ソノサキ1
「どうだった、昨日の茶会は」
「……」
教室の前で待ち受ける眼鏡を視界に入れた瞬間、勢いよく教室に飛び込み扉を閉める。
しかし扉が閉まる直前、ガッという音と共に扉の隙間に革靴が差し込まれた。
「どうした。いきなりドアを閉めるのは危ないぞ」
扉の隙間から眼鏡のレンズがキラリと光る。
グググ…と扉を全力で引くが、アーサーが足を引く気配は一向に見えない。
「……ごきげんよう。誰かと思ったら、薄情者の眼鏡ではありませんの」
結局扉を閉めるのを諦めて、ぎろりとアーサーを睨みつける。
今日は少し早く家を出ていた事もあり、まだ教室には人影もまばらだ。
「なんだ、ご機嫌斜めだな。朝飯はしっかり食べたか?」
アーサーはこちらからの敵意にも、しれっとした顔で斜め上の回答をくれる。
もしこれをわざとやっているのなら、この眼鏡は中々に食わせ物だ。
「……大きなお世話ですわ。それで、どういったご用件ですの?」
「今日の昼の茶会についてだ」
「は?またですの??昨日顔を出したのだから、しばらくはお役御免でしょう?」
思わぬ発言に驚き、慌ててアーサーを仰ぎ見る。
けれど彼は何を言っているのかとばかりに瞬いて、私にとっては地獄のような一言を落としてくれる。
「今日は昨日居なかったメンバーとの顔合わせだそうだ。ちなみにアレックスとレオンは用事で欠席だ」
「……何ですの、その無責任で投げっぱなしなティータイムは」
こめかみに指を添えてため息をつく。頭が痛くなってきた。
責任者は今すぐ出てきて……いえ、やっぱり出てこなくていいですわね。真っ赤な髪を思い浮かべて、すぐさま意識から追いやる。
「レオンから聞いていないのか?」
「あー……いえ、聞いておりませんわ」
昨日は日が暮れるまで庭にいたし、猫ちゃんに会えなくて意気消沈した後はすぐに眠ってしまった。
今朝顔を合わせた時は、何故か兄は挙動不審……というかひどく私を警戒していたので、結局会話も無いままに学校へ向かってしまった。
だからこそ今日は猫ちゃんを探す事が出来ず、随分と早い時間に学校へ来てしまったのだけれど。これも兄の嫌がらせなのだとしたら、地味に有効な手段だ。
「でもお兄様やアレックス様が居ないのなら、また日を改めてでよろしいのでは?」
あえてアレックスや兄の居るお茶会に出たいとは思わないけれど、それでも今回の面子の事を考えるとまだマシに思えてしまう。
「いや、レオンもそのような事を言ったのだが、アレックスがそれも勉強だといってな」
「はああ!?」
私の声に、ビクリと震えたクラスメイトが伺うような視線を向けてくるけれど、取り繕う余裕は無い。
(あんの糞俺様男!!!毎度毎度本当に碌なことをしませんわねッッ!!)
しかもそうなるだろう事を予想出来ていて、わざとそうするあたり本当に性格が悪い。
怒りのあまり、噛みしめた奥歯が割れてしまいそうだ。
「そんな心配するな。あいつらは居ないが、今回は俺も参加するから安心していい」
「え?」
何だか恐ろしい言葉を聞いた気がする。
上手く働かない重りのような頭を持ち上げながら、恐る恐るアーサーの顔を見上げる。
「まかせるといい!」
彼にしては珍しく、口元に柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
(……不安しかありませんわ)
今日も窓の外では、気持ちよさそうに旗が風に靡いている。
なんだか昨日以上に碌でもない事になりそうだと、そう思ってしまうのは何故なのだろうか。
□
今回は軽くランチを食べてから、個々にサロンへ向かうと言う事らしい。
エステにも話はいっているはずなので、特に声をかける事もせず一人食堂に向かい食事を済ませた。
(今日も取り巻き達は、全然寄ってきませんでしたわね)
お茶会の為にほどほどに食事を済ませ、腹ごなしも兼ねてゆっくりとサロンまでの道を歩き出し。
先ほど食堂で、遠巻きにひそひそと囁き合っていた取り巻き達の動向を思い出しため息をつく。別に独りランチを恥ずかしいだとか悲しいだとか、そんな殊勝な感情は持ち合わせていない。
(1回目の時点で、1年間独りランチを楽しみましたしね)
今更取り巻きと一緒にランチをしたいとも思わない。けれど彼女達のそんな姿を見る度に、人の情の脆さを実感するのだ。そしてそれは、私に少しの苛立ちと充足感をもたらす。
彼女達がどの程度噂を信じているのかは知らないけれど、私の為に進んで火の粉を被ろうとは思わないのだろう。現金なそれは本能に忠実で、実に正しい行為だ。
生きていく為に必要な危機回避能力であり、そこに情なんかいらないのだ。情なんかに引っ張られて、道を踏み外すほど馬鹿な事は無い。
「ああ、でも近づいてくる馬鹿はいましたわね……」
階段を下りている最中に、フと頭をかすめる最近見慣れた顔にげんなりとする。
そう、普通は避けるはずの私に近づいて来るという事は、彼らは何処かおかしいのだ。
頭の螺子が吹っ飛んでいるとか、感覚が普通じゃ無いとか。後は危機管理能力が死んでいるか。
(どうしてあんなのばかり……いいえ、気にしたら負けですわ)
そんな失礼な事を考えているというのに、頭の片隅の駄眼鏡と雌猿は嬉しそうに頷いていて更に気分が滅入る。どちらにも全力でお帰り願いたい。
どうしてあの二人は、私に近づいて来るのだろうか。エステは平民だからまだわかるけれど、アーサーは?
婚約者の座を狙っている?いえ、そこは既にアレックスがいるし、それに……
(確かあの方、既に婚約者がいるんじゃなかったかしら)
あの眼鏡とは関わった事がほとんど無いので、詳しい事は知らないけれど。
家の兄が例外的なだけで、普通は年齢的にも家柄的にも居てしかるべきだろう。
(という事はあの眼鏡、婚約者ありきで女性が好きだなんだと言っていますの?……嫌な予感がしますわ)
この間から色々な噂が飛び交っているけれど、最近はアーサーが私の周りに出没するせいでまた新な噂が追加されていそうだ。
なんでエステに向けたはずの忠告を、私自身で心配しなければいけないのか……。
「なんだか最近、こんな事が多くありませんかしら?」
ぽつりとこぼれ出た言葉に、ここ数日の出来事を振り返る。
そう、何故か私が矢面に立たされエステが平々凡々と学園生活を堪能しているような……。
(……まぁある意味、当初の目的は達成できているからいいのですけれど)
誰がどう見ても、今の私は嫌われ者だ。
今回は予定していた形とは、なんだか大幅にズレてはいるけれど。
「こんにちは、先輩」
「あら、こんにちはスターリング様」
サロンへ続く廊下を曲がったところで、テオと鉢合わせた。
彼も丁度お昼を終えて、サロンへ向かっていたのだろう。
「知っていますか?今日のお茶会は強制参加らしいんですよ……昨日は逆に、来なくていいって言われたんですけどね」
振り回されていると、少しだけ困った様な笑顔でテオは言う。
本人からすれば、何でもない世間話のつもりなのだろう。けれど私は当事者なので、何と言ったらいいのか言葉に詰まる。
「……ええ、そうらしいですわね。ご苦労様ですわ」
「まあ会長の気まぐれは、今に始まった事では無いですから……最近は特に酷いようですけれど。一体どうしてしまったんでしょうね?」
何故だか、先程から責められている気がするのは気のせいだろうか。
それとも間接的には私のせいでもあるという、負い目のみせる被害妄想なのかしら。
「スターリング様は、あまりお茶会には参加したくありませんの?」
「いいえ、そんな事は無いですよ。本は何処ででも読むことはできますから」
……それって、そんな事あるって言っているようなものじゃありませんの。
にっこり笑ってそう言う彼の右手には、しっかりと厚みある本が握られていた。
少し話しただけなのに何だろう、とても疲れる。幾分か肩を落としつつ、相変わらず笑顔のテオを引き連れてごてごてとしたサロンの扉を潜る。
「おー!いらっしゃいアメリアちゃん!」
「なんだ、テオボルトも一緒なのか」
煌びやかなサロンの中では、既にスコットとアーサーがお茶を飲みながらくつろいでいた。
室内には彼ら二人だけで、エステの姿は見えない。
「エステは、まだ来ていませんのね……」
むしろ彼女がこの茶会の主役なのだから、誰よりも早く来ているべきでしょうと内心毒づく。
テオが私の傍らを通り過ぎてアーサーの隣へと座るのを横目に、私もテーブルに向かって歩き出す。
けれど、テーブルに着くより先に、スコットが大きな声で喚きだした。
「もおお!!アメリアちゃん、エステちゃんと一緒にくればよかったのにー!」
唇を尖らせてそんな肌寒い事をのたまうスコットに、冷たい視線をくれてやる。
何でスコットは空気を読めるくせに、地雷を踏み抜くような馬鹿な発言をしてしまうのか。……頭がニワトリとかひとよことか、3歩あるいたらリセットされちゃう系なのかしら。
「そんなにエステに会いたいのなら、いま直ぐ貴方が迎えに行けばよろしいのでは?」
「う、うーん……今から迎えに行ったら入れ違いになっちゃうんじゃ」
恐らく、私にエステにと仲良くしてもらいたい故の発言なのだろう。
けれどそうは言いつつ真剣に悩み始めるスコットに、もしくは本当にただ早くエステに会いたかっただけかもと思い直す。
そんなスコットを放って今度こそ席に着こうとするけれど、後ろから聞こえて来た扉の開く音に意識が持って行かれる。
エステが来たのかと振り向く私の視線の先に、見慣れない人物が驚いたようにこちらを見つめ立っていた。
「何故、ここに女が居るんだ!」
扉を開けたまま突っ立っていたかと思うと、カッと目を見開き大きな声でそう怒鳴る。
そのままカツカツを足音を鳴らして、すごい速さでこちらへと近寄ってくる金茶にウェーブ髪の男。
(……ああ、そう言えば今回はこいつも居るんでしたわね。最悪ですわ)
すごい形相の男を眺めながら、席へ着くことを諦め彼に向き直る。
ウォルト・アップソン。
高等部2学年の生徒で、典型的な貴族気質のお坊ちゃま。
特に頭が良い訳でも運動神経が優れている訳でも無いけれど、家が名門の伯爵家なので生徒会に席を占めている。
まぁ階級社会なんて本人うんぬんより家柄が全てだし、この学校では彼のような人種が当たり前なので何らおかしな事は無いのだけれど。
(それでも度が過ぎているというか……少し異常なところがありますのよね、この方)
彼はその家柄と生徒会の面子という事を常に鼻にかけていて、同じ学園の生徒に対しても容赦なく下に見たり差別的な事を言ってくる。
対象は主に女性や、己より爵位の低い相手、そして……
「……お前、まさかウェルベルズリーか」
冷めた目で彼を見ていた私のことを、最初は誰だかわからなかったのだろう。
けれどカチリと目が合った瞬間、彼は私が誰だか思い当たったに違いない。驚いたような声でぽつりと呟いたと思ったら、すぐさままた嫌悪の視線を向けて来る。
「ええ、アメリア・ウェルベルズリーですわ。お久しぶり、と言うのもおかしな話ですけれど」
軽く姿勢を正し会釈をする。顔を合わさないとは言えお互い毎日学校へ通っているのだから、久しぶりは適切な言葉ではないかもしれない。
けれど彼は私の挨拶など聞く気も無いとばかりに、姿勢を戻すよりも早く口汚い言葉を頭上から浴びせかけた。
「はっ!!前のも馬鹿丸出しで酷かったが、今回はついに罪人にでもなったか!?ただでさえこの学園に女が通うのは目障りだと言うのに、そのような出で立ちをされて品位を落とされては不愉快だ!早々にこの学園から消えろ!」
あーあ。
ウォルトが言葉を言い終わるより早く、背後から小さな呟きが聞こえた。
「なっ!?」
「……。」
スコットが、ウォルトのあまりの言い草に顔を青くして立ち上がる。そんな彼を余所に、私はウォルトの言葉を意外と冷静に聞いていた。
この暴言にさほど心が揺さぶられなかったのは、ここ最近アレックスと会話をしていたおかげだろう。彼のあの罵詈雑言に感謝する日が来るとは、正直思っていなかったけれど。
(……それにしても、スコットはもう少し……いいえ、彼の心配をしている場合では無いですわね)
相変わらずなウォルトの発言には辟易してしまう。これが、仮にも名門貴族の嫡子が女性に向ける言葉だろうか。……これだから彼には会いたくなかったのだ。
古いしきたりを良しとする風潮の貴族の中でも最たる彼の家は、未だ女性を軽んじて蔑視している。この学園で女性が男性と同じように学問を学ぶのを、反対しているのだとも聞いた事がある。
そして短い髪の女性に対しても、未だ理解が無いらしい。
「そもそも何故お前が、この神聖で美しく穢れなき聖域に足を踏み入れているんだ!!本来ならばお前の兄すらもここへ入る資格は無いというのに、兄妹そろって厚顔無恥な奴らだ!!」
金茶色の髪を苛立たし気にかき上げ、顕わになった憎悪を込めた彼の視線から、私はこっそりと顔を逸らす。
ヒステリックな怒鳴り声にうんざりする以前に、昔の自分が透けて見えてしまって何とも言えない気持ちになる。
(流石に私は、ここまで酷くありませんでしたわよね……それとも周りにはこんな風に映っていたのかしら)
人のふり見て我がふり直せではないけれど、断罪の時にはもう少し人目を気にしようと心の中で誓う。
(というかアレックスもお兄様も、彼に私の説明をしていませんの?)
ぎろりと横目でアーサーを見るけれど、彼は不思議そうに首を傾げるだけだ。本当使えない眼鏡ですわね。
「ちょっと、いい加減にしろよ!アメリアちゃんは許可もらってここにきてんだぞ!!それにレオンさんは副会長なんだからここに来ていいに決まってるだろ!!」
どうにも我慢の限界が来たらしいスコットが、私とウォルトの間に体を割り込ませる。
「またお前かスコット!そう言えばこの間も平民を此処に入れて庇っていたな……」
けれどウォルトは、臆する事なくぎろりスコットを睨みつけた。興奮のあまり目が血走ってきている。
「あれも聞けばウェルベルズリーが招待したと!!!あいつはこの聖域を何だと思っているんだ!!!選ばれた者だけがここに立ち入る資格があると言うのに!!」
頭を抱え大げさに呻くと、ダンッと力いっぱい地団太を踏む。
先程から聞いていればサロンを神聖だの聖域だのと、あまりに過激な物言いに背筋が寒くなる。それに神聖な聖域とか、頭痛が痛いみたいな感じですわね。
「そんな言い方ないだろ!俺は会長の、新しい考え方いいと思ってる!!俺たちはもっと貴族とか、そう言うのから視野を広げなくちゃいけないと思うぜ!」
「貴族の癖に平民なんぞに心を砕いて何だと言うんだ!!貴様もレオンも馬鹿の一つ覚えのように!!」
私を置いて、二人の言い合いがヒートアップしていく。お互い口角泡を飛ばす勢いでぎゃんぎゃん叫んでいるおかげで、私の存在は忘れ去られているのかもしれない。
そう言えば、この間スコットもウォルトの事をあまり良く言っていなかったなと思い出す。彼にしては珍しいと思っていたけれど、なるほど。これは仲良くなれないだろう。
「そうでなくとも、ウェルベルズリーは……」
けれど、のんびり一歩引いたところで傍観していた私をウォルトは忘れていなかったらしい。
ギュンと、勢いよく首をスコットから逸らすと私に向かって声を張り上げた。
「お前らは成り上がりの偽物だ!!」
まるで勝ち誇ったような、歪んだ笑みが癪に障る。
そう、彼はウェルベルズリー家を嫌っている。正確には、成り上がりの貴族を。
特に兄のレオンハルトは優秀で、副会長と言う座におさまってしまったので目の敵にしているのだろう。
(まぁコレに比べれば、お兄様は全てが優っていますしね……仕方ありませんわ)
たとえ学年は違えど、自分が見下している家柄の人間が自分より優っているという事実は耐え難いのかもしれない。
(わからなくは、ないですけれどね……。私は決して、エステに劣っては居ませんけれど)
それにしても、黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれる。
本来はあまり関わりを持ちたくない人間なのだけれど、今回ばかりは反論をしてやろうかと口を開こうとする。
けれど、それより先に別の声が割り込んできた。
「そこまでにしろ、ウォルト。ウェルベルズリー嬢はアレックスに招かれた正式な客人だ」
アーサーだ。珍しくまともに仕事をした事に思わず驚いてしまう。……少し遅いけども。
「……ちっ、会長か。くそ、平民上がりの癖に上手く取り入ったもんだ」
アーサーの言葉に、ウォルトはそれまでの勢いを無くし小さな言葉で悪態をつく。
私が、アレックスの婚約者だと思い出したのだろうか。彼よりもアレックスの方が爵位は高いし、学校での力関係も上だ。彼のように階級至上主義者には、何よりも効く名前だろう。
「お前らはいいのか!?こんな平民上がりや、女がこの神域に足を踏み入れても!!」
けれど、彼はすぐに顔を上げて今度はアーサーやテオを仲間に引き入れようと水を向ける。
個人的にはウォルトのその意見には大賛成だ。諸手を上げて同意したい。言っている事は腹立たしいけれど。
「俺はむしろウェルベルズリー嬢を誘った側だが?」
「なっ……」
けれど私とウォルトの願いも虚しく、眼鏡は平然と言葉を返す。
ここでは仕事をしなくてよかったのに……本当に糞眼鏡ですわね。
「僕も、異論はありませんよ」
それまで傍観を決め込んでいたテオが、本を片手ににっこりとほほ笑み口を開く。
よくよく見れば本は開かれ、手元には飲みかけの紅茶が置かれている。
(まさか……この騒動の中、紅茶片手に本を読んでいましたの!?)
「ところで、えーと……ウォルト・アップソンさん?」
内心ドン引きしている私を他所に、わざとらしい程にたどたどしい口調でテオが彼の名を口にする。
貴方、ソレと同じ生徒会のメンバーでしょう。それに、この学園の全生徒の名前を覚えているとおっしゃってませんでした?
「僕が貴方なら今すぐ回れ右して、此処……えっと神域?でしたっけ?」
純粋そうな笑顔のまま首を傾げ、けれど嘲りを多分に含んでいる声音に背筋が寒くなる。
「神域から出ていく事をお勧めしますよ」
「は?何を言っている」
テオの態度と言葉に神経を逆なでされたのだろう、また顔を歪めて苛立たし気に髪をかき上げる。
「知らないんですか?昨日、ウィリアム王子がこの神域に来られていたらしいですよ」
「……は?」
「また来られるとおっしゃっていらしたらしいですし、もしかしたら今日も入口辺りまでいらしていたかもしれませんね」
テオから突然聞かされた話に、理解が追い付いていないのか惚けた顔を見せるウォルト。気持ちはわかる。
けれど、それより何より何故テオがその事を知っているのかと聞きたい。まぁアーサーの落ち着き様をみるに、生徒会のメンバーには知らされていたのだろうか……ただしウォルトを除き。
「もしかしたら、アップソンさんの発言を聞いて帰ってしまったんじゃないですか?」
相変わらずな穏やかな笑み。けれど彼から放たれる空気はどこかひんやりとして冷たい。
「彼は随分と、母親思いらしいですから」
テオの言葉を訝し気に聞いていたウォルトが、次の瞬間ハッとして顔を上げテオの居るテーブルまで詰め寄った。
なるほど、先程の"あーあ"はテオの呟きでしたのね。
「お前……まさか」
「先輩も、ウィリアム王子からお聞きしていません?仲が良いんでしょう」
テオは目の前のウォルトの存在を奇麗に無視して、私にそんな事を聞いて来る。
そのパスに乗ろうかどうしようか悩んだものの、今回は素直に便乗させてもらう。
「いいえ。私、ウィルとはそう言ったお話はしておりませんわね」
ウィル、という愛称を殊更強調して言ってやる。
私のその口ぶりから察したのだろう、ウォルトは顔を強張らせ勢いよく体を反転させ歩き出す。
事の真相を確認しに行くのだろう。今夜はきっと眠れないのではないかしら。
「……いい気になるなよ。お前らを、絶対に此処から追い出してやるからな」
けれど、すれ違い様に呟かれた不穏な言葉。
それに釣られて、思わず彼を見上げる。彼が顎を引きこちらに視線を寄こす、その一連の流れがまるでスローモーションのように瞳に映った。
「俺を怒らせた事を後悔させてやる。お前の家の秘密を、白日の下に晒してやる」
鼻の頭に皴を寄せ、まるで禿鷹のような鋭く茶色い瞳で私を一睨みしてすれ違って行く。
「……家の秘密?」
彼の背を見送りながら、ぽつりと口から零れ落ちたのは聞きなれない言葉。
秘密って、何かしら……。
家に隠すような秘密なんて見当がつかないけれど、彼は何か思い当たっているようだった。
「なんでこう、面倒事ばかり……」
ため息と共に吐き出した呟きは、扉を開く音と共に聞こえて来た能天気な声にかき消された。




