虚の修復予想【3】
「私既にここと吹奏楽部を掛け持ちしててまあまあ忙しいって言ったわよね?」
「言った」
「じゃあ無理って分かるわよね」
「分かる」
「無理!」
「でも何とかしろ」
「言葉通じとんのかこのアホンダラァー!」
鳩乃杜高校の民間伝承研究部の部室には、何故かハリセンが置かれている。誰が置いたのかは分からない。縦軸に心当たりが無いか訊かれた作子が口笛を吹きながら目を逸らしたことがあるが、誰が置いたのかは分からない。
そのハリセンが縦軸のつむじの大体近くに直撃した。
今は3月。春休み中だ。部活の関係で登校している生徒は多少いるものの、平日に比べれば人は遥かに少ない。そんな学校に縦軸たちはいた。
「何で私がもっと忙しくならなきゃいけないのよ」
「こっちの部活に出てる時間を充てりゃいいだろ」
「そりゃそうだけど……はあ」
十二乗音は頭を抱え、髪を乱暴にかき乱した。死んだ目で天井を見つめることしばらく、ひとしきり嘔吐し終わったと思った頃に追い討ちで出てくる少量のゲロのようなか細い声で縦軸に告げた。
「聞くだけ聞いてやる」
縦軸は椅子から微動座にせず音を見上げながら答えた。
「ありがとう」
部室の隅に置いてあるホワイボードを一瞬確認し、縦軸は別に無くてもいいかと判断した。今から始めるのは授業でも何でもない。友達への簡単な説明だ。
「作子が新しい部活に入って欲しがってるって言ったな」
「ええ」
「問題はその活動を行う場所なんだが」
「え、なに? 部室じゃないの?」
「違う。十彩町」
「ほーん。なるほど…………はぁ⁉︎」
典型的な驚いた時のリアクションだ。縦軸は全く驚かない。
「十彩町ってあんた、前に先輩たちが修学旅行で行ったところよ! 部活で毎日気軽に行けるわけ無いでしょうが!」
「大丈夫。姉さんが魔法を使えるし僕も一応は能力があるから瞬間移動くらいどうとでもなる」
「愛さんとあんたの負担がやばいじゃん。ん、そういえば」
縦軸の姉の名前を口にした瞬間、音はそもそもどうしてこんな会話になったのかを思い出した。大事な話があるからと縦軸に突然部室へ呼び出され、それから唐突に彼の姉について話されたのだ。そこまでは別にいい。大事な家族の今後に関わる話だ。自他共に認めるシスコンの縦軸ならばわざわざ友達を呼び出して大袈裟に発表しても不思議ではない。しかしその後の流れが分からない。
「愛さんが学校行くって話から、急に私の部活の話になったわよね。どういうこと?」
「姉さんが1人で学校に行くのは不安だろ?」
「過保護って言いたいけど正直分かる」
「それでイデシメさんが一緒に通ってくれることになって」
「まじか」
「作子に入学手続きしてもらったんだけど、交換条件として僕らに部活やって欲しいってさ」
「ちゃんと説明したように見せかけて行間すっ飛ばしてるじゃない」
もっと詳しく話せという要求だ。縦軸の頭が混乱しつつも回転する。どうせこの程度あれば通じるだろう高を括っていた、少なくとも彼の頭の中では出来上がっている『証明』を、形を変えないように組み直す。
「…………作子は魔法が使える」
「ええ」
「魔法を使えば、人を怪獣に変えることだってできる」
「知ってる」
「姉さんをいじめた奴らを怪獣に変えたら?」
「……」
音は険しい目になった。
「その怪獣たちが暴れたら? 止めないといけないだろ。じゃあ殴っても別にいいだろ」
「……それを私たちにやれって?」
「らしい」
「あのねえ」
呆れたような声、諦めたような顔。しかし音は1度目を閉じ、ため息をついて目を開いた。
「あんたはいいだろうけど、私は嫌よ?」
「分かってる」
「じゃあ巻き込まないで。勝手にして」
「それはできない」
「どうして?」
「助けて欲しいから」
欠けた文章だった。今のは作子による仕返しを助けて欲しいという意味ではなく、もっと違った意味での助けを求める言葉だった。それが欠けていた。今の縦軸の発言は、彼の伝えたかったことにとって不十分な文章だった。
なのに音には伝わった。
「私なんかでいいの? 何もできないわよ」
「それでもいい。手を貸して欲しい」
「はあ。しょうがないわね。具体的には?」
「知るか」
「知らんのかいっ!」
ハリセンが役に立った。今日で2回目だ。
「僕は何でも知ってるわけじゃない。寧ろ何も分からなくて、すごく混乱してる」
「先生が急に部活やれって言ったこと?」
「そう」
音はハリセンを片付けながら縦軸の話に耳を傾けた。縦軸は何となく音を視線で追いつつ、彼女が片づけ終わるのを待ったりはせずに続けた。
「僕は別に作子を手伝うことに抵抗は無い。姉さんを殺した奴らは許せないし」
「でしょうね」
「だけど作子がそんなこと望むか? あいつは生徒思いのいい先生だし、僕にはいつだって優しくしてくれた」
「そうね」
「僕をわざわざ碌でもないことに巻き込むなんて、今の作子は何かがおかしい。理由を知りたい。必要なら助けたい」
「だから手を貸してくれ、でしょ」
「うん。頼む」
「……」
音はハリセンを棚の1番高い場所へしまった。棚や棚に置かれていた物が被っていた埃が制服についてしまった。暗い色のスカートとブレザーにまとわりつく白い汚れを手で適当に払いながら、音はしばし無言を貫いた。
しばし黙った上で、ようやく彼女が答える。
「分かった」
ため息混じりにも聞こえる回答だった。
「ありがとう」
縦軸は何の捻りも無い感謝で返した。
「ところで虚」
「ん?」
「こいつらは何やってんの?」
音は縦軸と自分の隣に座っている2人の人物を指差した。彼女たちは怒ると怖い先生が激怒している時のように姿勢を正し、置物のように一言も発さずにいた。
「セリフも行動も一切してないと読者からはいることが認識できないから僕たちが存在に触れたらびっくりさせられるんだよ」
「あんた何言ってんの?」
「虚さん、何を仰ってるんです?」
「虚君、意味が分からない」
音に続くように、平方成と三角はようやく口を開いた。
「私も成も、あなたたちの邪魔にならないように見守ってただけ」
「ったく。やっと2人揃って帰って来たと思ったら」
「だって向こうの生活も楽しいけどそろそろ帰ってこないとパパとママが心配するもの」
「ていりが久しぶりに帰って来たって聞いたから」
「傾子さんが三角さんの居場所を知ってたのには驚いたよ。まさか魔王に匿われてたとは」
「傾子さん、こっちにいるのよね」
「まあね。先輩と一緒に暮らしてる」
「ていり、折角だから今度私の家に遊びに来ない」
「いいわね」
「そういえば三角さん。あのキナって人、傾子さんも知り合いだって言ってたんだけど一体何者……」
「おーい後でやれー。私を置いてくなー」
3月のある日、民間伝承研究部の十彩町行きが決定した。スウガク部が結成されるほんの少し前のことだ。




