花澤彩和(6)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。年下彼氏の大ちゃんとの距離を詰めようと奮戦している。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。丸渕眼鏡と長い黒髪がトレードマーク。
・里見大作:大ちゃん。千夏の彼氏。一人称は「僕」。二メートルを超す巨漢だが、根は優しい。のほほんとした話し方ののんびり屋さん。天体観測の日を境に、彼女を「千夏さん」と呼ぶようになった。
・花澤彩和:三年生。写真部の副部長兼スタイリスト。スレンダーなボディーで漢前なお姐さん。ルポライターを目指している。
大ちゃん達と流星を見た翌日も、わたしは図書準備室に来ていた。
今日来ているのは、しずるちゃんとわたしだけだった。しずるちゃんはいつも通り、ノートパソコンをタタタタッと叩きながら、難しい顔をしていた。それを、わたしは不思議そうに眺めていた。
それに気が付いたしずるちゃんは、
「どうしたの、千夏?」
と、声をかけてきた。
「う〜ん、得には無いんだけどねぇ。わたし達、こんな関係で良いのかなぁって思ってて」
わたしが返事に窮して、曖昧に答えると、
「昨日の花澤先輩の話?」
「え? うん、それもあるけど……」
わたしがボーっとしていると、
「千夏、大作くんとちゃんとしてる?」
と、しずるちゃんの方から問いかけてきた。わたしは無防備に、
「うん、ちゃんとしようとは思ってるんだけどねぇ」
と生返事をすると、しずるちゃんは真剣な顔で、
「ちゃんとしなきゃダメよ。千夏の方から言ってあげないといけないんだから」
目の前の美少女は、いつになく真剣な顔だった。だが、それが何のことを指しているのかまでは、わたしには分らなかった。
「え? しずるちゃん、何の話?」
「避妊よ。ヒ・ニ・ン。気を付けなきゃダメよ」
「しとるかー!」
予想外の言葉に、わたしは真っ赤になって、思わず椅子から立ち上がった。
「しないとダメじゃない、千夏。避妊は大事なのよ」
「それどころか、キスもまともに出来とらんのに、どーしろってゆーのぉ」
わたしは半泣きになりながら、しずるちゃんに抗議した。
「後ちょっと! ホントに後ちょっとだったんだよ。ホンッのこれくらい! 小指の爪より短かったんだからねぇ。どうしてくれるのよ。しずるちゃん達のお陰で、わたしのファーストキスが台無しだよっ」
そんなわたしを見て、しずるちゃんはホンッとうに情けなく、顔の前で両手を合わせた。
「それは悪かったからさぁ。この通り。ゴメン」
その、しずるちゃんには有ってはならないような情けない態度に、わたしは「ふぅー」と溜息を吐くと、
「もう、怒ってないよ。その代わり、この埋め合わせは、どっかで必ずしてもらうからねぇ」
わたしが、珍しく強い口調で言うと、彼女は、
「ええ、あたしの借りね。ホンット、ゴメン」
と、謝り続けていた。
「分かったら、そのしずるちゃんらしくない態度は、ここまでにしてね。そんなの、全校生徒に見せられないじゃない」
「ありがとう。助かるわ、千夏」
それを聞いていたわたしに、しずるちゃんへの反撃方法が閃いた。気を取り直してパソコンを打ち始めようとしたしずるちゃんに、こう訊いたのだ。
「しずるちゃん。そう言えば、あの矢的って男の人とはどうなったの?」
目の前で<ゴン>という音が鳴った。
「しずるちゃん、ダイジョブ」
彼女は、準備室のテーブルに頭を打ち付けたのだ。
「な、なな、何て事訊くのよ!」
「言われてばっかりだと悔しいから。何回くらいキスした? ちゃんと避妊してる?」
攻守入れ替わったわたし達は、お互いに目が合わせられなかった。
「え? あ、あたし達は、そうね……そう、大人だから、ちゃんとしてるわよ。な、何も後ろめたい事なんか、してないわ。え、えと……、受験生だしね、彼。あたしが尻叩いて勉強させないと、すぐによそ道に逸れちゃうのよぉ」
「そなんだぁ。まぁ、うちの彼はぁ、もうわたしにしか眼中にないってゆーか、「もうラブラブ」って感じ。安定感あるしねぇ」
「安定感といえば、あたしの彼は、末は病院長ですからぁ。もう、経済的には盤石この上ない事。で、ございますわぁ。千夏さんも年下だと、ご苦労が多そうね」
「しずるさん程でもありませんことよ、ホホホホホ」
「なにをおっしゃいます、オホホホホ」
一瞬の間。
「あーあ、バカ言ってんじゃ無いわよ。あたしだって、ファーストキスなんて未だなんだから。どうやったらあんなに近くまで顔が寄せられるか、教えて欲しいくらいだわ」
「そう言うしずるちゃんの方こそ、何やってんのよ。わたしなんて、キスするのにハシゴが要るのよ。爪先立って、彼の首に腕を巻いたポーズでキスシーンなんて、映画みたいな格好いい事なんて、金輪際起こり得ないんだからぁ」
「言ったでしょう。あいつ、医大受けんのよ。なぁまはんかな勉強じゃ、ダメ! 合格までは、何が何でも勉強一筋。あたしなんか、自分を餌にして、あいつに走らせているようなもんなんだから」
「はぁ、身体はってるね、しずるちゃん」
「身体はってんのよ」
そうしてしばらく見つめ合ったわたし達は、すぐに笑いだした。
「あっ、ははは、おっかしい。千夏ったら、どこの団地妻の会話よ」
「しずるちゃんこそ、「もう病院長婦人」みたいで。すんごくおかしい。アハハハ」
「彼氏には、お互い苦労してるわね」
と、しずるちゃんがクスクス笑いながら言っていた。あっ、しずるちゃんて、こんな風に笑った顔もキレイなんだ。羨ましいな。
「どうしたの? 千夏」
「いやぁ、しずるちゃんて、笑った顔もキレイなんて、何かズルイ。美人って良いよなぁ」
「千夏だって、充分可愛いわよ。あたしって、いつもツンツンしてると思われてるからね。刷り込みって、嫌よねぇ。やっぱり、女は可愛くってナンボよ。男から見て、自分の上を行かれるのは敬遠されるの」
「そんな事無いよ、しずるちゃん。しずるちゃん、学校のアイドルだし、ファンもいっぱいいるし」
すると、しずるちゃんは、深い溜息を吐いた。
「それも悩み事なのよね。皆のイメージを壊さないようにするのも大変でねぇ。ここが息抜きの場所。ああ、極楽極楽」
「じゃあ、息抜きついでに、お茶でも淹れようか。今日も紅茶でい?」
「ありがとう。お願いするわ」
そう言われて、わたしはお茶の準備をしに席を立った。
そうして、しばらくティータイムを楽しんでいると、準備室の扉が開いた。そこから元気よく入ってきた人物はと云うと、
「はーい、若者達。写真部の花澤彩和だよ。ちょっとおじゃましに来たよ」
昨日の夜に会ったばかりの花澤先輩であった。
「あ、先輩。プリントが出来たんですね」
「おーよ。枚数が多かったから、時間かかっちゃったぁ。あれ、欲しがった当人はどこに行ったのかな?」
「大作くんは、今日は来ないみたいです。昨日のことで、きっと家でモンモンしてるんでしょう」
「だよねぇ」
と、しずるちゃんと花澤先輩は、わたしにはよく分からない謎の会話をしていた。
「では例の物を」
しずるちゃんがそう言うと、花澤先輩は脇に挟んでいた大判の封筒を、しずるちゃんに渡した。
中を見たしずるちゃんは、
「いっぱい有りますねぇ」
と返事をした。
「二人で午前中いっぱいかけて、絞り込んだからね。お宝写真ばっかだよ」
わたしはこのやり取りを聞いて、昨日の事を思い出した。
「そ、それって……、大ちゃんに渡すって言ってた『わたしの写真』ですか!」
思い当たることがあったわたしは、椅子から立ち上がった。
「その通りよ。千夏にしては、やけに早く気がついたわねぇ」
「そんだけ堂々としてたら、気がつくわよ。それって、際どかったり、いやらしかったりする写真でしょ。そんなの大ちゃんに渡さないで下さい」
きっと、わたしの想像できないような写真に違いない。そんなのが大ちゃんの手に渡るのは、絶対に阻止せねばならない。
「何よ、千夏。大作くんだって欲しがってるんだから。もう、千夏ったら、恥ずかしがりやさん」
わたしは大慌てで、テーブルを半周すると、しずるちゃんと花澤先輩のところへ急行した。
「この写真なんか、良いアングルですよねぇ」
「そう思うでしょう。逆光の加減が、より想像力をかきたてるの」
二人が見ている写真は、防波堤の上にいるわたしを、思いっきり下から見上げた写真だった。スカートの中が見えて、太ももが露わになっている。
別の写真では、着替え中の様子だった。写真のド真ん中に半裸のわたしが写っていた。
「ダメダメ。こんな写真、大ちゃんに見せられないよ。彼は純情なんだから」
そうやって、封筒を取り上げようとするわたしから逃れるように、しずるちゃんは片手を上げて背伸びをしていた。
「ダメよ。これは大作くんとの約束なんだから」
「そうかも知れないけど、ダメダメ。ダメったらダメ」
そんな格闘をしている中、準備室にもう一人の重要人物が入ってきた。大ちゃんである。
「こんにちわぁー。あれ? 花澤先輩もしずる先輩も、どうしたんですかぁ? 千夏さんまでぇー」
揉み合っている中、しずるちゃんが、大ちゃんに言った。
「良い所に来たわね、大作くん。昨夜、約束したわよね。例の千夏の写真よ」
しずるちゃんに声をかけられた巨体は、一瞬で顔をほころばせた。
「あれぇ、もう出来たんですねぇー。早いなぁ。僕にも見せて欲しいんだなぁー」
「見せるも何も、大作くんにあげる約束でしょう。はい、どうぞ」
と、しずるちゃんは、わたしと揉み合っている中から隙を見つけて、封筒を大ちゃんに渡してしまった。
「大ちゃん、ダメー」
わたしは叫んだけど、時すでに遅し。大ちゃんは、ホクホク顔で、封筒の中身を見ていた。
「これなんか、凄く可愛いですね」
大ちゃんが見せたのは、学校の中庭で野良猫を抱いているわたしだった。以前助けたその猫は、中庭に居着いてしまったのだ。
写真の中のわたしは、すんごく良い顔をしていた。こんなのならいかなぁ。
「こんなのもあるのよ」
と言って、しずるちゃんが選んだのは、水着に着替え中のわたしだった。向こうを向いているので危ないところは見えてないが、上半身は裸だった。
「おお! セクシーですねぇ。僕、凄く嬉しいですぅ」
そんな写真まで! わたしは花澤先輩に詰め寄った。
「いつの間にこんな写真撮ったんですか! セクハラですよ、セクハラ」
「いや、良いじゃないの。ほら、彼だって喜んでるし」
「そう言う問題じゃなくってぇ……。大ちゃんも何とか言ってよ」
と振り返っても、件の大男は、わたしと自分のツーショットを眺めて、デレェーとしているのだ。
(ダメだ。もう諦めよう……)
わたしがこう考え始めたとき、先輩が、もう一枚の写真を手渡してきた。
「こんなのもあるからさぁ。携帯の待受に使いなよ」
と、手渡されたのは、大ちゃんと彼の肩に座るわたしだった。そよ風に乱れた髪を掻き上げるわたしを、大ちゃんが幸福そうに見つめていた。
(こういう写真だったなら、いかな?)
少し、落ち着いてきた。わたしは、皆の様子を冷静に見られるようになった。
「あれ、千夏。もう邪魔はしないの?」
「なんかもう、諦めの境地。それに、可愛い写真もあったし」
「そうか。ああっと、そう言えば……。大作くんには、これも渡しておこう。その写真の元データだよ」
「あ、あ、ありがとうなんだなぁ。これで、パソコンでいじり放題なんだなぁー」
それを聞いたわたしは、
「やっぱりダメ。勘弁してぇ」
と、訴えたものの、皆スルーであった。
もう、誰か助けて。




