそうと、しずるちゃんは大学に進学するとして、何処にするか考えてるの?」
そう言うと、
「そうねぇ。家は弟達がいるから、そんなにお金はかけられないし。まぁ、国公立よね。それなら、あたしの稼ぎだけで、まかなえると思うわ。大学は……、東京なんだから、東京大学でいいんじゃないかしら」
と、何でもないように応えた。
「へ? 東京大学って、東大! 凄いや、しずるちゃん。スゴイ野望だね」
「そう? よく分からないけれど」
「スゴイよ! しずるちゃんらしいよ」
「ありがとう、千夏。じゃぁ、進路は、千夏と一緒に東京へ進学ね」
「そだね。わたしも、頑張っちゃおかな」
「そうそう、その意気だわ」
そうやって、今週の朝は始まった。
その日の午後、いつものように、わたし達は図書準備室に来ていた。
「わたし達が一番のよだね。今日は、皆、遅いのかな?」
部室の中を眺めていると、しずるちゃんは、鞄からノートパソコンを取り出しながら、こう言った。
「そうねぇ。きっと、当番か何かでしょう」
一年生も、高校に入学して半年くらい経ったこの時期だ。委員会や部活動、当番でも、来年を見越して重要な役を割り当てられたりするようになる。彼女達も忙しくなるのだ。
「そういや、しずるちゃん。昨日まで編集会議だったんだよね。また、新しい本が出るの?」
わたしがそう訊くと、彼女は、何か嫌そうな顔をして、こう言った。
「まぁ、確かに編集会議ではあったんだけどね。それより、厄介な問題があったのよ」
彼女はそう言うと、少し下を向いて黙り込んだ。
「どしたの? 何か、嫌なこと言われた?」
すると、彼女は肩を竦めると、次のように応えたのだ。
「実はね、雑誌のグラビアモデルをやらないかって言われてて。それで、大分揉めたの」
「雑誌のモデルって、……この前、言ってたやつ?」
「そう。舞衣さんの作った写真集が、殊の外好評でね。出版社の青年誌部門が乗り気なのよ。一度は突っぱねたんだけど、熱心に勧誘されてね。その交渉で二日もかかっちゃった。もう、えらい迷惑だわ」
「でも、しずるちゃん、美人だし、胸も大きいし。上背もあってスタイルもいいんだから、モデルのお仕事もやってみたら」
文章だけじゃなくって、外見も美少女なしずるちゃんが羨ましくて、わたしは、つい、そんなことを軽々しくも言ってしまった。
「何言ってるのよ、千夏。そんなことしたら、あたしのことが全国に広まっちゃうじゃない。『清水なちる』名義でも、写真が載っちゃったら、一発で素性がバレちゃうわよ。あたしは高校卒業までは、静かに平和に暮らしたいの」
「静かに平和に、かぁ。もうすでに、侵されているように思うけどな」
わたしがそう言うと、しずるちゃんは、両手で顔を覆おうと、どっかと椅子に座った。
「言わないでよ、千夏。この前の写真集だって、とっても恥ずかしかったんだから。もう、あんな肌が出る格好なんて、出来やしないわ」
わたしは、そんなしずるちゃんを見て、『贅沢な悩みだな』と思った。わたしなんか、逆立ちしたって、グラビアモデルなんか出来ない。プロの小説家にも、なれるはずがない。しずるちゃんは、容姿も才能にも恵まれているのに、どうしてそれを諦めちゃうんだろう。
「勿体無いな……」
それが、わたしの口から漏れた言葉である。
「勿体無いよ、しずるちゃん。折角のチャンスなのに、それを諦めちゃうの」
「何が折角のチャンスよ。あたしにとっては、大きなお世話よ」
しずるちゃんは、いつになく興奮して応えた。
「だって、しずるちゃん、何でも出来るし、何でも持ってるし。わたし、すっごく羨ましいよ」
「そんなに言うんだったら、千夏がやったら。千夏だって可愛らしいんだから、きっとモデルだって出来るわよ。この前の写真集だって、すごく綺麗に撮ってもらったじゃない」
思わぬ反撃に、わたしはちょっと戸惑ってしまった。
「へ? そんなの無理。無理無理。わたしみたいなちんくしゃじゃぁ、モデルなんて出来ないよ」
「またそんな事を言う。千夏は、ちんくしゃじゃないわ。……そうだ。あたし、千夏と一緒なら、モデルの仕事をしてもいいかも」
「へ?」
突然の提案に、わたしは、一瞬、言葉に詰まった。
「な、な、な、何言い出すのよ、しずるちゃん。わたしなんか、しずるちゃんと一緒にいたら、ただの引き立て役じゃない。ヒドイよ。しずるちゃんのイジワル」
「そんな事無いわよ。千夏は、本当に可愛い女の子よ」
「そんな事言ったって」
「うううー」
「ううー」
わたし達は互いに睨み合うと、最後には言葉も出なくなってしまった。
「ふ、うふふふふ。変なの。もう、千夏ったら、何をエキサイトしてるのよ」
「しずるちゃんだって」
「もう、この話はオシマイ。ごめんね、千夏。変な事、言っちゃって」
そう言うしずるちゃんは、丸渕眼鏡の奥から優しい眼差しをわたしに送っていた。そして、大きく伸びをすると、いつものようにノートパソコンを開いて執筆活動を始めた。
「しずるちゃん」
「何?」
「ごめんね。変な事言って、困らせちゃって」
「何言ってんのよ、千夏。気にしてないわ。あたしはいつものあたしに戻るから、千夏もいつもの千夏に戻って」
「うん、分かった。じゃぁ、特性のお茶を淹れてあげるね」
「ありがとう、千夏。それでこそ、やる気が出るってもんよ」
「しずるちゃん」
「え?」
「ありがとね。わたしなんかの友達でいてくれて」
「お互い様よ。それより、千夏は友達無くしてない? あたしは、元々友達いなかったからいいけれど。千夏は普通に友達いるんだから。あたしなんかと関わって、孤立してないといいんだけれど」
「そ、そんな事無いよ。むしろ、皆、しずるちゃんの事を知りたがってるんだよ。だって、しずるちゃんは、K高のアイドルなんだから」
「またまた、そういう事を言う。それより、お茶を淹れて下さいませ、千夏様。妾は茶を所望す」
しずるちゃんに、仰々しく言われて、わたしも何だか可笑しくなってしまった。
よし、今日のお茶を淹れよ。そろそろ皆も来る頃に違いない。美味しいお茶で、文芸部の活動開始だ。
わたしは、そう考え直して、お茶を淹れに席を立った。




