ハイドアンドプルーフ【5】
三角ていり――三谷の叔父である十二乗の元秘書の娘。姪の通う学園で起きた騒動を揉み消そうとした十二乗に彼女の父が反発し、クビになったと。お母さんの方も同じ会社で働いてたんだ。そっちも巻き添えか。
気がついたら目の前で彼女が血を流して倒れていた。何が起こったかノヴァに訊くも何故かだんまり。それでとりあえず彼女の記憶を探ったけど、あんまり楽しくない情報だった。
「ちょっと待ってて。治すから」
この子自身は私の復讐と無関係だ。それにもしあのクラスの誰かの関係者だったとしても、こんな小さな子を見殺しにするなんて流石にできない。
傷を癒すための魔法、いわゆる回復魔法は私には使えない。ノヴァが回復魔法の才能にだけは恵まれなかったからだ。だけど彼が得意とする記憶魔法なら、肉体を作り変えることだってできる。そいつを応用すれば怪我の治療だって可能な筈だ。
「やめて!」
ていりちゃんに触れようとした時、もう1人の少女が立ち塞がった。
今にも泣き出しそうだし、体は震えている。酷く怯えているんだと、無理をしているんだと嫌でも伝わった。
何故怯えている? 私を見ながら震えているということはまさか私に怯えているのか? この子が怖がるようなことを、私がしたのか。
いや、確かめている時間は無い。放っておくと後ろの彼女が死んでしまう。
「ごめん。どいて」
下手に邪魔をされるとまずいので魔法で動けなくした。気絶させた訳ではない。意識はちゃんとあるし、目も見えている。つまり今から私がていりちゃんを治すところも見ることができる。私を怖がらなくてもいいと分かってもらえるだろう。
ていりちゃんに近づく。そっと手をかざす。
「ふぅ。記憶ま――」
……は?
「え?」
あれ? 何で?
早く治さないといけないのに、何で?
何で私は魔法を使いたくないの?
体が言うことを聞かない。魔法を使おうと思っても脳が拒絶する。私が私の思い通りにならない。一体何なんだこれは。
「言うことを……き」
聞けと叫ぼうとした瞬間、無理矢理身体を動かそうとしたその瞬間、私の頭にそれは流れ込んできた。
「初めまして。――さん」
「虚君も共犯だったのね」
「復讐とかどうでもいいんです。それより私は」
「成! 死なないで! お願い! 嫌!」
「あなたを止めます。いえ、殺します」
「私の……勝ちです」
…………なに、いまの。記憶? 誰かの記憶が私に植え付けられた? ノヴァ? 何なの今の?
知らない女の人が見えた。目の前のていりって子にそっくりだった。この子のお姉さん? でもこの子の記憶では姉や従姉妹はいなかった筈。誰なんだ。
いや、今はそれよりこの子の治療を――
「……」
……ああ、そっか。分かった。この子なんだ。今見た光景は、あの女性はこの子だ。成長したらいずれ彼女になるんだ。
どうして未来の光景を私が覚えているのかなんて知らない。理由なんてどうでもいい。間違い無いんだ。
待てよ。だったら、この三角ていりって子があれになるなら、まずくないか?
そうだ。まずい。こいつを生かしちゃいけない。絶対悪いことが起きる。助けちゃダメだ!
いやいやいや、何を考えてるんだ私は。子どもを見殺しにしていい理由なんて無いだろ。絶対助けなきゃ。
よく考えろ。こいつを助けたら絶対酷い目に遭う。今殺すんだ! 早く!
ダメだ。助けなくちゃ。
殺せ! 早く! 早く!
「…………っ」
三角ていりの傷は綺麗さっぱり消えていた。まだ目を覚ましてはいないが、もう心配する必要は無いだろう。
「ほら、治したよ」
もう1人の子の拘束も解いた。記憶を読んだところ、この子の名前は平方成だということが分かった。さっき見た光景の中で、ていりちゃんは彼女の名前を呼んでいた。死なないでと叫んでいた。この子の未来は凡そ察しがつく。
それと成ちゃんの記憶から分かったことがもう1つ。ていりちゃんを殺そうとしたのはやっぱり私だった。2人が今いる公園で遊んでいたところに私が突然現れて、何の予兆も無しにていりちゃんの頭をハンマーで殴っていた。ハンマーは魔法でどこかからテレポートさせたのだとして、私は何故こんな真似をしたのか。いや、私じゃなくてやっぱりノヴァが犯人か。
あの爺何を考えて……いや待て。まさかさっきの『記憶』が原因か? あの記憶を見た後だと、何故かていりちゃんに対して強烈な、まるで命に関わるかのような恐怖を感じてしまう。今すぐ殺さなければと焦ってしまう。まあまあ落ち着いた今だって気を抜くと手足が震え出しそうなくらいだ。
そうだ。よく考えたらこのまま彼女を野放しにしていいのか? いつか『私』を殺しに来るヒトを放置? あり得ない。どうしても殺したくないというのなら、代わりの策を考えなければ。このヒトが2度と『私』に関わらなくなるように、『私』を狙うことが無いように。
私のこと、全部忘れさせなきゃ。
「待って!」
「……」
「ていりに触らないで!」
「……はあ」
邪魔だな。ていうかそうだ。たとえ私がていりちゃんの記憶を消したとしても、この子を放っておいたら何かの拍子に思い出させてしまうかもしれない。それ以前に『私』へ直接危害を加えに来るかもしれない。
「この子が心配? 手出さないで欲しい?」
私は三角ていりと平方成の、私に関する記憶を消した。そして2人が思い出すきっかけが生まれないよう、成の家が引っ越すように仕向けた。
今日は病院に来ていた。やっておかないといけない大事な仕事があるからだ。数然さんからの頼まれごとである。
(いる?)
「多分」
ノヴァとは相変わらず仲良くやっている。
2人の女の子の記憶を消したあの日、家に帰るとノヴァは何事も無かったかのようにまた姿を現した。例の記憶について訊ねたが、存在を知っているだけで詳しくは知らないと言われた。数然さんも特に何も教えてくれなかったようだ。
そしてていりちゃんを殺そうとした犯人はノヴァだった。本人が認めた。偶然彼女の姿を見かけたところで例の記憶が脳内に降って湧き、適当な場所から魔法で持ってきた凶器で犯行に及んだとか。突然私の意識が戻ったのは、ノヴァの方が自分のしたことが怖くなって引っ込んだかららしい。
自分勝手な言い訳だと思った。だけど責める気にもなれなかった。あの記憶がもたらす恐怖は私も知っている。きっと私だって同じことをしたし、実際私はていりちゃんを殺すことを考えた。そんな私が彼を叱る資格なんて無いし、言い返されるのが怖かった。
そういう訳で臆病者同士、仲良くやっている。
病院の待合室にて。不審に思われないよう辺りをこっそり見渡していたところ、ある父娘の姿が見えた。
(いた。あの子だ)
「了解」
今日の私のミッション。それはある人物の捜索だ。たった今見つけた。
積元微。8歳。能力者。
積元傾子。微の母。入院中。余命――あとほんの僅か。
微は前世持ちだ。厳密には私と同じく前世の人格が別にいて微本人は今世で発生したパターンだが、向こうの世界からの生まれ変わりなので能力もちゃんと持っている。
そして特筆すべき点が1つ。彼女の前世は、縦軸の前世の妹なのである。数然さんが彼ら兄妹の生まれ変わりを明言し、縦軸だけでなく妹の方も探すようにノヴァに命じていた。いずれ仲間となってもらうために。
(生かさず殺さず、だからね?)
うん。分かってる。
微の母親は重い病気を患っていて、今のままだと多分1ヶ月も生きられないと医者から言われているらしい。それを私の魔法で助ける。ただし完全には治さない。いつ死ぬか分からないくらいの状態をキープさせて微の不安を煽りつつ、縦軸と微が出会うまで持ち堪えてもらう。
数然さんによると、縦軸の前世は実の妹である微の前世を自らの手で殺したらしい。そんな彼が微のもう1人の人格に信じてもらえるように、彼が心優しい人物だと分かってもらえるように、縦軸に傾子さんを生まれ変わらせてもらう。なのでそれまでは死なないようにするのだ。
微と彼女の父が病院を後にしたのを確認すると、私は待合室の椅子から立ち上がった。彼女の記憶は読んである。病室の場所は、もう分かった。
月日は流れ、私は先生になった。鳩乃杜高校という所で英語を教えている。驚いたことに積元微の通う学校であり彼女が立ち上げた部活の顧問までやっているが、もちろん偶然ではない。彼女が中学生の頃から彼女の進路希望や成績を調べておいた結果だ。魔法で多少強引に採用してもらったとはいえ、教員免許を持ってるのは本当だし別にいいだろう。
しかしどうなっている? まさか縦軸の進学先と被るなんて。いや監視がしやすくて楽だから助かるんだけど、こんな偶然があり得るとは。
そして微の入学から1年。今年は縦軸が入学してくる年だ。彼は中学に上がるタイミングで引っ越してしまったので、彼にとって私の顔を見るのは久しぶりのことになる。
せっかくだから彼が飛び上がる程びっくりするような感動の再会を演出してやろう。そう思っていた。わざわざ同僚達の記憶を消し、入学式の時点ではあたかも原前作子という教師が在籍していないかのように見せかけた程だ。
だが私がそんなサプライズを計画している最中、とんでもない事件が起こった。縦軸のクラスメイトにあの少女が、三角ていりがいたのだ!
言っとくが私は何もしていない。監視は続けていたけど、どこの学校に進むかなんて大事な選択には全く関与していない。教師が子どもの進路を歪めるなんてできるか!
しかもていりちゃん、見た感じ縦軸と仲良さそうなんだけど。いや大丈夫だとは思うよ? あいつがお姉ちゃん以外にそういう意味で惹かれることは無いって、私が1番分かってるし……。
でも不安だ。記憶消したくせに異世界のことを嗅ぎ回ってるらしいし、成績を見た限りだとあの子は信じられないくらい賢い。私のことがバレないといいんだけど……。
「先生、何者ですか?」
「…………え?」
話があるって言うから誰も来なさそうな空き教室わざわざ探したけど、まさか恐れていたことが起こるとは。
「な、何を言ってるのかよくわかんないな〜。私はただの先生で」
「ずっと見てましたよね、私のこと」
「え、うそバレてたの」
「はい」
そんな一体どうやって? バレないようにカメラや盗聴器といった機械には頼らず、魔法だけで監視してたのに。
「魔法を使ってたからです」
「え?」
「魔法を使っていたから分かりやすかったんです。いつ見ていていつなら見ていないのか」
「……」
魔法だから、バレた? 確かにノヴァみたく魔法に精通した向こうの世界の住人なら分かったかもしれないけど、こっちの人間であるていりちゃんが見抜いた? 何で? 昔記憶を見た時は生まれ変わりっぽい様子は無かったのに。
「先生、どうして私を見てたんですか。あなたは何者なんですか」
「こっちだって訊きたいっての。何で私が魔法使ったのがわかったんだよ」
「調べたらいいじゃないですか。私の記憶を」
……まじで何者なんだよ君は。
作子の回想は多分次で終わると思います。




