最強の称号の代償
幕舎の出入り口で、深々とお辞儀した生徒の身体には先の任務によって、受けた負傷が見て取れる。
翡翠の髪色から艶と呼べるものは失われ、浮かない表情と相まって少しくすんで見えた。
生徒にしては、というべきなのか、彼女の身なりは学院で平和という甘い蜜に浸かったものとは少し違った印象を受けた。立ち居振る舞いが軍人っぽさを匂わせ、引き締まった表情には恐れと使命が同居している。
敗走者の顔にしては、やはり軍人らしい風格が宿っていた。
彼女は伝えるべきものの重要性を理解した上で、自らこの幕舎に足を踏み入れていた。
「今回第1魔法学院の部隊、その一員として任務に同行させていただきました。ルサールカ軍、特殊撃滅支隊所属のカリア・フェラードと申します」
ルサールカにおける特殊部隊の一つである。そのことを彼女達が知らないはずもない。過去ジャンが最も功績を挙げてきた部隊が小隊規模編成の【撃滅支隊】だ。
独立部隊でもあるため、出撃命令に至るまで隊長に一任されている。アルファでも例のない完全独立を謳った特殊部隊だ。
カリアの挨拶と同時にエクセレスは鉱床の探知に向かって行った。
すでに報告としてカリアと顔を合わせている副官は、あまり良い顔をしなかった。正しい手順に則って聴取したのだからなおさらだ。明らかに不信感を抱かれていると彼が感じるのは自然なことである。
招かれざる客のような雰囲気にカリアは恐縮しながら口を開き、こう切り出した。
「私が見た魔物を正しくご認識していただきたく、不躾と承知しておりますが、どうかお聞きください」
フェリネラを目の前でみすみす置き去りに、何もできなかった己の不甲斐なさを呪うかのようにカリアは紡ぎ出す。
彼女は事前に事務的に、できるだけ私情を挟まないように伝えるつもりで簡潔に纏めていたが、いつしかそれは言葉を重ねるごとに感情で訴えているようになっていた。
「ご報告申し上げたことは事実ですが、あの化物は外界にいる通常種とは異なると思います! もっと別の……」
副官を除く、シングル魔法師の二人は顔色を一切変えず耳だけを傾けているような様子。
こちらの声が、訴えが届いていないかのような空回り感の中、それでもカリアは上手く言語化できないものを必死に伝える。
「何それ……贖罪のつもり?」
冷ややかに小柄な少女がカリアの言葉をピシャリと遮った。
「とんだ期待はずれね。言い訳ばかりで聞くに耐えないわ。新人だから大目に見ると思ってるの? 優しくして欲しいわけ? 何それ、笑えるんだけど」
スッとファノンの言葉から抑揚が消えた。
新兵に対して厳しい叱責を前にガルギニスも無言を貫く。
若いことと泣き言はべつもの。必死の訴えなど役に立たない。そう言わんばかりにファノンは苛立ちを顕にする。
「し、失礼しました……」
心残りや不甲斐ない己を恥じ、カリアは俯いて瞳を濡らした。惨めを承知の上だ。それでもここでめそめそして退散するわけにはいかない。
ファノンは威圧的ですらある溜息を大きく吐いた。
「で、どうするのあなた? 時間を無駄に浪費させるだけなら、あなたじゃなくても良いんだけど。ここに来たのだからそれなりに覚悟をしてきたのでしょ? 友達を助けるために尽くしなさい。力のないあなたにできるのはそれだけよ」
「――! はい」
カリアはこの場にいないイルミナの分も含めて言葉を飾ることをやめた。本心で感じたままを伝えなければならない。ファノンは魔法師としてカリアが感じた率直な言葉が欲しいのだ。
欲しいのは懇願じゃない、情報だ。
カリアは睨み返すかのように強い眼差しでファノンを見る。
「ありがとうございます」と短く礼を述べると、彼女はそのままテーブル上の地図前まで寄った。
ここに至ってファノンやガルギニスの顔も神妙になり、本格的な会議が始まった。
「私が目標を発見したのはこの辺りです。すでに第4魔法学院の部隊が交戦……いえ、敗走状態でした。蠍型、昆虫種独特の甲殻を持っておりました。私とフェリネラさんで最上位級魔法で応戦。ですが、尖腕でいとも容易く打ち砕かれました。次に気がついた時には私もフェリネラさんもすでに瀕死に近い状態でした」
「…………」
ガルギニスは唸るようにして考えた。
「腕ね」、「腕か」とファノンと同じくして結論が出る。
即座にカリアは頷き返すことができなかった。異質な魔力に当てられていたからかもしれないが。
とにかく、ファノンとガルギニスは腕に何かしらのカラクリがあるのだという結論に至ったようだ。
「系統阻害はないし、一種の魔力キャンセラーとかかしら」
「ち、違うと思います」
「何故?」
「攻撃は確かに命中しましたし、発現はしたはずです。本当に力負けしたみたいに一瞬で魔法が消し飛んだんです」
イルミナと状況のすり合わせをした時も両者に認識の齟齬は見当たらなかった。
「う~ん、構成への干渉ともなると分野が違うわね。現象結果についてはなんとも意見が分かれるところよね」
ファノンに視線で水を向けられたガルギニスも仮説として口を開く。
「俺も分析は得意な方じゃねぇからな。直に見たわけでもなし。構成そのものが破壊されたのであれば、理屈は通る。だが、構成につけいる隙があれば別の話だ」
無論、カリアにも魔法の構成に自信はあった。だからといってシングル魔法師の水準で語られる代物だとは思えない。たとえば、アルスと模擬戦をした時にも【不死鳥】に魔法そのものの構成を上書きされたことがあった。あんな芸当を目撃しては自らの構成を絶対とは言い切れない。
「だが、威力においては最上位級魔法なのだから申し分ないだろ。傷一つつかなかったというのは外殻に秘密があるか、それともその腕とやらに秘密があるか、はたまた対抗する魔法を付与していたか、か」
「面白そうね。結局は高火力で砕くこともできる」
「――!! それはさすがにっ」
魔法には特異な系統を除けば優劣が存在する。ましてや人間が用いる魔法は魔物のそれとは雲泥の差があるのは周知の事実だ。同じ魔法を扱えば根幹的な強度で敵うはずがない。
カリアでなくとも声を大にするだろう。
が、当人は鼻で一蹴した。
「私、一桁よ」
「はい、存じております、が」
唖然と緊張を含ませてカリアは頷く。
「そっちのデカイのは別としても私は別格なの。強いのわかる? わからないわよね。想像もつかないほど強いんだから」
「は、は~」
「は~、ですって、何その気の抜けた返事は!? 私、シングル魔法師! しかも4位!!」
しかめっ面を突きつけてくる少女に、カリアは一瞬だけ彼女が魔法師であることを忘れてしまっていた。それもそうだ。彼女は容姿だけでなく、服装からして外界ではまず見ない格好なのだから。
が、目の前にいるのがシングル魔法師であると言われ、慌てて襟を正す。
多少傷に障ったが、そんなことも言っていられない。これから助力を願う立場のカリアは平身低頭でなければならない。
「失礼しました!!」
「まぁいいわ。私が出る、ということが何を意味するのかその目に焼き付けるといいわ。そしてルサールカ国内で広く宣伝でもしてちょうだい。だから帰っちゃだめ~」
「わ、わかりました」
無論、最初からそのつもりだ。シングル魔法師は気難しい側面や、良識を持ち合わせていない、と聞いたことがあったが、どうやらそうでもないようだ。ジャンやアルスを見て、彼らのような存在は少ないと思っていたのだが。
不遜だがこの時、カリアはこのシングル魔法師に扱いやすさを見出していた。
ファノンの言い分は過信ではなく、ただの事実。
対策を取るのは安全に討伐するといった、下位の魔法師に向けられたマニュアルだ。基本的に怠るようなことはないが、かといって手に余る経験はシングル魔法師にはほぼない。
寧ろそうした死闘をどこかで望んでいるのがシングル魔法師という人種だ。人類の中に生まれた希望であり、その渇きを持て余す存在だ。
彼らは人類のためという使命感を理解してはいても、それだけに邁進することはできない。魔法師人口の上位一桁は常に渇き、飽いているのだ。
必ず、何かに渇く。
それを戦いで満たす者は多い。最も時間を費やすのが外界なのだから仕方ないことでもあるが。
ファノンの稚拙で大袈裟な物言いに生返事をしてしまったカリアだったが、それに対してガルギニスは水を差すようなことはしなかった。やはり彼もまたシングル魔法師たる、渇望を抱いているのだ。
「心配はいらん。ここまで聞ければ現場で十分対応できる。この場で対策に掛ける時間程無駄なものもない。後はエクセレス殿の報告を聞いてからすぐに向かおう。件の魔物は俺が仕留めよう」
それまで不機嫌なのか、からかっているのかわからないファノンが反射的に突っかかった。
「私に恥をかかせるつもり?」
カリアに対して大見得を切った手前、その成果を横から掻っ攫おうとするガルギニスに彼女は静かな怒気を向ける。
「7位がしゃしゃり出るんじゃないわよ」
「今は6位だ」
「どっちも同じよ。私の方が上なんだから、序列的に従いなさい! 雑魚ぐらいは始末させてあげる。それで気持ちよくなってなさい」
「ふん、貴様は指揮するのにふさわしくないな。オルドワイズ公の指揮下で動いていたのだから、俺が引き継いだほうが都合が良いだろう」
両者間で一歩も引く気がない火花が散った気がした。
カリアはそれに対して口を挟む立場にない……というか、その役目は嫌だった。新兵ごときが本来シングル魔法師に口を容易に開くことはできない。ましてや他国のシングル魔法師。ないとは思うが国際問題にまで発展しかねない。
だが、今ばかりは軍人としての仮面はいらない。
――そんなこといいから、すぐにでも救出に向かってください!
と思っても口に出すことまではできなかった。
一見すると両者とも最もな言い分を並べているが、そうこうしている今も確実に時は刻まれている。
そう、この現場から指揮官であり救援要請を出した当人――オルドワイズ公が不在であることが問題なのだ。
誰が指揮権を持つかで揉めることは最初からわかっていたこと。
カリアが腹に据えかえ「いい加減に……」と口を開きかけた時、探知を終えたエクセレスが戻った。
彼女は予想していたかのように額を押さえて、ふるふると顔を振った。その様子から急いで戻ってきのが窺える。
エクセレスは誰が指揮権を持つかで、確実に二人が揉めると踏んでいたのだ。特にファノンの性格上絶対に譲らない。
ましてや自分より下の順位の者が指揮するなど断固として拒否するだろうと。
ふと、エクセレスの脇を小柄な何かが通り過ぎ、反射的に横にずれた直後――。
「えぇーい、騒がしい!! 外界に飲み屋ができたとは初耳だぞ」
ファノンよりも遥かに幼さを残す高い声が幕舎内に響き渡った。
するとその後ろに続く黒髪の少年も冷ややかな視線を注がせる。
「ま、なんとなく予想はしてたがな。なんで一癖も二癖もありそうなのをわざわざ呼んだんだ。どうせ呼ぶならジャンを呼べば話が早かったんだが」
「いろいろあるんだ。そんなことより私の機転の早さをもっと誉めんか」
「アル、でも、戦力は……」
「あぁ、十分だ。使えるといいがな」
場の空気を一新したのは大人サイズの赤いローブを羽織った、協会会長のイリイス。
その後ろから銀髪の少女と……。
「――!! アルス様」
カリアは目を剥いて思わずそう声を発してしまった。
異様な面子。確かにカリアが遭遇した魔物はシングル魔法師でなければ太刀打ちできないだろうと感じてはいた。結果としてここにはファノンとガルギニスがおり、これだけでも類をみない異常なことだ。
更に加えて、協会会長が直々に赴き、現魔法師の頂点に君臨するアルス・レーギンとくれば、カリアの理性のネジが何本か吹っ飛んだとしてもおかしくはない。
そしてどこか吹っ切れたように安堵が胸を占めていく。自分と歴然たる力の差を見せつけた彼が駆けつけてきてくれたことが、何よりも頼もしく思えたのだ。




