カイジュウリロード【1】
幕間的なものです。
暑い。後ろ髪が汗でまとまって、呆れるぐらい汚い水滴を首筋に沿って垂れ流している。乾いた布ならではのざらついた感触はもう、制服のどこにも見当たらない。
最近ずっとこんなだな。そう言えば7月か。いや、8月だったか。どっちでもいいや。
ああ、空が高い。痛いくらいに真っ青だ。
暑さのあまり遠くの地面がゆらゆらと不安定になっている。
その場所から確かに地続きで繋がってる筈の道のど真ん中で、彼女は惨たらしい姿を晒していた。
呼吸をするのも辛そうだ。さっきから変な声が出ている。そこら中に体液がぶちまけられている。本当に酷い。
「いやだ……いやだ」
分からないな。どうして拒む?
君は、死ぬことを選ぶのか。
……いや、ごめん。流石に今の質問は馬鹿だったね。理由なんて分かってる。死にたい訳じゃないんだよね。大事な人を喪うのが嫌なんだよね。大切な人を守りたくて、手にかけたくなくて、たまたまその結果として君が死んでしまうってだけ。僕だって知ってるよ。そこまで他人の気持ちが分からない人間じゃないから。
「殺さないで……嫌だ」
否定しないよ。するもんか。君の言葉が正しいと証明できるかは分からないけど、少なくとも間違ってるなんて証明は誰にもできない。
「助けて。ねえ」
さて、どうしたものか。
脳みそが思考の世界に意識を引っ張っていき、周りの世界がどんどん遠くになっていく。すぐ近くのどこかでやかましく音を立てる蝉が遥か彼方へ放り投げられ、両目から絶えず送られてきている筈の可視光の羅列が、そもそも視覚なんて概念は始めから存在しないと言わんばかりに影を潜めている。
考えて、考えて、記憶にある物を手当たり次第にひたすら振り回して。頼むから何か引っかかってくれと。まるで砂漠のど真ん中を無計画に掘り返しているようだ。
一別さんはいつもこんな風になっているんだろうな。
まずい。眠くなってきた。思考に沈みすぎたんだ。
重たい頭が地面に落ちていきそうになり、引っ張られた体がバランスを失って取り乱した。幸いにも足の非常識な挙動によって二足歩行は守られた。
「ちょっと虚! こんな時に体調不良とか言わないわよね」
「違えよ」
うっせえな。人が大事な大事な考え事をしてるって時に。
おかげで頭の中に置いてた物が全部吹っ飛んでしまった。まあ……特に得られる物も無かったし、問題無いか。
「心音。悪いけど私、あなたまで失いたくないの」
ああ、そんなことしたら。
「うああああああああああああああああああああ!」
言わんこっちゃない。死にかけだろうと残りの命全部使って抵抗してくるに決まってるだろ。
「うっ、心音! 大人しくしろ!」
「ああああっ! ああああああああああああ!」
「ああもう! 虚! ぼうっとしてないで助けろ!」
「……」
「虚!」
……歌が聞こえた気がした。
今の状況を描いた、ギターがガチャガチャとやかましい歌が。
酷い歌詞だ。この惨憺たる様をどうしてそんなに詳しく書けるんだろう。なんでわざわざサビで強調して歌い上げるんだろう。
いやいや、落ち着け。この場で歌なんて流れていない。きっと幻聴だ。そうだろう?
「……」
あれ、何だろう。何か思いつきそうな気がする。
違う。思い出しそうな気がするんだ。
いやそれも違う。覚えそうな気がするんだ!
「虚! 返事しろゴラァ!」
そうか。そうなんだ。助けないといけない。助けられるんだ。
僕ならできる。今覚えた。
ねえ梶尾さん。喜んで。僕、助けられるんだよ。
「ああああああ! 嫌だ……嫌だああああああ」
あはは。すごいね。
うん。本当にすごい。
君は間違い無くヒーローだ。
けれど僕は、そんな君が――大っ嫌いだ。




