スウガクノート【7】
黒板の左上に『怪獣リロード対策会議』とよく目立つ字で書かれた。他人が読んでも分かるよう丁寧に書かれてはいるが、文字を書く時のチョークを押しつける音は普段の作子が受け持つ授業の時より大きく乱暴になっていた。
「先生! 質問があるっす!」
「ンいい質問ですねぇ梶尾さん。ァいいですかぁ、山という字は――」
「先生! まだ何も言ってないっす!」
「怪獣リロードって何、って訊きたいんでしょ?」
「その通りっすよタテさん」
作子は2人に背を向けて大きな『山』の字を静かに消していた。
「作子、説明」
「説明のために必要な前知識がある。まずはそっちから教えるよ」
「分かった」
「ま、その前に。4人とも入って」
部室のドアがゆっくりと開いた。入ってきたのは作子たちが帰りを待っていた微とイデシメ、そして彼らに連れられているような様子の2人の人物だった。
「初対面の人もいるから紹介しよう。この九ノ東学園で教師をしている堆積千歳さん、そして彼女の旦那で刑事の経太さんだ」
「うおっ、今日は人数多いな」
「なのにうちの生徒が2人しかいないんだけど……」
「皆さん、お待たせしました」
「えっへへ。皆お待たせー!」
「そいじゃ今度こそ揃ったところで――」
チョークが再び黒板を駆ける。
「私の昔話をしよう」
それから作子は過去の自分に起きたことを心音たちに語って聞かせた。彼女の前世を名乗る人格の出現、魔法によって決行された復讐、ていりと成との出会いで起きた謎の現象、そして異世界での自数然との邂逅。それらの話が正しければ作子は他人に記憶を植え付けることもできる筈なのに、彼女はあくまでも己の口で1つ1つを語って聞かせた。
「以上!」
「おのず……かずね」
「まあ言いたいことはいっぱいあるけどさ」
口を開いたのは音だった。
「三角! あんたのご両親ってあいつんとこで働いてたの⁉︎」
「そうだけど?」
「そうだけどって……えっと」
「気にしなくていいわよ。友達でしょ」
「ぐぅ……ありがとう」
音は左手で胸を押さえて右手で顔を覆いながら項垂れた。
「三角さん、よく記憶の違和感に気づいたっすね」
「私の性格であの記憶はあり得ないから」
「ん? でも先生の話だと記憶は性格に繋がってるって」
「ええ」
「で、三角さんは『こんな記憶じゃ私の性格にならねえだろ』って思ったんすよね」
「ええ」
「矛盾してないっすか?」
「というと?」
「三角さんの性格が元のままなら、その性格に合うように上手いこと記憶が書き換えられてたんすよね」
「そうね」
「じゃあさっき言ったみたいな違和感は出てこないんじゃ……」
「例えばあなたが美味しいカレーをお腹いっぱい食べたとして、あなたは嬉しく思ったとするわ」
「ああ、はい」
「別の日に学校に遅刻してしまって、次からはもっと早起きしようって学習したとするわ」
「えっと……はい」
「そういう経験の積み重ねが人を形作る。先生はその経験をいい感じに捏造するの。でももしそれが私らしくなかったとしたら?」
「三角さんらしくない……?」
「私はカレーを食べて喜ぶのか、1回遅刻した程度で反省するのか。過去の記憶とそれに基づく喜怒哀楽が私のものじゃなく思える、そんな感じの理屈で気づけたの」
「ほえ〜。つまり先生の捏造が下手だったんすね」
「ちなみに私は人並みにカレーが好きだし、万が一遅刻したなら次からは完璧に対策を打つわ」
「こりゃそこおおおおおおお!」
作子の絶叫が部室に響き渡った。脳内で全く別のことに気を取られていた階差はびくりと体を震わせて驚き、その他の面々は何かあったのかと他人事のような顔をしている。
「私を置いて長々と会話してんじゃねえよ! 話が逸れるやろが!」
「なんかすんませんっす」
「話を戻すよ。リンゴが落ちるのを見たガリレオは電球を」
「作子。怪獣リロードについて説明して」
「私らの周囲で起こっている謎の現象の名前だよ」
そう言いながら作子は黒板の上の天井からガラガラとスクリーンを降ろした。
「ごめん。準備手伝って」
数分後、作子のパソコンとそれに繋がれたプロジェクターが机の上に置かれ、黒板を覆うように降ろされたスクリーンにパソコンの画面が投影されていた。映像を伴う通話機能、いわゆるビデオ通話をする時の画面が映し出されている。
「ヘイ、カンナっち」
画面の向こう側には1人の少女。心音や階差よりも幼い、小学生の女の子がカメラを覗き込んでいた。何故か野球のバットを持っている。
『あー、あー、映像も音声も大丈夫か?』
「って、整数さん⁉︎」
『お前は……中等部の教師か。まあいい。作子』
「うん、いいよ。カメラ向けて」
ガサゴソという雑音と共にカメラの視界が移動した。その先にいたのは複数名の人間。作子と同世代の何名かが手足の自由を奪われた状態でカメラの方へ何かを訴えかける目を向けていた。
「おい待て! こいつら!」
「私の元クラスメイト。ご心配せずとも全員怪我無し病気無しで生きてるよ」
「わあ……皆さん老けましたね」
「やめて愛。せめて大人になったって表現して」
20代半ばは推定中学生程度の少女に苦虫を噛み潰したような顔をしつつも、怒りのあまり歯を食いしばる経太に淡々と言葉を続けた。
「言っとくけど変なこと考えんなよ。今警察に動かれたらめんどくさいから」
「ぐっ……全部終わったらぜってぇ逮捕してやる」
「せんせー」
会話を無理矢理途切れさせるように心音が手を挙げた。
「これどこっすか」
「灰谷家の地下室。表向きには存在しないことになってるっていうか、扉が無いから物理的には入れなくてそもそも存在に気づけないけど」
『魔法か能力で瞬間移動するしか行き来の方法は無い。つまり作子たちが結託すればわたしを監禁することも可能ということだ』
「怖いこと言わないでよ。僕たちがそんなことするわけ無いでしょ」
「タテさんが言うとなんか胡散臭いっすね」
「え?」
「向かって1番右の男性をご覧ください!」
作子の声を合図とするかのように、1番右に拘束されていた男が体を小刻みに震わせ始めた。
「ほらきた。そろそろだと思ったよ」
『う、ううう……』
男の口から呻き声が漏れる。監禁されていることを抜きにしても明らかに様子がおかしいと、映像を見ていた誰もが悟った。
『うああああああアああああ……ああああああ……』
粘土がこねくり回されるかのようだった。内側に骨があってある程度の形状が保たれている筈のヒトの肉体が、そんな動きをするとは到底思えなかった。しかし確かにそれは起こった。
「怪獣……だね」
そう呟いたのは縦軸だった。そして誰もがその言葉を咀嚼するために設けていたかのような静寂を破ったのは、作子の一言だった。
「カンナ」
『分かっている』
環名はさっきまで人間だった怪獣へと近寄り、握りしめていたバットを力の限り振った。
生き物の体が叩かれる音がする。怪獣は何も抵抗できない内に気を失い、怪獣になった時と同じようにヒトの姿へと戻っていった。
「お疲れ。戻っておいで」
『分かった』
環名がバットを放り投げる姿を最後に映像は途切れた。と、思ったら環名がいつの間に心音の隣にいた。
「環名ちゃんおかえりー!」
「うお。原前先生の魔法っすか」
「まあな。微、くっつくな。暑い」
「整数さん! さっきのは何? 危ないことは先生として」
「おかしいと思わない?」
機材一式を片付けながら作子が問いかけた。あまりにも漠然とした質問だ。当然心音たちはどう答えたらいいのか分からない。首を傾げる彼女らへヒントを与えるかのように、作子は1つの事実を告げた。
「私は今、何もしなかった」
「……は?」
経太が硬直する。千歳や心音も同じような反応をしている。さらに縦軸と愛まで似たように口がぽかんと開いていた。階差は途中で関係無いことを考えてしまって一定時間周りの声が聞こえていなかったためそもそも話についていけていない。
ほら驚いただろと言わんばかりにニヤリと笑顔を浮かべる作子に対し、最初に口を開いたのは千歳の方だった。
「ふざけないで! 怪獣を作っているのはあなたでしょう? 今まさにあの人は」
「私は確かに怪獣を作った。数然さんのオーダーに応えた。でも、それは最初だけだ」
「じゃああの人は何? 私たちが納得できる説明をしてくれるのよね」
「あくまで私の推測だけど、別の力が彼らが怪獣でなくなることを拒んでる」
スクリーンを片付けて再び露わになった黒板に、作子は怪獣らしき絵を描き始めた。心音に比べると上手くはない。
「私がどれだけ魔法で元に戻そうとしても、奴らは完全に人間に戻りはしない。必ずある程度の期間を空けてまた怪獣に戻る。魔法のせいじゃないことは調査済みだよ。つまり――」
「能力っすね」
心音の回答に対し作子は静かに頷いた。
「とはいえこんな好き勝手できる能力は限られてる。微と傾子さんは千里眼で、イデシメちゃんは特定の生き物とおしゃべり、私は痛覚の押し付け。つまり可能なのは」
作子が順番に指差していく。
「縦軸、愛、あとディファレだね」
「「待って待って待って待って!」」
「どうした? 縦軸は生まれ変わりや転移の際に能力を与えられるし、愛だって『能力を与える』能力があるでしょ。ディファレは他人の能力を借りられるし」
「僕は何もしてないって! 姉さんとディファレが何かしたって話も聞いてないし」
「そうです! 私は怪獣を作った覚えなんてありません。リリィも多分違います」
「ディファレちゃんも違うって言ってるよ」
「だろうね」
作子は一旦チョークを置いた。
「私と愛をいじめていたクラスメイトへ復讐するため、私は奴らを怪獣にしていた。それは事実だ。けど、もういいのよ」
笑顔だ。しかし嬉しいことがあった時のそれではなく、疲れた時や諦めた時の、そんな後ろ向きな笑顔をしている。
「もう散々ぶん殴ったし、いつまでもこんなこと続けてたってお腹空くし。部員の皆は勉強の時間減っちゃうし」
「ええ。私も仕返しは十分にさせてもらったと思っています」
「姉さんがいいなら僕はどうでもいいよ」
「つーわけで刑事さん、私ら何もしてないのよ」
「……」
経太は顔を顰めていた。
「あんた前に言ったよな。復讐のために怪獣を作ってるって。あの時に全部話さなかったのは何でだ?」
「最初にあいつらを怪獣に変えたのは私だし、いきなり全部説明しても信じないでしょ」
「……確かに」
「ということでここにいる能力者は全員無罪だ。けど容疑者はもう1体いる」
作子が黒板に描いた絵をチョークで指す。
「最初の怪獣だ」
「ちょい待ちいいいいいい!」
遮ったのは心音だった。
「最初の怪獣って大昔に倒されたんすよね? 先生さっき自分で言ったっすよね?」
「そうらしい。けど蘇ったんだと思う」
「蘇ったって……」
「最初の怪獣、原点怪獣レイベクターって呼ぼう」
黒板の絵の上に原点怪獣レイベクターと記された。
「考えてもみてよ。私らの能力は元々レイベクターが持ってたものが起源で、そっから世界中に散らばって色んな能力が生まれたんだよ」
「らしいっすね。ちょっとよく分かんないっすけど」
「縦軸の能力は何か知ってる?」
「タテさんの? 確か、『取り返しがつかない事象を取り返す』能力でしたよね」
「その通り」
縦軸が心音の言葉を肯定した。
「死人を生まれ変わらせたり、生きてる人を全く別の世界に瞬間移動させたり。終わった人生をやり直す、つまり『取り返しがつかない事象を取り返す』能力だ」
「レイベクターが元々縦軸の能力を持っていたとは限らない。けど可能性は0じゃない。さっきも言ったけど、私らの能力はレイベクターが倒されたことで向こうの世界に散らばったものが起源だ。生まれ変わりとか蘇りとか、レイベクターがそういう能力を持っていてもおかしくはない」
最初の怪獣が復活する可能性がある。作子が怪獣リロードとは何かを話すためにわざわざこの仮説を告げた理由を、察していたかに関係無く、心音たちは知ることになる。
「レイベクターが蘇ろうとして、異常現象を引き起こしている。コンピュータ上の画面を再度読み込んで復活させるが如くね。私はその異常現象とレイベクターの蘇りをひっくるめて、『怪獣リロード』と呼ぶことにした」
怪獣リロードの定義が黒板に書かれる。
チョークが仕事を終えて動きを止めると同時に、心音が挙手をした。
「先生。質問があります」
「どうぞ、梶尾さん」
「怪獣リロードが最初の怪獣が蘇ろうとしてるせいで起きてるって、どうして分かったんすか」
「いい質問だね」
作子がチョークを置く。
「その質問には彼女に答えてもらおう」
作子が入り口の方を見つめる。
「お入りください!」
引き戸が開く。
人が入ってくる。
綺麗な和服に身を包んだ、若い女性だった。
「初めまして、ですかね」
決して凶器の類は持っていない。暴れようとはしていない。しかし縦軸たちは何か理由があった訳でもないのに、彼女が危険だと察知した。
「作子、この人って……」
「ええ。自数然と申します」
「……!」
スウガク部の部室に緊張が走る。
「あーっ!」
それを打ち破ったのは心音だった。
「やっぱり! ばあちゃん!」
「……? ばあちゃん? 私がですか?」
数然は頭に「?」の記号を2、3個浮かべた。




