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見ざる


「それでは行ってきます」


「行ってまいりますわ、お父様お母様」


 母と父に挨拶をして、兄と共に馬車へと向かう。結局ドレスの直しや贈り物の選定であっという間に日は過ぎていき、考え事をする暇も無く気づけばパーティ当日だ。

 

(もう少し、色々と準備をしたかったけれど……)


 前を歩く兄の背中をちらりと見上げる。あの日以来、兄と顔を合わすのもこれが初めてだ。

 アレックスのバースデーパーティは、この時期の長めの休暇に合わせて開催される。勿論学園もこの数日間は休みだった為、アレックスとも顔を合わせていない。 

 

「お嬢様、お足元にお気を付けください」


「ええ、ありがとう」


 アルに支えられながら馬車へと乗り込む。その際会話は無いものの、兄が形式的に手を貸してくれた。

 本来ならば、こういったパーティのパートナーは婚約者のアレックスが務めるものなのだけれど、今日のパーティは彼が主催者なので兄が代わりを勤めてくれているのだ。 

 

「では出発します」


 御者席からアルの声が聞こえ、馬の嘶きと共に馬車が動き始める。


「……」


「……」


 馬の蹄が土を蹴る音だけが響く車内に、重たい空気が充満する。兄は真向いに座っているというのに、ちらりとも私を見ようとはしない。

 燕尾服を着て髪を後ろに撫でつけた兄は普段とは全く違う装いなのに、その態度だけはいつもと変わらぬ事に少しだけ悲しくなる。

 

(それもあの話を聞いた今ならば、しょうがないのだと……そう思えますわね) 

 

 兄は、ただ気に食わないからと私を無視している訳ではないのだ。彼の独白から推測するに、私は何やら悪事の一端を担っているのだという。

 それがどれほどの悪行かは私にはわからないけれど、確かにそんな人間を前にしたら、私だって目を合わせたくはないし優しくだってしないだろう。


(だからもう、私は気にしませんわ)


 兄に嫌われているという現実を、本当の意味で受け入れる事ができる。

 我儘だからとか、性格が悪いからとか……エステに人間として負けたからとか、そんな理不尽な理由より余程納得できるというものだ。




「浮かない顔をしていますね」


 不意に、兄から声をかけられ顔を上げる。目の前には訝し気に私を見つめる兄がいた。


「……そうかしら?」


「毎年この日は、見ているこちらが呆れる程に浮かれていたじゃないですか」


 珍しく、本当に珍しく兄が会話を続けてくるので、内心少し驚く。

 普段はどちらかと言えば私が話しかけてばかりだったので、何だかとても新鮮だ。例えその声に嘲りが含まれていたとしても。


「……十分、浮かれておりますわ」


 そう一言だけ答えた声は、自分でもわかるくらいに萎えた声色だった。兄の顔が更に歪む。……怪しまれてしまっただろうか。

 確かに以前の私ならばこれ幸いとばかりに、夢見心地でべらべらと惚気話をしていただろう。けれど今は、とてもそんな気分にはなれないのだ。


「……そうですわね、実はほんの少し、このドレスの色が気に入りませんのよ」


 だからちょっとだけ、本音を零すことにした。

 

「私には、似合わない気がしますわ……この色は」

 

 暗く重たい色をした裾をつまみ、兄に向かってひらひらと振る。

 とは言え、元々この色を指定したのは過去の私なのだし、兄からしたら些細な色味に私が文句を言っていると思うだろう。いつもの我儘だ。きっと彼は呆れてて、この会話を打ち切ってくれるはずだ。


「……別に」


「え?」


 けれど期待していなかった返答が聞こえ、思わず驚き顔を上げる。しかし兄はそんな私を一瞥すると、何を思ったのかまた顔を窓に向けてしまった。


「……」


「……」


 その横顔をしばし見つめ、しかし結局兄の言葉を追う事はせず私も視線を窓の向こうへと向けた。外は暗く、空には星が瞬いている。馬車の中からでは此処が何処かはわからないけれど、そう遅からず目的地へは到着するだろう。

 

 

「…似合わないとは思いませんよ、俺は」


「……は?」


 唐突に投げかけられた言葉は、不意打ちだったせいもあり幻聴かと思った。……思わず、兄の顔を二度ほど見直してしまった程に。

 けれど私の不審な行動を前に、兄は相変わらず頑なに窓の外を見つめているので、幻聴ではないのだろう。

 しばらくして私の頭も落ち着いてきたけれど、到底兄の口から飛びだして来たとは思えような慰めの言葉に、何と返せばいいのか困ってしまう。


(でも、なんだか……)


 なんだか、随分と昔にも似たようなやり取りを交わした気がするのだ。もしかしたら、気のせいかもしれないけれど。


「……そうかしら」


 またしばらく窓の外を眺めてから、ゆっくりと呟く。


「それなら、気にしない事にいたしますわ」


 随分と悩んで、出てきたのはそんな差しさわりの無い言葉だった。

 けれど知らず知らず、口元が緩む。何故だかひどく励まされた気持ちになったのだ。窓ガラスに映り込んだ私の顔を見れば、もう浮かない顔だなんて言われる事はないだろう。


 相変わらず静まり返った車内で、けれど先程までとは違い、今はひどく穏やかな空気だと感じてしまうのは現金だろうか。

 ゆっくりと目を瞑り、馬車の振動に身を任せる。アレックスに会う前に、少しでもこの暖かい気持ちに浸っていたかった。


「……。」


 だから……そんな私を、兄がひどく悲しそうな顔をして見つめていた事には、気がつきもしないで。







「相変わらず腹が立つほど立派なお屋敷ですわね」


 馬車から降り立ち、目前に大きくそびえ立つヴォルフガング邸を睨む。

 婚約が仕組まれた事なのではと疑うようになったせいか、何故だか異様な圧を感じてしまう。


「行きますよアメリア」


 しかし兄は、そんな私を黙殺して真横をスタスタと通り過ぎていく。


「え、ちょ、まってくださいまし!!」


 慌てて兄の腕にかじりつき歩き出す。妙齢の令嬢がエスコート無しで入場なんてしたら、なんて噂されるかわかったものではない。

 腹立ち紛れにパニエでパンパンに膨らんだスカートを、事故を装い兄にぶつけてみようとしたけれど、しれっとした顔で歩調を速められてしまった。



「……アメリア?」


 フロアに向かって歩いていると、背後から名前を呼ばれ立ち止まる。

 

「あら、ウィル……とマクレガー様ではありませんの、ごきげんよう」


「ごきげんよ~アメリアちゃん!レオンさん!」


 振り向いた先に居たのはウィルとスコットだった。

 ウィルは少し驚いた顔をしていたけれど、すぐに笑顔を向けてくれた。

 

「アメリアもウェルベルズリーも息災なようで何よりだ」

 

 ほんの数日前に会ったばかりだと言うのに、その時よりも少しばかり落ち着いた印象を受けるのは、彼の装いのせいだろうか。

 いつもは下ろしている髪を後ろに流しオールバックにしたウィルは、可愛らしいというよりは、かっこいい印象を受ける。

 

「これはこれは……ウィリアム様、ご機嫌麗しく。そして今晩は、スコット」

 

 私の隣に居た兄は、二人を目にとめると僅かに目を瞠ったようだった。しかしすぐに彼らに向き直り、頭を下げる。

 そんな兄に、ウィルは困ったように微笑み手を振った。


「ああ、そんな堅苦しくしないでくれ。今日はお忍びだからな」


「あ……そうでしたね、すみません」


 ウィルの言葉に、兄が少しだけ肩の力を抜いて笑顔を見せた。


(……あら)


 兄もウィルもオールバックにしているせいだろうか……。向かい合って笑い合う二人の横顔に、眼差しに、ひどく既視感を覚える。


(確かこの間もこんな事を、思ったような……)


 会話を交わす二人をぼんやりと眺める。

 確か夢で見た男の子が……兄が……誰かに、似てるって……


「……?アメリア、どうかしたのか?」


 落ち着いた、けれどまだ変声期を迎えていない男の子の声。その声音と面影に、夢で見た……いや、記憶の中の兄の顔が重なる。


(いえいえ、まさか……そんな)


 心配そうにこちらを伺うウィルに、何でもないと答え視線を逸らす。

 きっと私の勘違いか……それか、たまたま二人の髪型が似ていたせいだ。ウィルも兄もとても綺麗な金髪だからそう見えたのだろう。


(そう、そうに決まってますわ……!!)


 芽生えてしまった疑惑を、必死に否定する。だって赤の他人である二人が、兄弟である私達よりも似ているだなんて……そんなの嫌な予感しかしないではないか。


 古今東西そういった話の落ちは、大抵一つしかないのだから。

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