スウガクノート【8】
心音は睨んでいた。別に目の前の人物に憎しみだとかがある訳ではない。しかし彼女を隅から隅まで観察しようとした結果、まるで親の仇を前にしたかのような顔になってしまっていた。実際は仇どころか親の親かもしれないというのに。
「むむむむむ……どう見ても若い頃のばあちゃんっす」
「あらあら、不思議なこともあるんですね」
着物姿の女性――自数然は頰に手を当てわざとらしく驚いて見せた。
「でもワタシ、孫どころか子どもすらいませんよ?」
「っすよね〜」
机を挟んで向かい合う――別に心音にとって初めてのことではない。スウガク部に入る直前にも、千歳と経太を相手に同じような状況が起きた。
しかし今回は事情が違う。相手は自身の祖母と同一人物かもしれない女性にして、心音が暮らしているのとは別の世界で暗躍していたという存在だ。作子の話を信じるならば、彼女の前世が怪獣の力に傾倒した元凶であり、作子に縦軸の姉を拉致するよう命じたのも数然である。信じていいのか、危険な人物ではないのか、警戒するのも無理は無い。
「人違いではありませんか? 心音さんと私ってあんまり似てませんし」
「強いて言えばじいちゃんの方に似てますから。私」
「まあ!」
数然はどう考えてもわざとには見えない様子で赤くなった頰を手で覆い隠した。
「つまり私は心音さんみたいな人と結婚するんですね! 分かりました。あなたの顔、よーく覚えておきます。ところで本題なんですが」
「『ところで』を存分に使ってるっすね」
「どうして最初の怪獣が蘇ると分かったのか、でしたね」
「はい。さっき原前先生が話してた怪獣リロードっていうの、原点怪獣レイベクターがもうすぐ生き返るってのが前提にありますよね」
「その前提はどうやって証明するのか。なるほど。当然の疑問です。うーん、どうしましょうか」
膨らませた頰に人差し指を当てて数秒悩んだ後、数然は徐に椅子から立ち上がった。
すたりすたりと心音に近づく。何をされるのか分からない恐怖とどうせ大丈夫だろうという理由の無い油断が混ざり合い、心音は1歩も動けなかった。
とうとう数然が心音の背後に立つ。心音が振り返ろうとした刹那、数然の両腕が心音を優しく包み込んだ。抱きしめていた。
「あの……数然さん……?」
「こうしてぎゅーってしてると、色々伝わりますよね」
頭を撫でられる感触がする。
「目を合わせてなくても、姿が目に映っていなくても、体温や心臓の鼓動で私の存在が分かる。そうでしょう?」
「レイベクターも同じってことですか?」
「私には分かるんです。『いる』と。分かっていたんです」
撫でられる感触は心地いい。決して乱暴でなく、とても優しい手つきだ。それこそ祖母が孫を可愛がるように。
「そしてその感覚は、今や確信へと変わりました」
「どうして」
「聞こえるんです」
心音さん、と数然は耳元で囁いた。
「こうやって声がするんです。最初の怪獣の声が。もうすぐ蘇るって、手伝ってくれって」
「……」
「後はあの能力さえあれば。ふふ」
「縦軸さんの能力ですか?」
「おや、察しがいいですね」
数然はあっさり心音から離れた。
「どうして彼の能力が必要だと?」
「生まれ変わりの力なんでしょ? 生き返るってなったら都合が良さそうだなって」
「ほう」
「それに数然さん、原前先生の前世にわざわざ、縦軸さんの能力を教えてたんですよね」
「そんなに執着するのだからきっと必要な能力なのだろう、と?」
「はい」
「素敵です!」
弾けるような満面の笑みだ。両手を大きく広げ、クリスマスに欲しかったおもちゃが枕元に置かれていた時の子どものように目を輝かせている。
「ここまで私のことを分かってくれるなんて。本当に私と血の繋がった孫なのかもしれませんね」
「数然さん……?」
「心音さん、私と一緒に来ませんか」
「……一緒に?」
「最初の怪獣を蘇らせるため、私と一緒に頑張りましょう!」
「……っ!」
心音は驚いた。数然の提案にではない。彼女が不自然なくらい突然目を輝かせて喜んだことにでもない。最初の怪獣のためにという理由で彼女が差し伸べた手に、自分が手を伸ばしそうになっていたことにだ。
互いの指が触れそうなところで心音は動きを止めた。何故自分は易々と数然の手を取ろうとしていたのか。自分は目の前の存在に心を許していたというのか。
「今はまだ決められませんか」
「だって……怪獣なんか生き返らせたら危ないでしょ」
「あら。作子が作った怪獣たちは誰も殺していませんよ」
「先生が誰も殺さないよう作ったからです。レイベクターがそうとは限りませんよね」
「ですね」
「……」
否定しない。
「スウガク部の活動は、死ぬかもって思う時もあります。けど本当は先生とか先輩たちが守ってくれています」
「ええ。素敵な方々です」
「けどあなたは違う。あなたと一緒に行くのは、危ないのかもしれない」
「私の孫ならちゃんと甘やかしますよ」
「まだ信じられません」
言い放った直後から心音は胸の奥が削れるような感覚に見舞われた。信じられないと口に出してしまったことが、数然にそんな言葉を投げてしまったことが、生きることすらやめさせるかのような息苦しさを心音に張り付けていた。
「あの、数然さん」
「分かってます。嫌いにはなりませんよ」
数然が軽快な足取りで扉へ向かう。
「孫は甘やかすって言いましたからね。ちょっとのやんちゃくらい気にしません」
扉を開ける。心音に振り返る。
「また会いましょう」
数然が出ていった。
部室に1人取り残された心音。彼女がぼーっと数然が出ていった扉を眺めていると、空気を裂くようにある人物の喉から声が響いた。
「心音ちゃん!」
ツインテールの少女が血相を変えて心音に駆け寄る。
「……微さん? ディファレさん?」
意識がどこかから現実に引き戻されてゆく。次第に他の面々の声も心音の耳に飛び込んできた。
「な、何ですか今のは⁉︎ っ、縦軸!」
「成、大丈夫だった?」
「うん。ていりこそ大丈夫?」
「縦軸さん! ディファレさん! ご無事ですか」
「イデシメさん。うん、僕たちは平気」
「心音、皆も! 全く何だったのよ今のは」
「千歳、無事か」
「ええ。子どもたちも無事みたい」
「大丈夫? あいつに変なことされなかった?」
心音は肩を掴まれ詰め寄られた。
「いや、変なことって」
「ディファレ」
そんなディファレを縦軸が心音から引き剥がした。
「あいつはもういなくなった。大丈夫だよ」
「大丈夫? 兄さん本気で言ってるの? あいつは!」
「ディファレを殺すよう僕に命令した人。そうなんでしょ?」
「……っ」
心音は見た。ディファレの目に涙が滲んでいるのを。その元凶が恐怖なのか怒りなのか、心音には分からない。
「殺すよう命令? タテさん何を」
「あいつと一緒の時の兄さんは変だった。魔法が何かで洗脳されてたんだと思う」
早口だ。人に教える気なんて微塵も無い。階差がたまに似た喋り方をするのを心音は見たことがある。
「だから梶尾さんも同じことされてないか心配したんだね」
「うん。それにあいつが何もしてなかったとしても、ワタシを殺そうとした兄さんを止めようともしなかったのはおかしいでしょ? 絶対ワタシに殺意があった。人を殺すことを躊躇ってなかった。危険だよ」
「ディファレ……」
「なあ」
腹が立つくらいに生意気な声がした。心音はこの声をうんざりするくらい聞いたことがある。
「あ、環名」
「作子が『まだ話終わってないぞ』という顔をしている」
「え? あ」
環名を肩車し、子どものように拗ねた顔をする作子がいた。
心音は先程の数然との会話を全て話した。
黒板の前には再び作子が立っている。再びチョークを手に取って。
「はーい……ああ〜質問ある?」
「「「「「あるわボケェ!」」」」」
示し合わせたかのように声が重なった。
「『心音と縦軸と音と千歳と経太』と書いてツッコミ担当共、うっさい」
「誰のせいだと思ってるんすか!」
「お前が僕らにろくすっぽ説明しなかったせいだろ!」
「そうよ! いきなりあんな得体の知れない人連れてくるし!」
「気づいたら梶尾さんたち全員いなくなってるし!」
「そうだそうだ!」
「足並み揃ったツッコミの果てに経太君の言うことが無くなってるよ。誰から訊いちゃう?」
「はい! 梶尾心音! よろしくお願いします!」
運動会の応援並みに大きな声が出た。
「はい梶尾さん」
「何で私以外いなくなってたんすか!」
「数然さんの能力。全員幻覚で自分以外いないように思い込まされてた。次、縦軸」
「何であの数然って人がこっちにいるんだ! 向こうの世界にいた筈だろ!」
「あんた何回もあっちとこっちを行き来してたでしょ。その時あんたがうっかり数然さんを巻き込んで連れて来たの。あの人の能力はそういうこと起こせるから。次、十二乗さん」
「あの女の能力を教えて!」
「『都合のいい結果をもたらす』能力。名付けて〈チートスキル〉。ラスト、夫婦」
「「あいつ何者!」」
「最初の転生者ないし転移者。私も詳しくは知らない。はい質問タイムおしまい」
作子はチョークを置き、それからていりと成が使っていたソファへと突撃した。そして2人にぶつからないようにしつつ、豪快にソファへダイブした。
「疲れたー。しばらく適当にやっといて」
「にしても、何で私のばあちゃんと似てたんすかね」
「タイムトラベルかもしれないね」
「タテさん?」
縦軸が代わりに黒板の前に立った。と思ったらチョークは取らず心音の向かいの椅子にしれっと腰掛けた。
「君のお爺さんと出会う前の数然さんがタイムトラベルしてる。そう思ったら色々と納得しない? 君のお婆さんとそっくりなことも」
「確かに! うおおおタテさんすげー! ん?」
目を輝かせていた心音は一転して、奥歯に食べ物が挟まった時のような顔になった。
「でもタイムトラベルしたなんて話、ばあちゃんから聞いたこと無いっすよ」
「信じてもらえないと思って話してないか、そもそも忘れてるか」
「ばあちゃん全然ぼけてないっすけどね」
「私はぁ!」
身を縮めてソファに寝ていた作子が、何かのスイッチを押されたかのように起き上がった。
「怪獣リロードを終わらせたい。数然さんを止めたい」
「うおっ。いきなりっすね」
「確かに私は数然さんに味方した。ぶっちゃけ今でも多少なら手伝っていいかなって思ってる。けどレイベクターを蘇らせるのはやり過ぎだ! どう足掻いても生徒に危害が及ぶ! そんなのやだ!」
「先生……?」
今の作子が冗談を言っているのか真面目な話をしているのか、心音には理解することができなかった。
「さよならー。また明日ねー」
各々が部室を出ていく。一別階差は浮かない顔をしていた。
「帰り、遅くなっちゃったっすね」
「あー、うん」
日が暮れつつある外の景色にちらりを目をやり、心音は階差の手を取った。




