藤岡淑子(5)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。今回、文芸部の合宿と称して熱海の民宿に来ている。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。丸渕眼鏡と長い黒髪がトレードマーク。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。一年生。一人称は「あっし」。ショートボブで千夏以上に背が低く幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。その上、性格がオヤジ。合宿では、カメラを担当。
・里見大作:大ちゃん。千夏の彼氏。一人称は「僕」。二メートルを超す巨漢だが、根は優しい。のほほんとした話し方ののんびり屋さん。千夏には頭が上がらない。
・西条久美:久美ちゃん。一年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。大ちゃんに告白したが振られてしまった過去がある。
・西条美久:美久ちゃん。一年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。どちらかというと、姉よりもホンの少し積極的、かな?
彼女達二人は、髪型をサイドテールにして違いを出してはいるが、ほとんどの人は見分けられない。二人共オシャレや星占いが好き。小さい頃からイジられてきたので、コスプレ写真の撮影も平気。
・藤岡淑子:国語教師で文芸部の顧問。喋らずにじっとしていさえすれば、超のつく美人と言われている。しずるの事情を知っている数少ない人物の一人。かなりの酒豪で、潰した男は数しれず。
「ふぅわあー、いい湯だね。やっぱ、温泉はこうでなくっちゃね」
わたし達は、着いたばかりの民宿で、早速お風呂を借りることにした。温泉の、それも露天風呂である。これで、伸びのび出来なかったら、閻魔様に怒られてしまう。
中でも温泉を一番堪能していたのが、藤岡先生であった。誰よりも真っ先に入ると、湯に浮かせた盆に、ちゃっかりと徳利とお銚子が乗っかっていた。
今は少し顔を赤らめたぐらいで、三本目の銚子を空けてしまったところだ。
「先生、お風呂でお酒をあんまり呑むと、酔って倒れちゃいますよ」
美久ちゃんが、先生を気遣ってそう言った。
「いやぁ、風呂ん中だと血行が良くなって、酒が回る回る。少しの酒で酔えるんだから、効率的だねぇ」
(酒豪だ)
(呑兵衛だ)
(酒をドブに捨てているようだ)
(でもこれで酔いつぶれてくれれば、今夜は平和に過ごせるぞ)
わたし達は、めいめい似たようなことを考えていた。
そんな時、舞衣ちゃんがしずるちゃんにチャチャを入れた。
「しずる先輩、目付き悪いっすよぉ。折角の温泉なんだから、もっと和やかにしてくだせぇ」
「ありがとう、舞衣さん。でも、お風呂って眼鏡が曇るから置いてきたんだけど、やっぱりよく見えないわねぇ」
「いやいや、元々湯けむりの中で見えにくいっすから……て、しずる先輩、胸が湯に浮かんでるっす!」
「え? ああ、何のかんの言っても、中身は脂肪が詰まってるだけだからね。比重の差で水に浮くのは当然ね」
「ズルいっす。あっしは、全然浮かびやしないっす。何か凄く傷付いたっす」
「部長も浮いてますわねぇ」
「部長も、結構胸有りますものねぇ」
舞衣ちゃんがしずるちゃんに絡んでいるすきに、久美ちゃんと美久ちゃんが、わたしに話しかけてきた。
「そ、そかなぁ。大きさなんて、あんまし気にしたこと無いんだけど」
照れ隠しにそう言って誤魔化そうとしたら、今度は藤岡先生が声をかけてきた。
「千夏っちゃん、ここだけの話、カップいくつあんの? 秘密にしておくから、先生に教えてよ」
うわぁ、悪酔いしてるな。絡み酒かぁ。先生は引率者なんだから、もっと周りのことを考えようよ。ううう、それに、隣の男湯には大ちゃんだって居るんだよ。
「そ、そんなぁ、胸の大きさなんて訊かれても、困っちゃいますよ」
この湯けむりの中、わたしは何とか受け流そうと必死だった。
「あ、それなら、私達が知ってますぅ。この間、千夏部長とランジェリーショップに行った時、測り直してもらいましたよねぇ」
しまった! そう言えば、だいぶ前だけと、久美ちゃん達と行ったんだっけ。
「美久ちゃん達、恥ずかしいから黙っててよ。お願い」
「大丈夫ですわよぉ。小声で教えるだけですからぁ」
美久ちゃんがそう答える後ろで、久美ちゃんが先生に耳打ちをしていた。すると突然大声で、
「え〜〜〜、Dぃぃぃぃ!」
と、温泉中に響きそうな叫び声が轟いた。
「わぁぁぁ、先生、声大きい」
「えっとぉ、念の為に聞くけど……、千夏っちゃん、身長いくつ?」
「し、身長ですか? 145ですけど」
「うっわぁ、それはないわ。身長145でDカップは無いわ。大っきい。千夏っちゃん。あんた、オッパイ大きかったんだねぇ」
「わわわ先生。だから、声が大きいですよ」
わたしは真っ赤になって、先生を制しようとした。
「ううう、ズルいっす、部長。その身長でDは大きすぎるっす。あっしなんか、身長だって138で、やっとこさAAなのに……」
「え、いや、だってさぁ、仕方ないじゃん。好きで大きい訳じゃないんだから」
わたしは、必死で言い訳をしていた。
「やっぱ、リア充は言う事が違うっすねぇ。ううう、あっしなんか……、あっしなんか……」
修羅場と化しそうな予感がしたので、わたしは攻撃の矛先を変える作戦に出た。
「い、いや、……あっ。あそこで、タプンタプンさせている人がいるからぁ」
と、わたしは、しずるちゃんの方を指して言った。
「やっぱり、学園のアイドルは違うねぇ。先生が大きさを測っちゃうぞぉ」
わたしの読み通り、藤岡先生は、しずるちゃんの背面からそっと近づくと、彼女の胸を鷲掴みにしたのである。
「きゃ。ちょ、ちょっと、先生。何するんですか!」
「うん? これは、E? くらいはあるかな? いや、もっとか?」
歳が違うとはいえ、文芸部の誇る二大美女の絡みは、艶めかしい雰囲気があった。大脳のどこかの部分が痺れたようになって、<ボウ>っとしてしまう。
(えっとぉ……。わたしも、酔ってるのかな? それとも、湯あたり?)
自分で振っておいてなんだが、わたしも何か変な気分になりそうだった。
「離して下さい先生。訊いてくれれば教えたのに」
「えー、それじゃぁ、触れないじゃない。先生、つまんない」
「先生、悪酔いしていませんか? いったい何の目的があって触らなけりゃならないんですか」
元来真面目人間のしずるちゃんは、こういった事でも無碍にしないで、ちゃんと応じてくれる。わたしには、到底真似できないことだ。
「もう、しずるちゃんもつれない事言うねぇ。教師と生徒のスキンシップじゃないの」
と、先生は全く離れようとしない。
「もう。あたしは90のFです。分かったでしょう。離れて下さい」
「何だぁ、詰まんないの。先生、詰まんないよぉ」
あっさりとサイズを知らされて、藤岡先生は、またも我儘を言い始めようとしていた。
「先生、おっさん臭いっすよぉ」
と、舞衣ちゃんが指摘すると、
「そりゃぁ、おっさん臭くもなるわよ。この歳で彼氏いないなんて、寂しすぎるでしょう」
(え? 先生、今、何て言ってた? いけない。これは先生が暴走する前兆だ! 何とかせねば)
「せ、先生。夕食は海の幸がタップリだそうですよ。刺し身で一杯なんて、粋じゃないですかぁ」
再度、わたしが話題をすり替えようと試みた。すると、先生は急に真顔になって、
「そうだったわ。海の幸で、クイッと一杯。これは、たまらんですなぁ」
「そうですよ。だから、温泉の中ではこの辺にして、ゆったり浸かりましょうよ。ね、先生」
「そうだねぇ。さすが、千夏っちゃん。伊達に部長をやってるわけじゃ無かったんだよねぇ。よし、先生は心ゆく迄温泉に浸かるぞぉ」
ふぅ。取り敢えず、この場は収まったぞ。
そうして、わたし達は時間を忘れて温泉を楽しんでいた。もしも掛時計が置いてなかったら、本当に時間を忘れて湯に浸かっていたろう。わたしが、ふと、壁を見ると、かれこれもう一時間半は入浴していたことが分かった。
「ねぇ、皆、そろそろ出よっか。もう一時間半も入ってるし」
「ええー、そんなに長く入ってましたのぉ? 温泉て、時間を忘れちゃうのねぇ、美久ぅ」
「そうですわねぇ、久美ぃ」
「ぅぅ、一時間半かぁ。道理で<クラクラ>すると思ったわ」
うわっ、しずるちゃん、顔が真っ赤だ。目もとろ〜んとしてるし。どうやら昇せたらしい。
「しずるちゃん、それ昇せてんだよ。ダイジョブ? 冷たい水とか無いかな」
「部長、水ならあるっすよ。ほれ」
と、舞衣ちゃんは、すぐに蛇口から冷水を手桶に汲むと、いきなり、しずるちゃんの頭から浴びせかけたのである。
「うっ、キャー、冷たいっ! いきなり何すんのよ!」
「はい、これでしずる先輩、復活。ニャハハハ」
相変わらずこの娘は、自分がやることをよく分かっていないようだ。
「舞衣さん、普通は少しずつ飲ませるとかするでしょう。いきなりぶっかける人がありますかっ」
「おっとぉ、それでこそ、いつものしずる先輩。もう、大丈夫なようっすね」
舞衣ちゃんの荒療治で、しずるちゃんはいつものピシッとした状態に戻ったようだった。
「もう、上だけ冷えちゃったじゃないの。あたしは、もうちょっと温まってから出ることにするわ。皆は、先に出てていいわよ。それから、舞衣さんは、何かやる時は一呼吸間をおいて考える練習をしなさい。分かった!」
しずるちゃんは、いつものキッとした目付きを取り戻すと、舞衣ちゃんを叱咤していた。
取り敢えず、しずるちゃんはもうダイジョブだろう。さて、先生は? もう、かけ湯をして、出るところだった。足取りもしっかりしてるし、これが本当に湯船で徳利三本以上も呑んだ人だろうか?
まぁ、わたしの、見立てでは、まだ初期の初期で、暴走まではまだ余裕だろう。でも、しっかり見ておかなけりゃ。暴れられたら終わりだ。二度と来れなくなっちゃう。
わたし達は、お風呂場の入口で、大ちゃんと合流すると、割り当てられた部屋に戻った。
暫くするとしずるちゃんも帰ってきたので、民宿のダイニングに揃って行く事になった。
「おや、お嬢さん達、湯加減はどうだったかい?」
民宿のおじさんが訊いてきた。
「とっても良かったですぅ」
「思わず時間を忘れてしまっちゃいましたぁ」
双子の美久ちゃんと久美ちゃんが、おじさんに応えていた。
「そうだねぇ。一時間半は入ってたからねぇ。湯あたりとかしてないかい? ちょっとその辺にでも座ってなさい。もうちょっと待ってくれれば、すぐに夕食が出来上がっから」
と、おじさんは言ってくれた。
「何かお手伝い出来る事はありますか?」
わたしは、おじさんに訊いてみた。
「そうさなぁ。今日は人数も多いし、おっきな子もいるから、テーブルをくっつけてくれんかな。
それから、座布団を敷いてもらうと、助かるかな。……おっと、それから、こっちのお皿も並べてくれんかな」
「分かりました」
それで、わたし達は、分担してテーブルを用意したりお皿を並べたりした。
「母ぁちゃん。嬢ちゃん達も腹空いてるべ。出来たのからでいいから、持ってってくれや」
「はいな」
それを合図に、海の幸が山盛りの大皿がやって来た。刺し身も天ぷらもある。
わたし達は、それも分担してテーブルに並べた。
「なぁ、先生、イケる口なんでしょう。後で、『これ』どうですか?」
おじさんは、またもやお猪口を<クイ>っと飲み干す真似をしてみせた。挑まれた方の藤岡先生は、
「モチのロンよ。私が勝ったら、秘蔵の一本、頂くからね」
「言うねぇ。こちとら、海で鍛えてんだ。負けませんぜ」
「フッフフフ、ナメてると痛い目見るよぉ」
二人の間には、火花が散ってるように見えた。
あーあ。またこれだよ。先生も、黙って普通にしていれば、美人さんなのに……。やはり、酒の誘惑には敵わないのかなぁ。そんなところに、民宿のおばさんが声をかけた。
「これこれ、あんた。すーぐ調子に乗るんだから。学生の皆は、冷たい麦茶とかウーロン茶でいいかい?」
「はい、ウーロン茶でお願いします」
と、わたしが応えた。
「じゃぁ、皆座って座って。用意はいいかな? ではいただきます」
『いただきます』
と、そろって答えると、楽しい夕食が始まった。
ただ、わたしには、藤岡先生のことが心配で、頭から消すことが出来なかった。




