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気づき始める者


「……やはり駄目だったか」


 時計塔から、空を見上げてぽつりと呟いた。

 柔らかい風が頬を通り過ぎ、ふわりと髪が浮き上がる。


「実に厄介だな」


 ずり落ちてくる眼鏡を掴み、かけ直しながら深いため息をついてしまう。

 それにしても、眼鏡と言うものはどうにも不便で好きになれない。ズレ落ちたり曇ったりする度に、いっそ取っ払ってしまいたい衝動が起きるけれど、これが無いと生活が成り立たない事は理解している。

 そしてこういった付属品が、一部の女性に受けが良いというのもまた事実。それを思えば、この地味な苦痛も我慢できると言うものだ。

 ……まぁいくら女子の好感度を稼いだところで、俺には生殺しなのだが。

 

「残された時間は少ない……」


 開いた掌をゆっくりと空にかざす。


 掌越しに見える青空に浮かぶ白い雲。

 一見何の変哲も無く、平和に見えるその風景。けれど、確かに感じる違和感。



「この世界は……歪んでいる」



 ……うむ。言ってしまってから、今のは中々に恥ずかっこいい台詞だったなと他人事に思う。

 まぁそもそも、女性を触れない世界だなんて歪んでいる以前の問題だろう。



 目が痛くなるくらいに青い空を気持ちよさそうに流れる雲は、今日も一定の感覚を刻んでいる。





_______________





「やっと、屋敷に帰れますわ……」


 長い一日が、ようやく終わりに向かう。

 私の心を労うかのように鳴り響く鐘の音を聞きながら、昇降口を出て学園の門を目指す。

 馬車と共に待っているであろうアルに、今日は家まで馬を飛ばしてもらえるように頼もうと心に決めて、頭の中で午後の算段を立てる。


「今日は思う存分、猫ちゃんに癒してもらいましょう!」


 気持ちのいい風と澄んだ外の空気に、自然と心が開放的になり足取りも軽くなる。

 昇降口から疎らに帰っていく生徒達に視線を向ける。彼らも学業から解放されて、心なしか晴れやかな表情をしているように見えた。

 私も、彼らと同じように見えるのかしら。……なんて考えて、浮かれた自分の思考に目を伏せ唇を噛みしめる。


(……私が、彼らと同じわけがないではありませんの)


 戻りたいと望んでも、絶望を知らず未来への希望を持ったあの頃にはもう戻れない。平凡で愛おしくくだらない日常は、もう遠い昔の事の様だ。

 それにまだ、何も終わってはいないのだから。

 謂れの無い噂や、意思を無視されたお茶会は今日だけの事ではない。それらはこれからも続いて行く……この1年が終わるまでずっと……。



 ふと、疑問が湧き上がる。

 私の1年は繰り返される。では、皆の1年はどうなのかしら。


 そもそも、私が繰り返した1年で出会った彼らと、この1年の彼らは同じなのだろうか?それとも、違うのだろうか。

 この1年にいる兄は、繰り返しの中で何度も決別した兄なのか……それとも、まだ一度も決別をした事が無い兄なのか。


 私は、私だけが巻き戻り、皆の時間は進んでいるのだと思っていた。私だけが地獄を繰り返しているのだと。

 けれどもしそうならば、今のエステは1回目に虐めたエステでも、2回目の関わらなかったエステでも、3回目に仲良くなったエステでも無いという事だ。

 ならばこの繰り返しの中で積もっていった感情は、一体誰にぶつければいいのだろう。

 1回目のエステへの怒りを6回目のエステにぶつけたとして、1回目のエステは何の被害も被らない。そして6回目のエステは、永遠に1回目のエステにはなり得ないのだ……。


(まぁ今回のエステも、やっている事はあまり変わらないのだけれど)


 それはそれで、やはり報復をしたいとは思う。でもそれは、1回目の時の煮えたぎる様な怒りや3回目の絶望を孕んだ恨みともまた違う。

 目の前にアレックスが二人いたとして、私を罵るアレックスと罵らないアレックスがいたならば、勿論罵ったアレックスに平手打ちを喰らわせたい。

 罵らないアレックスに、罵っただろうと詰め寄り平手打ちをしたところで、満たされないだろう。同じだけれど、やはり違う。


(2回目や3回目の断罪で、私がされた事と大差無いですわね。まぁ、私は1回目で本当にやらかしてはいますけれど)


 それでも2回目と3回目は冤罪だ。もしこの繰り返しが巻き戻っているのでは無く、新しく始まる1年なのだとしたら……過去を引きずる事に意味はあるのだろうか。

 私は永遠と誰にもぶつけられない気持ちを積み重ねるままに、この地獄を繰り返すしかないのかもしれない。



(けれど、もし……彼らも同じように繰り返しているのなら……)


 そう、もう一つ。

 皆も記憶がないだけで、同じように1年を繰り返しているのかもしれないという可能性。


 今までそれを考えもしなかったのは、その繰り返しに何の意味も見いだせなかったからだ。

 私のように同じ1年を、記憶も無いままに。エステはアレックスを、アレックスはエステを手に入れて巻き戻る。兄は我が家の崩壊を見届け、生徒達は私の転落人生を笑顔で見送りスタート地点へと舞い戻る。


(だって……もしそうならば、それはなんて虚しい事かしら……)


 まるで、波打ち際に作った砂の城のようだ。

 せっかく完成させても、波にさらわれてまた作り直し。何度素敵な城を築いても、どんなに頑張って作っても、一瞬でもろく崩れ去る。

 けれど作り手はそれを理解できない。わからないから何度だって作る。同じように、奇麗なお城を……何度も何度も……。


 自覚がないから、壊れる事実を受け入れる事も、手を抜き崩れる過程を楽しむことも、壊れない城作りに挑戦する事もできない。

 ただひたすらに完成を夢を見て、壊れたレコードの様に同じ手順を何度も辿る。


 せっかく叶った願いも幸せも、全てを手放しまた初めから。……なんて滑稽な事だろう。


 信じて目指す彼らの未来は、ただの蜃気楼だ。

 鼻先に吊るされたニンジンを食べようと、グルグルとパドックを走り続ける。それが幻だとも知らないで。


 昔読んだ本で、似たような記述を見た事がある。

 希望を前に、積んでも積んでも崩される石……それは、終わりの無い地獄なのだと。


(気づかない事を幸福だと思うのは、少しでも彼らを憐れに思う気持ちがあるからかしら。

 なら、気づかない事が不幸だと思えるのは、今の自分を幸せだと感じているからでしょうね)


 どうやらこちらの可能性だと、私は中々に幸せを感じられるらしい。素晴らしい事ですわね。

 そんな事を考えていたら、ふと思い当たる。

 繰り返しの特徴を上げ連ねると、なんだかとても既視感がある事に。

 


 決められた尺。

 決められた展開。

 決められた関係。


 結末までいって、満足したらもう一度最初から。


 同じ思考。

 同じ過程。

 同じ結末。


 でも面白いから、もう一度最初から。


 用意すらされていない、進むことのできない未来。

 何度繰り返したって、それは変わる事はないけれど。

 渦中の彼らは何も気づかない。何度だって、望まれるままに同じ過程を繰り返す。


 何度も、何度も……




 読み手が、飽きるまで。




 ーースっと背中に冷たい汗が滑り落ちる。


(いえいえいえ!!あり得ませんわ!!今日日そんなおとぎ話、子供にだって受けませんわよ!!)


 深く暗い穴に落ちていきそうな思考を、頭を振って霧散させる。

 馬鹿馬鹿しい想像だ。あり得ないような突飛な話。

 けれどそうと笑い飛ばせないのは、私の置かれている状況故か。


 これは良くない……これ以上考えると、間違いなくまた……

 

「ってああ、もう!!駄目ですわ。切り替えましょう!」


 今日は色々あったから、少し疲れてしまったのだろう。後ろ向きな考えは、頭の隅へ寝かせるに限る。

 早く屋敷に帰って暖かい紅茶が飲みたい。そうして少し元気がでたら、今度は猫ちゃんに会いに行こう。

 庭の奥の、安心できるあの優しい空間がとても恋しい。


「また、私に触らせてくれるかしら……」


 視線を落とし、掌を眺めながら思い出す。

 抱き心地のいいふかふかの毛。暖かい体温、大きく柔らかい体。ふにふにの肉球。

 あのふわふわのお腹に顔を埋めることができるなら、どれほど心が癒されるだろう……。

 もしも猫ちゃんが私にすり寄ってくれたなら、どんなことが起きても私は耐えられるだろう。


「ふふっ」


 猫ちゃんの顔を思い浮かべると、自然と口角が緩んでしまうのはもう仕方ない。

 なんだかそれがこそばゆくて、人差し指の背で口元を隠しながら足取り軽く歩いてると向かいの方から誰かが歩いて来た。すれ違う生徒達が、ちらりちらりと振り返っている。


(……あら、こんな時間に珍しい)


 もう今日の学業は終了した。使用人や小間使いは正面入り口を使わない。

 不思議に思って、歩いて来る人間に意識を向ける。ここは学園の敷地内なのだから、学園関係者なのだろうけれど……そのすらりと伸びたシルエットに、思い当たる職員は居ない。

 疑問には思いつつ、歩く速度は緩めない。段々と距離が近くなるにつれ、顕わになるその容姿に思わず息を飲んでしまった。


(これは、また……)


 恐らく異国の人間なのだろう。浅黒い肌に黒く長い髪、すらりと伸びた長身は私の知る限り誰よりも高い。

 そしてただ歩いているだけなのに、その一歩一歩の足を動かく所作すらがまるで劇場で見た男優のように美しく、目を惹きつける。

 どうしてこのような男がこの学園にいるのだろう。身形は良く、品があることからそれなりの身分も伺える。

 そんな身分のある異国の者が従者も伴わず学園にいるなんて、なんとも違和感が付きまとう。


 私の視線に気が付いたのだろう。彼が俯き加減の顔をゆっくりと上げ、真っすぐにこちらを見た。

 前髪の影から現れた、真っ赤な瞳に射貫かれて目を瞠る。

 彼と視線が絡み合ったのはほんの一瞬で、そのままお互い会釈も無しにすれ違う。


 まるで血のように真っ赤で、ガラス玉のように虚無な瞳は、兄のそれとは違う冷たさを放っていた。

 別になにも後ろ暗い気持ちは無いはずなのに、何故だろう……心臓がバクバクと大きな音を立てる。



「おや、お嬢さん」


 ーービクリ。背後から、よく通る耳触りのいい声に呼ばれて立ち止まる。

 ……思わず肩が跳ねてしまったのを、不審に思われないといいのですけれど。

 目を閉じて浅く深呼吸をし一拍おいて振り向けば、先程すれ違ったばかりの男性がこちらを向いて立っていた。

 

「失礼ですが、これは貴女のではないですか?」


 すっと彼が差し出した掌に乗っていたものは、奇麗に折りたたまれたハンカチ。

 確かに見覚えのあるそれを、笑顔と共にどうぞと渡され、思わず受け取ってしまう。


「……ええ。……どうも」


「いいえ」


 すこし不愛想なお礼になってしまった。けれど、これで呼び止めた要件はお終いだろう。しかし何故か男は、ハンカチを渡し終えたと言うのにその場から動かずじっと私を見つめてくる。

 まだ何か用事があるのかと、私もその瞳を見返すけれど、彼が口を開く気配は無い。ガラス玉の様な瞳に、観察するようなその視線。

 とてつもなく居心地が悪い。


「……あの、まだ何か?」


 結局、その何とも言えない空気に堪らなくなり口を開く。

 私は我慢がそんなに得意では無い。そもそもこんな得体の知れない人間相手に、我慢する必要はあるのだろうか。


「……いいえ、今はまだ」


 私の刺々しい口調にも気にした素振りを見せず、男はゆるりと妖艶な笑みを浮かべて人差し指を唇に当てる。


「……!」


 その瞬間ぶわりと、彼から押し寄せるように色気が広がる。自分の見目の良さを理解し、自信ある人間の立ち振る舞い。

 一瞬、そのピンク色の雰囲気に呑まれそうになった。けれど、彼の容姿や雰囲気に見惚れるよりも先に、湧き上がる怒りに思考が染まる。

 イラっとしたのだ。君も、こういうの好きでしょう?と言わんばかりの微笑みに。


 エステの、自分を可愛く見せる為の仕草とは違う。

 彼のそれは、己より下の人間に対するマウンティング。己の勝ちを確信している勝者の仕草。

 同族嫌悪とでも言うのかしら……己より、私を下に見ているという、その事実が気に食わない。

 何故この私が、この男より下だと思われなければいけないのか。


(どう考えても、私の方が若く、美しく、綺麗でしょうに!!)


 彼の思考は、私に対する侮辱である。ちなみに、お互い様だと言う突っ込みは受け付けませんわ。

 憤慨した気持ちのままに彼を下から睨み上げ、淡々と言葉を発する。


「用事がないのなら、失礼いたしますわ」


「おや」


 男の返事もそこそこに、踵を返して歩き出す。

 アレックスといいあの男といい、自分に自信のある顔の良い男は鬼門だ。

 けれど歩き始めてしばらくしても、背中に視線を感じる。

 もしかして、彼は不審者の類だったのだろうか


「ーーーっ!」


 けれど、無言の圧力とでも言うのだろうか。

 あまりの視線に耐えきれなくなって、顔を盛大に顰めながら後ろを振り向く。

 しかし、振り返った先にはもう……あの大男の姿はすっかり消え失せていた。


「……え?」


 狐につままれたような、とはこういう事なのだろうか。



「アメリア~!」


 呆然とその場に立ちつくしていると、能天気な声に意識を引き戻される。


「よかったよぉ~アメリア帰っちゃう前に見つけられて!!」


 相変わらずにこにこと笑顔を振りまいて、此方に手を振り走ってくるピンク頭。

 淑女のしの字も無いその様に、怒りよりも呆れが湧き上がる。


(これと知り合いだとは、思われたくないですわね)


 よし、無視しましょう。

 脳内会議は、討論をするまでも無く満場一致で可決だ。さっさと歩き出す。

 何時もなら嫌味の一つや二つぶつけてやりたいところなのだけれど、如何せん今日は疲れてしまっている。

 それでなくとも不審人物に時間をとられたのだ。これ以上猫ちゃんとの逢瀬を邪魔されたく無い。


「あれ?聞こえなかったかな~?おーい!アメリア~!」


(……五月蠅いですわね。流石雌猿)


 それでも立ち止まらず歩いていると、走って追いついて来たエステが隣へと並ぶ。


「あのね~これ、アメリアのだよね?テオくんが渡してほしいって!」


「……何ですの」


 あまりのしつこさに呆れて、差し出されたそれに視線を向けて固まる。

 

「このハンカチ奇麗だよねぇ~羨ましいなぁ!」


 私が受け取るまえに、勝手にそれを広げて笑うエステ。

 それに怒る事も忘れて、私はじっとハンカチを見つめる。


 白い布に白い刺繍を施されたハンカチの片隅に、確かにA.Wのイニシャルが縫い付けられていた。

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