引きこもりの悪役令嬢
『マデリーン! 貴様には心底失望した! 今日をもって婚約を破棄し、私は愛しのステイシーと未来を歩む!!』
そう告げられて婚約破棄を突き付けられてから、侯爵令嬢マデリーンの生活は一変した。
夜会の会場で盛大な婚約破棄を告げられたせいで、他の貴族の視線が怖くて仕方ない。
令嬢の嗜みであるお茶会の誘いを断り続けるうちに、彼女は一歩も自室から出られなくなった。
いわゆる『引きこもり』状態に陥ってしまったのだ。
自室でずっとべそべそと泣いている彼女を心配した両親は、あらゆる手を尽くしてくれたが、マデリーンは部屋からでられないまま日々を過ごしている。
そしてある日、幼馴染の公爵令息であるエルヴェが訪ねてきた。彼は両手いっぱいの花束を抱えて彼女に会いに来た。
「……その花束、どうしたの……」
「君に会いに行くといったら、母上が持って行けと」
花束に埋もれるようにして肩をすくめたエルヴェにため息を一つ吐き出して、部屋に置いている鈴を鳴らす。すぐにやってきたメイドに彼が抱えている花束を渡した。
花束をメイドに預けたエルヴェがぐるりと彼女の部屋の中を見回して、ソファにどかりと腰を下ろす。
「だから、あいつは止めておけっていっただろう」
侯爵令息であるダミアンとの婚約はだれでもないエルヴェに止められていた。
それを押し切ったのはマデリーンだ。彼から「あいつは女癖が悪い」と聞いていたのにも関わらず、だ。
「だってぇ、顔が好みだったのよぉ」
幼馴染と言えどさすがに異性の前でベッドに潜ることもできず、エルヴェの対面のソファに座ってしくしくと涙を流す。
「相変わらず趣味が悪いな」
昔馴染みだからこその容赦のない言葉にマデリーンはぽろぽろと真珠のような涙を流しながら「そんなこといわなくてもいいじゃない~!!」と涙声で言い返した。
「最近、君がなんて呼ばれているか知っているか?」
「……なんて呼ばれてるの?」
「悪役令嬢、だとさ」
肩をすくめたエルヴェの言葉に、ぱちりとマデリーンは瞬きを繰り返した。
「悪役令嬢……?」
聞きなれない単語だ。首を傾げた彼女に、エルヴェがため息を吐き出す。
「ステイシー嬢に嫉妬して、陰湿な嫌がらせをした。まるで悪役のようだ、と。だから悪役令嬢らしい」
「なにそれー!!」
先ほどまでしおらしく泣いていたのが嘘のように激昂したマデリーンに、エルヴェが苦く笑う。
彼は彼女がそんな嫌がらせができる性質だとは思っていない。
「嫌がらせされていたの、むしろ私なんですけど!」
「そうだな」
「むしろ現在進行形よ?!」
「そうだな」
雑に頷くエルヴェにマデリーンはソファの端に置いてあったクッションを抱きしめて項垂れた。
「踏んだり蹴ったりよぉ……」
「俺にしとけ」
「?」
なんだか予想外の言葉が聞こえた気がする。
疑問符を頭に浮かべて顔を上げたマデリーンに、エルヴェが見たことがないほど優しく笑う。
「俺じゃダメか?」
「……え?」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
ぱちぱちと瞬きをするたびに目じりから頬に流れる涙を気にする余裕もない。
エルヴェが立ちあがって、マデリーンの傍による。
そっと頭を撫でられた。幼い頃によくしてもらった仕草だ。
「俺がもらってやるから、いい加減泣き止めよ」
嬉しい言葉だ。ありがたい申し出だ。だが、そうはわかっていても。
――マデリーンは心底眉を顰めてしまった。
「ええ……いまさら貴方をそんな対象だと思えないわ……」
なにしろ生まれた時から傍にいた幼馴染だ。異性だと認識できない。
マデリーンの言葉にエルヴェは額にぴきりと青筋を立てる。
「生意気なことを言うのはこの口か」
「いひゃい~!!」
ぐいっと頬を引っ張られる。
いひゃいいひゃいと騒ぐマデリーンは、気づいたら涙がすっかり止まっていた。
暫くじゃれあうように軽口を叩いて、少しだけ気持ちが落ち着いた彼女は、小さく笑う。
「ありがとう、エルヴェ。気持ちが軽くなったわ」
「そーかよ」
ふんとそっぽを向いた不器用な幼馴染にまた一つ笑みをこぼす。
(いつまでも逃げてたらダメよね)
そろそろ母の伝手を使ってお茶会に復帰してみよう、そう考えられる程度には前向きな気持ちになれた。
▽▲▽▲▽
(本当にイラつくな)
マデリーンの食が細くなっている、励ましてやってほしい。
そう言われて向かったモリニエール侯爵家で、自室に籠っていたマデリーンは確かにやつれていた。
最後には少しだけ笑顔を見せてはくれたが、彼女の心が傷ついたままなのはよくわかる。
幼馴染だからこそ、些細な変化にも敏感に気づくのだ。
エルヴェはマデリーンが好きだった。好意を寄せていたけれど、告白する前に彼女は別の男に惹かれてしまった。
その相手がダミアン・サヴォワ侯爵令息。
令嬢相手には巧みに隠しているが、貴族令息の中では女ったらしのろくでなしと悪評ばかりが流れている男だった。
当然、エルヴェはマデリーンに「あいつは止めておけ」と忠告した。
だが、恋する乙女は止められず、彼女は身分の釣り合いもとれていたからとダミアンの婚約者に収まってしまったのだ。
あの時の悔しさは生涯忘れることはないだろう。心底悔しくて、自室で暴れてメイドを困らせた。
だが、マデリーンの選択を尊重したい気持ちもあった。だから、ダミアンにそれとなく「女遊びはもうやめろ」と釘を刺したし、他にも彼女が幸せになれるよう心を砕いた。
しかし、それらは全て無に帰した。他の女を傍に置きたい、侯爵令嬢であるマデリーンが婚約者となったことで女遊びを止められて不平に思った不届きものによって。
その結果、ダミアンはあらぬ罪をマデリーンに被せて『悪女』と罵り、男爵令嬢ステイシーを選んだ。
(ふざけるな)
あんなに一途に思われて置きながら。
エルヴェが喉から手が出るほど欲しいマデリーンの愛情を独り占めしておきながら。
それらすべてを要らないと捨てていったダミアンをエルヴェは許さない。
煌びやかなシャンデリアの明かりが広間を照らしている。
エルヴェの母である公爵夫人主催の夜会は盛り上がっていた。
磨き抜かれた大理石は美しく、参加者たちは思い思いに着飾って談笑している。
音楽隊の奏でる心地よい音楽を右から左に聞き流しながら、エルヴェは断罪の機会を伺っていた。
そう、今日の夜会はダミアンとステイシーに身の程を教えるためのもの。
マデリーンを可愛がっている母はエルヴェの計画にすぐに乗ってくれた。
存分に暴れていいとお墨付きをもらっている。
人々の間を縫って歩きながら、目的の二人に近づく。
ダミアンとステイシーは派手なマデリーンへの断罪劇の影響か、少し他の貴族たちから距離を取られていた。
それでも楽しげに話している二人に近づくと、エルヴェに気づいた二人が視線を向けてくる。
吐き気を抑えてにこやかな笑みを浮かべる。
「久しぶりだな、ダミアン」
「ええ、お久しぶりです。エルヴェ様」
爵位はエルヴェのほうが上だ。だからこそ呼び捨ても許される。
ダミアンが一礼すると、その隣でステイシーが軽やかに笑った。
「初めまして、エルヴェ様。わたし、ステイシー・カルザティと申します」
彼女の視線は上から下までエルヴェを品定めするものだ。
不快さを表に出さないように気を付けつつ、和やかに口を開く。
「ジャック、ピエール、ローラン。彼らはお元気ですか?」
「え? あのぅ」
エルヴェが口に出した令息たちの名にステイシーが僅かに動揺する。
いま口にした三人は、ステイシーの浮気相手だ。視線がそらされたのを見逃さず、さらに畳みかける。
「ずいぶんと親しいのだと自慢されてしまいました。二人きりで色々と楽しんだのだ、と」
「どういうことだ?!」
自身も浮気ばかりしておきながら、傍に置く令嬢の浮気は許さない。
ダミアンのそういう性質を知っていたからこそのエルヴェの揺すりに、案の定簡単にダミアンは反応した。
ステイシーを問い詰めようとするダミアンに、エルヴェはさらに軽やかに告げる。
「ああ、そうだ。そういえば、貴方も先日、他のご令嬢と楽しく過ごされたようで」
「!」
「夜が激しくて困っている……と複数のご令嬢に相談されましたよ」
嘘ではない。それとなく近づいて話を振ったら、向こうからべらべらと聞いていないことまで喋ってきたのだ。
エルヴェの言葉に今度激高したのはステイシーだ。
「どういうこと?!」
「お前は人のことを言えた義理か!」
「わたしだけっておっしゃったじゃない!」
「お前こそ!!」
周囲を考慮せず騒々しい喧嘩を始めた二人から距離を取る。
言い合いを続けるダミアンとステイシーを放置して、エルヴェは母親が別室に通しているはずのマデリーンの元へと向かうのだった。
▽▲▽▲▽
夜会の会場となっている広間から少し離れた応接室。
ドレスを身に纏ってソファに座っているマデリーンは困り顔でエルヴェを見上げた。
そろそろ貴族社会に復帰しようと思い、仲の良いフェドロニック夫人主催の夜会に顔を出しに来たのだ。
だが、会場についた途端、夫人から「暫くここで待っていてね」と控室に通されて、大人しく待っていたのだが。
「エルヴェ……少しやりすぎよ」
「なんのことだか」
肩をすくめてはぐらかしてしまったエルヴェに、そっと息を吐く。
彼からは何も伝えられていないが、エルヴェの母であるフェドロニック夫人から「風魔法で会場の話に聞き耳を立てておくといいわ」と言われていた。
いわれた通りにしていたら、耳に飛び込んできたのが焚きつけるエルヴェとまんまと喧嘩を始めたダミアンとステイシーの声だ。
再び浅く息を吐いたマデリーンの隣にエルヴェが腰を下ろす。
「なあ、気持ちは変わったか?」
「なんのこと?」
何を問われているのか、わからないほど子供ではない。ただ、素直に返すのが気恥ずかしかった。
だから、あえてわからないふりをする。
先日「俺にしないか」と言われてから、マデリーンなりに色々と考えた。
彼女のために、エルヴェがダミアンとステイシーに喧嘩を売ったのも知っている。
本当にマデリーンのことを想ってくれているのだと、母からもフェドロニック夫人からも説得された後だ。
「俺の婚約者になってみないかって話だ」
「……いや」
何気なく口にされる口説き文句に、小さく否定の言葉を紡ぐ。
エルヴェはため息一つ吐くことなく、静かにソファから立ち上がる。
「そうか」
「婚約者じゃなくて、伴侶がいいわ」
咄嗟にエルヴェの腕を捕まえて、縋りつくようにして告げた。
恥ずかしさで真っ赤に染まった顔を隠せないまま、マデリーンが言い募るとエルヴェはぽかんと目を見開く。
彼にしては珍しい表情だ。
「……は?」
「だって! その方が捨てられにくいじゃない!!」
一度、婚約者から捨てられた傷は心に残って消えそうにない。
だからこそ、捨てられにくい方法を考えた。
必死のマデリーンの訴えに、エルヴェの頬に朱が昇る。彼女が掴んでいない片手で目元を抑えて、小さく笑いだした。
「ははっ、そうか。……そうか!」
「きゃっ」
勢いよく腕を引っ張られる。
そのまま抱き上げられて、小さな悲鳴を出したマデリーンは視界一杯に広がった嬉しそうなエルヴェの表情に、つられるように笑みを浮かべる。
「もう離してやらないからな!」
「もちろんよ! 捨てたら地の底まで追いかけるんだから!」
くるりとその場で回って喜びをあらわにするエルヴェに笑い返して、ぎゅうとマデリーンは彼の首元に手を回して抱き着いた。
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