雑音ヒーロー【2】
他人との接し方が分からなかった。そもそも自分なりの行動を思いつくということができた試しが無かった。だから一別階差は真似をすることにした。
テレビ、本、それらで見たもの、聞いた台詞を参考にした。ただし言い回しをそっくりそのまま使うのではなく、どちらかといえば単語や知識などが主に引用された。実際にそれらで多少の教養が身についた可能性はある。
しかし範囲というか程度が分からない。誰が何を知っているのか。どれをどの程度の知名度と仮定して使えばいいのか。
当然のように恥をかいた。それに後で気づいた。
「はい、君の制服。ちゃんと乾いてるよ」
「おお、こんなあっさり」
リカイと名乗った女性の家にて、心音は招待されてやって来た客人かのようにもてなされていた。今は用意してもらった部屋着に着替え、差し出された茶を一口飲んだところだ。
「魔法って便利っすね」
「でしょ」
縦軸の能力――『取り返しがつかない事象を取り返す』能力。それによって心音は見知らぬ場所へと転移した。彼の能力は異世界への転移を可能にするものであり、自分が今いるのは魔法が存在する別の世界だ。心音の世界で科学が便利な道具を生み出したように、ここでは魔法が人々の便利な道具となっているのだろう。
「こんなにすぐ乾いちゃうと、わざわざ着替え用意してもらったのが申し訳なくなるっすね」
「気にしないで。私が昔着てたお下がりだし、もうサイズが合わなくて着ることは無いから」
「そこまで言うなら遠慮無く頂くっす。あ、でも」
心音は思い出した。
「学校からの帰りなのに私服に着替えてたら親がびっくりするかも」
「あ……ごめん。気づかなかった」
「もっかい脱衣所使わせてもらっていいっすか?」
「うん。他の人が使ってるかもしれないから気をつけてね」
「うっす」
リカイの服が心音の手に渡ることは無かった。
脱衣所には誰もいなかった。
「そういやリカイさん、知り合いにノヴァって人がいたりしました?」
「うん。もしかして本人から聞いた?」
「え、何で分かるんすか」
「前に来たお客さんがね、記憶を操る魔法使いがそっちに生まれ変わってるって教えてくれたんだ。その魔法が使えるのは私の知る限り2人。1人はまだ生きてるから、きっとノヴァのことだろうなって」
「話が早くて助かるっす。実はちょっと教えて欲しいことがあって」
「いいよ。何?」
心音の表情に影が差した。
「ノヴァのこと、何でもいいからとにかく知りたいんです」
「理由を教えてもらっていい?」
「部長のためです」
懺悔が始まる。
「初めて怪獣に襲われた日、私を助けてくれたのは今お世話になってるスウガク部って部活の人たちでした」
「うん。それで?」
「だけどあの時部長は、何だか残念そうな顔をしてたんです。多分なんですけど、部長なりに私を助ける方法を考えてくれていたんだと思います。だけどそれを試す前に私は助けられた。あ、ごめんなさい。部長っていうのは」
「君と一緒に転移してきた眼鏡の子だよね。保護したから知ってる。続けて」
「はい。それで私、思ったんです。部長にもう1回チャンスをあげたいって。私を助けるために考えてた作戦、それをちゃんと実行できるようなリベンジの機会を」
「だからスウガク部っていうのに入ったんだね」
「はい。怪獣と戦うって聞いた時は危ないからやめようと思ったんですけど、どうして怪獣と戦わされるのか、怪獣はどうやって現れるのか、そういうのを聞いてやっぱり入ろうと思ったんです」
怪獣と戦わされるのは作子の復讐のため。怪獣が現れるのは作子がかつてのクラスメイトたちを魔法で怪獣に作り変えているから。誰を襲って誰を襲わないか、どのくらい強いのか、怪獣の設定は作子が自由に決めることができる。
「先生が黒幕なら寧ろ安全だろうって。全部を操ってるなら私たちの安全も保証できるだろうって」
「その人が怪獣を使って君たちを殺すとは思わなかったの?」
「そんな人には見えませんでした」
そんな理由では理由にならないことぐらい心音にも分かっている。
「大丈夫だって思ったから、部長を誘ってスウガク部に入ったんです。私が部長を巻き込んだんです」
「だけど命の危険が生じた、とか?」
「本当に話が早いですね」
感情的にはなっていない。心音の口調はとても淡々としたものだ。
「あの人が、自数然さんが、最初の怪獣とかいうのがもうすぐ蘇るって言ったんです。先生も焦ってました。私のせいで、部長が危険な目に遭うかもしれないんです」
「……」
「すいません。好き勝手に喋っちゃって」
心音は目を泳がせながら軽く頭を下げた。
「ううん。本音を言ってもらえてよかった」
リカイが笑みを浮かべる。
「次は私の番だね」
心優しい人物、それが心音から見たリカイの第一印象だった。しかしその瞬間、ほんの一瞬ではあったが、心音は口にすることすらできない程の恐怖に確かに襲われた。リカイから放たれた、彼女がこれまで感じたことも無い何か。殺気だろうと心音は推定した。
「あの子とは――」
あの子とは私が子どもの頃に出会ったんだ。色々あって悪い吸血鬼を退治するよう言われて、そいつを探すために人間の街に潜入しててね。そこで会った当時10歳前後と思われる孤児の名前がノヴァ。君の知ってる魔法使いだよ。
ノヴァは読み書きもできなければ魔法の知識なんて全く無い子だったんだけど、私なんかとは比べ物にならないくらいの才能に溢れてた。任務に同行してた私の友達が使った魔法を、たった1回見ただけで正確に模倣してみせた。あの子の助けがあったから悪い吸血鬼を倒すことができたんだ。
その後は行く当てが無いって言うから私たちについて来てもらって、私の友達の元で魔法の修行に励んでもらった。いい子だったよ。私たちに恩返ししたいっていつも熱心に魔法を勉強してて、私も数え切れないくらい助けてもらった。
そうして一緒に過ごして、時間が流れて、大きくなったノヴァは彼の師匠と結婚した。子どももできた。幸せな毎日だったと思うよ。
様子がおかしくなったのは彼の子どもが君よりまだもっと小さいくらいの頃だった。魔法の研究中に事故が起きて……何が起きたか本人から聞いてるかな? そっか。じゃあ説明は省くけど、とにかく色々あったんだ。
それから彼は、我が子を救おうと前より研究に没頭するようになった。日に日に心がすり減っていってるみたいで、とても見てられなかった。助けられる力が私にあればよかったんだけどね。
まあとにかくそうして時間だけが過ぎていったある日、彼は突然姿を消したんだ。怪獣に助けてもらうと言い残して。
それ以来私たちは、彼に何が起きたかを調べてる。
「――私が知ってるのはこのくらい。ごめん。あんまり役に立たないかも」
「いえ、そんな」
心音は未だ悩んでいた。
縦軸は寝る時に大の字にはならない。いつも隣の姉に抱きついて寝ているせいか、比較的縮こまった寝相をしているからだ。
しかし肝心の姉とはぐれ、代わりにしがみつく布団も何も無くなってしまえば、彼は積もった雪に飛び込む子どものように手足を広々と伸ばしてしまうこともあるらしい。それを今目を覚ました瞬間に初めて知った。
「気がついた?」
やたらと面積の大きなベッドのど真ん中に寝かされていた。作子より少し歳上と思わしきスーツ姿の若い男がベッドの端に腰掛けている。
「あなたは……」
「僕は数ノ瀬孝。一応ただの人間だよ」
「僕は何を」
記憶を探って思い出そうとする。何故かは分からないが、ジェットコースターに乗ったような感覚が強く残っていた。思い出すだけで思わず吐き気を催してしまう。
「大丈夫?」
「はい……あの、変なことを訊きますけど、この近くに絶叫マシンとかあったりしますか?」
「何を知りたいのかは多分分かった。君たちがこっちに転移して来た瞬間、君のお姉さんが僕の妻を見てびっくりしちゃったんだ」
「姉さんが?」
「それで妻を仕留めようとつい全力で動いてしまった結果、おんぶされてた君はそのスピードに耐えられず気絶したってわけ」
「そうでしたか」
縦軸の姉はしばらくの間こちらの世界にて、魔物と呼ばれる怪物たちと戦う日々を送っていた。そんな彼女が驚き、命を奪おうとした。孝と名乗る男の妻にそれだけの脅威を感じ取ったということだ。一体何者なのかと、縦軸は少し怖くなった。
「姉は?」
「君に酷いことをしたって罪悪感に苛まれて別の部屋に引きこもってる」
「他の皆は?」
「妹さんはお姉さんと一緒にいる。君は僕が見ておくって言ってある。他の子たちは妻と一緒にいる」
「すみません。色々と」
「いいよ。このくらいじゃ恩返しにならないし」
「?」
縦軸の頭にハテナが浮かんだのを孝は察したようだ。もしかすると、そもそも彼が疑問に思うことを最初から予期していたのかもしれない。そう思えるくらい自然に孝は語りだした。
「僕は1回死んで、この体に生まれ変わったんだ」
「生まれ変わりってことですか」
「微妙に違うかも。死んで気がついたらこの体になってたんだ。いきなり。誕生とか成長を飛ばして」
「は?」
縦軸は己の能力でかつて人を生まれ変わらせたことがある。しかしその時生まれ変わった人間は、母親の腹から生まれ徐々に背を伸ばしながら大人になるという過程をもう一度経験していた。まるで神が人形を箱庭にぽんと置くような、そんな所業をしたつもりは縦軸には無かった。
「それが大体200年くらい前のこと。それから今日まで、僕は見た目が微塵も老けることなくこうして元気に生きている」
「さっきただの人間って言いませんでしたか」
「見た目も構造も普通の人間と同じはずなんだけど、何故か寿命がすごく長いんだ。僕の妻が吸血女王種っていう特別強い吸血鬼なんだけど、彼女と同じくらい長生きできるみたい」
「魔法か能力ですか」
「そんな便利な魔法は無いし、そんな能力僕には無い」
自らの手を眺めながら孝は続ける。
「死ぬ、というより死へ向かって老いていく現象が無理矢理止められてるみたいなんだ。調べた限りだと魔法じゃないみたいだし、きっと僕以外の誰かの能力だね。さて問題です」
さあ当然答えられるだろうと言わんばかりの笑みを浮かべる孝。
「自然に発生するとは考え難いこの肉体を僕に与えたのは、一体どこの誰でしょう」
「記憶にございません」
「残念。君です」
「どうしてそう思ったんですか」
「君に会ったから」
縦軸が何のことかと疑問に思うよりも早く孝は続けた。
「君の能力、生まれ変わらせる対象の人と会話できるでしょ。真っ白な謎の空間で」
「ええまあ」
縦軸が友達の母、積元傾子を生まれ変わらせた時にその空間は出現した。ただただ床も壁も白一色の無機質な部屋が広がる場所だ。
傾子や縦軸、もしくはその知り合いが知っていたのなら別に不思議ではない。しかし初対面の筈の孝は話が違う。何故知っているのか。
「どうして知ってるのか気になる?」
「はい」
「簡単だよ。200年前、死んだ僕を生き返らせたのが君だからだ。君の能力を実際に体験したから知っている。単純でしょ」
「だけど僕にはあなたと対話した記憶なんてありませんよ」
「だから僕も驚いてる」
驚いてるとは思えない落ち着いた口調で孝は返した。
「君は何者なんだろうね」
「はーいそれじゃあ第2回『怪獣リロード』対策会議を始めまーす」
リカイと会った翌日、スウガク部の部室に心音はいた。
「いやあ前回はさ、数然さんの衝撃が凄すぎてよく考えたら全然話し合いできてなかったじゃん? 申し訳ないなって思ってさ、もう少し詰めようって思ったの。ところでさ」
作子が心音の隣の椅子に目をやる。
「今日、一別さんは?」
「帰ったんじゃないっすか?」
適当な答えを返しながら、心音は階差を追いかけようかと何となく考えた。




