共鳴ツインズ
子供のいう鬼ごっこに各国のトップが注目するというのも、随分おかしな話である。
無論、すぐさまバラール城の使用人達が準備に取り掛かったあたり、わかってはいたことだが大事になってしまったとアルスは嘆息する。
今更アルスの異能について隠し立てする必要もないが、ロキに啖呵を切った手前、まさか遊びに付き合うハメになるとは予想もしなかったことだ。
そんな憂鬱な面持ちのアルス。準備される大広間は瞬く間に駆けるに十分なスペースが確保されていった。テーブルも隅っこにどかされ、そうしてできた空間は訓練場の一区画分より少し狭い程度。
なんとも気怠い様子で歩くアルスの前をレアとメアは楽しそうに駆けていく。
これで魔法師だというのだから、世界は平和そのものに見えてくる。しかし、彼女達でさえも魔法師なのだと、見方を変えれば、やはり世界は何一つ変わっていないのかもしれない。人類にとっての脅威は何一つ排除されていないままなのだ。
僅か十二・三年しか生きていない彼女達が理を介さない存在と相対しなければならないのだから。
アルスがこれまでしてきたことは、ある意味では今日という一日を迎えるためだったのかもしれない。人類が初めて魔物に対しての反撃を開始する、奪われた物を奪い返す、その狼煙を上げる一日である。
――さて、どうしたものか。
そう内心で溢すのは、この場にいる全ての注目を集めてしまっているためだ。そのために会合も一時中断してしまっていた。
子供の余興にしてはやはり、視線に真剣味が混ざるのは仕方ないことだ。バルメスは7カ国で最も防備に不安が残る国なのだから。
若い芽の伸びしろを期待しているのは確かだ。彼女達だけではバルメスの国力を測り切ることはできないであろう、しかし、多少なりとも可能性を見出したいと各国は感じているはずだ。
バルメスの主戦力が如何程か、そんな巧妙に隠された値踏みがあるのは事実である。
つまるところ、アルスはダシにされたわけだ。
ふぅ、と呆れるアルスの横で「アルス様、こんなことになり申し訳ない」と他人に聞かれないよう謝意を発したのはシアンであった。
並び立つと彼もまた小さき権力者ということがわかる。おそらく最年少で元首となったこの少年にはまだ、一国を支えきることは難しいのだろう。それでも精一杯に勤め上げようとする誠意が言動に表れていた。
「あまり気になさらないほうがいい。俺も経験があるし、ひょっとしたら慣例なのかとさえ思えてきます。これぐらいならば随分と穏便なものです……まぁ、鬼ごっこには驚きましたが」
「ハハッ、それぐらいしか遊び方を知らないんです。私も良く相手をさせられるのですけど、一度も捕まえたことがないんですよ」
アルスの率直な感想にどこかシアンは親近感のようなものを抱いたのか、年相応の愛嬌のある笑みを浮かべた。会合時の堅苦しい印象はやはり元首としての威厳を保つために誂えたものなのだろう、きっとこちらが彼の本当の姿なのだと感じさせた。
そしてシアンがレアとメアに向ける眼差しは言葉以上の親密さが宿っている。それはシアンと彼女達の距離感を明示しているようにさえ受け取れる。
付き合いの長さではなく、密度。
シアンが彼女達を外界に出したくないと受け取れる言葉を含めたのが、なんとなく今のアルスには理解できた。いや、感じ取れたというべきなのだろう。
「たぶん、杞憂でしょう」
「…………?」
脈絡のないアルスの言葉にシアンは聞き取れなかったのか、理解できなかったのか、小さく首を傾げた。
レティが言った「染まりっきっている」という意味を今のシアンが理解できないだけなのだ。それも外界という、人知の及ばない異界を知れば知るほどわかってくるだろう。
外界で過ごす時間が多かったアルスが、学院に馴染めなかったように……内側の人間がわからない存在であったように、内側と外側では容易に人を染めてしまう。
でなければ、外で生きていけないのだから。
「さて、始めようか。鬼ごっこということは捕まえればいいのか?」
「知らないのぉ?」
「知らないんです?」
さすがのアルスでも、名前ぐらいは知っているし、ルールも知識として持ち合わせている。だが、やるのはこれが初めてのことだった。とはいえ調べるまでは言葉の通り、鬼と呼ばれる魔物をいたぶるように殺すものだと勘違いしていたのだが。
「触れただけじゃダメェ」
「服を掴んだだけじゃダメです」
「「どこを掴んでもいいけど、ちゃんと逃げられないように捕まえないとダメ」」
かなり省略されているが、概ねアルスが理解しているルールと変わりないようだった。
「私達が逃げるから、鬼やって~」
「鬼です」
「それで構わない」
あまり動きたくないアルスには打ってつけである。のだが、鬼と言われると魔物と言われているような気がして、良い気分ではないのは確かだ。それも子供のいうことにいちいち腹を立てるほどではないが。
ぞんざいな二人の説明に呆れたシアンが割って入り、場所はここの空間に限定することを付け加えた。それとレアとメアにはくれぐれも迷惑の掛からないようにと兄のような口ぶりで忠告する。
もっとも二人の返事が上辺だけだったのは誰の目からも明らかだった。要は早く遊びたくて仕方がないのだ。
会合も中断しているとあって、すぐさまシアンによって開始の合図があった。
が――。
――最初こそバルメスの戦力を探る目的だったが、ちょっと予想以上かもな。
床を弾くような音が連続で鳴り響く。二人の姿は尋常ならざる速度で掻き消えていた。音のみが不気味に周囲を騒ぎ立てている。
それほど広くはない空間内でレアとメアは、並の魔法師では到底到達できない身体能力を有していた。
魔法師ですらないシアンが、彼女らを捕まえることなどできるはずもない。
騒然と湧く、各国高官や貴族連中、はたまた警備の魔法師まで喉を鳴らす。ほとんど目で追えないためか、すでに彼らの目は全体を視界に収めるよう切り替えられていた。
吹き荒れる風に乗せて、少女のクスクスとした笑い声が届く。
「一番強いのあの人だよね? レア」
「そうです、メア」
「本当かなぁ? 全然追ってこないよ?」
「ちょっとつまらないです」
息一つ切らさず、余裕を見せて二言三言交わした直後、ちょうど中央に立ったアルスがあまり履き慣れていない靴の調子を確かめるように爪先で軽く床を叩いた。
そして突然関心を示したかのように動く目線――それがメアと交わる。
「アハッ、見えてるよ、レア」
「ようですようです、メア」
「あれやろ」「やるです」
刹那――これまで床の上を駆けていた二人は飛び跳ね、宙を逃走範囲に含む。それは何もない空中を蹴り、更に速度を増して駆けた。
「ほぇ~空中に足場を作るっすか。器用なもんっすね」
どこか感心したように感想を述べたレティ。
この場では唯一彼女だけが口を開くことができた。それもレティの性格だからなのだろう。他のシングル魔法師はやはりこの場で評価を口に出すような真似はしない。
評価といえば聞こえは良いほうなのだろう。
熱心に見つめるロキでさえ、舌を巻くに値する速度であるのは確かだった。もしかすると【フォース】使用時に匹敵するレベルかもしれないのだから。
それでも器用に隣で本音なのか、判断のつかない口調のレティに耳を傾ける。
「なるほどっすね。足場じゃなくて、靴の裏っすか」
瞬時に見破ったレティは、おそらくシセルニアとロキに聞かせるために種明かしをする。それが他国の元首達も同様に聞き耳を立てたのは仕方がないことであった。
「座標をかなり強固に定義付けているっすね。あれっすよあれ……複写技術の応用。法則の塗り替えってやつっすね」
蹴り出す瞬間に足裏の接地面を強固に固定することで、空中を足場としている。土系統などでも見られる魔力や魔法を実体ある物として世界に誤認させる方法である。無論、その劣化は著しいが、蹴り出す一瞬ならば十分なのだろう。
が、それとて容易な技術ではない。ファノンならば対物障壁を局所的に発動し足場とすることができるわけだが、彼女達が行っているのは凄まじいまでの連続発動である。それはすでに不可能な域に達していた。
「すごいっすね。靴に種があるっすかねぇ」
空言のように言うレティはチラリと隣の銀髪少女を視界に収める。見るからに内心で応援しているだろうロキを見て、和んだような笑みがレティの口元を彩った。
他国の元首もここに集うシングル以外の魔法師らも、レアとメアが行っている技術の解明までは考えが及んでいないだろう。どれほど凄いことで、どれほどの才能なのか。彼らにわかるのは尋常ならざる速度、という程度であった。
「凄いは凄いんすけどねぇ…………あっ! うん?」
「――!!」
他人事のようにレティが口をついた直後、彼女はあることに気がつく。そしてそれはロキも同じだった。ただ、どちらも辛うじて見えた程度で、確証はない。
レティのぎこちなく崩れた微笑が何を意味しているのか、それは角度的に二人にしかわからないことだった。
事態が動き出したのは、あまりにも刹那的であった。無論、レティもアルスが動き出すその兆候を見逃すはずもない。
レアとメアが空中を蹴り、時には床を蹴って駆け、そして二人は挑発でもするかのように時折アルスの傍を通っていたのだ。
そして二人はアルスの背後左右からおちょくるように駆け抜けようとした直後――。
一瞬にしてアルスは二人の中間までバックステップだけで移動していた。
「嘘ッ!?」「――ッ!!」
メアが声を上げて驚愕したのも束の間、二人はガクンッと速度が止まるのを感じる。
そう、中間に立ったアルスはその一瞬の内に二人の足首をそれぞれ掴んでいたのだ。
「捕まえたっと」
床に焦がすような痕跡を残したアルスはいとも容易く、二人を確保する。
だが、それで終わらず。
二人は外れることのない力で掴まれた片足を強引に捩って体勢を変える。上体を起こし、彼女らはそのまま腰を捻り、左右からアルスの顔面目掛けて蹴りを放った。
確実に捕らえる、という意味において咄嗟に脱出を試みることもできるのだ。
ヒュンッ、そんな空気を切り裂く音だけが虚しくアルスの首裏で鳴った。
真正面から放たれた蹴撃をアルスは頭を下げてやり過ごす。そして、蹴りを回避された二人は空中で体勢が崩れる……僅かばかりの解放、しかし彼女達は次の瞬間、アルスの両脇に抱えられていた。
何が起こったのか、呆然としていた二人は力なく両脇に抱えられたまま、器用に首を回してキョトンとアルスを見る。
鬼ごっこで捕まったのはこれが初めての経験だったのだ。シアンとの遊びで良く採用する鬼ごっこだが、当然、忙しいシアンの身代わりとなる護衛の魔法師相手でも二人を捕らえることはこれまでなかった。
「つ~か、お前らなんで下穿いていないんだ」
足をプラプラさせたまま、レアとメアは目尻を下げて不思議そうな顔を浮かべる。
そう、レティもロキも二人が下着を付けていないということに気がついたのだ。それは角度的に二人にしか見えていなかったが、当然アルスも目の前で裾がはためいたために気づいていた。
「二人で決めたもんねぇ。ちゃんと話し合ったんだよ。付けないって!」
「です。しっかりと協議を重ねて決めたんです。穿かないって!」
さも当然のことのように言ってのける少女二人にアルスは返す言葉が見つからない。ここまできっぱりと、それも確固たる決意があるかのように言われてしまっては。
さすがのアルスもはしたない、というだけの理屈では心もとなく感じた。どちらが正しいのかわからなくなってくるのだ。
「いや、威張ることじゃないと思うが」
そんな会話を傍までよってきていたシアンが耳にし、あちゃ~と手で顔を覆う。
「コラァ、あれほど穿いてきてって言ったのに。確認するわけにもいかないし……」
ホトホト困り果てた様子の若き元首。彼の苦労は何も国政ばかりではないようだった。
二人を抱えていた腕を解くと、レアとメアはトンッと軽やかに着地する。そしてシアンを困らせるのが生き甲斐だとでも言いたげに、抑えきれない笑みが二人の口元に覗くのであった。




