転生遺族と音階少女1
まだ少し人が少ない教室。縦軸は視線を机に向けたままぼんやりと拡散させていた。
「心配?」
一筋の矢が突き抜けるようにていりの声が縦軸の意識を引き戻した。前の席の誰かの椅子を借り、体は縦軸から見て横向きのまま背もたれに肘を置いている。しかし顔だけは真っ直ぐ縦軸を捉えていた。
「まあね。何となく」
「奇遇ね。私もよ」
相変わらず表情からは窺い知れない。しかしこの状況でていりは嘘をつかない。縦軸は知っていた。
音とは今朝、通学路で別れた。
「もしもし音ちゃん?学校なんだけど、なるべく急いで来て頂戴。実はあなたのご両親が来てて。うん、2階の空き教室。よろしくね」
呼び方が「十二乗さん」から「音ちゃん」に変わったのはいつからだろう。
音はそんな取り止めもない思考の傍ら、何やら不穏な気配を感じ取っていた。
「十二乗、何かあったか?」
「作子先生から呼び出し。親が来てるみたい。悪いけど先行くわね」
音は顔色を変えて走り出した。
気になりながらも走って追いかけようとまでは思っていなかった縦軸だったが、彼の左手が掴まれる感触に足を固められてしまった。「行っちゃだめ」とでも言うように、珍しく目を合わせない微が縦軸の手を両手で包み込んでいた。
「とはいえ私たちがここで何を言っても仕方ないわ。先生の呼び出しが悪い話って決まったわけでもない。十二乗さんの顔色を見て、心配になったらしつこく問い詰めてあげましょう」
縦軸は少しだけ表情を柔らかく出来た。
「そうだね、分かった。ところで平方さんは?」
「互君が風邪をひいたらしいからお見舞いに行ってるわ。布団でも被らずに寝たのかしらね。ふふふ」
ていりが少しだけ悪い笑みを浮かべる。「三角さんと平方さんが何かしたの?」などと訊く程縦軸も馬鹿ではなかった。
「愚痴聞け」
昼休みになると、縦軸たちは自然と部室に集まっていた。そこで音が放った第一声がそれである。
昼食と思わしきアダムスキー型のパンが乱暴に机に置かれ、乱暴に引かれた椅子に頬を膨らませた音が腰を下ろした。
「音ちゃんどうしたの?」
「気分が悪いの。労って」
「よしよし」
「恥ずかしいわね」
微に頭を撫でられているというのに縦軸たちの視線からは何の感情も見受けられない。というより何故か存在感を必死な薄めようとしているようだった。
「ちょっと虚、三角、何で空気になろうとしてんのよ?」
「邪魔かなって思って」
「あなたと先輩の仲睦まじい様子でも繰り広げてた方がいいんじゃないかしら」
「ちょっと待って。それだと虚だけじゃなくて私まで生徒会に目をつけられるじゃない」
「おい待て十二乗。今のどういうことだ」
「話の軌道修正を推奨するわ」
彩り豊かなで栄養バランスの良さそうな弁当をつまみながらていりが提案した。普段話している時とは違う氷の如き殺気だった声に、相変わらず音を撫で続けている微以外は動きを止めた
「……何があったんだ?」
「よくぞ訊いてくれた心優しきシスコンよ。あと先輩、そろそろやめなさい」
「お粗末様でした」
円盤のようなパンの耳を柔らかい部分から食べながら音は語る。
「実はね、あの忌むべき両親が私を連れ戻そうとしてるのよ」
一瞬だけ、空気の振動が伝わらない空間が生まれた。
「今更『帰ってこい』って言われたってもう遅いっての。何考えてんだか」
「何考えてたんだ?」
「私に会社継がせたいみたい」
「かいしゃ……?」
後に――具体的にはこの日の学校の帰りに――夕飯の買い出しを素子から頼まれて縦軸に同行した作子は語る。
「十二乗さんの両親?某大手企業の社長夫妻らしいわよ。名前聞いた時はびっくりしたわ。本当によく知ってる会社だったんだから
てか何で直接十二乗さんに訊かないのよ?え、『話したくないから原前先生に教えてもらえ』って言われた?なるほど。分かるわ十二乗さんの気持ち。
あ、見て縦軸。あと5分で豚バラ半額になるわよ!」
音は何処かの会社の社長の娘らしい。まだその「何処かの会社」の規模を知らない縦軸はそう認識していた。
「まだあったのね。縁戚で後継者選ぶ風習」
「一応実力主義の体裁なんだけどね。私には才能があるらしいわ」
「音ちゃん、しょーばいが得意なの?」
「年末の商店街並みに値切る自信はあるわね」
パンは耳の内側のバルジも消滅している。音は耳の硬い部分を味わうように噛み砕いていた。
「要するにこういうこと?十二乗さんのご両親は会社を継いでほしいけど、あなた自身は他の夢があるからそれは嫌だ」
「要約してくれてありがとう。じゃあついでにどうすればいいか助言してくれない?」
「愚痴を聞くだけのはずじゃなかったかしら」
「細かいことはいいの。私は今困ってます。助けてください。はい、これでいいでしょ!」
「言われるまでもないわ」
音は学んだ。助けを求める方法、いや、助けを求めるための心の準備の方法を。縦軸たちは知っていた。彼女が出会った頃よりずっと素直に助けを求められるようになっていることを。
未確認飛行物体にも帽子にも見えるパンが音の喉を全て通り過ぎる頃、民間伝承研究部が十二乗家の事情に首を突っ込むことが決定された。




