地下深く、潜むモノ
まるで掘削機でも使ったかのような通路。荒削りながらも人が通るには十分な広さの道ができていた。荒れた地面ではあるが、それがかえって滑落を防いでいた。
微かに光が差し込む出口に差し掛かったところで、フェリネラとイルミナは驚愕の顔を並べた。
「なんてこと……」
鳥肌が立つような寒気が全身を襲う。調査対象としていた場所は地上にあったが、この鉱床には地下も存在していたのだ。今、それが明らかになった。
何よりフェリネラが驚いたのは、この地下部分が上階より更に道幅が広く、迷宮化していることだった。地下自体があっても本来不思議ではない。ただし、それは下るような形で行き止まりの部屋へと繋がるのならば……そう、十分考えられる範囲。
しかし、上階で自分達が苦労して調査した場所よりも遥かに広いとなれば愕然とするのも無理はない。氷山の一角、全体の何割程度を調査していたのか。もしかすると上にある迷宮はこの巨大な鉱床の、ほんの一部に過ぎないのではないだろうか。
上階に加えて地下階層が存在していたとなれば、そうカリアの警告も、全てに合点がいく。
協会が調査を終えた後に、減らしたはずの魔物が増えていたこと。
地質学者の意見が食い違ったこと。少なくともルサールカで反対派が提示する懸念に、合理的な根拠が付加された。
地下階層は高さ四メートルはある巨大な通路であった。巨人が……否、魔物が住処とするのに適した広さである。
どんよりとした空間。湿り気を帯びた空気は喉の辺りで引っかかり、居心地の良い場所ではない。
周囲を照らす淡く光るミスリルは上階の比ではないほどに、怪しい輝きを放っていた。ボォッと光る様は凝視していると一種のトランス状態に陥りそうだ。
それぞれに顔を振って、左右に広がる道を視界に入れる。三人が出たのは、一本道の中腹である。左右を確認して改めて自分達が出てきた道を見やる。やはり本来の道ではなく、何かしらによって空けられたように思えた。
面食らった三人だったが、考える時間も驚く時間もない。
微かに連続する荒々しい足音が左の道から響く。それは追い立てられているような、がむしゃらな走行だと容易に想像できた。目視できない距離にも関わらず、酸素を求める必死な息遣いが聞こえてきそうなほどだ。
「急ぎましょう!!」
頷き返すフェリネラとイルミナ。三人は悲鳴の下へと向かって迷いなく駆けた。
ほどなくしてそれは三人の視界に薄っすらとした人影を映し出す。見慣れた人工的な衣類。魔物を駆逐するため、身を守るための装備に他ならない。
真っ先に視界に映ったのは怪我人を両脇から抱え、引きずるように走る第4魔法学院の部隊員であった。
負傷している女子生徒の両脇を男子生徒が固めている。ぐったりとした様子から彼女は目を開けることすら難しい状況のようだ。
その後ろから後退しながら武器を構える男子生徒が二人。じりじりと後ずさりしながら、身構えている。ざっと見ただけでも逃走中であるのは明らかだった。
「計五名。第4魔法学院で間違いないようです!!」
イルミナの状況説明を聞き届けるよりも早く、カリアとフェリネラが動き出す。レイピア型AWRを構え、二対の短槍を構え、二人は全速力で駆けたーーその一瞬に脚力を凝縮させるようにして。
今、第4魔法学院が対峙している魔物、背後から迫りくる魔物が凶刃を振り翳していた。
◇ ◇ ◇
獲物を追い立てる魔物の存在を、第4魔法学院の誰も予想していなかった。不可解な地形を前に全員で急遽会議を開いたのはほんの数十分前だ。
地図の記載漏れ、その可能性も考慮に入れて、少しでも調査しようと試みたのがそもそもの間違いだった。
手柄を立てようなどと邪な考えは少しもなかった。ただただ、調査の必要性を感じたに過ぎない。
慢心はあったのだろう、多少は……。
第4魔法学院は眠れる化物を起こし、怒りを買った。
遭遇時の一瞬、視界に魔物の存在を入れたと同時にそれは起きた。たった一突きだった、一番後方にいた女子生徒の腹に穴が空いたのは。
全員が一瞬で悟った。殺されると。
そう悟るのに時間や思考などいらなかった。現実がそう語ったのだ。一秒にも満たない刹那が全てを無情に明らかにする。何故ならば、誰一人として女子生徒が攻撃を受けたと認識できたものがいなかったのだから。
仲間がバサリと唐突に倒れた、それだけで理解するのに十分であった。
彼我の力量差、戦うということに意味を見いだせなかったのだ。断崖絶壁から身投げするのと等しいとさえ思えたのだ。
「逃げろぉぉぉ!!」と隊長である彼がやっとのことで叫べたのは奇跡に近かった。
見るだけで心臓を鷲掴みにされている気分だ。蠍のような身体は全長三メートルを超えるだろう。
蠍との違いを挙げるとすれば、不気味な上半身が存在していることぐらいだ。
節足動物特有の無数にある脚は一つ一つ釘のように鋭利である。脚に支えられた胴体部、その先には多関節の尾が伸び、当然、針もついている。
上体部は人間の様だが、姿形は魔物以外の何ものでもない。まさに蟲のような頭部がそれを物語っていた。左右から前方に伸びた触覚のような角までが化け物じみている。
両腕、両肩から生えている計四本の腕は尖鋭なランスのようになっていた。刺突に特化した腕である。
総じてその魔物は半人半蟲。【多足鬼】に分類される魔物である。形体でいえば確かに分類はできる。が、見方によってはその姿形は蟲が進化したようにも見えた。
一つ脚を動かせば、耳障りな音が連続して鳴る。葉擦れほど心地よさはなく、脚が擦れる音と地面を打つ音、小さな音の連なりが嫌悪感を抱かせる。耳の中に蟲が入ってきたような、そんな気持ちの悪さであった。
見上げるほどの魔物を前に殿を務めた男子生徒だったが、彼に戦意というものはすでに存在していなかった。それでも真っ先に逃げ出さないだけでも称賛に値する。
二人は負傷した女子生徒を逃がすためだけに魔物に相対する。意地でも、プライドでもない。ただ単に、役割からそうしているに過ぎなかった。故に彼らは今も敵わないと知りつつ武器を握り、逃げ出そうとする足に言うことを聞かせているのだろう。
が、結論は何も変わらない。戦う前から確定した死を待つばかり。逃げるにはもう遅すぎた。
男としての矜持なのか、二人は恐怖に屈することなく死を待った。
魔物の二本の腕が僅かに持ち上がる。彼らには振り上げる所作すらも認識できていなかった。ただ死が近づいていることだけが漠然とわかる。己の魔力がAWRを伝う感覚すら忘却の彼方へと追いやられていたのだから。
不思議なことだが、本当の死に抗うことは人間には難しい。死ぬことの恐れは本人が自覚する以上に身体機能を狂わせる。まるで身体が死を受け入れてしまったかのように硬直してしまうことも一つだ。それは死ぬことを知り、前もって死後硬直しているかのようですらあった。
魔物の腕は殿の二人をそれぞれ狙い定めている。
が、彼らがただ死を待つ一瞬、視界に二つの影が映り込む。二本の腕目掛け、果敢にも真正面から迎え撃った者達がいた。




