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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第7章 「同化一体」
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緊迫の休息




「バベルではクロノスの体液を人間に混入するなどの実験が行われていた。だが、問題はそこじゃない。バベルの建設時期を考えれば、もっと以前から何かしらの研究は行われていたはず。先の実験から何が行われていたのか想像するのは、簡単だわな。まぁ、人類にとって朗報とはいえないだろう」


 ファノンは口元を押さえ、思考を高速回転させる素振りを見せた。こんな時に見せるファノンの表情は、熟練の魔法師独特の気配を漂わせていた。彼女が何を描き、答えを導こうとしているのかを予想するのは容易い。

 エクセレスの神妙な顔を見ても同じだ。


 ガルギニスは先ほどと大きな変化は見られないが、それでも彼の太い腕に筋が一本通った。微かに鳴った音は彼が足を組み換えた際に生じた衣擦れの音だけ。


「アルスの言葉を借りるならば……クロノスの体液を混入された被検体はどこに廃棄されたか、だ」


 ラティファの異形な姿を見たのは、その場に居合わせた各国元首達だけだろう。

 人間の魔物化。それが適うのならば、失敗作として廃棄された被験者達が、本当に死んだと誰が保証してくれるのか。


 イリイスの言葉を受けて、廃棄先に全員が行き着く。

 そう、この鉱床なのではないかと。

 妙に人間的な戦術や、これまでの魔物からは一線を画する種をその目で確かめた。可能性としては十分考慮するに足る現実を見てきたのだ。


「ですが、イリイス会長、それは非現実的ではありませんか? 鉱床までの距離を考えればわざわざ死体を運び出すには距離があり過ぎます」

「エクセレスとやら、それについてはアルスも私も気づいている。だから知らせるにはまだ推測の域を出なかったんだろ。それとも出立前の与太話の方がこのみだったかな」


 しかし、現に鉱床がこれまで閉ざされており、かつ高純度のミスリルの存在。豊富な資源は決して意味がないとは言い切れない。廃棄に選ばれるだけの根拠はあったと考えるべきなのだ。

 魔物の体液を混入された被験者の亡骸は、死後どのような経過を辿るのか誰にもわからない。


 通常の思考回路ならば、そんな死体とはいえ不安定な素体を後生大事に傍に置いておきたくはないだろう。


 できるならば、人目も触れず、どこか遠くへ……。


「なら、廃棄ではなく、実験だとしたら?」


 唐突にそんな疑問の種を投げたのは、先ほどまで潜考していたファノンだった。

 彼女の疑問にイリイスの顔つきが変わる。


 鉱床では、彼女が言うように常識離れした魔物の存在を確認できた。既存の常識を覆す魔物の出現は、彼女達に飛躍した想像をもたらした。

 確かに魔物と一括りにしていては気づけなかった可能性だ。


 ファノンの言葉が間違っていようと、この鉱床は魔物にとって一種の領土ドミニオンだった。故に外部から隔絶された鉱床内部では魔物の進化や成長が特異だったのかもしれない。


「ふぅー、それを今ここで考えても埒があかん」


 それこそアルスを交えた場でこそ、有意義な議題になるのだろう。


 しかし、そうした議論をここで終わらせるには、慣れた存在がいるのも確かだ。

 ふと、イリイスの隣にいるロキが、妙な言葉を紡ぎ出す。


「その……研究は人間に魔物の情報を混入させたということですよね。そして多くの場合は魔物に変貌する。ということは、鉱床内部の魔物は元は人間である、ということは考えられませんか」

「…………」


 ロキの発言は一見すると不用意に聞こえる。彼女は間違いなくイリイスサイドに立っている。要は味方だと少なくともイリイスは考えていた。

 その言葉を発した段階で、ロキはハッとして思わず口元に手を持っていく。


 盛大なため息を吐いたのはイリイスだった。ロキを責めることはできないのだろうな、と自嘲を込めて彼女は肩を竦めた。何故ならば、この話は全人類にとって未来の災厄を防ぐ正義の議論だからだ。

 故に言葉を選び、情報を小出しにしているイリイスこそが背信的な行動を取っているとも言える。


 アルスという思慮深い人間の傍にいるロキならば、当然深くまで考える癖がつく。彼女が伝えた情報はいずれ、ファノン達も知ることになるだろうが、少なくとも今知る必要のないことでもあった。


 イリイスは隠したかった情報だと悟られないよう、注意を払いつつロキの言葉を自然に引き継ぐ。


「おそらくアルスはそれを懸念していたんだろ。お前達にも伝えるつもりはなかったはずだ。あまりに馬鹿げている……だが、不可能じゃない」


 ラティファが魔物化していた状況を知れば、自ずとその可能性に行き着くだろう。

 誰を咎めることはなく、その事実は決して状況を好転させるものではなかった。しかし、受けた衝撃はその矛先を求めて感情をぶつけざるを得なくなるものだ。


 生死のかかった外界で、余計な疑念だ。

 少なくとも現場の魔法師は混乱する。


「ま、そういうことだ。疑問は晴れたか?」


 話題を終わらそうとイリイスは先が思いやられるといったニュアンスを混入させることで、場を和めつつ告げた。


「え、えぇ衝撃的ではありましたが……」

「そうね。これで納得はできたからいいんじゃない。どうせ、元が人間だったとしても、こうして机を一緒に囲むことがない限りは、ただの害意でしかないんだから。要は殺してお終い」


 言葉を濁しつつも鎮静化へと向かうエクセレスを他所に、ファノンは実にあっさりした感想を漏らした。

 そして小難しい顔を尚も維持し続けているのはガルギニスただ一人。


 彼に視線を移したイリイスは、手に取るほどわかりやすい彼の感情に手を差し伸べる。時代がいくら移り変ろうとも、魔物との抗争が終わらない限り尽きない問題だ。

 自分からすればとうに過ぎ去った疑問を、経験によって得た言葉を投げてやる。


「安心しろ。アルスが言ったようにやることは変わらん。人間を魔物にする方法はあれど、今後増えるようなことはないだろう。多分、としか言えないのは、ちと頼りないがな」


 重い口を開くガルギニスは、彼にしては辛酸を舐めさせられた戦いを思い起こしながらの言葉であった。


「無論、それは俺の知るところじゃない。だが、己の恥を承知で言うが、あれほどの高レートが量産されているのだとしたら、お前らや我らが元首が目標と掲げる反撃は成し得るものなのか」


 弱音ではなく、単なる事実としてガルギニスは話題を変えて溢す。


「ふっ、それを貴様が心配するのか。現場の人間にしては大局を見るじゃないか。まぁ、その心配はわからんでもない。なんせこの機を逃せば、次はないだろうからな」


 これはイリイスの主観だった。過去、これほどの戦力が人類側に出現したことはない。自分自身がシングル魔法師だった昔を振り返っても……。

 アルス然り、シングル魔法師が九名。その力は過去類をみないだろう。

 そして大きな問題として7カ国内部に、現状不穏な存在——組織——がないことも大きい。クラマという最大にして最悪の瘤がなくなった今、おそらくこれ以上の好機はそうそう恵まれないはずだ。


 腹に抱えた癌——敵対勢力——を治療することはできても再発のリスクは常にある。またクラマのような犯罪者集団が台頭してくる可能性はあった。

 この時期を見計った元首達の判断は英断という他ない。



 それからファノンとガルギニスから鉱床内部での交戦など、情報を聞き取り、この話し合いは役目を終えようとしていた。

 蠍型の魔物【セルケト】に記録大典から出てきた化物【シャヴァ】。どちらも一箇所に留まるには高レートに過ぎた。もちろん、階層という鉱床の構造が、不要な魔物同士の対立を防いでいたのだろう。


 だがこれらの情報共有の中で一番度肝を抜いたのはロキからのものだった。


 「人間を捕食せず取り込む」、そんな独白のように呟かれたイリイスの言葉は、僅かな沈黙を呼んだ。

 これも通常の魔物では考えられない事態だ。

 近年、魔物の急激な成長は魔法師界隈では、密かに囁かれていた。軍も無視できずに独自調査という形で手を打っていたが、成果らしいものは未だ、一つとして上げられていない。


「本当に今考えても埒があかない問題ばかりだな」


 愚痴っぽく吐き捨てるイリイスは同時に、思考は別のところを走らせていた。

 そう、おそらくフェリネラの生死に関わらず、彼女は貴重なサンプルになるかもしれない。もちろん、人体実験のような意味合いではない。


 魔物に関する情報は今の技術を駆使しても解明に至れないのだ。方法はあるが、それに伴う様々な規則や法が研究の妨げになっていることは否めない。

 内地に魔物を持ち帰るなど許されざる行為だからだ。バベルが役目を終え、未だ国内の情勢は不安定である。魔物という目の前の脅威を、全国民は神話的な化物か何かと勘違いしているのだ。ずっと遠くで、自分とは無関係な争い程度で、対岸の火事も良いところ。


 それは協会のトップになったことでイリイスがより痛感させられたことでもあった。


「今となっては、その神木はない……か」


 つい口に出した言葉を正確に理解出来たものはいないだろう。イリイスは人類の守護者にして、弱点がなくなった今——バベルがなくなった今だからこそ、できることもあるのではないかと前向きに考えたのだ。


「歳を取るとどうして、独り言が増えるのかしらね、エクセレス」


 侮蔑と労わりの籠もった声でそう同意を求められたエクセレスは、やんわりとした顔で笑みを作る。肯定も否定もしない中立的な顔だった。


「失礼ですよ、ファノン様。私としてはいつまでも変わらないお歳に憧れを抱いてしまいます」


 上手くフォローを入れたエクセレスだが、イリイスはもはや構う面倒に嫌気が差していた。

 いつの時代もシングル魔法師がまともだったことはない。


 ファノンなど見るからにチヤホヤされて育ったに違いないのだ、とそんな達観したことを考えていた。

 ならば、ここは大人な対応を取るのが筋ではないだろうか。


「後数年もすれば、貴様にも深い皺が刻まれるだろう。粋がるのも今のうちだけだ!」


 内心で勝ったと拳を振り上げるイリイスは、真横から向けられる憐みの視線に気づく。

 ロキの言わんとしていることがわかってしまうのだから、やはり歳を重ねることは聡くなる、という意味でも良いことばかりではないらしい。


 早速ムッと眉間に皺を寄せるファノンが、次なる応酬を始める前にイリイスは袖に隠れた手を打ち鳴らす。


「さ、解散しよう…………っと、そう簡単には帰してくれないか」


 外の騒がしさに、全員が気づく。外界の拠点、そこが騒がしくなる原因はいつだって一つしかない。

 ファノンがエクセレスに目配せをし、ガルギニスは徐に立ち上がる。


 この中でロキだけは立ち上がることが出来ずにいた。それは単純な実力不足ゆえの配慮。

 探知を試みようとするが、ここまで騒がしくなって気づく、誰も探知を使わなかったのではなく、使えなかったのだ。


 現在治癒に専念している治癒魔法師や、アルスとフリンが行っている繊細な治療は、過剰な魔力の奔流によって影響を受けてしまう。

 魔力ソナーのような探知方法は治癒魔法にとって支障をきたしかねないのだ。


 なんてことない治療ならばまだしも、ここで行われている治癒魔法は繊細を極めたようなものだ。ミスを誘発する行動は避けるべき。


「外の奴らだけでは手に負えなかったか。お前らは休んでいろ。ここは私が一人で出よう。どの道無傷なのは私だけだしな」

「そ、それならば私も同行します。魔力操作には自信もありますし、私の探知ならばさほど影響は出ないでしょう」


 エクセレスの申し出を頷いて許可したイリイス。


 【不自由な痣(エイルヴニフス)】はファノンに一時的な移植を行ったために今は十分な効力を発揮出来ずにいるが、ないよりはマシだろうというエクセレスの判断だ。


 隊長であるファノンの苦虫を噛み潰したような顔は無視するとして。

 エクセレス個人としても、クレビディートの魔法師としても直に7カ国魔法協会の会長である彼女の実力を確かめておく必要性を感じていた。


 そもそもあの鉱床での戦いは誰にとっても苦しい戦いだったはずだ。それはかの一位も同じだ。

 シングル魔法師に匹敵するとまで言われているイリイスの真価を見ておくのは、無駄にはならない。


 エクセレスの考えでは、各国の協会に対する戦力の推計は、主にアルスとイリイス。この二人によって弾き出されていると踏んでいた。

 指標として現1位のアルスがいる。よって各国は8カ国目として戦力有りと判断さぜるを得ない。

 しかし、実際は彼女もまた魔法師として、一桁たり得る存在であることも事実。


 もっと上の立場ならば、イリイスについての情報も得られたかもしれない。

 エクセレスにとって——いや、この場のファノンやガルギニスも含めて、イリイスという魔法師はアルス以上に未知の存在なのだ。



 肩を解すかのように腕を回すイリイスを見て、緊張感に欠けるとは誰も口には出来なかった。


「イリイスさん、わかっているとは思いますけど、アルスの治療がまだ続いていますから、ちゃんと考えてくださいね」


 そんな協会会長に釘を刺すのは、銀髪の少女だけだ。

 そしてロキは、言葉をそこで区切らず余人には理解出来ない言葉を続ける。


「もしも、必要ならば呼んでください。その場合は、この拠点から離れます」

「そう思い詰めるな。もっと気軽にいこう。あいつからの依頼もあるんだ、私に任せておくがいいさ。たとえSSレートであろうともな」

「いえ、だから心配なのですが」


 袖の中から頬を掻くイリイスだったが、彼女が肩を竦めて、軽く手を上げた。それは毎日のゴミ出しに出ていくような仕方なさと面倒臭さの入り混じった軽いものだった。


「せいぜい気をつければよいのだろ」


 そう言って幕舎を出ていくイリイス。その背中を遅れて続いたのはエクセレスであった。






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