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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「黒衣のアズローラ」
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永遠の躊躇



 まるでそこが風の裂け目であるかのようだ。

 大きなうねりはアルスの干渉により、直線に近い小さなうねりへと変えられつつあった。

 広げられた五指は窄めるかのように閉ざされていく。

 無論、アルスの適性である空間干渉魔法ではない。純粋な情報への干渉は魔物相手にはさらに分の悪い試みだ。


 抵抗する力は一方向からだけではない。あらゆる方向に指向性が投射される。荒ぶる風の猛威に対して、指向性を完全に乗っ取ることは不可能。アルスが取った行動は、指向性に対して僅かな情報を混入させる程度でしかない。

 指向性など破裂させただけの魔法にそもそもあるはずがなく、干渉を試みたアルスにダイレクトに返ってくる。


 ここで無造作な風の乱流に晒されればアルスのみならず、ロキにも被害は及ぶ。そしてその被害というのは負傷では済まされないだろう。一度巻き込まれれば肉は擦り切られるように、切り離されていく。

 その抵抗として、アルスは被害を最小限に抑えるべく、自らの五指によって直接的に指向性を情報に植え込み、与えられた軌道に沿わせようとしていた。


 そのためにもっとも直接的な指との連動、という形を取ったに過ぎない。

 しかし、同時にその代償は推して知るべしだった。


 ゴキッーー。

 その音は酷く小さい。関節を鳴らした音に似ているが、音が齎す結果は想像以上に悲惨であった。アルスの指は捻れるように曲げられた。

 最初から骨など存在していなかった、それほど容易く指がへし折れる。五指全てが全て、別々の方向を向いていた。指が付いているのが不思議な有様だ。


 折れる音。

 正しくは砕かれる音というべきなのかもしれない。連続する不穏な響きは指の付け根から爪の先までたて続けに連鎖していった。


 破砕が手首にまで広がったところでアルスは左手を投げ捨てるように上へと強引に持っていく。

 すると風の流れは僅かだが、弦を弾くかの如く、全体的に天井へと流れていった。


 直後、暴風に晒されたアルスは大きく吹き飛ばされながらも、微かに開けた目を魔物から離さなかった。

 左手の手首から先はもはや手としての原型も危ういほどに砕かれている。爪からは雑巾を絞ったように濃い血液が流れ落ちていた。


 それでもアルスの顔に痛みに対する表情の変化はなかった。

 微かにこめかみが痙攣する程度。


 アルスの視線は微かな動揺も感じられないほど強い光を発していた。一直線に吹き飛びながらも彼の目に宿る意志は変わらない。

 アルスによって大きく流れを制限された爆風はそこに気流など存在しないにも関わらず、天井に向かう。本来ならば壁面に衝突すれば風は広がるように壁伝いに沿っていくものだ。

 しかし、この爆風は流れを変えることなく、そこに気流を作った。壁面を割き、鉱床を内部から割って昇っていった。


 上階への被害は大きく、鉱床全体の至る所がずれたかのような衝撃。

 大きな振動が鉱床に波及していく。


 頭上からは大岩が落ち、この部屋ポケットに障害物を生む。

 落下してくるのはほとんどがミスリルであり、鮮やかな断面が不規則な灯りとなっていた。



 その頃にはロキも気づいたに違いない。アルスの手には彼の武器であるAWRがなかったことに。

 AWRは、というと吹き飛ばされる前にいた、地面に突き刺さっている。


 ロキの身体から緊張といった類の心の準備が取り払われた。

 吹き飛ばされたアルスと何かが通じたのは彼女の思い込みなのかもしれない。

 だが、その瞬間はなんの前触れもなく起こる。


 吹き飛ばされたアルスが壁面に衝突する直前、姿が掻き消える。高速移動ではなく、位置情報が消失したと言って良い。

 アルスが次に現れた場所は魔物の眼前。


 三十センチほどの至近距離だった。そしてアルスがいた場所にはAWRが代わりに……。

 合図などないに等しかった。だが、ロキは頭で考えるのではなく、条件反射の如くタイミングを合わせていた。


 いや、厳密にはピッタリとは言えない。阿吽の呼吸と言って良い程度の誤差ではあるが。

 他者が見ても誤差のうちにも入れられない。

 そんなコンマ一秒未満の遅延。

 確実に言えるのは、見てから動くよりも遥かに早いタイミングだったということだ。


 アルスの目の前で魔物の身体から細い稲光が閃く。

 魔物さえ見失う内部の異物。

 情報に溶け込むようにして紛れ込む、術式の潜伏。


 【伏雷フシイカヅチ】の再生。本来の性質。

 伏す、潜む、復元、遡求、死なない雷の意から古くは【不死雷フシイカヅチ】とも呼ばれていた。これはどちらかというと根源的な……魔法名ではなく言わば、自然現象における神格化した呼び名だ。

 寧ろ、魔法の性質としてもこちらの方が正しいのかもしれない。


 魔物さえも感知することができない【伏雷フシイカヅチ】が再度その姿を現す。

 内側から弾ける電撃により、水が弾けるようにフェリネラを覆っていた黒風が弾け飛ぶ。


 スパークする雷は至近距離にいたアルスの肌を容赦なく焼いていた。

 魔物ほどではないが、意識が飛びそうになる中、アルスはただただ電撃の中心に目を向ける。


「ーーーー」


 フェリネラの姿を認めたアルスに微かな安堵が溢れる。同時に揺るがぬ決意が込み上げてもきた。

 見えたのは彼女の変わらぬ品のある顔だけ、穏やかな顔に生気はない。寝ているにしては随分と寝心地は悪いようだ。

 彼女の寝顔を見たことがあるわけではないが、それでも容易に想像できてしまう。


 育ちの良いフェリネラのことだ。

 長い睫毛を下ろして聞こえるかどうかといった小さな寝息を立てているのだろう。それでいつ目覚めるかわからないような……完璧過ぎて面白みのない寝顔に違いない。

 寝ているかどうかさえも、きっとわからない。


 腕の感覚が鈍くなるが、そんなことは関係ないとばかりにアルスは迷わず腕を突き出した。

 素手で直接胸を貫く杭に触れる。


 刹那、アルスの黒に染まる片目が蠢いた。

 同時に全身を覆う禍々しい魔力が腕に集約していく。杭の黒とは似て非なる漆黒が、アルスの腕を染め上げた。


 手に触れた杭からは一度、大きな心臓の鼓動が響いてきた。魔核であることを再認識するまでもなかった。だが、アルスの表情は優れず、険しい目つきで全神経を右手——もとい、【グラ・イーター】に向けている。


 一秒。

 アルスにとって——魔力の次元における一秒は恐ろしく長い。

 魔力を喰らう魔力【グラ・イーター】からはそれこそ毒を啜っているような激痛が走る。目に生じる痛みは、それこそ眼球を抉るかのようだった。次第に黒い靄は両目に広がりを見せていた。


(どこにある)


 杭そのものが魔核であることを確信するが、アルスが探っているものは魔核内における最深部の情報であった。この杭には魔核としての役割と、魔力を体外に直接排出する役割が備わっているのは手を触れた時点で再確認できている。魔核とは大概、魔物の体内にあるもの。人間でいう心臓部なのだから当然だ。

 杭という形状は魔核へのパイプに等しい。

 アルスは魔力を生み出す魔核そのものを捕食しながら探っていた。


 瞬き未満の時間だったに違いない。


(ーー!! ………………ッ!?)


 アルスは臍を噛んだ。

 そして杭に向けていた腕を大きく引いた。腕からは魔物の魔力と思しきエネルギー塊がまるで魂を抜き取るかのように吸収されていった。


 フェリネラを取り込んでいた黒風は跡形もなくアルスの【グラ・イーター】に捕食される。

 その中からフェリネラの変わらない姿が露わになった。


 彼女は真っ暗な牢獄から解放されたかのように力なく、落ちる。

 それをアルスは片手で受け止め、一緒に膝を折った。


 正面から抱き合うようにフェリネラの背に手を回したアルスは誰にも聞こえない声で、


「すまない、遅くなった」と耳元で謝罪を口にした。


 一息つく間もなく、続けざまに、


「そしてよく頑張ったな」と様々な想いを押し留めて発していた。


 心にもない言葉が自然とアルスの口をついて出る。外界で培ってきた考えとは真逆の労い。

 だが、悪い気はせず長く魔物に囚われていた彼女を、素直に労う気持ちになった。自分への不甲斐なさを噛み締めながら。


 フェリネラをそっと横たわらせるとアルスは細い息を吐く。

 気を抜けばそのまま後ろに倒れてしまいそうだ。そうなれば当分はその場から動くことができなくなるだろう。

 まだ気を緩めるわけにはいかなかった。

 すぐにでも地上を目指すべきだろう。


「無茶、をしましたね、お互いに……」


 頼りない足取りでなんとか歩み寄ってきたのはロキであった。

 彼女は決して楽観的な声を掛けなかった。それどころか悲壮感さえ篭った声を出していた。

 肩の荷を下ろし切るにはあまりにも代償が大き過ぎた。


 ロキの視線の先がそう伝えている。

 アルスの左手はもはやそれが手であるなど考えたくないほど腫れ上がり、歪に捻じ曲がっていた。

 言わんとしている心配をアルスは察する。


「いいや、安い代償だ。こんなことでさえ、俺は迷ってしまうのだから」


 死んだように眠るフェリネラに視線を落としてアルスは自責の言葉を返した。

 迷いなど生じるはずがなかった。でも、現実にはロキに助けられるまでずっと自問自答していたのだ。

 近しい者の死など数え切れないほど見てきたというのに……いや、本当に近しい者など片手で十分足りてしまうのだろう。

 だから、肝心な時に、動けなくなってしまう。頭と心が分離してしまう。

 そのことに気づけば、己の弱さが胸を抉るように理解させられる。


「そうですか……そう、ですね」


 ロキの顔色は決して良いとは言えない。肉体的な負傷もさることながら限界を超えての魔力消費は魔力欠乏症となって青白いものに変わっている。

 それでも彼女は努めて明るく締めくくった。


 空気を察した訳ではないが、ロキもまた張り詰めていた気を緩めることができたのだから。

 彼女が想定していた最悪の結果には——今だからこそなのかもしれないが——やはりならなかった。この確信めいた災難は免れたと言える。


 杞憂に終わってくれたことが、ロキの心労を完全に取り払ってくれた。


 フェリネラの安らかな顔を見ながら、心臓に負担さえ掛けかねない安堵を覚えた。


 ロキが何を思っていたのかはともかく、アルスは窮地を脱したその意を軽口に変える。


「ところで、コンマ一秒タイミングが遅れていたぞ」


 強い口調ではなかった。それどころか茶化すようにアルスは発した。


「そんなに遅れてませんッ!!」


 ロキの言い分は単なる事実だ。いつかの言葉を引いたアルスに対して当然の反論だと言えよう。

 しかし、問題は“遅れた”ということ。そのことはロキ自身自覚の上だった。

 【伏雷フチイカヅチ】の射程内にアルスがいたのだから、脊髄反射的に躊躇いが生じるのは避けられない。ロキだからこそ避けられないものだった。


 アルスを傷つけてしまうという心配はもはやロキの深層意識に埋め込まれた拒否反応と言える。事前に言われていれば……そんな益体もない言い訳を、彼女は早々に切り捨てた。

 疲れ切りながらもロキは膨れっ面を作り、諦めたようなため息を吐き出す。


 

 だが、ロキが次に発した言葉が、神妙になるのは避けられない。

 言い辛そうな口調でそう発したのは、


「それでアル、フェリネラさんは……」






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