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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第2章 「ミスリルが眠る地にて」
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見初められた魔法師



 口の中が乾く。あまりに乾き過ぎて呼吸するだけでも喉が痛い程であった。

 なけなしの力で走ったことで、その息継ぎは途切れることなく肩を上下させる。


 朦朧とするフェリネラの視界は激しく揺れながら、二色の画面を映していた。流れでた血が目に入り、片目の視界を染め上げていた。そのせいか遠近感もおかしい。


 AWRを持っている手の袖で、強引に拭う。無論、それで血が止まるはずも、ましてや真っ赤な視界が開けることはない。せいぜい数秒の間、滝のような血の流れを止めたに過ぎない。


 背後ではカリアが生み出した氷壁が崩れて久しい――それも数十秒前のことだが。

 しかし、あの魔物がその気になれば、迫っていると気づいた頃には手遅れとなっているだろう。


 フェリネラはただカリアに言われた通り、走り続けるしかなかった。そうインプットされたように足を動かすことだけで手一杯だったのだ。

 もはや背後から何が来ていようとも……どうすることもできない。


 が、フェリネラの頼りない走り方を他所に、実際背後からの追撃はなかった。


 ようやくカリアが背後を振り返って確かめた時、先程まで戦っていた場所まで直線ではないため見通せないが、それでも見える範囲にあの蠍の化物はいなかった。


 こみ上げてくる安堵が、カリアの走る速度を落としていく。


 イルミナも続いてフェリネラとカリアの様子を見るように振り返り、遅れて異変に気づく。


「……追ってこない……カリアさん……」

「えぇ、何にしても助かったわ。先を急ぎましょう。一先ず上階へ……」


 僅かに遅れていたフェリネラがカリアの目の前を無反応でよたよたと通り過ぎていく。


 「フェリネラさん! だ、大丈夫!?」と自分も脇腹の痛みに耐えつつ、フェリネラの肩を手で叩いた。

 そこでやっと自分が呼ばれていることに気づいたフェリネラは、真っ赤な視界の中に声の主を探すように首を振った。


 その仕草は焦点が合わないのか、どこか不安を助長させる。カリアへ向けられた意識が少しずれているようだった。


「えぇ……なんとか……」


 弱々しい声。まだ気を失うわけにはいかない。そんな意地の一言がかろうじて足を動かしてくれる。

 熱を持った頭のどこに傷があるのか、そんなことすら考えられなかった。片目を塞いでいるのだからその上に傷がありそうなものだが、それすらも泥濘に沈む意識の中では難しい。


 だが、使命とでもいうようにフェリネラは薄らと開けた目をカリアに向ける。

 蠍の化物と対峙した瞬間、フェリネラはとある行動も行っていた。


 自分のことなのに、どこにあるのかそれを探すフェリネラの手はあらぬ場所に向けられた。結局スカートのポケットに入れていたわけなのだが、そこに差し込むだけで二、三度やり直している。


 そうして取り出したのはライセンスであった。

 力の入っていない指で差し出されたライセンスを見て、カリアもイルミナもわけがわからなかった。


 落としてしまいそうな手付きだったために、つい受け取ってしまったが、フェリネラの意図が読めない。

 すると――。


「正確に感知できているか……ハァ、ハァ、わからない、です……けど」


 そこまで言われ、二人はようやくピンと来て、起動したままのライセンスをカリアは迷わず操作し出した。

 そして小さく展開された仮想液晶に目を落とす。

 周囲にあるミスリルの光のせいで、見づらいがそれでも――。


「――!! レート【S】!!」


 呻くように漏らしたその算定ランクに背筋が粟立つ。魔物を管理するデータベースには該当する個体データはなく【新種】を示すマークが表示されている。


 その驚愕の事実を前に、この中で唯一フェリネラだけが反応を示さなかった。彼女は足を動かすのに手一杯でそれどころではなかったのだが。

 フェリネラの代わりに、その事実をこの任務の指揮官に渡して欲しい。その意図に気づいたカリアは頷き、託された彼女のライセンスを懐に忍ばせた。


 

 後にこの蠍の化物は【王の番人(セルケト)】と個体名が付けられることとなる。


 ようやく先頭の第4魔法学院の部隊、最後まで戦う姿勢を見せていた男性二人が横穴へと入っていった。

 横穴にたどり着いた隊長であろう男は穴の縁に手を掛け、こちらを振り返ると、突然血相を変えて叫びだした。


「後ろだあああぁぁぁ!!!!」


 大きな叫びの後、カリアがすぐさま振り返る。

 ゾワッと、一瞬にして汗が引いたと錯覚するほどの怖気が襲う。すでにそこまで恐怖は差し迫っていたのだ。明確に何が迫っているのか、理解できなかったが、身体の方は反射的に強張り攻撃のようなものに備えようとしていた。


 それは肩越しに目を向けた時であった。黒い何か……濃い霧のようでもあり、液体のような物が濁流の如く、三人を呑み込んでいた。


 セルケトと対峙した時とは別種の恐怖。身体の中を通り抜けていくように、それは衝突してきた。


 グラッと脳が揺さぶられる感覚は、地に足が付いていないことを意味していた。三人は三人とも激しく吹き飛んでいたのだ。


 明確な攻撃を受けたわけではない。それでも身体の骨がミシミシと悲鳴を上げていることは確か。

 そう、三人は何かに跳ね飛ばされたのだ。


 幸いといえば良いのだろう。前方に吹き飛ばされたカリアとイルミナは即座に起き上がる。

 すぐ傍には呼びかけていた男が、一番近くに吹き飛ばされたイルミナへと手を差し伸ばしていた。そして一歩だけ……まさに一生の勇気を振り絞ったかのように彼は踏み出し、強引にイルミナの腕を取り、引っ張り上げる。


 続いてカリアもハッと起き上がり、そのまま地下から逃げるように飛び込んだ。何故か上階に繋がる通路が安全であるかのように思えたのだ。

 そんな保証はなくとも、今はこの異常な地下から早く脱したかった。


 そうして上階へと振り向くことなく、歩を進める。

 が――。


「フェリッ!!」


 それはイルミナの叫び声であった。悲痛な響きを伴い、イルミナは男の手を払いのけようともがき、地下へと戻ろうとしていたのだ。


 それに釣られ、カリアもフェリネラがこの場にいないことを確認し、振り返る。


 荒い呼吸がこの場にいる全員に伝染した。

 外界での任務経験があろうがなかろうが、彼女達の目前にある光景には明確な答えが存在していた。


 化物を……その魔物を目の前にしてカリアは足を止めて、答えを紡ぐ。


「助けられない……」


 その方法が見つからない。

 地下通路を映し出す、大きな穴は映像の一コマのように純然たる事実を……どうしようもない光景を見せつけていた。


 ぐったりとうつ伏せに気を失ったフェリネラの頭を踏むように、真っ黒な脚が乗せられていた。その脚は光沢のある黒いボディスーツのような色艶があり、長さや形状は人間の脚付きに似ている。脚線は女性的ではあるが、骨や肉の付き方は人間とは異なる。加えて足は人間というよりも鳥的な前三本指に後ろ一本の形状。指と指の間には水掻きのような黒い膜が張られていた。


 腰巻きのようなレース生地を思わせる、薄い霧のようなものが漂っていた。


 その魔物は然程大きくはなく、人間でいう腰までしか見えない。無論、それだけでも大人の男性ほどはあるだろうか。


 傾斜から見下ろす位置からでは、魔物の全貌は確認できなかった。それでも先程対峙した蠍の化物と同様に、何をしても無駄なことだけは悟った。

 何より、助けに行ける術がない。イルミナはAWRを失い、第4魔法学院の隊長は戦意を挫かれ戦うことはできない。カリア自身も魔力は空に近かった。

 どうやってもフェリネラを救い出す手段がない。刹那的な判断だが、数日頭を抱えても同じ答えが出ることは確かだろう。


 今の戦力ではほぼ生身で戦うのに等しい。魔力もないただの素手で魔物を相手にするようなものだ。


 カリアは無意識に歯を食いしばった。そして自分を責めながらイルミナを男子生徒と一緒に引き止め、振り解こうとする彼女を後ろから押し上げるのを手伝った。


 むざむざイルミナを行かせるわけにはいかないのだ。自殺しようとする彼女を呆然と横で見ていることなどできない。


 短槍を横にして震えた手で押し上げる。忸怩たる思いがあるが、魔物を相手に止むに止まれない決断は存在する。


「フェリ!! フェリ!! フェリッ!!」


 耳に響くイルミナの声。

 声に悲鳴が混じり、彼女の目からは涙が流れ落ちていた。


 イルミナの射殺さんばかりの視線をカリアは、真正面から受け止める。なんと言われようと、力を弱めることはできなかった。

 暴れる彼女を押さえ込むようにして、引きずりながら上階に上げていく。イルミナの抵抗がカリアを苦しめた。助けたい思いはあるのだ。万全な状態ならば多少の無理があってもこの足は引き返したはず……。



 だが、今は……。

 魔物を刺激しないためにも叫び声は……。しかし、それも無理からぬことだ。

 こちらに襲いかかってこないことを祈りながら助かる命を選択する。


 フェリネラという獲物の捕獲を成し、魔物はそれ以上を欲張らなかった。運が良かっただけなのかもしれない。

 鳥が餌を足で押さえつけるように倒れたフェリネラの頭に奇っ怪な足を押し付けたまま。

 鷲掴みするように固定されている。


 涙に揺れるイルミナの視界では、その足が気持ち悪いほど丁寧に持ち上がっていた。


「あああぁぁぁ!! 返せえぇぇ!!!」


 枯れんばかりの叫び。

 血に濡れたフェリネラの髪を魔物は、屈むようにして掴んだ。小さなボールでも握り込むように五指がフェリネラの髪を握る。

 爪であろうか、枝葉のように不規則に伸びる指がイルミナの目の前で、親友の髪をまるで持ちやすいからというように、乱暴に掴む。


 屈んだ際に見えた魔物の上半身は、ぽっかりと抉られていた。腰から上は何もなく、腕へと繋がる細い枠のようなものだけがある。まるで音叉のように二股に分かれており、頭もなければ腹部もない。

 人間の着せ替え衣装のような魔物であった。


 ぐったりとしたフェリネラの顔が強制的に持ち上がる。

 彼女は未だ目を覚まさず、赤々とした血だけが滴り落ちていた。


 一度持ち上げられた顔は再度、地面へと落とされる。

 そして、魔物はフェリネラの髪を握ったまま、のっそのっそと歩き出した。一歩進む度に、フェリネラは顔を地面に擦り付けて引きずられる。


 二歩ほど進み、通路から見えなくなる。

 一歩進み。フェリネラはずるずると引きずられ、顔が見えなくなる。

 二歩進み。足先を残して、ほとんど見えなくなっていった。

 三歩目でフェリネラの姿は完全に消えた。


 後に残ったのは小さな血溜まりと、引きずった後のような擦れた血の跡だけ……。



 上階へと繋がる通路に、絶叫が響き渡った。親友が人間を餌としか認識していない化物に連れ去られた。目の前で連れ去られた。

 それを見ていることしかできなかったイルミナの叫びは心の奥底から絞り出される。

 そして彼女はプツッと意識を失った。





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