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転生遺族の循環論法  作者: はたたがみ
第2章 スウガク部編
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ゲンカクエンカウンター【7】

 イデシメと名乗った少女は心音を軽々と背負い、まるで野良猫か何かのように辺りの石垣を足場にしながら近くの民家の屋根に飛び移った。

「え? ええええええっ⁉︎」

 背負われている状態故、心音は思わず彼女の耳元で叫んでしまった。しかしイデシメは意に介することも無く、ひたすら屋根から屋根へと軽快に駆け回っていた。

「名前は何ていうが?」

「名前? あ、今? 自分、梶尾(かじお)心音(ここね)っす」

「じゃあ心音さん」

「はいっ!」

「それ、心音さんの足でね?」

「へ?」

 イデシメが視線をやった先を振り返る。驚いたことに先程怪獣に噛みちぎられて捨てられた心音の片足が、心音たちを追いかけるかのように浮遊していた。

「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!!」

「大丈夫。糸を巻きつけて引っ張りゆうだけやき」

「い、糸?」

 イデシメの言葉で冷静さを取り敢えず取り戻し、心音は恐る恐る浮遊する自分の足に再び目をやった。趣味兼特技である絵のために物の隅々まで見て覚えることを心掛けているおかげか、心音の動体視力や観察眼はかなり優れている。だから見ることができた。浮かぶ足と自分たちとの間に、太陽の光を受けて微かに反射する細い糸を。

「本当だ……。いやでも何で浮いてるんすか? 糸で引っ張ってるからって普通浮いたりしないっすよね? 地面をズザーっていくっすよね?」

「その糸、私の意思で自由に操ることができるがよ」

「何すかそれ。超能力か何かっすか」

「うん」

「うん⁉︎」

 心音はとても驚いた。しかし同時に信じることもできた。怪獣に襲われた上に目の前で部活の先輩が手品のように消失したせいで、多少突飛なことでも信じられるぐらいに常識のラインが緩くなってしまったらしい。

「あ、ちなみに怪我しちょったところの止血も糸使って済ませちゅうき」

「うそ……ほんとだ。いつの間に」

「後はあの怪獣をどうするかやね」

「あ、確かに。ってうわあああ!!!」

 怪獣は心音たちを追ってきていた。流石に屋根まで登ってはこないが、かといって振り切れる様子も無い。

「どうするんすかあれ!」

「ちょっと待って。顧問の先生に連絡する」

「あ、はい」

 糸がイデシメのポケットへシュルシュルと入り込み、器用に携帯電話を取り出して見せた。しかもそれを糸の端が指の様に慣れた手つきで操作し、あっという間に連絡を完了させてしまった。ほとんど彼女の腕も同然だ。

「……やっぱり」

「どうしたんすか?」

「うちの部で1番強い人が今迷子になっちゅうがよ。先生に訊いたらまだ見つかってないって返信が」

「大丈夫なんすかそれ」

「いざって時は私が頑張るき大丈夫」

「大丈夫なんだ」

「でもあの人がおった方が楽ながよ」

 イデシメは勝てるかどうかではなく、どうすれば楽に倒せるかの話をしていた。つまり怪獣を倒すこと自体は特に心配する必要も無いということだ。

「心音さんも見ちょらん? ツインテールで背が低くて、それとすごい力持ちで足が速い人ながやけど」

「すごく足が速い?」

 その一言で心音はあっさりと思い出した。何故なら彼女はイデシメが探していると思われる人物と、2日前実際に遭遇しているのだから。

「もしかしてセキモト先輩って人っすか?」

「そう! 積元(せきもと)(かすか)さん!」

「やっぱり! 私その人に会ったっす!」

「いつ?」

「一昨日!」

「一昨日かあ……」

 別に心音に対して嫌そうな顔をした訳でも露骨にため息を吐いた訳でもない。だが見るからにぬか喜びをさせてしまったということぐらいは容易に分かる雰囲気だった。

「なんかすんませんっす……」

「ううん。心音さんが気にすることやないき。それにあの人、車に轢かれたりお腹を刺されたりしても平気なくらいには頑丈やき、私らぁが心配することは無いろう」

「その人本当に人間っすか?」

「うん。あの人()

 まるで人間ではない人物を知っている様な言い方だ。果たして意図的に仄めかしたのか、それとも思わず口が滑ってしまったのか。心音は何か手がかりが無いかとイデシメの顔色を窺ったが、結局何も得られなかった。無表情でもなく不謹慎な程の笑顔でもなく、自然体としか表せないような中途半端と特徴づけることもできない顔だった。

 できることならイデシメが示唆した存在について詳しく知りたい心音だったが、それは今じゃなくていいと疑問を頭の隅に追いやった。




「なるほどなるほど。確かに怪獣が今いるのは山や森じゃなく市街地。太陽光を反射させるにはもってこいだね」

 階差の説明はとても褒められたものではなかった。辿々しく、時系列が前後し、おまけに声が小さくて早口だった。しかし作子はそんな彼女の説明を1回で理解したらしく、その内容を全面的に受け入れていた。もしかすると少しでも指摘をしたり何かを確認するために聞き返したりすることが、人見知りで教師という存在にトラウマを抱いている階差には耐えられないであろうことを、彼女の事情を知らないながらも何となく察したのかもしれない。

 階差はとても安堵した。そもそも人に自分で自分の考えを話すことが、特に計算式のような答えがただ1つに決まったものでなく独創性の高い回答を伝えることが、あまりにも怖くて仕方なかったからだ。中等部に入って以来やることなすこと全て嗤われてきた結果かもしれない。自分の気持ちを伝えるという行為は、最も言葉と嘲笑の襲撃を受ける危険性が高い部類に入る。同じスポーツや楽器、ゲームを続けていればいつの間にか最適な行動が身についていくように、階差は個性やらかけがえのない思い出を得るチャンスやらを犠牲にしてリスクの低い行動をとるようになっていた。

「いいよ。それで行こう」

 勇気を振り絞って言葉を紡いだ後は大抵、解放感と、恐怖と、何も起きないようにという祈りが混ざった気持ちの悪い時間が訪れる。それは勇気を振り絞った後が100パーセント安全とは言い切れないからだ。

 以前「自分の何かしらの主張を作文にして発表する」という授業を受けさせられたことがあった。まだ心音と知り合っていなかったこともあって今より正気が保てていなかった階差は、自分が今まさに所属しているクラスでいじめられていることを発表した。どんないじめを受けたかをざっくりと述べ、最後には『自分が学んだこと』や『これから心がけていきたいこと』を添えて締め括った。黒板の前での発表を終えて自分の席に戻ろうとした際、1人の生徒が


「なあ、これいじめか?」


と訊いてきたことは今でも覚えている。作文の中で犯人たちの名前を晒したかは覚えていない。

「一別さん?」

「え……あ、はい」

「やっぱりすごい集中力。一別さん、君の作戦でいこう」

「あ、はい」

「じゃあ現地に戻るから、荷物まとめて」

 階差はノートや教科書をリュックにしまう際、どの順番で並べるかをいつも同じにしている。しかし作子からもらったノートが何番目の位置かは当然決まっていないため、ノートをリュックにしまおうとして一瞬硬直した。彼女が良くも悪くも何も考えずに行動できる人間でなければ、もう少しで作子が心配して声をかけていたことだろう。

 立ち上がった直後、机と椅子が消失。

「行くよ」

 ほんの一瞬、眩しいような気がして、景色が変わる。

 この時ようやく、階差は自分の置かれている状況が異常だということを思い出した。つまり彼女は今まで、自分の置かれている状況のおかしさについて何も考えていなかったということだ。

 まるで頭が回らない。一別階差はそういう人間だ。




「おーい。起きろー」

「ココちゃーん、起きてー」

 心音は目を覚ました。と同時に、自分がいつの間にやら意識を失っていたことに気づいた。幼馴染たちが大して心配してなさそうな様子で心音の顔を覗き込んでいる。

「うーん……うーん?」

 日の光が差し込んでくる。天井は無い。目に飛び込んできたのは晴天だ。背中からは布団やソファのような柔らかくて心地よい感触は一切感じられない。その固さは、一切視覚に頼らず自分が地面に寝かせられていたと察するという偉業を心音に成し遂げさせた。

 むくりと上体を起こし、頭を掻きむしり、本調子には程遠い脳を必死に働かせながら訊ねる。

「何の……状況っすか」

「さあな」

「ごめんなさい。わたしにも何が何だか」

「うぅ」

 ひとまずこんな道端で寝ていては通行の邪魔になるという常識が寝起きの頭でも何とか機能し(単に制服が汚れるのが嫌だったからかもしれない)、心音は酔っ払いのようにフラフラとしながらも立ち上がった。さも当然のように、2()()()()立っていた。

「あ?」

 脳みそを覆っていたモヤがブラックホールにでも吸い込まれて消えていくかのような感覚だった。

「嘘……何で?」

 足がある。左右セットで生えている。怪獣に噛みちぎられたあの光景が、まるで心音の見ている夢だったとでも言うかのようだ。

 実際心音はこの時、一連の出来事が全て夢だったのではとかなり本気で疑った。当然だ。怪獣などという特撮番組の中の存在と通学路で出くわして追いかけられたなど、とても現実とは考えられない。きっと片足を失ったのも、イデシメと名乗る不思議な少女に出会ったのも、全て眠っている間に自分の頭の中で起きたに過ぎないのだろう。それが自然だ。

「そうっすよね。全部夢だったんすよ」

「じゃあお前何で道端で寝てんだよ」

「あ」

 失った筈の足が治っているという事実や怪獣に追いかけ回された体験の衝撃に引っ張られ、すっかり頭の中から抜け落ちていた。ヨータローの言う通り、何故か通学路と思わしき道で寝ていたことも、今の心音の置かれている状況のもう1つの不可能な点だ。

 道の途中で寝ないという常識が心音にある以上、彼女が寝ていた原因は彼女の意図しないものにあると思われる。

 しかし心音は病気の類で突然意識を失ったことなど無く、彼女の頭部に傷などは見当たらないことから殴られて無理矢理気絶させられた訳でもないと思われる。となると睡眠薬か? いやそれも違う。仮にどこかの悪党が彼女を薬で眠らせたとするなら、道端に放置して逃げ去る説明がつかない。もしそのようなことがあるとすれば、それはたまたま警察が居合わせたので拉致を諦めた場合くらいだ。ちなみに今警察は見当たらない。

 ここまで思考したところで、突然背後から声がした。

「あ、起きたかえ」

 その声は否定した。心音が先程ただの夢だと結論づけた現象について、夢ではないと否定した。

 恐る恐る、振り返る。衝撃的な何かがそこにあるかもしれないと身構えて、けれどどうせびっくりしてしまうと覚悟して、180度振り返る。

「結構早ように起きたね。1時間くらいは寝るかと思いよったけど」

 激しい運動をした後のように汗をかいて髪を乱している。そして彼女の後ろには、夢で見たに過ぎないと思っていた怪獣そのものが倒れていた。

 ついでにイデシメ以外にも2人の人物がいた。

「……まじすか」

「逃げゆう途中で私があんまり激しく動いてしもうたき、心音さんびっくりして気絶したがよ」

「あー、そうなんすね」

「足はどう? 私らぁで治してみたけど」

「いやもうおかげさまでぜっこーちょーっす」

「よかった。怪獣はもうやっつけたき」

「みたいっすね」

「えっへん! 私がやっつけました」

 イデシメ以外の内1人は、この間心音が遭遇した人物だ。イデシメが探していた人物でもある。髪をツインテールにまとめ、九ノ東学園の物ではない制服を身に纏った人物。セキモト先輩だ。イデシメは積元(せきもと)(かすか)と呼んでいた。

 だが心音としては彼女よりも、もう1人の方が気になった。

「お前がとどめをさせたのはわたしとイデシメが頑張ったからだろう」

「うん! 2人ともありがとうね」

「いえ。大したことはしていません」

「いやいやいやちょっと!」

 無愛想な目つきと口調。九ノ東学園小等部の制服。心音もよく知る人物だった。

 心音が9歳の頃、彼女がススキとヨータローに出会う直前、彼女の従姉妹は失踪した。そして最後に目撃されてから1週間が経ったある日――従姉妹はしれっとした顔で帰ってきた。今でも心音と仲良くしてくれている。

 そんな従姉妹のカンナが何故か、イデシメや微と一緒にいた。

「何であんたがいるんすか」

「わたしもこいつらと同じだからだ」

「同じ?」

「ああ。こいつらと同じ、スウガク部の部員だ」

「すうがくぶ……?」

 そういえばイデシメがそのような名前の部活に属していると名乗っていたと、心音は思い出した。

「Hey! みんなお待たせ! 助けに来たよ!」

「遅い。もう終わった」

「ホワッツ⁉︎」

「部長! いや隣の人誰っすか?」

 まるで瞬間移動でもしたかのように階差が突然現れた。隣には見知らぬ大人の女性がいる。肌は褐色で当たり障りない清楚な服装、年齢は20代といったところだ。階差は彼女の後ろに半ば隠れるようにしながら戸惑いを隠しきれていない表情で縮こまっている。

「そっか、倒せちゃったか。オッケーオッケー。じゃあ後はやっとくから学園に戻りな」

「部長、大丈夫だったっすか?」

「あ、うん!」

「ねえねえ、みんなで部室まで競争しない?」

「お前また迷子になるだろ」

「そうですよ。それにそちらの2人を案内しないと。せっかくのスウガク部新入部員なんですから」

「新入部員⁉︎ 私と部長が?」

 イデシメはさも当たり前かのように心音と階差をスウガク部とやらに加入させていた。

「その通りだよ癖っ毛ちゃん。あ、梶尾さんだったね。これからよろしく」

「さ、さいですか」

 心音は反論することもできず、階差は誰かに話しかけるタイミングを見極められないでいた。

 まるで空想のような事実の話。これが梶尾心音とスウガク部の遭遇(エンカウンター)であり、彼女が幻覚を失うきっかけとなった物語である。

今更ですけど、心音と階差の名前の由来は

梶尾心音→カージオイド(心臓形)

一別階差→階差数列

となっております。

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