木霊する歓喜の幼声
その声は良く響いた。
その声は良く弾んだ。
どこまでも暗い地下を明るく照らす声だった。
その声には多くの情報が含まれていた。
一度聞けば、声の主、容姿までも想像できてしまいそうだ。
高らかに反響する声は二つある。しかし、その二つを区別する意味はなかった。
何故なら、どちらも若い子供のものだったから。
どちらも女の子の声だったから。
「アハハハハ……」
「ウフフフフ……」
息つく気配すらなく、子供の声は遊び場ではしゃぐテンションを保ち続けた。カラカラとなる小さな足音は靴が通常のものではなく、木を打ち鳴らすそれに似ていた。
走ってくる、走ってやってくる、遊び場の全てを踏破しようとしているのかもしれない。高く澄んだ音が声とともにやってくる。
過ぎ去った後には、死骸が積み上がり、そして新たな死骸を積みに……新しいおもちゃを探しに行く。
少女達の手には殺戮するための道具が握られていた。子供の手には物騒で、物々しくて……妙に馴染んでいた。毎朝薪を割るために家主が、何万回と振り下ろしてきた鉈のように、少女達の手にある鉈は奇妙なほど違和感がない。
銀光を放つ鉈の刃は磨かれた鋭さを放ち、ただの鉈とは違い細工が多い。鍔や刃が逆に反っていたり……何より刃に刻まれた魔法式は複雑怪奇な模様と化していた。
走ることも遊びなのか、少女達は殺す標的が見つからないと、壁に鉈の刃を押し当てて火花を散らした。
ガリガリと不調和な音もまた、少女達の愉快な遊びの一つとして奏でられる。
鉱床内部、地下二階にてバルメスの第5魔法学院より選出された部隊。直前でメンバー変更があり、加わった二人の少女——レア・メアの姉妹が鉱床内部で駆け回っていた。無論、調査のためなどではない。すでに学生主体の任務は、彼女達の単なる遊戯と成り果てていた。つまりは、暴走してしまっていた。
構成員は四名だったはずだが、この場にいるのは少女の二名のみ。
彼女達はまだ鉱床内部で何が起こっているのかを全く把握できていなかった。それどころか、鉱床内部を走り回ったせいで二人が位置するのは外周区であった。
鉱床地下二階層でさえかなりの広さだ。二人の遊び場としては申し分ない。
とはいえ、迷宮と化した地下空間では、仮に地図があろうと迷うのは必至であろう。
そんなことなどお構いなしとばかり、二人は気の向くままに突き進んでいった。
倒した魔物の数は二十を軽く超えている。だが、二人は走ることに夢中で、確実に討伐した状態ではなく、身動きができずに倒れた魔物にとどめを刺していなかった。
つまり、魔核を破壊していない個体も多い。
「レア、レア、強そうなの全然いないね。このままだと、終わっちゃうんじゃない?」
「かもです。なんか拍子抜けなの、です」
「ねぇ、その“なの”とか“です”とか二人の時くらい要らなくない?」
メアは本来の口調に戻すように言うが、レアは得意げな顔を向けてくる。
「メアはもう少し嗜み? というのを覚えた方が良いと思うのです」
「誰に対しての?」
「? 誰に対しても、です」
「ふ〜ん、もういいよ。なんか飽きちゃったね」
話題をコロコロ変えるメアに、レアは辟易しつつもいつものことだと指摘するのを止める。
独断で魔物を探検がてら倒していっているものの、単純作業ばかりでこれといった刺激もなくなり始めていた。
「魔物をいっぱい倒したら、褒めてもらえるし、お菓子もいっぱいくれると思うんだけど、もういっか」
「メアはまだまだお子様です、のね」
レアは語尾に向かって言いづらそうに口を曲げたが、本人にも何が正しいのかは良くわかっておらず、勝手に満足していた。双子ではあるが、一応姉ということになっているため、それっぽい振る舞いを心がけてのことだ。
何より、レアの理想とする女性像がこんな感じだった。挨拶してくれたお姉さんこと、フェリネラならばこんな振る舞いをするだろうと確信している。
隣に子供がいるおかげで、大人っぽい女性像を演じやすい一面もあった。
だが……レアの口元はだらしなく半開きになっていた。
「お菓子は欲しいのです」
「どっちがお子様なのさ」
こんな会話を交わす間も二人は一本歯下駄で器用に走っていた。双子なだけあり、分かれ道に差し掛かっても互いに通じているのか、同じ方向へと迷いなく進む。それが同じ場所を回っていようと、その時々の気分次第といったところだ。
元を正せばレアとメアは外界で保護された野生児。
魔法についての勉強も実戦で身に付けた口だった。いわば鉱床だろうと外界は二人の庭といえる。
庭を散策するのに、目的などなく、気のみ気のままが一番心地良いことを二人は知っている。外敵と遭遇したら、その場で考えればいいだけのこと。
大抵は始末するのだが。獣ならば捌いて食べても良いが、内地での生活を考えれば止むを得ない場合を除いて、無駄な殺生はしないことにしている。彼女達が口にしてきた食事は、どれもが舌を唸らせるのだから。
高速で走り抜ける二人は壁面もまた足場に縦横無尽な走法で、鉱床内を走る。二人の保護者というより責任者なのか、身柄預かりとして同年代のバルメス元首【シアン・ヴィデリッチ】が身元保証人になっている。そのため二人に関する雑費なども今のところシアンの浅い懐からでていた。
しっくりくる関係性でいえば、シアンとともに第5魔法学院に入学した——入学させられた——経緯があり、同級生が二人にとって一番近いのだろう。
緊張感をまるで感じさせず、メアは退屈だとばかりに大口を開けて欠伸をした。
「ここで終わりみたいだねー。もう戻ろっかレアぁ。なんかつまんない」
「です。何個? 何匹? 殺したか数え忘れてたのです」
レアは手に目を向けて、一つ二つと指を折っていくが、拳を作る五つ目を数え終えた辺りで、眉間に皺を寄せた。
隣でもメアが指を折り曲げては、開いてを繰り返して数えている。
が、レアはそれを辞めた。後は頭の中で考えて、数えるのだ。
しかし、眉間の皺は深くなる一方で目つきまで悪くなる。そもそも倒した数自体記憶があやふやだったので、すぐに頭打ちにあう。
「五は殺したんじゃない?」
「ムッ——そんなのメアに言われなくてもわかってるのです」
「もう数えなくていいんじゃない? 数えろって言われてないんだし、学院で教えてもらったのをすぐに試すのはいいけどさ、機嫌悪くなるなら訊かないでよね」
二人が教えてもらっているのは主に一般的な講義だが、当然二人にはまだ難しすぎる。そのため、隙間時間を使って二人に最低限の計算などをクラスメイトが教えてくれているのだ。
早速実践してみるが、そもそも数えるつもりで倒していないので、正確なところがわからない。
レアは正論を言われ、癪だが数えるのをやめた。
タイミング良く、視線の先に魔物の姿を捉える。擬態しているのか、ゴツゴツとした岩を連想させる、奇怪な魔物だった。小さな手足やずんぐりとした胴体。
外殻は言葉の通り岩肌のようだった。頑強な外殻を有する魔物は全体的に丸みを帯びている。
レアは小さな笑窪を作ると、感情に左右されるかのように魔力が迸る。
そして右手に持った鉈の切っ先を背後に引いた。そして彼女の足裏——空中に足場ができ、弾くように小さな身体を押し上げてくれる。
爆発的な加速でレアは魔物目掛けて前傾姿勢で突っ込む。
「——!!」
「いっただきー」
レアの視線を横切るように、先んじてメアが魔物へと一太刀入れる。メアは度々、横取りすることがあるのだが、周囲への危険など一切考えない。
辛うじてレアは方向を変えて、なんとかぶつかるのを避けたが。
「メア、ずるいです!」
「へっへ〜ん。早い者勝ちだよ。レアはとろいんだから」
売り言葉に買い言葉。些細な言い争いは日常茶飯事だ。取り分け、おてんばという意味では常にメアに軍配が上る。
最終的にいうことを聞かないのだから、レアはいつも泣き寝入りを強いられていた。
今回もその一つ。
ムッと不機嫌に目尻を吊り上げたレアは、真っ二つに斬られた魔物に、更なる一太刀を浴びせた。
「まだ死んでいなかったのです。メアの貧弱な攻撃では、殺せていないのです」
慎ましく厳然たる事実かのように語る口調は、姉の威厳を守ったと言わんばかりであった。
ピッと慣れた手つきで、刃についた魔物の体液を振り払う。もっともすぐに空気中に溶けていってしまうので、血糊がつくといったことはない。
灰化していく魔物のことなど歯牙にもかけず、妹の尻拭いをしてあげた、といった泰然とした態度のレア。
メアはあからさまな不満顔を顔に湛えて、ズイズイとレアに詰め寄った。
「でも、でも、でも……レアよりこっちの方がいっぱい殺してるからね。レアなんて今のが一匹目じゃん」
「——!! 違うのです。メアよりレアの方が多く殺しているのです。メアは雑だから、殺したと思っても一匹も殺せていないです!」
「そんなことないもん」
そんなことないもん、と二度目の抵抗を言い放ち、メアは頬を膨らませる。
言い争いではレアの圧勝は揺るがない。メアは言葉を探すのが得意ではない、「違う」といった一方的な主張を発することしかできない。言葉で相手を屈する力がレアより劣っているのはメアも自覚している。
だからなのか、メアは最後には頑固に同じことを繰り返すことしかできなかった。悔しいが、負けを認めないことでしか対抗できない。
この言い争いが行き着く先は、メアが頑固を貫くか……。
「あっ!? ずるいです、メア。泣くのはずるいです」
「ひぐッ…………」
目元に涙を浮かべたメアを見て、レアは姉としての矜恃が揺らぐ。言い争う、その言葉一つ一つが姉としての立場からくるものだ。姉だから、妹には負けられないのだ。
しかし、メアを泣かせてしまっては続ける意味もなくなってしまう。
「泣いてないもん」
「わかったのです。メアも同じくらい殺しているです」
「一匹多い……」
「わかったのです。メアの方がレアよりいっぱい殺している、です」
姉は元来妹に勝てないものなのかもしれない。姉妹の縛りに固執しているのは実際にはレアだけなのだが。
姉妹というのも厳密にはシアンの補佐など世話をしている、ニルヒネ・クォードル新総督が、なんとなく決めたものだ。書類上の理由だとか、個人登録などの記録に必要なだけだ。
なんだか姉になってから溜息が増えた、と感じながらもレアは大きく息を吐いた。
そんな二人の前に新たな獲物が姿を現した。反応速度は二人ともほぼ同時。
付き合わせていた顔を二人は同時に回して、巨大な通路の奥を見据える。自分達が鉈の刃を壁面に擦って、音を鳴らしていたのと似ている。
それは剣を地面に引きずる音だった。
ガリガリと、ガリガリと、歩く音は二足歩行の聞き慣れたものだ。
「え? 人?」
「じゃないのです」
二人の視界に入ってきた化物は、メアが勘違いするほど人間と酷似していた。濃いグリーンの体色、鍛え抜かれた肉体は、その肉付きまで人間のそれに近しい。
ボロボロの腰布だけでそれ以外は身に纏っていなかった。加えて頭、人間にしては少し大きいがそれでも常識の範囲内である。なんだったらレアとメアの記憶にもあるほど、その体格は見慣れたもの。かつ、顔には人間の表情を窺わせる雑な仮面が付けられていた。仮面のようだ、が正しい。それは皮膚に縫い付けられているかのようだったのだから。
屈強な戦士、それとも剣闘士とでも言えば良いのか。
二メートル弱の大男。
二人が人間と誤認したのはその身体付きからだが、いくらか風貌からして古い印象を受けていた。未だにレアもメアも、魔物だと確定するには至らない。
「「——!!」」
二人の驚きは瞬時に高揚へと切り替わった。大男の背後からもう一人、現れたのだ。前の大男が直剣を引きずるのに対して、二人目の大男は両手に武器を携えていた。
だらりと太い腕を落とし、手にはハルパーと呼ばれる刀身が大きく湾曲した短剣が握られている。
鎌の刃を短剣として持ち手をつけた、そんな取り回しの良さを追求した武器であった。
こちらの大男が持つ、武器は単純な武器とは違うようだった。鉄とも違うが、鈍色を宿した異質感はある。
それだけで、魔物と断定する要素だ。
仮面も違う表情。
目や口、空気穴のその奥は何も映していない。まるで顔のないのっぺりとした表面に、擬似的な表情を貼り付けたようだった。
「メア、二人で分けるのです。今度はずるしちゃダメです」
「うん、いいよ。ちゃんと半分こね」
外見的には不審な点が多いが、彼女達の外界で培った嗅覚は常人を遥かに凌ぐ。
魔物か獣ならいざ知らず、人間との区別がつかないわけがなかった。
二人は一斉に走り出す。よーいどんの合図が鳴ったかのように迷いもなくスタートを切った。その速度はやはり尋常ならざるものだ。足底からの反発は魔法的な力場を構築することによって、足場にもなる上に加速を誘発する。
なので地面を蹴っているようでいて、実は魔法で生み出した足場を蹴っているのだ。
足場は地面に限定されず、壁面や空間にさえ彼女達の足場が存在する。
故に、直進ではなく、魔物へと迫る軌道はゴムボールを壁面に叩きつけるかのように高速で跳ね回った。




