積元傾子のリスタート5
ちなみに見えたのは景色だけで、声などは聞こえない。よってあの子の名前を私はまだ知らない。だけど確信できた。虚愛の生まれ変わりはこの国に、王都にいる。
「にしてもなあ……」
会いにいくのは無理があるだろう。自分もまだ10歳だ。一人立ちするにはまだ幼すぎる。魔物や賊にやられるか職に就けないかですぐに野垂れ死んでしまうだろう。
「今は……修行あるのみね」
少なくとも自衛はできるようにするため、私は今日も弓とスキルの練習に精を出すのだった。
霊弓ノ儀当日の夜、月明かりに照らされる中大人の皆さんが舞を奉納している。共に詠みあげられるプリンキピア様の詩が神秘的な雰囲気を生み出し、慣れ親しんだ場所とは思えないぐらいだった。
そしていよいよ私たちの出番になる。私を含め10歳になるエルフたちが集まった。みんな手入れの行き届いた美しい弓矢を携えており、真剣な面持ちとなっている。
的の距離は流石に目視できる範囲だ。日本で言うところの弓道の試合といった感じだろうか。
「ふぅ、よし!」
私も呼吸を整える。何故だろう、ドキドキは止まらないのに自信だけは鎮まらない。
何列かに並び、横に並んだ子たちが同時に矢を射ていく。この日のために練習しているだけあってかなりいいところへ当たる子も多い。時折見守る大人たちからも「おう」と感心の声が漏れ出している。
やがて私の番になる。矢筒から1本引き抜き、ゆっくりと歩くかのように弦に掛けていく。正直に言うと、この程度の距離ならば〈立体座標〉を使うまでも無い。
矢から手を離す。柔らかな弧を描いて矢は飛んでいき、的の同心円が収束する一点へと吸い込まれていった。
「すっげー!ど真ん中だぜ!」
「やっぱリムノは上手いぜ!」
「いいぞ、リムノ!」
順番を終えた子供たちが騒いでいる。前世ではこういうところで1番を取ったことなんて無かったから少しいい気分になった。
そして次の子に場を空けるために退場しようとしたその時だった。あれが起きたのは。
「な、何だ⁉︎」
「おい、あれ!」
誰かが声を上げる。見てみると、祭りの会場のすぐ近くにあった宝物庫で何かが光っていた。そしてその光は宝物庫を飛び出し、私へと向かってきた。
「リムノ!」
「っ!」
母の声でようやく動いた。咄嗟に目を瞑って手を頭の前で組んで防御をとる。何秒経っても痛みや苦しみはやってこない。
「り、リムノ、それ!」
「え?」
私の左手には緑色に光り輝く魔法陣が浮かんでいた。
里の近くの森の中、私は息を潜めていた。
「スキル発動、〈立体座標〉」
目標が見えた。私は左手からその武器を呼び出す。
「展開せよ、霊弓ティンダロス」
左手の甲に浮かんだ魔法陣は光となって散らばり、手の中で集まると弓の姿になった。
「スキル発動、巡回商人」
光の矢が装填される。あとは射るだけだ。
「ふぅ……っ!」
矢は木々の間を駆け抜け、やがてピンク色の目をした牛を貫いた。
「モゥ……」
気怠げな鳴き声を断末魔にして牛が息絶える。私は死体の処理をすべくその牛の元まで向かうのだった。
今回討伐したのはカトブレパスという魔物だ。その目には睨みつけたものを即死させる魔力が宿っており、余程魔法耐性のある者でなければ会って秒で死ぬ。それが私、リムノに課された今日の獲物だった。
「見事だリムノ」
「師匠」
処理が終わる頃、私が師匠と呼ぶエルフが現れた。里で1番の弓の名手だ。
「スキルを発動していながらティンダロスも使いこなす技術と魔力量。加えて複雑な地形でも最適な位置を見つけて攻撃の準備にかかる手際の良さ。どちらも申し分ない。」
「ありがとうございます」
「カトブレパスの死体を片付けたら族長のところへ行きなさい。お前をお呼びだ」
「私をですか?分かりました」
そして師匠は戻っていった。私も処理を終えたカトブレパスの死体を魔法鞄にそそくさと収納する。これは空間魔法が付与された鞄で、魔物数十頭ほどの遺体なら入れることができるのだ。父からのお下がりである。
「さて、急がなきゃ」
私は族長の元へと走り出した。遅れたら師匠に怒られる。
霊弓ノ儀での一件から3年経った。私の左手に宿るこの武器は使い手を選ぶらしく、私はどうやらお眼鏡にかなったようだ。
プリンキピア様の死後初の出来事だったらしく、私はティンダロスの使い手にふさわしい者になるべくこの3年間修行に明け暮れた。魔力を消費するティンダロスを使っていたせいか、私の魔力量も底上げされている。
「族長、リムノです」
「入るがよい」
「失礼します」
人間で言えば100歳ぐらいにはなろうかという老人が座っていた。彼こそがこのエルフの里を取りまとめる族長だ。
「話は聞いておる。修行は順調なようじゃな」
「はい。この霊弓の名に恥じぬよう、日々精進しております」
「うむ。今日はそのことでお主を呼んだのじゃ」
そりゃ私が呼び出されるとなったらこいつ絡みしか無いだろう。左手に目をやりながら私は思った。
「お主はとても強くなった。お主の師匠ももう教えることは無いと言っておる」
「勿体ないお言葉にございます」
「しかし困ったことがある」
困ったこと?これ以上面倒なことになると私としても避けたいのだが。
「お主は強くなりすぎた」
「はい?」
思わず聞き返してしまった。
「お主はあまりにも強すぎる。もうこの里でお主に何かを教えられるエルフはおらん」
「そ、そんな!ではどうしろと」
「そこでお主の両親や師匠と話し合ってあることを決めた」
「ある事……ですか?」
「そうじゃ。心して聞け。
リムノ、この里を出て行きなさい」
何だと⁉︎まるで追放みたいじゃない!
「そんな顔をするでない。言い方が悪かったな。要するに外の世界で修行を積みなさいということだ」
「ああ……」
かなり焦った。
「ティンダロスの使用もお主の判断に任せる。お主がこうすべきと思った道を歩みなさい」
族長は力強く告げる。
「余計な言葉は不要じゃ。リムノよ、行くがよい!」
「……はっ!」
こうして私は里を出ていくことになった。出立の前の日の夜には送別会が開かれ、みんなが門出を祝ってくれた。
ティンダロスと里のみんなが作ってくれた弓、そして魔法鞄に必要な物資を詰め込んで私は旅立った。これから先は待ち望んだ外の世界だ。向こうの社会のことはある程度学んでいる。プランはしっかり考えていた。
街に着いたら冒険者になろう。色んな景色を見に行こう。かつての私が、積元傾子がそうしたかったように。そしていつか……あの子の姉に会いに行こう。
今この時が本当の意味で、私の人生のリスタートだ。




