ハイドアンドプルーフ【2】
私の前世は異世界の魔法使いらしい。しかもそんじょそこらの魔法使いよりずっとずっと優秀で、他の人には使えない記憶を操る魔法なんかも使えるらしい。何が何だか私には分からない。
「いや信じるよ? あんたの記憶丸ごとダウンロードしてもらった訳だし。記憶の通りにやってみたらな手から炎とか出せちゃったし。けどさあ」
「けど何?」
「なんつーかこう……極めてカオスなパニックでございます」
こいつの一生を覚えた者として断言するが、こいつの人生ちょっと波瀾万丈過ぎる。特に吸血鬼の女の子とその仲間たちに出くわした辺りから色々ありすぎだ。ライトノベル1本書けるレベルだろう。そんなものを流し込まれたのだから、私が混乱しているのはきっと自然なことに違いない。お気楽そうにぼけーっとしているこいつの方が変なんだ。絶対そうだ。
「こいつこいつって……オレにはノヴァっていうちゃんとした名前があるんだから」
「ノヴァねえ。じゃあすごい魔法使いのノヴァ様略して――」
「超新星爆発じゃねーか。一瞬で散れと?」
「ぶっちゃけとっとと散って欲しい」
「そんな……」
「だってうるさいし。後さあ」
「ん?」
「一々私の体乗っ取って話すのやめて」
側から見たら私が1人でぶつぶつと喋っているように見えるだろう。こいつは、ノヴァはさっきから私の体を乗っ取ってはわざわざ口に出して発言しているのだ。別に心の声でも会話できるっていうのに。
「だって作子が脳内で喋るの気持ち悪いって言うから」
「にしたって乙女の肉体を乗っ取る? ジジイに体取られるとかもっと気持ち悪いんだけど」
「誰がジジイだ。お兄さんだろ」
「てめえの享年忘れたのか! 思いっきりジジイだろ! ていうかお兄さんでも嫌だわ!」
あーもうほんとやだ。これから何をするにもこいつと一緒だなんて。24時間盗撮されてるようなもんじゃんか。
「安心しろ。見ちゃダメな所は目も耳も塞ぐから」
「それで安心できるのは私があんたを信頼してる場合だけなのよ」
「安心できるよう努力します」
おもしろい。だったらひとまず退散してもらおう。
どこに行ったらこいつ消せるかな。お寺? 神社? ウチって宗教とか入ってたっけ?
「消すのは無理だよ。それができるのは神様か怪獣だけだ」
怪獣? ああ、そういえば。
「あんたが前世で信仰してたんだっけ」
「そうとも言えるね。オレは怪獣のために働いてた」
「奥さん捨ててね」
「うるさい」
ぶっちゃけこいつの人生後半は全く共感も肯定もできなかった。自分のした実験で我が子を苦しめる呪いを生み出すわ、罪の意識に駆られたとはいえ奥さんや友達にも何も言わず逃げ出すわ。せめて子どもにかかった呪いを解いてから去るべきだったんじゃないか。
「それができれば苦労は無い」
「方法は無いんだったね」
「そう。だから怪獣に縋った」
怪獣には人智を超えた力があるらしい。こいつはその力に頼った。我が子の呪いを解いてくれるのではないかと。
「方法は無いって分かってたのに?」
「それを告げたのはオレの知り合いの能力だよ。つまり彼の能力と同等か、あるいはそれ以上の能力ならば彼の診断をひっくり返せるかもしれない」
それで怪獣か。確か全ての能力の始祖が怪獣なんだっけ。
「そう。まだオレたちの世界の誰も能力を持っていなかった頃、そんな時代にいた1匹の怪獣が全ての始まりなんだ」
彼が元いた世界ではほとんどの人々が不思議な力、すなわち能力を持っている。こちらの世界の住人みたいに何の能力も持っていない人間なんて、一生に1人知り合えるかどうかってレベルで珍しい存在だったとか。
そんな世界になった原因こそが、遥か昔に生きていた『最初の怪獣』だ。そいつは様々な能力を宿す神様にも等しい存在として畏れられていたが、ある日1人の人間――黒い鎧の魔法使いによって倒されてしまった。最初の怪獣が倒されたことでその内に宿っていた能力は世界中に飛び散り、人間やその他の生き物、一部の道具へと感染するかのように広がっていき、ノヴァのいた世界はこうして作り変わった。
中には能力を手にしたことで新たな種族が生まれたりしたこともあったという。吸血鬼なんかがその例だ。
「よくそんな昔のことが分かったね」
「泰平博物記に書いてた」
「何それ」
「色んな昔話が載ってる本。考古学的には全く信用されてないけど」
ああ、要するに事実と創作がごちゃ混ぜになってる類の本ね。どれが本当でどれが嘘か分からないから本そのものが当てにならない。こっちの世界にもあるよそういうの。国語とか社会の教科書に載ってる。
「まあ難しい話は取り敢えずこのくらいにしとこう。今大事なのは君のことだよ」
……。
「風呂はさっき入ったね。あ、覗いてないよ? ご飯よし、風呂よし、着替えよし。勉強は?」
「今日はいい」
「じゃあ後は寝るだけだね。明日は学校休むけど、それでも早起きはするんだよ」
「何で?」
「早起きするっていう課題をこなすんだ。起きて、着替えて、朝ご飯食べる。ちょっとした課題を1つずつこなしていくんだ」
「いらないってそんなの。ほっといてよ」
「ダメだ。お前はほっといて欲しいようで心のどこかでは誰かに救ってもらえることを期待してる」
「は?」
「だからオレが救うんだ。たとえ不正解だろうと救うことをやめない。何パターンも試して、作子がちゃんと救われる正解をいつかぶち抜いてやる」
急にどうしたのこいつ。そんなに私の世話焼いて。
「気持ち悪い」
「だろうね」
それだけ言い残すとノヴァは静かになった。2人分喋ったせいで私の喉はすっかり渇いてしまっており、心做しか痛みすら感じた気がした。
「……」
1階に降りて水を飲み、その後寝た。目覚まし時計はつけ忘れていた。
次の日、私はいつも通りの時間に目を覚ました。いつもの五月蝿いジリリリリという騒音は不在だった代わりに、自分以外の意思によって動く左手によって頬をつねられる痛みが早起きに貢献しやがった。起きるなり元凶を力の限りぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、生憎奴は私と一心同体だ。とても虚しい。
両親には今日は学校を休むと伝えた。2人とも理由は訊かず、二つ返事で了承してくれた。いつもなら私の体調が悪いかどうかを見定めてから判断を下していたところだが、今日の私は風邪と見間違えるくらいに顔色が悪かったのだろうか。
「ちょっと出かけてくる」
そう言うと酷く心配された。どこへ行くのかとしつこく訊かれ、終いには2人とも私についてくると言い出した。まあすぐご近所の何度も通った家に行くだけなので、それで外出を許してもらえるならと2人の言う通りにした。
道中、ノヴァは静かだった。下手に話しかけると私がうっかり声に出して答えてしまって両親に不審がられるのではと気を遣ったのだろうか。
いざ家に着いてチャイムを鳴らしたところ、ドアが開くまで普段より時間がかかった。そんな気がした。
私たちを出迎えた愛のご両親は笑顔を浮かべていた。私がこれまで遊びに来たり、愛の宿題を手伝いに来た時と同じだ。顔色が悪いことと笑顔が引き攣っていることを除けばだが。
縦軸――愛の弟に会いたいと言うと部屋にいると教えてくれた。2人の相手はうちの親に任せて、私は2階に向かう。
(愛さんのご両親、無理してたね)
縦軸はまだ生きてるからね。自分たちがあの子を支えてあげないとって、きっとそう思ってるんだろう。
(作子と一緒か)
「ほら着いたよ。縦軸、入っていい?」
ノックしても反応は無い。鍵は……開いてる。
「入るよ」
まるで泥棒でもするかのようにそっと入る。入るよと言ったくせに、気づかれたくないかのように足音をしのばせる。そこに触れてはいけない何かがありそうだったから。私が気安く関わることなど許されない、とても繊細な何かが潜んでいそうな気がしたから。
足を踏み入れつつ部屋を見渡すと、ベッドの上に小さな影を見つけた。今にも壊れてしまいそうな彼は壁側を向いて丸くなり、世界を拒むかのようにこちらへ背を向けていた。
「起きてる?」
問いかけるも返答は無い。
ベッドの端に座る。顔を覗き込む。
一応起きてた。だけどその瞳は空っぽだった。意識があるのかどうかも自信が無い。どこを見つめているのか分からない。
「触ってもいい……?」
またしても縦軸は答えない。
私は彼の髪に触れた。目にかかった髪を払いのけるかのようにそっと触れた。
黒い左目が姿を現す。深い黒だ。夜の空や海みたく、どこまでも深く広がっているかのようだ。もう片方の目は水色で、こちらは宝石と見間違えてしまいそうになる。
もっと近くで見たい。触れたい。そう思った。
顔をそっと近づけようとした。
(あの人の言う通りだね)
邪魔が入った。
(あのさあ……まあいいや。あの人って?)
(オレの記憶は見てるでしょ? あの人だよあの人。自数然さん)
ああそう言えば。こいつに怪獣のことを教えたのがその数然さんって人なんだっけ。
(彼女の言った通りだ。彼にはおそらく能力がある)
(は……?)
ノヴァの言葉を疑った。だけど私に植え付けられた彼の記憶を辿ったところ、能力の有り無しをざっくりと判別する方法が分かった。それを試してみたところ縦軸はクロだった。
能力を持つ者には魔力と呼ばれるエネルギーのようなものが宿っている。要するに能力を使うためのガソリンみたいなものだ。能力があるならば魔力がある。必要条件であって十分条件ではないからこれだけで確信できはしないが、縦軸が能力を持っている可能性はかなり高い。
(数然さんは言っていた。オレはやがて生まれ変わり、そして異なる世界を訪れるだろうと。そして――)
能力を持つ少年少女と出会うだろうと。
あの人は知っていたんだ。どうやったのかは知らないけど、この未来を言い当てていたんだ。
そして彼女の予言には続きがある。縦軸に宿った能力についてだ。縦軸の持つ力、それはノヴァのいた世界でも他に類を見ないとても珍しい力だ。おそらく唯一無二で、そしてあまりにも強大な力。最初の怪獣と同じくらい、いやそれ以上に世界の理をひっくり返してしまう能力。
(彼の能力は生まれ変わりの操作、延いては世界間における物質と魂の移動だ)
私はこの時希望を持った。地獄と化したこの世界に再び幸せを取り戻せるのではという希望を。
そして決意した。いつか叶うかもしれない縦軸の願いを、最高の形にしてあげようと。




