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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第3章 「眠れる墳墓」
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綺麗ごとの原動力



 その聞き慣れた、よく知る名前を耳にした時、アルスは自分がどんな顔を作っていたのかわからなかった。


 嫌に落ち着いている自分がいる。

 軍で育った環境がそうさせるのか、自分でも驚く程平然とした。

 まるで毎日のように聞く、良くある話――その一つでしかないかのように。


 外界に出る以上、当然考えて然るべき最悪の結論だ。0ではない可能性が往々にして起こってしまうことも理解している。

 誰に説かれずとも、十年の軍役で死者は数えるのが馬鹿らしい程枚挙に暇がない。入ってくる訃報は今や、右から左へと流れていくBGMにしかならなかった。


 もう、これは職業病といえるのかもしれず、いちいち悲嘆に暮れていたのでは精神が保たない。

 そんな中に知り合いの一人や二人がいたところで、何がどうなるわけでもなかった。少なくともアルスは割り切った付き合いしかしてこなかったのだ。


 良くある話だ。

 絶対がないことなど子供でもわかる。


 だからなのか、精神が均整を取ろうと頭を冷やしていく感覚がやけにはっきりと自覚できた。


 が、実際は違った。


 報告に来た女性はチラリとアルスに視線を上げた直後、喉から小さな悲鳴を漏らした。

 口をパクパクさせて空気を欲する顔は、潮が引くように瞬く間に血の気を失った。


 何をしている、はやく続きを報告しろ。そんな心の声に反して女性は声を失ってしまったように小刻みに震えだした。アルスにはまるで意味がわからない。

 何故、震えるばかりで、重要な報告を放棄するのか。今は一刻を争う事態であり、協会側はすぐに収拾に動き出さなければならないはずなのだから。


「おい……おい……いい加減にッ」そんな遠くで近づく声があり、最後にはグイッとアルスは肩を揺すられた。


 自分がどんな顔をしていたのか……それは……。


「なんて面してるんだよ、お前は」


 十を少し過ぎた程度のあどけない顔に、不安の色を落としてイリイスがアルスの肩を掴んでいた。

 そこで初めてアルスは報告者の女性を怖がらせていたのが、自分であったことに気づいた。


 どこか靄の掛かった意識の中で無意識に顔を振り、イリイスの言葉の真偽を確かめるようにロキを見やる。

 彼女の顔はお世辞にも好意的なものではなく、やはり不安と少しの恐怖に塗られていた。いや、驚きも多分に含まれていたはずだ。

 ロキはこちらに向かって手を差し伸べこそすれ、その手が届く距離にまで近づくことができなかったのだから。


 彼女の「アル」というか細い声は、アルスではない何かに対しての問い掛けのようにも聞こえる。



 訳が分からず、アルスは無意識の内に手を自分の顔へと向けていた。

 今の自分が一体どんな顔をしているのか、恐る恐る触れてみた。

 すると肌がベタつくような感触。

 口元は人形のように硬く閉ざされており、表情筋など初めからなかったかとさえ思える程そこには何もなかった。表情と呼べるものが特に見当たらなかったのだ。


 ならばと次にアルスの手が、指が向かったのは自分の両目であった。

 指先は彼女達が指摘する不安の元凶を求めて目の周りをなぞる。瞼を持ち上げ、そして指先が眼球に触れようかというところで、その腕を押し止めるように掴まれる。


「何をしてるんですかッ!」


 そこでやっと呪縛から解放されたロキがアルスの両腕を掴んだ。

 傍から見てもアルスが行おうとしていた行為は狂気じみていた。自ら眼球に指を差し込もうとしていたのだから当然である。


 じっとりと汗を掻いていたアルスはしどろもどろに「いや……何って」と歯切れの悪い言葉を口にしていた。自分が何をしていたのか、それを上手く説明できなかったのだ。

 その行為は誘われるように、自分という存在を認識するための行動なのだから。


 これまでとは違う。

 自分が今心で何を思い、何を感じているのか、そして……今自分がどんな顔をしていたのか。まるでアルスという一人の人間が唐突に記憶喪失になってしまったような感覚に見舞われたのだ。

 アルスが取った行動とは、いうならば自分が認識する“アルス”であるための確認作業だった。


 自分という存在が足元から揺らいだ気がした。


「こんなことは初めてだ」

「ひどい汗ですよ」


 なんとなく察したのか、ロキは優しげに諭しアルスを一旦ソファーに座らせた。

 ポケットからハンカチを取り出すと軽く叩くように汗を拭く。


「すまなかった。少し取り乱したみたいだ。もう、大丈夫だ。報告の続きを聞かせてくれ」


 ロキから見てもアルスの状態は異常事態に他ならない。

 取り乱した度合いは、決して少しなどというものではなかった。そしてロキは一瞬だけ自分を恥じた。

 ほんの数秒とはいえ躊躇ってしまったことを。


 彼の指が自らの目に向く前にロキは傍にいなければならなかったのだ。

 幸いにもラティファの目は見えなかったが、ロキやイリイスはすぐに気づいた。アルスの異変、その大部分は彼の目にあった。


 空虚といえばまだ人間味があるのだろうが、実際は違う。

 黒く沈んだ瞳は虚無を象徴しているようで、それは感情という人間味から最も遠いものだった。あえて意味をもたせるならば“拒絶”。


 ロキは多くを語らず、感じるがままに口を開いた。


「大事な人だったのですね」


 力強くアルスの手を取り、その上から包み込むように握る。

 同時に遣る瀬無さが彼女の中で湧き起こった。


「でも、まだ死んだわけではありません。あのフェリネラさんですからね。上手いこと救助を待っているはずです」


 そう口を吐いてからロキは後悔する。正しくは後悔するとわかっていても言わずにはいられなかったのだ。


 何故ならばきっと彼は救助に向かうと言い出すのだから。

 そうでなければアルスではないし、学院に来てから変わった彼の良い部分でもあった。

 全てを助けるなんて言わない。それでも大事なものだけは絶対に助ける。今も昔も変わらない彼の良さなのだろう――自分がそうであったように。


「だから私が行きます……今のアルには行かせられませんから」

「それには同意だ。安心しろ、こいつのお守りも兼ねて私が直々に出る。まぁそのつもりだったんだが」


 ロキに続いてイリイスまでもアルスを連れて行かないことに同意を示した。

 精神的なものも含めて脆くなった今のアルスを見ていられなくなったのか、いずれにせよロキの目はアルスを連れて行かないことで決定してしまったようだった。


 不調の者を誰が外界に連れていきたいと思うのか……それにはアルスも同意する、が。


「そうも行かない。俺も行く……少しは落ち着いてきたし、本当にもう大丈夫だ。イリイス、俺の勘だが、今回の任務……かなり不味いことになりそうだ。もしかすると戦力を見誤っているかもしれない」

「例の話か」


 アルスは疲弊したように顔を手で覆い、俯いたまま頷く。


 が、イリイスは袖で隠れた腕を組み、不敵に片方の口角を上げた。


「誰が見誤るって……想定外の事態ではあるがな。オルドワイズがすでに救助に向かっているし、奴ならば十分な働きをしてくれるだろうな。無論、鉱床内部を一掃できるだけの援軍も用意している」


 イリイスは腰砕けに座ったままの女性に目で確認をする。

 すると報告者の女性は上手く立ち上がることができないまでも、座ったまま報告を再開した。


 震えて聞こえづらくはあったが、それも致し方ない。


「事前の打ち合わせ通り、オルドワイズ公によって、援軍要請が……もう直到着する頃かと、思います」

「ならこちらも合わせて鉱床に向かうとするか」

「――!! 会長自らですか!?」

「当然。下手をすると会長ですらなくなってしまうからな。それに依頼もある」


 報告しに来た女性を労い、職務に戻るように退室を促した。やや逃げるように退室していった女性を見届け、イリイスはチラリと目の端でアルスを捉える。

 依頼という言葉の矛先をアルスに向けたイリイスは「どうせ、お前も行くんだろ?」と呆れ混じりに言った。


「当然だ」とアルスはソファーの上で大きく一息吐いてから、勢いを付けるように立ち上がった。フェリネラの父であり、アルスの元上司でもあるヴィザイストからすぐにでも連絡が来そうなものだ。

 いや、寧ろこない可能性もあるだろうか。


 ヴィザイストもいつかはこうなるかもしれないと、覚悟をしていたはずだ。ならば、直接「助けてやってくれ」という連絡は来ないかもしれない。来たとしても断るつもりはないが。


 もっとも現実的に考えれば……そう、ロキが一瞬逡巡したように、この報告を受けた時点でもう手遅れである可能性は高い。九分九厘手遅れなのだ。連れ去られたという言葉を聞いた段階で、助けるという選択肢は潰えているのかもしれない。


 それでも……何もしないよりは良い。僅かでも確定していないのならば、直接出向くのに十分過ぎる。

 こんな感覚で突き動かされるのは蛮勇だし、子供の理想だ。そんな綺麗なだけの夢に縋って外界で死んでいった仲間を幾度と見てきたではないか。


 ただそこに憧れのようなものをアルスが抱いたことも事実だった。その一見無意味な死に宿る輝きに魅せられてしまったことも確かなのだ。


 軍で培ってきた経験や教訓をいとも容易く覆し、アルスを立ち上がらせた。こんなに恥ずかしいこともそうあるものではない。誰かのために、たかだか一年と少し関わった彼女を自らの意志で助けに行くというのだから。


 任務だったならば、もう手遅れだと言うだろう。

 これが見ず知らずの魔法師ならば行くだけ無駄だと突っぱねただろう。

 一人のために危険を冒すのは時間が勿体無いと言うだろう。

 

 それと同時にこの突き動かされるモノは誰に咎められるものでもなかった。助けたいと思い、助ける力もある。だから助けに行くだけなのだ。

 これほど心が乱れるならば、傷ついてしまうのなら、救い出すことに全神経を傾けた方が救われる。


 が――。

 アルスの真正面には通せんぼするようにロキが毅然と立ち塞がっていた。


「…………」


 何を発するでもなく、力強い視線をアルスへと向けるロキ。


 その背後ではイリイスがラティファの車椅子を押し、屋上庭園に向かっていた。ロキの行動が意味するところを理解したイリイスは、どちらの味方もせずただ一言だけ発した。


「ラティーを送って行く。それまでに決めろ」




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