第13話 真冬の大冒険
「さむ……」
冬の風に吹かれながら、綾音さんの後ろをつけていく。方角から察するに、街中に向かって歩いているらしい。仕事の用事で出かける、とは言っていたけど。ミステリー作家の用事なんて見当もつかないな。
「やべっ」
綾音さんが横断歩道の前で止まったので、近くの電柱の陰に隠れる。俺のやってることはどう見たってストーカーか何かなんだけど……綾音さんだって俺の住所を特定したわけだし。お互い様ってことだな。
それにしても、綾音さんが徒歩で移動してくれて助かったな。バスやら車やらに乗られていたら追うのは難しかっただろうし。「前のタクシーを追ってくれ!」なんてやらずに済んで助かった。
「おっと」
いつの間にか信号が青になっていて、綾音さんが先に進んでいた。俺は慌てて後を追いかけていく。人を尾行するのって大変だなあ。というか、これじゃあ俺の方がミステリ作家みたいじゃんか……。
不思議な気持ちを抱きつつ、俺は綾音さんを追い続けたのだった。
***
予想通り、綾音さんは中心部のアーケード街に入った。師走の週末ということもあって人通りが多いが、今の状況ではむしろその方が好ましい。綾音さんが俺の尾行に気づきにくくなるからな。
「ん?」
その時、綾音さんが誰かに話しかけられていることに気がついた。俺は近くの柱の陰に身を隠して、そっと様子を窺う。身長の高い男が数人ってとこか。見たところ知り合いではないみたいだ。
「えっと、その……!」
綾音さんは困った様子で身振り手振りをしている。一方で、男たちの方はずうっと何かを喋り続けていた。なんだろう、どうしたのかな。もしかして……絡まれてるのか!?
人通りも多いし、手荒な真似はされないと思うけど……危険な目に遭わないか心配だ。たびたび奇行があるせいで忘れていたけど、本来の綾音さんは綺麗でお洒落な大人の女性なんだもんな。
「うーん……」
どうしたものか。飛び出して行って助けてあげた方がいい気がするけど、それだと尾行していたことがバレてしまう。お互い様……とは言うものの、こっそりつけられていたことを知られれば不快な思いをさせてしまうかもしれない。ひとまず、もう一回様子を――
「……ん?」
よく見ると、綾音さんはあちこちを指さして何かを話しているようだった。いったい何があったのかと思い、耳を澄ましてみる。
「あー……ぜ、ぜあいずざしてぃほーる! ごーすとれいと!」
「Oh, I see」
もしかして……英語で道案内してるだけ? 遠目でよく分からなかったけど、男の方はみんな大きいリュックサックを背負ってるし。バックパッカーかな?
「そー……してぃほーる……ら、らいとたーん! ざっといず……ぷりふぇくちゃー……あー、えー……」
綾音さんはどうにか英語を紡ぎ出して、必死に意図を伝えようとしていたけど……言葉に詰まってしまった。「県庁」の英語が思い出せないみたいだ。たぶんprefectural officeなんだけど――
「い、いえす! ぷりふぇくちゃーばたふらいっ!」
「prefecture butterfly!?」
あまりに予想外の言葉に、思わず声が出てしまった。な、なぜよりによって「庁」の訳語に「蝶」を選んだんですか……。流石のバックパッカーたちも困惑してるはずだよな。
「……OK! Thank you! Thank you so much!」
「伝わるの!?」
またしても一人で叫んでしまう俺。半ば呆然としていると、男たちは笑顔で手を振って離れていく。よかった、何もなくて――
「Thank you, pretty student girl!」
「えっ、私そう見えてますか!? うれし~!!」
「!?」
綾音さんのテンションが目に見えて上がった!? 遠目に見て分かるくらいにめちゃくちゃ浮かれてる!! もはや物理的に何ミリか浮いてそう! ドラ〇もんみたいに!!
「~♪」
スキップするかのように、軽やかな足取りで再び歩き出す綾音さん。そうだ、本来の目的をすっかり忘れていた。しっかりついていかないと。
忙しなく動き回る街中を、そろりそろりと進んでいった俺であった。
***
「いらっしゃいませー」
「……」
レジに立つ店員からの挨拶に、無言で頷き返す。店内は雑誌や書籍を立ち読みする客で溢れかえっており、通路を歩くのが難しいほど。そう、綾音さんを追ってたどり着いた先は――書店だったのだ。
「どこかな……」
俺はきょろきょろと周囲を見回す。この店に入ったところまではたしかに見たんだけど、どこの棚に行ったのかはさっぱり分からない。迂闊に歩き回れば向こうに気づかれてしまうし……弱ったな。
にしても、綾音さんはどうしてここに来たんだろう。もしかして何かの資料を買いに来たのかな。だとしたら、既に買い終えて店を出て行ってしまったかもしれない。さて、どうしたものか――
「!」
その時、綾音さんがすぐ近くの棚を物色していることに気がついた。慌てて別の棚に身を隠して、そっと様子を窺う。何の本を探しているんだろう?
「小説……」
貼ってあった案内書きを見て、思わず小声で呟いてしまう。まだミステリー作家だと決まったわけじゃないけど、仮にそうだとしたら。……もしかして、自分の小説の売れ行きを確かめに来たのかな。
綾音さんは本棚をくまなく見渡したあと、平積みの山からある一冊を手に取った。それがもともとあった場所を指さし、何かを数えて……がっかりしたようにため息をつく。
「はあ……」
あんなに暗い表情、普段の綾音さんからは想像も出来ない。さっきまであんなに浮かれていたのが嘘みたいだ。売れ行きがあまり芳しくないのだろうか。
「おっと」
綾音さんは本を元に戻し、向こうへ歩いていってしまった。ここの書店は裏にも出口があるから、そっちから帰るつもりなんだろうな。綾音さんが視界から消えたのを確認して……と。
俺は素早く移動して、さっき綾音さんが見ていた本棚の前にやってきた。どこらへんの本だったかなあ。ペンネームもタイトルも分からないけど、平積みされていたうちのどれかだもんな。
「うーん……」
しかしなあ、どうして綾音さんは自分の職業を隠したがっていたんだろう。ミステリー作家なんて誰でもなれるものじゃないし、カッコいいと思うのに。
「……ん?」
ふと、とある一冊に目を引かれる。なぜだか分からないけど、なんとなく綾音さんの雰囲気を感じたのだ。ペンネームは――「袖崎綾音」だって……?
「!」
慌ててその本を手に取る。ミステリーも結構出版しているレーベルの文庫本だ。そうか、これが綾音さんの書いた本だったんだ!
「へえー……」
どんな本なのかと思い、裏返してみる。やっぱりミステリーっぽいな。どれ、あらすじは……?
「……なるほど?」
なぜ綾音さんが職業を隠そうとしたのか、その意図を理解した俺であった……。




