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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「黒衣のアズローラ」
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過ちの正しさの証明



 今の一瞬でロキは酷く痛感させられていた。ここまで善戦できていたせいか、気づくべき不自然さが霞の中に隠れてしまっていた。冷静に考えればおかしなことだらけだ……。

 Sレートを超える化物を前にどうしてここまで戦えるのか、立っていられるのか。死を覚悟したはず、でも蓋を開けて見れば、無傷とはいえ十分対抗できている。


 この瞬間までロキが立ち続けられた不思議を、彼女は軽視していたのかもしれない。


 この程度であるはずがない……全力で足らないことなど初めからわかっていた。

 そこにようやく思い至ったロキは、相手を翻弄するように全速力で駆け抜ける。ロキの姿を捉えることはおろか、長く細い雷の閃きだけが異様に空間を高速移動していた。


 神速の領域――認識速度を超えたその先へ。

 いかなる魔物をも置き去りに、一瞬の判断ミスも許されない緊迫感の中で、彫像のように微動だにしない魔物が不気味に映り込む。

 相手がどう出ようとも、全てを躱し切り、一瞬も反撃の隙を見逃しはしない。


 集中した意識がフッと途絶え、何かが身体に圧し掛かった。


「かッ!?」


 ロキの苦鳴に続き、ドンッという重い音が空間ポケット内に響く。波及するように広がる風の波が小石や埃を根こそぎ攫っていった。

 高速移動していたロキの頭上から、小蝿を叩き落とすかの如く見えない壁が落下した。鈍く、それでいてベチッと生々しい音が小さく鳴る。


 正確には風の壁と表現できるだろうか。

 この魔法は風を凄まじい勢いで叩きつけ続ける、いわば風の飛瀑。


 押し潰されるようにしてロキは地面に叩きつけられた。


 圧しかかった風の壁は突っ伏した身体ごと地面に埋める。超局所的な【摂理の失墜(ダウンバースト)】。本来の【摂理の失墜(ダウンバースト)】は上空から急降下する風の壁であるため、干渉範囲は極めて広いものだ。



 地面を押し込んで出来た大きなクレーターが、ロキを中心に広がっていた。硬い岩盤の上をミシミシと割るように彼女の身体を潰していく。


「あああぁぁ…………あ、ああぁぁ」


 頭が、身体が内臓が押し潰される。

 更に負荷がかかるようにして、ドンッと二度。全身を押し潰すように圧力が掛かった。

 息をすることすらできず、鼻や口から血だけが垂れていく。

 立ち上がることなど不可能。ただ押し潰されるだけを待つのみとなった。悲鳴も上げられず、たった一撃で為す術もなく死んでいくしか無い。


 壊されていく身体の声は良く聞こえてきた。頭蓋骨が軋み、身体の骨という骨が砕かれそうだ。

 指一本動かせない風の圧力が、刻々と死を引き連れてくる。


 声を上げることも、満足に息をすることもできない。身体は雑巾を絞ったみたく、部分部分が千切れそうで、潰れそうなのに……なのに何故か涙だけは溢れてくる。


 抗おうとする気力すらもこの風は根こそぎ奪っていくものだ。圧倒的なまでの力量差。

 恐ろしい相手に、勇気を振り絞って挑んでも結果が変わるはずなどなかった。英雄譚のようにわけのわからない力が最後の最後で出てくるはずがないのだ。


 気力や、意志、心持ちで覆せる物などたかが知れている。


 力がないことは最初からわかっていた。そんな無力な自分が情けなく、許せなかった。

 いつか言ったアルスの口癖ではないが、そう、きっと彼が厳しい口調で、何も期待していない者へと放つ冷たい一言に似ている。

 “弱い者が見せる勇気のなんて愚かしいことか”と。

 叶わぬと知りつつ、見る夢のなんと空虚なことか。


 弱き者の威勢の見苦しさときたら……とてもじゃないが笑えやしない。


 アルスのために、そうやって蔑ろにしてきた弱き者の誓いなどタダでもいらないのだろう。

 迷惑の安売りなんて誰も買いやしない。


 あぁ、惨めだ。惨めな独りよがりだ。どこまでいっても、誰のためといっても根本的なところで、それはただのエゴに過ぎない。


 何も成し遂げられなかったのなら、この行動はただの馬鹿に成り下がる。


 それでも自分を底の底まで陥れ、それでもただ一つの望みだけがロキを支えた――いや、これは我儘なのかもしれない。

 微かに指先が圧力に抗って地面の上を掻いた。


(それでも良い……自分勝手でも良い……馬鹿だと罵られようと構わない。私はアルにだけ……アルが幸せなら意味など、正しさなんていらない……)


 だから誰であろうと、彼のためならば助けてやる。

 命をかけて助けてやる。

 いくらでも迷惑を押し売りしてやる。

 心に漏れる声は涙声のように絞り出されていた。涙はいつしか血と混ざって赤く染まり、秘めた想いが走馬灯のように取り留めもなく駆け巡る。

 間違っていても良い。間違った道であろうと全力で突き進むだけなのだから。


 ゴチャゴチャ考えずともよかったのだ。最初からロキはフェリネラのためでもアルスのためでもなく、自分のために願い続けてきたのだから。

 彼のためだけにこの命を捧げると。己に立てた誓い。


 その過程がフェリネラのためなのだと、体のいい理由をつけただけなのだ。

 彼女を助けたかったのは本心であり、全てが嘘ばかりではなかった。仮に嘘をついていたとすると、それは自分自身に対してだろうか。


 弱いわけだと、何度気付かされることか。

 愚かで卑しい性格だと、ロキは自嘲する。


 究極の我儘で貫き通せばよかった……。

 死なんて怖くない、本当に怖いことはすでに経験した。あれに比べれば、悪にだって染まれる。


 だから、やっぱり自分のためなのだろう。本当に怖いことを知ってしまったのだから。


 震えながら腕を突っ張り、瀑布の如き風の圧に抵抗しながら身体を起こす――四つん這いとなった直後。

 全魔力ともいうべき出力で、ロキはただただ電気を放出した。雷鳴轟く雲の中にいるかのように魔力という魔力を系統に置き換え、魔法とも呼べない雷の発生源となった。


 風の圧を跳ね除け、あらん限りの力で抵抗する。

 ロキの身体を包み込んだ雷光の中、彼女は覚束ない様子で突っ張った腕を地面から離し、上体を起こした。ハの字に曲げた足の間に腰を落としてペタンと座り込む。


 その姿は時が止まったかのような静寂の中、不気味な程に淡々としていた。


 部屋ポケットを雷が埋め尽くし、凄まじいスパークを生んだ中心で――ロキを包み白に染まった空間の中心で――彼女の開いた双眸だけが浮いたように真っ直ぐ魔物を見据えていた。


 様々な制約を超え、理性という壁を突破することのなんと心地よいことか。

 死の恐怖を超えて、壊れて、恋に狂う。


 自分を顧みないというのは本当に……好きだ。


(この期に及んで胸を満たすのは幸福感なのだからつくづく救えない女……)


 ふっと口が微笑を湛える。溢れる自嘲の笑みに意味などなかった。

 黒風によって指向性を書き換えられるということは言い換えれば、ほとんどの魔法があの魔物には通用しないことになる。ロキ程度の力では情報強度を保持し続けるのは難しい。

 そもそも魔物相手に、魔法の情報量で勝ち目などないのだ。それこそシングル魔法師と呼ばれる者たちを同列に考えることはできないが。


 ただ、それでも、力の差を埋めることができるのもまた魔法というもの。


「(幸い……なのかな)届かないところへ、届かせる力がある」


 無自覚な思考の発露。喋っているという自覚が希薄で、口の中に広がる鉄の味がすでに彼女の身体の中で正常に機能しているところが少ないことを意味していた。


 身体の機能がほぼ停止していようと……そう、心の満たされた想いだけは褪せることはない。


 フェリネラを模した魔物は、戦闘が始まってから一度たりともその場から動いてすらいなかった。

 まるで余暇の戯れを思わせる、涼し気な口元は先程までの裂けた口ではなくなっていた。


 当然、形ばかりの口に喉や声帯は存在しないはずだ。なのに、奇っ怪な動きで口を動かす仕草は、こちらの口の動きを真似ているようだった。

 感情はおろか、音が発せられることはない。ないのだが、その仕草は赤子が母親の口元を真似たり、声を聞いたりすることで、覚えていくようなたどたどしさを窺わせた。



 座り込んだまま、ロキは射抜くように鋭い目を化物へと向ける――血の涙の痕を残し。

 地面にめり込む【月華】を弱々しく拾い上げ、圧倒的な力の差を一気に埋める。


「辿れ――ふしい!!」


 スッと手を伸ばし、最後の力を振り絞りその魔法名を告げる。

 だが、ロキの腕はピクリとも持ち上がることはなかった。ダメージによるものではない、腕を軽く上げる程度ならば……。


 そんなロキの訝しみに答えるかのように、腕は下へと引っ張られた――それも両腕。

 子供にせがまれるような感覚に目を落とすと。


 いつの間にかそこには黒風から薄っすらと輪郭を浮かび上がらせた、小さな顔があった。煙の中に顔っぽいものを見出したような曖昧な認識。

 雲の形が動物と似ていたりするようなそんな不確かな感覚だったが、ロキが瞬時に連想させたものは“子供”。


 黒風の中において、目や鼻、口といったパーツがたまたま黒く塗り潰されただけなのかもしれない。

 ただ、そうして浮かび上がったシルエットは子供といって差し支えない小さなものだった。


 その風によって生み出された二人の子供がロキの両腕を引く。


「――!!」


 ニヤリと笑ったような気がした。

 掴まった段階で、いや、もうロキに戦い続ける意志は皆無といえた。

 魔法の分析も、いわばその先の戦術に組み込むための思考だ。それを捨てたロキにこれより先はない。

 最優先は回避不可能な魔法の発動。


 腕などなくとも、口さえ動けば――。


「【伏雷フシイカズチ】!!」


 怒声にも似た叫声を上げて発せられる雷霆の一角位たる絶対不可避の魔法。

 同時、ロキの腕を更に強く引っ張る子供を象った黒風。

 それは一瞬だった。

 皮膚が剥かれるような激痛の後、腕の中へと干渉し、風の子らは腕の神経をずたずたに引き千切っていった。ブチブチと何かが引っ張られて千切られていく。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁぁ………………」


 この階層全てを駆け巡るかのような絶叫が、響き渡った。

 脳内が痛みで埋め尽くされていく。強烈な痛みは、鈍痛へと変わり脳をショートさせると、唐突に声が途切れる。

 目の奥に宿った意識という光が薄れ、夥しい血で腕を染め上げると、ロキはそのままバタリと倒れた。


 【伏雷フシイカズチ】の細い雷光は、フッとロキの意識が途絶えると同時に消失。

 何事も無かったかのように、消え失せる。

 いや、厳密には発動していた。次に【伏雷】が出現した時は確かに魔物の身体に接近していたのだから。


 倒れたロキがそれを見ることはない。

 魔物の内部へと侵入した【伏雷】はまるで追い出されるように、いくつもの火花を散らして排出された。

 全てが感覚に委ねられた【伏雷】の結末。


(弾かれた……弾き出された)


 意識しての言葉ではなかった。

 倒れたロキの視界はぼんやりと夕暮れ時の陽が夜に沈んでいくように、刻々と視界に幕が降りてくる。


 その中で、ロキは確かに彼の姿を見た。

 遅れてやってきた彼の憔悴しきった顔を見た。

 きっと私の名を呼んでくれている彼の顔。

 口の動きで自分の名が発せられたことが少し嬉しくもあった。

 そして思う……。


 ――そんな顔をされたら、後悔できないじゃないですか。また同じことを繰り返しちゃうじゃないですか。


 間違った選択であっても、自分がそれを肯定する我儘。

 でも、間違っていようと今のアルスの顔を見れば、やはり何度だってロキは同じ過ちを繰り返し続けるのだろう。





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