転生遺族のスタート8
その日、縦軸はていりたちより少し遅れて部室にやってきた。
「……あの!」
「どうしたの?虚君」
「僕は覚悟を決めました。三角さん、先輩、姉さんを連れ戻したいです。力を貸してください」
どこか軽くなったような様子の縦軸は彼女たちに頭を下げた。足下には校舎のフローリングの床が広がっていた。
それが変わったのは一瞬の出来事であった。ワックスの塗られた木製の床はたちまち石畳に、顔を見上げると、広がっていたのは地球のそれでは無い景色だった。これを見せられるのは彼女しかいない。
「ねえ縦軸君」
微は目を細め、歯を見せてあまりにも眩しい微笑みにおいて、縦軸に語りかけた。
「私ね、嬉しかったんだ。自分でも分かってた。私がスキルのこと話したって対たちは信じてくれてなかったって」
「先輩……」
「縦軸君はさ、私のこと信じてくれた上にスキルのレベル上げまで手伝ってくれた。それは全部〈転生師〉があったからかもしれない。でもね、こんなに私のことを助けてくれたんだから、今度は助けたいって思うに決まってるよ」
〈天文台〉で見る風景は当初は視覚でしか感じられなかった。しかし今は、レベルを上げたからか、音も香りも肌に当たる風すらも伝わってくる。なのに、それらが何故か縦軸には伝達されていないように感じた。微の言葉だけが頭の中に堂々と仁王立ちをしていて、彼の視界には微の姿だけが鮮明に見えていた。
傾子が言っていた。もっと友達を頼れと。それは確かに縦軸を突き動かしてくれた。かけがえのない起爆剤だ。
しかし一方で少し不安もあった。ここでていりたちに助けを求めても、傾子の言葉という虎の威を借りているだけなのではないか。傾子がそう言っていたから、ていりたちは自分を助ける。それではあまりにも彼の望みとかけ離れている。故にまだ欲しかったのだ。彼女たちから、もっと自分が前に出るための初速度が。そうやって縦軸が望んでいたそれを、微は惜しげもなく与えてくれた。そのことが縦軸にとって、この上なく嬉しくもあり、この上なく情けなくも思われた。
「虚君」
そんな彼にていりは声をかける。
「私はね、人付き合いが苦手なの。だから人に頼るのも苦手だし自分の気持ちもうまく話せない。だけどね、そんな人間は私だけで十分なの。虚君はもっと人と繋がりなさい」
「三角さん……ありがとう」
「決まりだね」
微がそう言うと再び彼らは部室にいた。起承転結が無く、それでいて全てが面白い。遊園地で遊んでいたら突然帰りの時間になってしまったようなこの感覚は、いつも少し寂しい。
「縦軸君、あのね、お願いがあるの」
自分よりも背の高い縦軸の顔を覗き込みながら微は縦軸にお願いを始めた。
「私ね、またお母さんに会いたい」
「傾子さんに?」
「そうだよ。だって縦軸君言ってくれたでしょ?『私がお母さんとまた会えるように頑張る』って」
「はい、確かに言いましたね。」
「では部長として命令です!私とお母さんを感動の再会させなさいっ!」
「……はい」
真面目なのか楽しませているのかよく分からない。そんな微を見ていて縦軸が笑顔になるのは、何故だかずっと前から同じだったようである。
「虚君」
2人の間に割って入るていり。
「時々でいいから、私を頼ってもいいのよ?いい?私だって虚君の味方だからね?」
「三角さん、近い近い近い」
「おーい!ちょっとドア開けてー!」
部室のドアの向こうからよく知った声が聴こえてきた。縦軸がドアを開ける。
「急にどうしt……うおっ!何だよその本⁉︎」
そこにいたのは、大量の本を重そうに抱え、脚をプルプルさせている音だった。
「よっと!はあ、はあ、参考に、なるかもしれないから、持ってきたわよ」
『マンガでわかる!中世ヨーロッパ』
『カトリック世界のすべて』
『古代ローマから考える西洋の勢力図』
その他にも似た系統の書籍が堆く積まれている。これらを全て読めば世界史のテストでは敵なしだろう(国や時代が違えば話は別である)。
「十二乗……これ、どうしたの?」
「家にあったやつで参考になりそうなのを片っ端から持ってきたのよ。先輩の見せた景色、大体こんな感じでしょ?あの両親の追及を全て躱しきった私に感謝しなさい!」
「でも……どうして?」
「あんたが言いだしたんでしょ。それに私は、反対するなんて一言も言ってないわよ。協力してあげるんだからお礼ぐらい言ったらどうなの?」
「……うん、そうだね。ありがとう」
「、、、、、!そ、そんな素直になれるなんて聞いてないわよ!そもそも笑顔見せるなんてらしくないわ!いつもみたいに人付き合いに怯えてびくびくしてなさいよ!」
「いや待て!何で素直にお礼言ったら叱られる羽目になるんだ⁉︎」
「うっさい!あんたのキャラに合わないのよ!全く、何でこんな奴が……」
その後音がなんと言ったのか縦軸には聞き取れなかった。ただ、何故かその後音はしばらく目を合わせてくれなかった。
その後、音は軽音部とも兼部していると言って部室を後にした。取り残された部屋で、縦軸は徐にていりと微へある疑問を吐き出した。
「ねえ、三角さん、先輩」
「何かしら?」
「なになに?」
「三角さんや先輩は……その……僕の、友達なのかな?」
「「え?」」
「この前、十二乗と作子に言われたんだ。2人は僕の友達だって。その……合ってるかな?」
「「……」」
その沈黙が縦軸には苦しい。
「ああその、ええっと、ごめん!こんな質問急にして。変だよね?忘れてもらって……」
「虚君」
「縦軸君」
ていりと微が縦軸に限りなく近づく。まるで彼の目の瞳孔が動くのを観察しようとしているのかと言わんばかりの距離だ。
「私たちは虚君の友達よ。」
「当たり前なのです!わざわざ訊かんでいのです!」
「え……ええっと?」
いつもより語気が強い。彼女たちとの間に存在する僅かな大気の層が振り回されているようだ。そして2人はそれ以上何も言わず、椅子に座り直した。
ていりは音の置いて行った本を読み始め、微は明後日の方角を見つめ始めた。きっと〈天文台〉を使っているのだろう。
呆気にとられていた縦軸には、ていりの表情筋が何かを堪えるように固くなっていたことも、微がこれ以上無いほどニヤついていることも、気づくことはできなかった。
勇者や英雄と呼ばれる者たちの物語では、仲間を集めるところから始まるものも少なくない。
仲間が集結し、やっと固い絆で結ばれた縦軸にとってここをスタートラインにしてもいいのかもしれない。止まっていた何か、時間ではないであろうもの、が動き出した地点と言う意味で。




