言わざる
アレックスの手を取り、パーティホールの中央へと向かう。周囲がすぐさま好奇の目を向けてくるが、気にせずアレックスと手を取り合って踊り出すと、それもすぐにぱらぱらと散っていった。
私達に向けていた視線を戻し、自慢話に花を咲かせたり、意中の相手とのダンスに耽ったりと、一見すれば思い思いにこの瞬間を満喫しているように見える。しかし飽きっぽい彼らは、常に探して嗅ぎ回っているのだ。
自分達の飢えを満たすような極上の餌……噂話の種を。
優雅な音楽にゆらゆらと身を揺らしながら考える。だからこそ私は、わざわざこの場を選んだのだ。彼を、アレックスを逃がさない為に。
これは諸刃の剣だろうか? いいや、勝算はある。
少なくとも、この一曲を踊りきるまではアレックスを拘束できるのだ。それに駄々を捏ねて、二曲目にもつれこんでも……
「それで?」
ふと耳元で囁かれ、思考を止めてゆっくりと視線を上げる。
「早くしないと曲が終わってしまうが……いいのか?」
嘲るような含みを持たせた彼の言葉が、私の鼓膜を振るわせた。
まるで心を読んだかのようなタイミングで発せられた言葉に、息が詰まる。隠そうとしていた動揺も、瞳が揺らいでしまったせいで相手には筒抜けだろう。
しかしいくら内心で動揺しようが、アレックスとお喋りに興じようが、その間にも私の足は危なげなくステップを踏む。元々ダンスは得意なほうではあるけれど、それでもこんなに上手に踊れるのは間違いなくアレックスのリードのおかげだろう。
本当に、性格以外は嫌みなくらい完璧な男だ。
「……私は悠久の時のようだと感じておりましたけれど。まだ一曲目ではありませんの」
「生憎、俺の時間は有限だ」
にべもなく切り捨てられた。やはり、甘い考えは持たない方がいいのだろう。それにしても彼はいったい、どこまで理解っているのか……何を思って、何を考え、その言葉を私に投げかけたのか。
無意識に引けていた腰を引き上げて、動揺を映してしまった瞳をやんわりと笑みを作って押し隠す。
「……あら、そうですの? ですが私の時間は有限ではありませんので、よろしければいつでもダンスにお誘いくださいませね」
実際、アレックスとは違い繰り返す私の時間は無限である。本音を混ぜた嫌みを返せば、それまでこちらを無感情に見ていた獣のような瞳が、僅かに弛んだ気がした。
「ところでこの間の、アレックス様とお兄様がお茶会を欠席なさった日ですけれど。何のご用事がありましたの?」
彼のその視線から逃れるように、私はいよいよ本題を切り出した。声は潜めてはいるけれど、どうせ会場を満たす音楽にかき消され、彼以外には聞こえないだろう。
「何故それを、俺が貴様に教えねばならない」
「……何故? 私はお茶会には招待された身ですのよ? 呼ばれてわざわざ出向いた先で、主賓が欠席していらしたんですもの。理由くらい聞かせていただいても、罰は当たらないと思いませんこと?」
アレックスが素直に口を割らないだろうことは予想通りだ。もちろん、私も予め用意しておいた台詞を紡ぐ。
「本来ならば、アレックス様直々に謝罪をいただいてもいいくらいですけれど……でももしかしたら、大事なご用事がおありになったのかもしれないじゃありませんの」
だからどうして欠席したのか教えてほしいのだと問いかける。これなら万が一誰かに聞かれていたとしても、筋が通るだろう。
しかし私の問いに、アレックスは口元を笑みの形に歪ませた。
「残念ながら、その質問では貴様が本当に知りたいことはわからないままだ」
「え?」
「そうだな。欠席した詫びに一度だけ、貴様の質問に答えてやろう」
アレックスの唐突な提案に、私は目を大きく見開いた。
彼は本当に、いったい何を考えているのだろうか? いや、今はそんなことよりもこのチャンスを生かさなければ。けれど本当に、このチャンスはチャンスなのだろうか?
もしかしたら、何かの罠だということも十分ありえるし……ああでも、こんなに悩んでいたら、あっという間に時間が……。
考えれば考えるだけ混乱しだした頭は、焦りも手伝ってどんどんと追い詰められる。
私が、聞きたかったこと……ごちゃごちゃとした頭の中に浮かんだそれを、私は導かれるように口にした。
「先日欠席なされた時……お兄様とアレックス様は、一緒にいらっしゃいましたの?」
聞くべきことはもっと他にあったかもしれない。けれど私が今一番聞きたかったことは、それだった。
そんな私に、アレックスはまるで初めてお手ができた犬を見るような目を向けて、優雅な仕草で首肯した。
「ああ」
「――っ!!」
彼の返答に体を強ばらせる私に気付いているだろうに、彼は気にする素振りも見せず話し続ける。
「あの時、貴様も聞いていたのだろう?」
「……え?」
「レオンはあの調子だったから気が付かなかったようだがな。普通あれだけ音を出していれば嫌でも耳に入る」
次から気をつけろと囁かれ、アレックスが馬車での出来事を言っているのだと気付いた。
「っ、いったい何の……」
ことかしら、と空とぼけようとして止めた。見上げたアレックスの目には、それを咎めようとする感情が一切見えなかったからだ。
それに、この件がばれて困るのは私ではない……一番危ない橋を渡っているのは、彼自身だ。
「……随分と落ち着いていらっしゃいますのね」
正直落ち着いているどころか、どこか楽しそうにも見えるのは……私の気のせいだろうか?
「私がその件をお父様達に話してしまう……という可能性は考えていらっしゃいませんでしたの?」
「しないさ」
私が盗み聞きししていたことを認める発言をしても、アレックスはそれに頓着することなく聞き流す。それどころか、私がこの件を吹聴することもないと確信すらしているようだ。
まぁ彼の言うとおり、両親に告げ口する気は元よりなかったのだけれど。それにしても、決めつけられるとなんだか反抗したくなる。そんな不満が顔に出てしまっていたのだろうか、アレックスは私にちらりと視線を向けると、小馬鹿にするように鼻で笑った。
「貴様の話など、誰も信じないだろう」
自信満々にそう問われ、私は顔を歪めて口を噤む。
そう、私には証拠もないし信頼もない。現に五回目の時は言い方の問題はあれど、気を病んでいると思われてしまった。
「それに万が一証拠があれど……」
「……?」
不自然に切られた切られた言葉を不審に思い、訝しみつつもアレックスを見上げると、彼はひどく愉快そうに口元を歪めて一言呟いた。
「おそらくだが、流れを変えることはできないはずだ」
その言葉に、思わず足を止めてしまった。
けれどアレックスはそれを予想していたかのように、華麗な、しかし強引な動きで体の位置を入れ替える。近づく彼との距離に、息が詰まる。
「そしてそれをお前も理解している……が、肝心なことには気付いていないようだな」
耳朶へと吹き込まれたその意味を理解する前に、彼の手が離される。途切れた音楽と、俄に騒がしくなった周囲に、いつの間にか曲が終わっていたのだと理解した。
「どうする? 時間は、有限だぞ」
彼の真意はわからない。けれど再度告げられたその言葉に、先ほどとは違い、私の心は大きく揺さぶられたのだった。




