観測少女の修学旅行10
「みんなーお土産買ってきたよー!」
修学旅行から帰って来て最初の登校日、微はHRが始まる前の自分の教室にて十彩町で買った菓子を縦軸たちに配っていた。縦軸たちは簡単に感謝の言葉を伝えつつも、彼女の様子に困惑の表情を浮かべていた。
「あの、先輩」
「何でそんな平気そうなのよ」
音が縦軸の言葉を遮り、苛立ちを含んだような声で訊ねた。
「平方が行方不明になったのよ。私そんな気遣いできるキャラじゃないけど、先輩が落ち着いていられる訳が無いって事ぐらいは分かるから」
「ん? 成ちゃんのことなら大丈夫だよ」
「いや確かに先生と生徒会が警察に相談してくれてるけどでも」
「居場所ならワタシが知ってるから」
見かけで判別することは不可能だが、微が本来持ち得ない何か――強いて言うなら雰囲気だろうか――がその正体を告げていた。縦軸と音は動揺のあまり言葉を失った。彼女については修学旅行中の成からていり伝てに聞いていたが、実際に会うのは初めてだった上にあまりにも唐突な出現だったからだ。
1人だけ表情ひとつ変わっていなかったていりが口を開いた。
「賢い方の先輩、ですね?」
「そうだよ。よろしくね」
「居場所を知ってるというのはどういうことですか」
「そのままの意味だよ。行方をくらます直前に彼女の意図は大体聞いてる。微にも伝えてあるから心配はいらないよ」
いくつもの疑問が縦軸と音の脳内に浮上したままだったが、成がどうやら無事らしいと示唆する文脈は彼らに安堵をもたらした。
賢い方が穏やかな笑顔を向ける。
「ところで敬語はやめてもらえないかな。変な感じがする」
ていりは相変わらず淡々と問いかける。
「虚君とタメ口で話せるような間柄だったから?」
「流石。たまに微に勉強教えてくれてるだけあるね」
「どういうことなの三角さん?」
ていりと賢い方のやり取りに困惑した縦軸が割って入った。ていりは縦軸の質問こそ訳が分からないといった具合に首を傾げ、音はやはりそういうことかと言わんばかりにため息を吐いた。
「もう鈍いなー」
足を組み頬杖をつき、縦軸を見上げながら揶揄うような口調で賢い方が答えを告げる。
「ワタシ、あなたの妹なんだよ」
悪戯めいた眼差しが己の視線を捉えて離さない中、縦軸は彼女の言葉を必死に咀嚼していた。単語の1つ1つは分かる。それらが連なった文の意味も理解できる。しかしそれ故に何故自分がそのような言葉を言われているのかがどうしても分からなかった。
「は? え、いや…………は? え? ん?」
「ちょっと動揺しすぎ。ていりちゃん解説」
「虚君、つまりあなたと積元先輩は愛さんや傾子さんみたいに1度生まれ変わっているということよ。おそらく彼女たちとは逆に異世界から地球へとね」
「僕が……転生者?」
縦軸はようやく賢い方の明かした内容を飲み込みつつあった。
「おそらく賢い方の先輩は前世から引き継がれた人格で、普段の積元先輩は今世で新しく生まれた人格ね。物語でいうところの『憑依』に近いかしら」
「そんな感じだね。まあ元々微の人格だけで『積元微』が存在してそこにワタシが後から取り憑いたというより、ワタシと新しく生まれた微の人格が両方ともいる状態で『積元微』という人間が生まれたという方が近いけど」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「敬語やだ」
「えっと、待って」
「うん。何?」
縦軸は宙を見つめて視覚からもたらされる意味のある情報をできる限り減らしつつ、何とか言いたいことを頭の中でまとめていた。
「先輩が、僕の……妹?」
「そう。ワタシだけで微は違うけどね」
「僕と先輩は転生者?」
「そうだよ。何か思い出した?」
「全然分からない」
「えー」
賢い方が不満そうな表情を見せる。
「いやだって、先輩の方が歳上だし」
「前世と今は関係無いでしょ。前世じゃそっちがお兄ちゃんでワタシは妹だったってだけだよ」
「そうか確かに。うーんでもやっぱりちょっと信じられないかも。いきなり自分が転生者とか言われても実感湧かないし」
「は、嘘でしょ?」
音の発した言葉だった。
「え、十二乗信じるの?」
「信じるっていうか、魔力だのスキルだの持ってる人間がこっちで急に生えてくるって方が信じられないでしょ。こっちからあっちへの異世界転生があるんだから逆があるって言われても何を今更って感じだし」
7歳の頃から〈転生師〉を持っていた縦軸とは違った一般人らしいならではの視点だった。
「まあ確かに一理あるけど……でも僕と先輩が妹とか流石にびっくりするでしょ?」
「他のびっくり要素が多すぎてあんまり気にならないのよ」
「えっ」
「私みたいなフツーの人にしてみればですね虚さん、死んだ人を生まれ変わらせることができる人とか異世界の景色見せることができる人とかの時点で十分驚くに足りるワケですよ。実際私、ここ1年で1番びっくりしたの先輩が初めて〈天文台〉使ってきた時だし」
音は縦軸たちと出会って間もない頃の出来事を交えながら縦軸に説明してみせた。
「そんなびっくり人間たちが実は赤の他人ではなく兄妹なんですって言われてもさ。ぶっちゃけあんたらがスキルとか持ってないただの一般人だった方が兄妹設定の衝撃でかいわよ」
「設定言うなよ」
「設定言わないでよ」
「息ぴったりね」
音の一言で気まずくなった縦軸は何も言えず微の方を見た。賢い方の微も何かを言おうとしている様子だったが、何故か縦軸同様言葉を発する気配は無かった。
これが賢い方がまたしばらく縦軸たちの前に姿を現さなくなる前の、唯一にして最後のやり取りだった。
昼休み。いつもは民間伝承研究部の部室で縦軸たちと一緒に昼食を食べているていりだったが、今日は1人で屋上に来ていた。珍しく自分で作った弁当に手をつける素振りも見せないまま、真冬の屋外を吹き抜ける容赦無い北風すらどうでもいいかのような虚ろな目でたまたま視線の先にあっただけのグラウンドを眺めていた。
両耳にはイヤホンを嵌められ、そのコードが繋げられた携帯電話からは数日前に彼女の元へ送られてきた音声が繰り返し再生され続けていた。
『お姉様……ううん。ていり、ごめんなさい。私、ずっと忘れてた』
ていりを含め聞いた者全ての記憶に可愛らしいと刻みつけられるであろう声が涙を堪えた様子で必死に言葉を紡いでいた。
『ていりのことも、全部、思い出した。ていり、ごめんなさい。勝手にいなくなって……ほんとにごめんなさい』
「……悪いのは私だよ。全部分かってて、あなたに命令したんだから」
修学旅行中に成が1度微の前から姿を消した際、「彼女のもう1つの人格が表に出てくる程微が強いショックを受けたようなので合流しようと思う」という成からの連絡を聞いてていりは喜んだ。それをたった今思い出し、ていりは自分のことを酷く憎んだ。




